白雪姫の接吻

坂水

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〈終幕 美雪〉第10話 証明

10-5

 
 『白』には、孤独で寂しく物悲しいイメージがつきまとう。
 幼馴染から受け取る手紙はいつも白かった。
 本来なら感情が殴り書かれ幾重にも塗り重なるはずの便箋は、しかし何の色にも染まっていない。
 清浄な白に、本当に何の感情も無かったのか、それとも別の思いが込められていたのか、私は問うべきだったのだろう。
 けれど透明な水にインクを垂らしたらが最後、またたくまに黒く汚染されてしまうのではないかと、恐れていた。
 きけない、わからない、ふれられない。
 それは、白い邸に住む年上の女性にも同様に抱いていた疑心だった。



 雪に覆われた静寂の中、呟きは耳奥に浸透した。まっさらな半紙に墨汁を一滴こぼしたように。隠したくとも、消したくとも、逃れたくとも、巻き戻らない。今まで積み上げてきたいくつもの嘘を台無しにする。嘘は嘘でも、優しさとか、気遣いとか、折り合いとか、皆を幸せにするための真っ白い〝魔法〟だったはず。だから私も十五の誕生日プレゼントをもらっていないことにした。してあげた。なのに。まったく理解し難かった。どうして、こんなタイミングで作り上げてきた舞台をぶち壊しにするのか。
 嘆きか、憤りか、哀願か。咄嗟、発するべき言葉を見失う。見上げた面は白く、眼差しは黒く、その無表情はあまりにミミタンと似通っていた。あんなにも大事だったヌイグルミ。貴女をあっさり忘れた私を責めているの?
 ふいに気付く。こんなにも静かだとういうのに、まったく足音が聞こえてこない。茉莉は来ていない。来ない。呼ばれてもいない。私と茉莉の関係性を確かめるための嘘。つまりは、私を罠にかけるための。
 どうして。おかしい。なにがしたいの。眼差しで問いかけるが、漆黒の湖面を波立せることはかなわなかった。それが逆に私の瞳と心に感情を溢れさせる。
 揺らがぬ瞳が何よりも雄弁に物語っていた。そう。薄々は予想していた。だから、危険を冒してまで確かめに行った。
 放課後の西陽射し入る図書室。N西女の受験を目前に控えながら、祖父母の迎えの時間に追われながら、大日向有加の影に怯えながら、繰り返し読み込んだ。導き出された答えは不都合な真実で、見ないフリをしていた。この恋を手放したくなかったから。でも、もう、素知らぬふうを装えない。膨れ上がった感情が叫びとなって姿を現す。

「……香世子さんは、私が嫌いなんでしょう!」
  
 昔、ひどいことをしたという幼馴染の娘であることを除いたとしても。優しさも、微笑みも、慰めも、キスも、全部嘘。うそっぱち。だって。

「私が、貴女のを喪くしたから!」
 
 三学期が始まり、一度だけ訪れた図書室でグリム童話の全集を読了した。香世子さんが好きだと話し、高台の白い邸で母との会話にも出てきていた『杜松の木』も当然載っていた。
 それはこんな話だった。夫婦と兄と妹が暮らしていたが、兄は先妻の子で、母親にいつも疎まれていた。ある日、母親は林檎をあげると兄を呼び寄せ、林檎の入った箱に首を突っ込ませたところ、蓋を閉めて兄の首をちょん切ってしまう。母親は兄の首に白い布を巻いてごまかし、そうとは知らない妹が母親にそそのかされ兄に林檎をせがんだ拍子に、兄の首が落ちてしまう。自分のせいだと泣く妹に、母親は誰にも知られてならないと言い聞かせ、兄をぶつ切りにして煮込んでしまう。父親は煮込みを平らげ、骨をテーブルの下に投げ捨てた。妹は骨を全て拾い、絹の小布で包んで、杜松の木の根本に埋めた。
 兄の骨は小鳥となり、各地で美しい歌声を披露して、歌声と交換して宝物を手に入れてから家に戻る。最終的には臼を落として母親を殺し、親子三人仲良く暮らしましためでたしめでたしという幕引きとなっていた。
 
  「おらの母ちゃん おらを殺した
   おらの父ちゃん おらを食った
   おらの妹 マルレーネ
   おらの骨を みんな拾った
   絹の小布で くるんだ
   杜松の根方に 置いた
   キューヴィット キューヴィット
      おらはなんてきれいな鳥だ」 
 
