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第一章
水巫女
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それからリンは、何かを迷ったように少し間を置いてから、意を決したように葵を見つめた。
「どちらにせよ、水巫女のお前にはやってもらう事がある」
「……水巫女?」
そこからか、という顔をされた。リンが考えていることを表情に出したのは初めてだ。
「水巫女には役目が二つある。一つは他者の穢れを祓うこと。そしてもう一つが、国に迫り来る〝災蝕〟を止めること。お前がやるのは後者だ」
「さいしょく? ……よくわかんないんですけど?」
「災蝕が起こると、疫病が蔓延し、多くの犠牲が出る。いわば天災だ。災蝕を止められるのは水巫女だけだ」
「そんな……そんな……」
そんなファンタジーな話があるか!と、突っ込んでもいいのだろうか。
いや、それよりも、この男が言っていることはつまり──。
「それって帰す気がない──」
どこからか、轟音が鳴り響き、地が大きく揺れた。余震で家財がガタガタと音を立てる。
「じ、地震!?」
「間隔が短い……次の災蝕が近い」
リンは神妙な面持ちで天を仰いだ。
災蝕と聞いてもいまいちピンと来ないが、ここが山で、地震の間隔が短くなってきているということは、まさか火山が噴火する前兆なのではないだろうか。疫病が火山灰による気管支炎や喘息のことを指しているとすれば、辻褄も合う。ならば、この社が一番危ない。
葵は焦って、リンに掴みかかった。
「火山じゃないの!? みんな逃げなきゃ!!」
葵の真っ青な顔を見るなり、リンは小さく鼻を鳴らした。
「水波盛に火山はない」
「え……そ、そうなんですか?」
「どうやら本当に水波盛の者ではないらしい」
至って常識的な事を言っただけなのに、呆れたように言われて不服に思う。
だとしたら災蝕とは何なのか、ますます理解に苦しむが、どちらにしろ、ただの高校生である葵がどうこうできる問題ではない。
妙な事態に巻き込まれる前に、お暇するべきだ。
そう決心した葵は、すっと立ち上がり、二人に向き直った。
「とにかく勘違いですので! 私、水巫女ってやつじゃないので!! すみませんが帰ります!! 大変お世話になりました!!」
「待て」
深々と頭を下げて退散しようとしたところを、首根っこを掴まれ、引き戻された。
「グエッ」と女子校生らしからぬ声を出して、尻もちをつく。
(────雑っ!! 扱い雑っ!!)
首をさすりながらリンを睨むが、謝るどころか少しも気にした様子もない。
断言しよう。たとえ天地がひっくり返っても、この男の事は好きになれない。
「お前は洗礼の川を登ってきた。うなじの印が水巫女である何よりの証拠」
「これは生まれつきで──!」
「幻覚のようなものが視えるだろう」
葵は息を呑んだ。なぜそんな事を知っているのか、という事よりも、この男が〝枷〟の正体を知っている事の方が気になった。
「巫女は他者に触れることで、その者の記憶を視ることが出来る。〝視憶〟というものだ」
「〝視憶〟……?」
「それはまるで、その者に成り代わったかのように視えると聞く。 水巫女だけが持つ特別な能力だ」
それがずっと自分の首を絞めていた〝枷〟の正体なのか。
そんな変な能力を持つのは自分だけだと思っていたが、水波盛では珍しいものでもないらしい。葵以外にも、視憶ができる人がいるのだ。
同じ苦悩を持つ人間がいるなら、是非会ってみたい。
が、葵は頭を振ってその願望を振り払った。
「……いや、ないです! そんなもの!! 私はただ、早く家に帰りたいだけなんです! さっき送ってくれるって言いましたよね!?」
リンの着物を掴んで縋るように揺さぶると、リンは「愚かな……」と溜息混じりに呟いた。
「お前は全く事態を理解していない」
「はあ?」
「今は、身の安全だけを考えていればいい」
「だったら帰してください! 帰りたいんです!!」
リンは袖を掴む葵の手を静かに払うと、諭すように言う。
「水巫女達の中にも、稀に親元へ帰りたがる者はいる。だが、皆必ず社へ戻ってくる」
「……なぜですか?」
当たり前のことを聞くな、とでも言いたげな目を向けられる。
「捨て子に帰る家などなかろう」
身に覚えのある言葉が葵の胸を突き刺す。
リンは、わかっていたとでも言うように小さく息をつくと、葵に言い聞かせた。
「決して本殿からは出るな。外へ出る際は、必ず私に断りを入れるように。菊乃に言えば迎えに来よう。くれぐれも、単独での行動は控えることだ」
「そんな! それじゃあまるで──」
「勝手な行動は許さぬ。──よいな?」
リンは葵の胸ぐらを掴んで念を推すと、返事も聞かずに去っていった。
人ひとりは殺してるんじゃないかと疑うくらいの眼光に、体が強ばる。完全に脅しである。
(やっぱりヤバい組織に拾われたんだ!!)
