12 / 27
第11話 6年前の出来事
しおりを挟む
夜。
彩はM棟5階の小さな研究室の中にいた。
このフロアには先生たちの小さな個人研究室がたくさんある。
ほとんどの研究室はカギがかかっていて使えないが、7部屋、使える部屋があった。
だから、感染予防のために、夜はこのフロアで一人一部屋を使って就寝するようにしている。
5階のエレベーターは、ゾンビが侵入しないように板を打ち付け封鎖している。
4階との行き来ができるのは中央の階段だけだ。
南東に西浦先生の部屋があり、宮沢はその2つ隣の部屋。
彩とカラの部屋は南西側の桜の木に近いところで、木村は北西、優花の部屋は北東のはずれだった。
手越先生は4階の研究室を使っている。
彩は自分の部屋を出た。部屋の中に1人でじっとしているのに耐えられなくなって。
廊下に立っていると、どこかから声が聞こえた。
部屋のドアを閉めていれば聞こえない程度の小さな音だ。
声は4階から聞こえてくるようだ。
彩は静かに4階に降りて行った。
声は男性二人のものだった。
「あんたのせいだ! 立花が死んだのは!」
声はとぎれとぎれに聞こえてきた。たぶん、4階の手越先生の部屋から。
手越先生は立花隆平が死んだ後、部屋にこもりっぱなしだった。
あの声は、たぶん木村孝行の声だった。
木村が手越先生を責めているようだった。
学生たちの間では、立花隆平の死は手越先生のパワハラを苦にした自殺、ということで落ち着いた。
カラだけは疑っているみたいだったが、カラは怪しい来訪者が立ち去ってからは、事件について何も発言していない。
たぶん、木村はパワハラの件で手越先生を責めているのだろう。
彩は足音を立てないように気をつけながらさらに近づき、女子トイレの入り口の影に入った。
手越先生の落ち着いた声がはっきりと聞こえた。
手越先生の部屋のドアは開いているのだろう。ドアが閉まっていれば、声は聞こえなかったかもしれない。
「立花君の死は、私のせいではない。あの書置きは、立花君が書いたものではない。あれは、6年前のものだ」
やっぱり、手越先生は気が付いていた。
彩は胸の前で手を握った。
カラが見つけてしまったあの書置き。あれを見た時の手越先生の表情。
手越先生はあの時、なぜ立花が殺されたのか悟ったのだ。
手越先生は話し続けた。
「木村君。6年前のあの事件、君も知っているだろう。君の友人の野村君があの桜の木で自殺をはかった件だ。いや、知っているどころか、君がいじめの黒幕だったのではないか? 立花君がそう言い訳めいたことを言っていたぞ」
木村はたじろいだような声で言い逃れをした。
「俺は、べつに、悪くありません。俺は野村が仲間に入れるように、オネエっていじったり、冗談にしてやったりしていただけで」
それを、いじめというのだ。彩は聞いていて辛くなった。
木村は文句を言うように言った。
「だいたい、あいつはホモのくせに、一緒に着替えたりトイレ行ったり、体に触ってきたり。で、やめろって言ったら、みんな俺のことをおかしいって思うんですよ。男同士だったら普通だろって」
手越先生が落ち着いた声で指摘した。
「野村君は普通のことをしていただけだろう。君が過剰に意識をしていただけだ。同性愛者だと知るまでは、気にしていなかったのではないかね?」
「そりゃ、そうですけど。でも、みんな理解してくれなくて、俺は辛かったんです。それで、他の奴らにも野村は男が好きなんだって教えて、わかってもらったんです」
木村によるアウティング。
それが始まりだった。
「わかってもらった」と木村は言う。
何をわからせたのだろう?
嫌う相手だと? いじめる相手だと?
