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2章 「永遠の罪」

40話 「少年の真意」

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 その日は、辺りが静寂に包まれた夜だった。虫の声も、動物の鳴き声もこの場では聞こえていない。

 唯一聞こえる音があるとするならば、ラウラの隣で眠る少年の寝息くらいだろう。
 何故隣で寝るようになったのは、最初はラウラが捕まえた少年――「冒険者狩り」のファルベがラウラを殺しやすいように、と思ってのことだ。

 実際、ファルベのやつもチャンスだと思って、毎日のように寝込みを狙ってラウラを殺そうとしてきた。

 しかし、彼女は殺気、敵意、悪意といった気配を察知する能力が高い。たとえ寝ている最中であってもその力は健在で、何度刃を向けられてもそのたびにそれを阻止していた。

 別にラウラは自分の力を誇示したいからそうしているわけではない。
 弱気で、自信がなくて、自分一人で何もできないと思っていた普通の少年が、自分の技術とスキルのみによって冒険者を数多く殺した事実から、自身の力に依存し、縋るようになってしまったその歪な精神状態を一度壊してやろうと思ったからだ。

 己の弱さを、自分の足りなさを認めず、その事実から逃げた末に人を殺し、そうすることで自己の強さが証明できていると、誰にも頼らず生きていけるのだと思い込んでいたちっぽけで哀れな子供が、もう一度目を逸らしていた弱さと向き合えるように。

 その成果は、一年半経ってラウラに対しても、他の人間に対しても敵愾心を向けなくなったことが証明している。

 何度も夜中に小さな争いを行っていた寝室で、ラウラは幾度もファルベの寝息を聞いた。何の音もない空間で、たった一つだけ生じる音。
 けれど、その音は決して不快ではなかった。それほど無防備に、何の警戒もなしに眠っていられるのは、こちらに心を開いてくれている確かな証拠なのだから。

 その日も、ファルベはラウラが寝るより早く、床に就いていた。
 ここに住んですぐの頃と比べると、変わったものだなんて考えながら、ラウラも布団に潜り込む。
 いつもと同じで、なんら変化のない光景。だが、その光景も、そこまでだった。

 夜も更けて、すべての人間が寝静まる頃。ラウラの聴覚は、隣から小さな、本当に小さな音を感知した。それは気づいたところでわざわざ確認するようなものでもない。寝返りすることでも音は発生するし、お手洗いにでも行こうと起き上がっただけかもしれない。
 だから、ほとんど無意識的に不必要な情報であると判断し、そのまま意識は暗闇の中に沈んでいく。


 いつしか朝はやってきて、自然と窓から差し込んでくる朝日の光で目を開ける。ラウラは意識の覚醒が比較的早く、起きてからすぐにでも行動を開始することができる。
 目を覚まして、その流れのままに上体を起こす。すると、眠気の消え去った意識の端で、一瞬何かの違和感を覚えた。

 理由の分からないその感覚の原因を探るために、周囲を見回す。
 いつもと同じのはずだ。何の違いもないはずだ。それなのに――


 ――ラウラの隣にある布団から、ファルベの姿は消えていた。


 その事実を認めるのに、少しの時間を要した。ラウラの起床時間はファルベのそれより早く、彼女が起きてから朝ご飯の支度をしているあたりで起きてくる。

 だから、ラウラが起きたその時間にファルベがいないのはおかしいのだ。

 とはいえ、何らかの事情があって、いつもより早く起きただけの可能性も否めなかった。
 しかし、今日は別に特別な日ではなかったはずだ。ならば、どうしてそんなことを。

 驚き半分、興味半分といった様子で思考を巡らせるラウラ。

 けれど、いくら考えたところで本人に聞かなければ行動の意味など分からない。
 諦めがいいのもラウラの良いところなのだろう。無理だと判断すればすぐに頭を切り替えて、朝食を作りに一階へ降りる。

 そうしてラウラの日常が始まって、すぐに終わることになる。

「号外だよ! 号外!」

 町の大広間で、朝から大きく声を張り上げている者がいた。その人物は手に何やら紙を持って、道ゆく人にそれを配っているようだった。

 中々に珍しい光景だ。この町はそれほど大規模ではないので大きな事件も、出来事も起きない。
 以前、この広間がこんなに騒がしくなっていたのはおよそ一年半前だ。

 この年月から分かると思うが、その時期はちょうどラウラがファルベと初めて邂逅し、彼の身柄を拘束した頃だ。

 ラウラが他人にその話をすることはないので、周囲の人間からすれば、大量の冒険者を殺した殺人鬼が突然その姿を消し、その後は誰の被害が出なくなっているという事態になっていた。

 突如失踪した冒険者狩りの話はここカリアナ王国中に瞬く間に広まった。当時、ラウラが住んでいた町も例外ではなく。

 その時の町の盛り上がりようと言ったら、凄まじいものだった。
 もう夜に怯えなくてもいいと、いつどこで襲ってくるかを身構えてしまうような疑心暗鬼から解放されたのだと、冒険者達は喜んだ。

 冒険者狩りが暴れている間、夜に開店できなかった酒場はその日から連日宴を催し、さらには秘蔵の酒を大盤振る舞い。客は途絶えることなく足を運び、席が埋まらない日はなかった。

 それほどまでの、冒険者狩りという存在が世に与えていた影響は大きかったのだ。

 あの時の異常なまでの盛り上がりと似たような感覚を覚えたラウラは、未だ「号外! 号外!」と叫び続ける男の方へ向かう。

 彼の持つ紙切れは随分と刷られたようで、彼の傍にまだ配られていない束が山のように積み重なっていた。

「朝から元気だねえ。アタシにも一枚分けちゃくれないかい?」

「いいですとも! 何たって今日のは一年ぶりの大ニュースだ!」

 満面の笑みを浮かべた男は、ラウラに手に持った紙切れを渡す。
 白く、滑らかな触り心地のそれに書かれた見出しの大きな文字。それが何より最初に、ラウラの目に飛び込んできた。

「……ッ!?」

 ラウラは驚きのあまり、その真紅の瞳が大きく見開かれていることに、自分でも気づかなかった。

 信じられない、そう言いたくなる気持ちが強かったが、しかしファルベの起こした突然の行動、それの理由にするには十分すぎるものだった。

 ラウラの受け取った紙切れに書かれていた言葉は――


 ――『冒険者狩りと呼ばれ、世間を騒がせた殺人鬼が自首。カリアナ王国騎士団全体会議にて一週間の事実確認と精査の後に処刑することを決定』

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