 小鳥は人々の罪を歌い上げる。香世子さんもひどく迂遠に私の罪を証明して罪状を突きつけてきた。
 かつて香世子さんの書斎の宝石箱に入っていたのは、愛娘の。その経緯はよくわからないが、たったひとつのよすがだったらしい。幼かった私はそれを持ち出し、弄び、喪くし、代わりに自身の宝物だった玩具の指輪を入れたと母は言う。
 私自身はそれについて覚えていない。けれど、代替品となっていたアミュレス・アミュレットは間違いなく私の物であり、私以外に容疑者は浮かび上がらない。
 なのに、容疑者が己の罪を気持ちよく忘れ、あまつさえ被害者に好意を抱いたとしたら。
 無言のまま、無表情に、無心に見下ろす漆黒の兎の眼。そこに浮かぶのは、憎悪以外の何があろうか。
 私は膝の間に顔を埋めて泣いた。涙がとめどなしに流れた。

「……嫌ってなんかないわ」

 どれほど時が経ったのか。ぽつん、と。
 静けさの中に落とされた呟きに、耳を疑った。制服のプリーツから顔を上げ、香世子さんを振り仰ぐ。
 白の中のなお真白。フードを被った彼女は、氷城の支配者たる女王めいて美しく、同時に雪原に置き去りにされた少女にも見えた。
 香世子さんはこちらへと腰を屈めて身を寄せてくる。伸ばされた手に大仰にびくりと肩がはねる。左足にはギブス。場所は階段。誰もいない神社。引っ張られたら、落ちる。妹が兄の首を落としてしまったように、いとも容易く。
 こちらの不安をよそに、香世子さんの手には白いハンカチが握られており、私の涙やら鼻水やらを優しく拭う。指輪が紅く透明な光の残像を描いた。そして一通り清めてくれると、いつもの角度で小首を傾げ、淡く微笑む。涙に湿った視界に、その微笑はことさら儚く映った。
「嫌ってなんかない……でも、迷っていた」
 同じ高さとなった目線がわずかに伏せられる。
「この一年、美雪ちゃんと親しくなって楽しかった。可愛く聡明で健やかで、私の娘もこんなふうに成長していたのかしらって想像したわ。あの子は四歳で事故死したから」
 細い肩が下がり、白い吐息が押し出される。
「同時に罪悪感も募ったわ。私はね、娘が生きている間はうまく娘を愛せなかった。私の中には脅迫観念めいたものがあって、とても厳しく躾ていたから。あの子には関係ないことだと理解していながら、自分を止められなかった。元夫にも咎められたわ。あの子にとって私はひどい母親、いじわるなお妃と同じだったでしょうね」
 まさかとこぼれた言葉に、香世子さんはゆるゆると首を振って否定する。
「あの子はたった四歳で真っ白なまま死んだ。でも生きていたとして、はたして、成長したあの子を愛せたかしら。美雪ちゃんと接するようにできたかしら……」
 それは私への言葉というよりも独白だった。
 香世子さんが悪いお妃のように振る舞うなんて考えられない。だが、私と母の関係が香世子さんとのそれとは重ならないのと同じなのかもしれないとも一方で思う。
「考え出すと不安でしょうがなかった。仕事も、仕事以外にも為すべきことは山積みなのに、気付けば半日ぐらい鬱々と思い悩んでいた」
 いい大人が馬鹿げているけど、と自嘲する香世子さんは言葉とは裏腹に少女のような心細げな顔をしていた。
 悩みの深さこそが、愛情のそれのはず。けれど、私は彼女にそう告げない。告げられない。告げたくない。その自身の心の仕組みを正しく理解していた。
「美雪ちゃんに頼られ、頼られることを口実に楽しい時間を過ごせば過ごすほど、苦しくなったわ。あの子のことを考えるほどに、あなたのことを考える時間も長くなった」
 あなた。その音に目を瞬かせる。私のことを、ずっと、考えていた? それはどういう意味なのか。
 ひどい乾きを覚えた。欲しいと思った。衝動のまま手を伸ばすが、絶妙なタイミングで香世子さんは屈めていた腰を伸ばし立ち上がる。
 避けられたのかと勘ぐるが、ふらりとした頼りなげな痩身にはそんな意図はないようだった。雪混じりの風に煽られ、フードが落ちる。一瞬、そのまま吹き飛ばされるのではと不安に襲われた。艶やかな黒髪が鳥の飛翔する形に広がり、子どものように細いうなじが露わになる。
 