彩は耳を覆いたくなったが、聞かないわけにはいかなかった。
手越先生は落ち着いた声で尋ねた。
「そして、君たちは野村君を自殺に追い込むまで、いじめたと?」
「俺は別に、そんな悪いことはしてません。そりゃ、立花はけっこうひどいこともしてましたけど」
「同罪ではないかね。君は、とめようとしなかったのだろう?」
木村は言い訳を続けた。
「だって、そんなことしたら、俺まで野村と同類だって思われるじゃないですか。仕方なかったんですよ。俺は違うって見せなきゃいけないから、いじらないわけにはいかなかったんです。そうしなきゃ、俺まで誤解されてターゲットになるから。そりゃ、野村は恨んでいるかもしれないけど」
「そうだ。恨んでいるのだ」
手越先生は、重苦しい声でそう言った。
「野村が恨んでいる? 先生は、立花は野村の幽霊、いや、生霊に呪い殺されたって言うんですか?」
木村がそうたずねると、手越先生はバカにしたような声で言った。
「幽霊? 生霊? 馬鹿を言うでない」
「じゃあ、立花に何が起こったんですか?」
手越先生は落ち着き払って答えた。
「立花君は6年前の事件の復讐で殺されたのだろう。野村君と親しかった者に。他に何が考えられる? わざわざ野村君の書置きが置かれていたのだ」
木村は動揺した声で言った。
「復讐で殺された? だったら、先生はなんで落ち着いていられるんですか? 立花が野村の復讐で殺されたなら、俺も先生も、殺されるかもしれないじゃないですか?」
手越先生は落ち着いていた。
「自業自得だろう。お互い、十分に罪があるのではないかね? 私は殺されるほどのことをした覚えはないが、後悔はしている。野村君には可哀そうなことをした。君や立花君達の将来のためには、大ごとにしない方が良いと思ってきたが。あの時にしっかりと処罰を下すべきだったのだろう。非を認めざるをえん。この事件は私が招いたことだ」
木村は裏返った声で叫んだ。
「そんなこと言ってあきらめないで、どうにかしてくださいよ、先生!」
「私に何ができる。これ以上君と話すことはない。もう帰ってくれ」
手越先生の部屋を出た木村が、廊下を歩きながら独り言をつぶやくのが聞こえた。
「冗談じゃない。俺は老い先短い年寄りじゃないんだ。黙って殺されてたまるか。犯人を見つけないと。やられる前にやらないと」
木村は、5階へは戻らず4階の廊下を歩き去っていった。どこかのドアが開き、閉まる音がした。
彩はトイレの外には出ず、そっとトイレの個室に入った。
もしも今誰かに会えば、平然とふるまうことができそうになかった。
狭い個室の中で、彩はひたすら立ちつくしていた。涙と震えがとまらなかった。悔しくて、仕方がなかった。
(お兄ちゃん……)
声にできない声で、彩は呼びかけた。
彩はM棟5階の小さな研究室の中にいた。
このフロアには先生たちの小さな個人研究室がたくさんある。
ほとんどの研究室はカギがかかっていて使えないが、7部屋、使える部屋があった。
だから、感染予防のために、夜はこのフロアで一人一部屋を使って就寝するようにしている。
5階のエレベーターは、ゾンビが侵入しないように板を打ち付け封鎖している。
4階との行き来ができるのは中央の階段だけだ。
南東に西浦先生の部屋があり、宮沢はその2つ隣の部屋。
彩とカラの部屋は南西側の桜の木に近いところで、木村は北西、優花の部屋は北東のはずれだった。
手越先生は4階の研究室を使っている。
彩は自分の部屋を出た。部屋の中に1人でじっとしているのに耐えられなくなって。
廊下に立っていると、どこかから声が聞こえた。
部屋のドアを閉めていれば聞こえない程度の小さな音だ。
声は4階から聞こえてくるようだ。
彩は静かに4階に降りて行った。
声は男性二人のものだった。
「あんたのせいだ! 立花が死んだのは!」
声はとぎれとぎれに聞こえてきた。たぶん、4階の手越先生の部屋から。
手越先生は立花隆平が死んだ後、部屋にこもりっぱなしだった。
あの声は、たぶん木村孝行の声だった。
木村が手越先生を責めているようだった。
学生たちの間では、立花隆平の死は手越先生のパワハラを苦にした自殺、ということで落ち着いた。
カラだけは疑っているみたいだったが、カラは怪しい来訪者が立ち去ってからは、事件について何も発言していない。
たぶん、木村はパワハラの件で手越先生を責めているのだろう。
彩は足音を立てないように気をつけながらさらに近づき、女子トイレの入り口の影に入った。
手越先生の落ち着いた声がはっきりと聞こえた。
手越先生の部屋のドアは開いているのだろう。ドアが閉まっていれば、声は聞こえなかったかもしれない。