葵はそう確信し、床に手を着いたまま俯いている菊乃を見やる。
先程の菊乃の震えは尋常ではなかった。
(まさか菊乃さんも捕まってるとか?)
菊乃はリンと違って少しも危ない感じはないし、どこから見ても清楚でか弱い女性だ。きっと、あいつに脅されているに違いない。
(なら、一緒に逃げた方が……!)
意を決して声をかけようとした時、菊乃が高揚したようにうっとりと呟いた。
「なんて雅で優雅な御方……」
「え゛っ……!?」
菊乃は、赤く染めた頬を押さえながら夢見がちな目で、リンが去った方角を見つめている。
あんなに雑な扱いを受けていたのに、しかも怖くて震えていたはずなのに、突然何を言い出したのか。
「で、でも……怖くないですか? あの人……」
「ええ、まあ……。されど私、あのような冷たい目を向けられると、なんだか胸の奥の方がうずうずと疼くのです」
「嘘でしょ……」
(この人もヤバい……!!)
あれは恐怖で震えていたわけではなかったのか。むしろ、あの状況下で悶絶していただなんて、図太いというか、なんというか……。
菊乃に白い目を向けていると、「いやだ、巫女様まで……」と呟かれた。
(私までなんなの!?)
けれどその後のことは、聞いてはいけない気がする。
「それにしても、さすが巫女様。神子様と冷静にお話が出来るだなんて。私にはとても……」
「神子?」
「水波盛国を治める神王様のご嫡男でございます」
「へー……」
(つまり王様の息子か……ん?)
驚きのあまり思わず声を張り上げた。
「ええっ!? 王子!? あれが!? 嘘でしょ!?」
「しー! 巫女様! 誰かに聞かれでもしたら──!!」
「ありえない!!」
葵が想像する王子様は、白い歯をチラリと見せて爽やかに微笑うイケメンであって、決して女性を雑に扱ったりしない。あんな冷めた目で人を見たりしない。
夜叉と言われた方が納得できる。
(でも、そもそもこの話自体が虚言なら関係ないか。うん、そうだ。きっとそう──)
そう自分に言い聞かせていると、突然、腹の虫が大きな声で鳴いた。葵は咄嗟にお腹を押える。
顔がみるみる熱くなった。
そういえば井戸に落ちたあの日、夕食を食べ損ねていた。あれからどのくらい眠っていたのだろう。
(こんな状況でもお腹は減るのか……)
その音を聞くなり、菊乃が自分の失態を悔いるように、深々と頭を下げた。
「はっ! 私としたことが! すぐにお食事をお持ち致します!」
「す、すみません……」
菊乃は跳ねるようにして立ち上がると、慌ただしく去っていった。
ひとり取り残された葵は、改めて居室を見回す。部屋は至って普通の和室で、必要最低限の家財道具は綺麗に整頓され、ホコリひとつない。
(制服、どこにあるんだろう? 携帯は落としちゃったんだっけ……)
たとえ携帯を持っていたとしても、水没して使えないだろうけれど。
ひと通りあちこち物色してはみるが、自分の持ち物は何一つ見当たらず、肩を落とす。
(災蝕って言ってたけど、あんな話ありえないよね。聞いたこともないし)
あの二人と話していても噛み合わない事だらけだが、ここが日本であることは確かだ。言葉が通じているという事実が、何よりの証拠である。
(これ以上、変なことに巻き込まれる前に退散しよう!)
『捨て子に帰る家などなかろう』
あの男の言っていたことが引っかかった。
確かに、帰ったところで家に入れてもらえるかわからない。将来だって、どうなるのかもわからない。
そう思うと、躊躇した。
(だったら、このまま──)
そう思いかけて、慌てて首を振った。
余計なことを考えるな!と、自分に言い聞かせる。
(大丈夫!! きっと今頃、みんなが居なくなった私を心配してる!!)
自分を奮い立たせる。
(逃げるんだ!! 今しかないんだから!!)
当主とやらに礼も無しに出ていくのは後が怖そうだが、なりふり構ってはいられない。
廻廊に出た葵は、左右の廊下を交互に見た。
菊乃は食事を取りに行ったのだから、右に行けば台所があるということか。従業員が集まっていたら人の目を盗んでいくのは難しい。それに菊乃はここに戻ってくる。その時に鉢合わせになってはいけない。
(じゃあ、左に行くしかないや)
くれぐれもリンにだけは会わないようにしなければ。ドキドキしながら左へ歩き出した。
「どちらにせよ、水巫女のお前にはやってもらう事がある」
「……水巫女?」
そこからか、という顔をされた。リンが考えていることを表情に出したのは初めてだ。
「水巫女には役目が二つある。一つは他者の穢れを祓うこと。そしてもう一つが、国に迫り来る〝災蝕〟を止めること。お前がやるのは後者だ」
「さいしょく? ……よくわかんないんですけど?」
「災蝕が起こると、疫病が蔓延し、多くの犠牲が出る。いわば天災だ。災蝕を止められるのは水巫女だけだ」
「そんな……そんな……」
そんなファンタジーな話があるか!と、突っ込んでもいいのだろうか。
いや、それよりも、この男が言っていることはつまり──。
「それって帰す気がない──」
どこからか、轟音が鳴り響き、地が大きく揺れた。余震で家財がガタガタと音を立てる。
「じ、地震!?」
「間隔が短い……次の災蝕が近い」
リンは神妙な面持ちで天を仰いだ。
災蝕と聞いてもいまいちピンと来ないが、ここが山で、地震の間隔が短くなってきているということは、まさか火山が噴火する前兆なのではないだろうか。疫病が火山灰による気管支炎や喘息のことを指しているとすれば、辻褄も合う。ならば、この社が一番危ない。
葵は焦って、リンに掴みかかった。
「火山じゃないの!? みんな逃げなきゃ!!」
葵の真っ青な顔を見るなり、リンは小さく鼻を鳴らした。
「水波盛に火山はない」
「え……そ、そうなんですか?」
「どうやら本当に水波盛の者ではないらしい」
至って常識的な事を言っただけなのに、呆れたように言われて不服に思う。
だとしたら災蝕とは何なのか、ますます理解に苦しむが、どちらにしろ、ただの高校生である葵がどうこうできる問題ではない。
妙な事態に巻き込まれる前に、お暇するべきだ。
そう決心した葵は、すっと立ち上がり、二人に向き直った。
「とにかく勘違いですので! 私、水巫女ってやつじゃないので!! すみませんが帰ります!! 大変お世話になりました!!」
「待て」
深々と頭を下げて退散しようとしたところを、首根っこを掴まれ、引き戻された。
「グエッ」と女子校生らしからぬ声を出して、尻もちをつく。
(────雑っ!! 扱い雑っ!!)
首をさすりながらリンを睨むが、謝るどころか少しも気にした様子もない。
断言しよう。たとえ天地がひっくり返っても、この男の事は好きになれない。
「お前は洗礼の川を登ってきた。うなじの印が水巫女である何よりの証拠」
「これは生まれつきで──!」
「幻覚のようなものが視えるだろう」
葵は息を呑んだ。なぜそんな事を知っているのか、という事よりも、この男が〝枷〟の正体を知っている事の方が気になった。
「巫女は他者に触れることで、その者の記憶を視ることが出来る。〝視憶〟というものだ」
「〝視憶〟……?」
「それはまるで、その者に成り代わったかのように視えると聞く。 水巫女だけが持つ特別な能力だ」
それがずっと自分の首を絞めていた〝枷〟の正体なのか。
そんな変な能力を持つのは自分だけだと思っていたが、水波盛では珍しいものでもないらしい。葵以外にも、視憶ができる人がいるのだ。
同じ苦悩を持つ人間がいるなら、是非会ってみたい。
が、葵は頭を振ってその願望を振り払った。
「……いや、ないです! そんなもの!! 私はただ、早く家に帰りたいだけなんです! さっき送ってくれるって言いましたよね!?」
リンの着物を掴んで縋るように揺さぶると、リンは「愚かな……」と溜息混じりに呟いた。
「お前は全く事態を理解していない」
「はあ?」
「今は、身の安全だけを考えていればいい」
「だったら帰してください! 帰りたいんです!!」
リンは袖を掴む葵の手を静かに払うと、諭すように言う。
「水巫女達の中にも、稀に親元へ帰りたがる者はいる。だが、皆必ず社へ戻ってくる」
「……なぜですか?」
当たり前のことを聞くな、とでも言いたげな目を向けられる。
「捨て子に帰る家などなかろう」
身に覚えのある言葉が葵の胸を突き刺す。
リンは、わかっていたとでも言うように小さく息をつくと、葵に言い聞かせた。
「決して本殿からは出るな。外へ出る際は、必ず私に断りを入れるように。菊乃に言えば迎えに来よう。くれぐれも、単独での行動は控えることだ」
「そんな! それじゃあまるで──」
「勝手な行動は許さぬ。──よいな?」
リンは葵の胸ぐらを掴んで念を推すと、返事も聞かずに去っていった。
人ひとりは殺してるんじゃないかと疑うくらいの眼光に、体が強ばる。完全に脅しである。
(やっぱりヤバい組織に拾われたんだ!!)