 ――ずっと、怯えていたの。
 
 いつもの凛然とした声ではなく、風にまぎれるほどのか細さに胸を突かれた。
 香世子さん、貴女もなの? 私も怖かった。貴女の一等大事なものを喪わせ、嫌われていると思っていた。傷つくとわかっていても、諦めきれなくて、焦がれて、喘いで、飢えて。炎に引き寄せられる夏の羽虫のように。
 堪らなくなって、頼りなげな彼女に支えるのは無理でもせめて寄り添おうと立ち上がろうとした時。押し止めるかのように、その言葉が降ってきた。
「だから残りの時間を使って、証明しようと思った」
「……証明?」
 唐突に浮上した場違いな単語を、仰ぎ見ながら繰り返す。
「そう。ヒントをくれたのは美雪ちゃん、あなたよ」
 心当たりがまったくなく戸惑いを浮かべる私に、香世子さんは微笑む。
「一緒に問題を解いたこともあったでしょう? AB=DC、AB//DCの三角形ABCとCDAがあった時、角ABC=角CDAであることを証明しなさいって」
 数学の証明問題。受験の必須項目で、確かに白い邸の応接室で、お茶とお菓子を供されながら教わったことがあった。けれどいきなりな話題転換で困惑する。
 香世子さんの顔には未だ憂いが残っていたが、口調は歌うようであり、しかも半音キーが外れているふうでもあった。
「あの子はもういない。十五のあの子は存在しえない。ならば他の事象から、あの子への愛を証明しなくてはならない。今となって、あの子に関してできるのはそれだけ。……もちろん、香純ルビを取り戻せたらそれに越したことはなかったけれど」
 香純。初めて面と向かって明かされた名は、香世子さんの娘を指しているのか、私が喪くした骨を示しているのか。改めて罪状を示唆され肩が強張る。
 〝香純〟への愛の証明。けれど〝香純〟はもういない。目の前には〝香純〟を喪くした容疑者。だったら。
 焼けた靴を履かされたお妃。鳩に目玉をつっつき出された灰かぶりの姉さん。臼を落とされた死んだ義理の母。
 降り仰いだ香世子さんの表情を確認できなかった。唐突に周囲が翳り、刹那、世界が暗転ならぬ白転したから。止める間も、逃げる間もなく、覆い被さるように間合いを詰められた。
 ひっと、喉の奥で、できそこないの悲鳴が弾ける。
 途方もない落下感。お尻の下が一瞬温かくなり、すでに湿っていた地面とスカートの境がさらに曖昧になる。
 そして、次に襲ってきたのは柔らかな重みとぬくもりと名状し難い芳しい香りだった。何度経験しても眩暈がするほどに。
「感謝しているの」
 気付けば、ただただシンプルに力強く抱きしめられていた。膝を折り、覆い被さるようにして。
 耳元にカシミアのそれとは違う柔らかな弾力が触れる。じらすように、触れ、離れ、触れるそれ。熱い吐息を注がれて身震いした。
「あなたは私の恩人よ」
 腕が緩んだと思えば名残を惜しむ間もなく、両の手で頬を包まれ、額と額を合わせられ、潤んだ瞳で、彼女はそんなことを言ってきた。かぐわしい呼気を吸い込む距離で。
「な、んで」
「〝香純〟を証明してくれたから」 
「……証明?」
 この人は何を言っているのだろう。
 昂った彼女とは対照的に、冷静に思う。彼女の聡明さを今まで疑ったことはないが、今回ばかりは唖然とした。私と〝香純〟はもちろん面識がない。証明などできるはずがない。そもそも何を証明するというのか。
 けれど香世子さんはこちらの戸惑いにはまるで頓着しない。黒い湖面には、歪んだ私の困惑顔が浮かぶばかり。
「可愛く聡明で健やかな美雪ちゃん。親しくなった当初、あなたは〝彼女〟の娘であるにも関わらず、彼女と全然似ていなくて驚かされたわ」
 彼女。それは間違いなく母を指していた。ひどいことをしたから――母の呟き。『かめこ』――夜陰に響いた叫び。ほかに友達がおらんかったんじゃないかね――祖父母の言葉。
「あなたを知れば知るほど、成長した香純が一体どんな娘に育ったか不安になった。もしかしたら、側の人間になったのではないかと」
 だから美雪ちゃん、美しい人はとろりと呼びかける。甘く透明な飴細工を思わせる声で。

「私はこの一年あなたを観察していたわ」
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