「立花君の死は、私のせいではない。あの書置きは、立花君が書いたものではない。あれは、6年前のものだ」
やっぱり、手越先生は気が付いていた。
彩は胸の前で手を握った。
カラが見つけてしまったあの書置き。あれを見た時の手越先生の表情。
手越先生はあの時、なぜ立花が殺されたのか悟ったのだ。
手越先生は話し続けた。
「木村君。6年前のあの事件、君も知っているだろう。君の友人の野村君があの桜の木で自殺をはかった件だ。いや、知っているどころか、君がいじめの黒幕だったのではないか? 立花君がそう言い訳めいたことを言っていたぞ」
木村はたじろいだような声で言い逃れをした。
「俺は、べつに、悪くありません。俺は野村が仲間に入れるように、オネエっていじったり、冗談にしてやったりしていただけで」
それを、いじめというのだ。彩は聞いていて辛くなった。
木村は文句を言うように言った。
「だいたい、あいつはホモのくせに、一緒に着替えたりトイレ行ったり、体に触ってきたり。で、やめろって言ったら、みんな俺のことをおかしいって思うんですよ。男同士だったら普通だろって」
手越先生が落ち着いた声で指摘した。
「野村君は普通のことをしていただけだろう。君が過剰に意識をしていただけだ。同性愛者だと知るまでは、気にしていなかったのではないかね?」
「そりゃ、そうですけど。でも、みんな理解してくれなくて、俺は辛かったんです。それで、他の奴らにも野村は男が好きなんだって教えて、わかってもらったんです」
木村によるアウティング。
それが始まりだった。
「わかってもらった」と木村は言う。
何をわからせたのだろう?
嫌う相手だと? いじめる相手だと?
彩は耳を覆いたくなったが、聞かないわけにはいかなかった。
手越先生は落ち着いた声で尋ねた。
「そして、君たちは野村君を自殺に追い込むまで、いじめたと?」
「俺は別に、そんな悪いことはしてません。そりゃ、立花はけっこうひどいこともしてましたけど」
「同罪ではないかね。君は、とめようとしなかったのだろう?」
木村は言い訳を続けた。
「だって、そんなことしたら、俺まで野村と同類だって思われるじゃないですか。仕方なかったんですよ。俺は違うって見せなきゃいけないから、いじらないわけにはいかなかったんです。そうしなきゃ、俺まで誤解されてターゲットになるから。そりゃ、野村は恨んでいるかもしれないけど」
「そうだ。恨んでいるのだ」
手越先生は、重苦しい声でそう言った。
「野村が恨んでいる? 先生は、立花は野村の幽霊、いや、生霊に呪い殺されたって言うんですか?」
木村がそうたずねると、手越先生はバカにしたような声で言った。
「幽霊? 生霊? 馬鹿を言うでない」
「じゃあ、立花に何が起こったんですか?」
手越先生は落ち着き払って答えた。
「立花君は6年前の事件の復讐で殺されたのだろう。野村君と親しかった者に。他に何が考えられる? わざわざ野村君の書置きが置かれていたのだ」
木村は動揺した声で言った。
「復讐で殺された? だったら、先生はなんで落ち着いていられるんですか? 立花が野村の復讐で殺されたなら、俺も先生も、殺されるかもしれないじゃないですか?」
手越先生は落ち着いていた。
「自業自得だろう。お互い、十分に罪があるのではないかね? 私は殺されるほどのことをした覚えはないが、後悔はしている。野村君には可哀そうなことをした。君や立花君達の将来のためには、大ごとにしない方が良いと思ってきたが。あの時にしっかりと処罰を下すべきだったのだろう。非を認めざるをえん。この事件は私が招いたことだ」
木村は裏返った声で叫んだ。
「そんなこと言ってあきらめないで、どうにかしてくださいよ、先生!」
「私に何ができる。これ以上君と話すことはない。もう帰ってくれ」
手越先生の部屋を出た木村が、廊下を歩きながら独り言をつぶやくのが聞こえた。
「冗談じゃない。俺は老い先短い年寄りじゃないんだ。黙って殺されてたまるか。犯人を見つけないと。やられる前にやらないと」
木村は、5階へは戻らず4階の廊下を歩き去っていった。どこかのドアが開き、閉まる音がした。
彩はトイレの外には出ず、そっとトイレの個室に入った。
もしも今誰かに会えば、平然とふるまうことができそうになかった。
狭い個室の中で、彩はひたすら立ちつくしていた。涙と震えがとまらなかった。悔しくて、仕方がなかった。
(お兄ちゃん……)
声にできない声で、彩は呼びかけた。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる