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第一部――第七章 人間なんて信じたいのに

第四十四話 下剋上完了

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「水瓶座、水……水……」
「陽炎様、まだ足りない。僕のことは?」
「好き……大好き……」


 うっとりと見やる眼、だけどその中にいつもの彼らしい強さは最早宿っては居ない。うっとりというより、虚ろと言った方が正しいのかも知れない。
 陽炎の自我は急に摂取された水によって、崩壊した。
 彼は最早、水に踊らされる人形状態だった。水の糸で操られて、水瓶座の側でぼんやりとしている。

 それを見ていて苛立っているのは蟹座、にこにことしているのは鴉座。
 水瓶座はもう少し水を陽炎へ飲ませようと動いたとき、蟹座が水瓶を壊して水を無くさせた。我慢の限界がきたようだった。
 でももうそんな水がどうでもいいぐらいに、陽炎はプラネタリウムに依存し、水瓶座にべったりと抱きついていた。
 水瓶の力は利用できた、だから水瓶座はもうこの場には必要ないし、水瓶さえなければ彼には力はない。

 蟹座はにやりと笑ってから、水瓶座から陽炎を取り上げて、水瓶座を蹴って、水の宮に閉じこめた。
 水瓶座は文句を言おうとしていたが、水瓶の力を失った彼は人よりもか弱い。
 水の宮の中には他の星座一同が居る。

「まさか、自分の巣窟を檻にするとは思わなかった。確かに五月蠅い奴らを此処に閉じこめておくのは好都合だ」

 賞賛の言葉を鴉座にくれてやり、それからくくっと喉奥で笑った。鴉座はそれに礼を言う代わりに、恭しく一礼を。そしてその時に、彼はご苦労様でした、と何故か労いの言葉を蟹座へとかけた。
 蟹座は首を傾げて、怪しむ。そして、刃で出来てる指を鴉座に向けようとした。
 その瞬間、心臓の辺りがどくりと波打った。
 鴉座を見やる。鴉座は自分から陽炎を奪い、目隠しをさせて頭を撫でていた。その態度はまるでこうなる昔からの、愛で方と同じで。
 そして愛しそうに抱き上げながら、蟹座へ言葉をやる。
  


「蟹座、貴方本当に私の能力が――情報収集だと思ってましたか?」
「……――情報収集ならば誰にでも出来るからな。薄々何か別の物だとは思った。空を飛ぶ者が、地を這う人間のことなど判るわけがないからな、能力で」
「――なら話はお早い。私はね、嘘つきなんです。鴉というのは嘘つきなのですよ。人を惑わすために嘘をつくのです。ねぇ、貴方のその属性が偽物だとしたら? 私の能力が、属性を操ること、だとしたら?」


 鴉座はにこにことした笑みを向けて、初めて蟹座へ友好的に心から笑う。蟹座はその笑みを見て、何かを感じるよりも心臓の鼓動のが気になった。


「……どういうことだ」
「貴方は本来忠実なのに、私が属性を操った。そう言えばお分かり? それとも仮に愛属性だとしても、今忠実に戻したら、貴方は今までの振る舞いを、どうお考えになられるでしょうか?」
「……どのみち、愛属性だっただろうよ。だがな、今、忠実に戻すのは止めろ」
「――ねぇ、蟹座。昔から貴方は主人思いだという姿を見てきましたよ、私は。誰にも作られたことないから、覚えて居るんですよ。絶対忠誠であった――そんな貴方は酷い自己嫌悪に陥り、この方への恋慕どころではなくなります。ねぇ、そんな面白い光景、どうやって見逃すことが出来ましょう?」


 ずっとずっとこうすることが楽しみだったような口調で、鴉座は戯れにくすくすと笑う。それに最後でも怯えないのが、流石蟹座というべきか、不敵に笑い、負けを認める。


「……――最初から独り占めが目的だったか? だとすれば、最初から手を組もうとしていたのが納得いく。お前は……狡い奴だからな…ッぐああああ!!!!!」


 蟹座は膝を折り、心臓を押さえて、肩で呼吸をしながら、大きく叫ぶ。
 鴉座はそれを酷く楽しい劇のように暫し見やってから、それから満足したのか興味なさそうに飛び立つ。
 自分の宮へ、鴉座の眠る場所へ向かって飛び立つ。
 陽炎のうつろな、水瓶座を求める声が聞こえるので、此処に居ますよ、と鴉座が返事をすると、陽炎は鴉座の首根っこに抱きついて安堵の息をついた。
 それに満足して、かつての陽炎に言ってみせる。今はもう居ない彼へ。

「言ったでしょう? 目的のためなら、手段も人選も厭わないと。例え貴方が私を求めていなくても、誰だか判らなければ私を求めているのと同じ。ねぇ、陽炎様、愛しておりますよ」
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