葵はそう確信し、床に手を着いたまま俯いている菊乃を見やる。
先程の菊乃の震えは尋常ではなかった。
(まさか菊乃さんも捕まってるとか?)
菊乃はリンと違って少しも危ない感じはないし、どこから見ても清楚でか弱い女性だ。きっと、あいつに脅されているに違いない。
(なら、一緒に逃げた方が……!)
意を決して声をかけようとした時、菊乃が高揚したようにうっとりと呟いた。
「なんて雅で優雅な御方……」
「え゛っ……!?」
菊乃は、赤く染めた頬を押さえながら夢見がちな目で、リンが去った方角を見つめている。
あんなに雑な扱いを受けていたのに、しかも怖くて震えていたはずなのに、突然何を言い出したのか。
「で、でも……怖くないですか? あの人……」
「ええ、まあ……。されど私、あのような冷たい目を向けられると、なんだか胸の奥の方がうずうずと疼くのです」
「嘘でしょ……」
(この人もヤバい……!!)
あれは恐怖で震えていたわけではなかったのか。むしろ、あの状況下で悶絶していただなんて、図太いというか、なんというか……。
菊乃に白い目を向けていると、「いやだ、巫女様まで……」と呟かれた。
(私までなんなの!?)
けれどその後のことは、聞いてはいけない気がする。
「それにしても、さすが巫女様。神子様と冷静にお話が出来るだなんて。私にはとても……」
「神子?」
「水波盛国を治める神王様のご嫡男でございます」
「へー……」
(つまり王様の息子か……ん?)
驚きのあまり思わず声を張り上げた。
「ええっ!? 王子!? あれが!? 嘘でしょ!?」
「しー! 巫女様! 誰かに聞かれでもしたら──!!」
「ありえない!!」
葵が想像する王子様は、白い歯をチラリと見せて爽やかに微笑うイケメンであって、決して女性を雑に扱ったりしない。あんな冷めた目で人を見たりしない。
夜叉と言われた方が納得できる。
(でも、そもそもこの話自体が虚言なら関係ないか。うん、そうだ。きっとそう──)
そう自分に言い聞かせていると、突然、腹の虫が大きな声で鳴いた。葵は咄嗟にお腹を押える。
顔がみるみる熱くなった。
そういえば井戸に落ちたあの日、夕食を食べ損ねていた。あれからどのくらい眠っていたのだろう。
(こんな状況でもお腹は減るのか……)
その音を聞くなり、菊乃が自分の失態を悔いるように、深々と頭を下げた。
「はっ! 私としたことが! すぐにお食事をお持ち致します!」
「す、すみません……」
菊乃は跳ねるようにして立ち上がると、慌ただしく去っていった。
ひとり取り残された葵は、改めて居室を見回す。部屋は至って普通の和室で、必要最低限の家財道具は綺麗に整頓され、ホコリひとつない。
(制服、どこにあるんだろう? 携帯は落としちゃったんだっけ……)
たとえ携帯を持っていたとしても、水没して使えないだろうけれど。
ひと通りあちこち物色してはみるが、自分の持ち物は何一つ見当たらず、肩を落とす。
(災蝕って言ってたけど、あんな話ありえないよね。聞いたこともないし)
あの二人と話していても噛み合わない事だらけだが、ここが日本であることは確かだ。言葉が通じているという事実が、何よりの証拠である。
(これ以上、変なことに巻き込まれる前に退散しよう!)
『捨て子に帰る家などなかろう』
あの男の言っていたことが引っかかった。
確かに、帰ったところで家に入れてもらえるかわからない。将来だって、どうなるのかもわからない。
そう思うと、躊躇した。
(だったら、このまま──)
そう思いかけて、慌てて首を振った。
余計なことを考えるな!と、自分に言い聞かせる。
(大丈夫!! きっと今頃、みんなが居なくなった私を心配してる!!)
自分を奮い立たせる。
(逃げるんだ!! 今しかないんだから!!)
当主とやらに礼も無しに出ていくのは後が怖そうだが、なりふり構ってはいられない。
廻廊に出た葵は、左右の廊下を交互に見た。
菊乃は食事を取りに行ったのだから、右に行けば台所があるということか。従業員が集まっていたら人の目を盗んでいくのは難しい。それに菊乃はここに戻ってくる。その時に鉢合わせになってはいけない。
(じゃあ、左に行くしかないや)
くれぐれもリンにだけは会わないようにしなければ。ドキドキしながら左へ歩き出した。
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