28 / 59
十.逃亡【2】
しおりを挟む
一夜明けると、春鶯は普段の起床時間よりもずっと早く目が覚めてしまった。楚月は無事だろうか。一体どこまで逃げることができただろうか。そんなことばかり考えてしまう。
上房には晋高が宿泊しているので、なにかあれば連絡を取り合うことができると言っていた。とはいっても、基本的には書簡なので日数を要してしまうが。
春鶯が央央に一部始終を説明すると、妹は驚きながらも「きっと大丈夫」と励ましてくれた。楚月の掌には、運命線、太陽線、財運線が中心に集まり、そこから下へ向かって延びる覇王線があるという。つまり、強運の持ち主だというのだ。央央らしい着眼点に、春鶯は少しだけ笑ってしまった。
その日の夕方。昼公演に楚月が現れなかったことから、町の中心部には、楚月を探す手配書が張り出されているという情報を、福来から耳にした。
驚いた春鶯が急いで確認しに行くと、確かに手配書は貼られていた。しかし、そこに描かれていた似顔絵は、楚月に似ても似つかないものだった。そして肝心の罪状はというと、「先払い報酬である絹百反を持ち逃げした、月影座の元座長・謝楚月」と記載されていた。
昨日会った楚月は、長袍と身軽な服装だった。百反も所持していれば気づくはずだ。明らかに偽りの内容だということが窺える。楚月は、残された劇団員に迷惑をかけるような真似は絶対にしない。先払い報酬を持ち逃げするような人物ではない。
しかし、町の住人たちは楚月のことをよく知らないため、好き勝手に罵っていた。
「金を持っているくせに窃盗だなんて。そんなやつだったのか」
「いつも偉そうにしていたもんな」
「そうだそうだ」
春鶯は咄嗟に反論したくなったが、ここで騒ぎを起こして迷惑をかけるわけにはいかない。握りしめた拳を震わせながら、必死に堪えた。手配書の前には、大人たちだけではなく、子どもたちの姿もあった。
「月影座の兄ちゃんは、絶対に持ち逃げなんかしない! お腹を空かせていた僕たちに、包子を分けてくれたんだ!」
「そうだそうだ! おれたちに演舞、見せてくれたし、教えてくれたもん!」
「うん。あのお兄ちゃんは悪い人じゃない!」
悪口に反論したのは、十歳前後の子どもたちだ。文字は読めなくても、大人たちの会話を耳にしたのだろう。春鶯は、その中に数日前、北湖園の湖畔で見かけた子どもがいることに気がついた。
「こら、お前たち! 役人に聞かれでもしたら面倒なことになるから、騒ぐのはやめな!」
「嫌だ! 兄ちゃんのこと、悪く言っているうちは、絶対にやめない!」
「わかったから、わかったって。もう言わないから」
「本当に約束してくれる?」
「ああ。わかったから。まったくもう」
子どもたちの粘り勝ちだった。子どもが落ち着くと、周囲の人だかりも徐々に減っていった。春鶯は内心で子どもたちに感謝しつつ、楓流軒に向かって歩き出した。
***
逃亡から三日目。楚月が帝都を脱出したという噂は日に日に増しており、楓流軒に宿泊する客も話題にするほどだった。月影座が宮廷で公演を続けているからだろう。追加公演の日数は残り三日。終わった後、すんなり帝都から出発できるのかは春鶯にもわからない。
「月影座の座長だっけ、指名手配されてるの。今頃どこにいるんだろうな」
「さあな。持ち逃げした絹を売っぱらって、逃走資金にしているだろうし、もうだいぶ遠くまで行ってるんじゃないのか?」
「かもな。金を持ち逃げする座長なんざ、劇団にはいらねえよな」
「だな。いい迷惑だよな」
夕餉を口にしながらそんな会話を繰り広げている。いつもは宿泊客の話題に混じる春鶯も、黙って耐え忍ぶしかなかった。その会話は、晋高も耳にしていた。
「楚月は、科挙合格に匹敵するほどの知能と身体能力を持ち合わせている。心配ない」
「琳公子……なにか連絡はありましたか?」
「まだない。届いたらすぐに知らせる」
「お願いします」
長期滞在していた宿泊客の楚月が、三日前から指名手配されているため、継母に客簿を改竄するよう指示されたが、春鶯は応じなかった。隠蔽することは重罪だ。重罪に当たるから改竄をしないわけではなく、公主との婚姻を避けるためだという事情を知っているので、たとえ父親に指示されても書き換えるつもりはない。
意外にも、町中で楚月の話題はしているのに、役人が探し回っている様子はなかった。本来ならば、犯人が逃走した際はすぐに調査が入る。大量の人員を割いて手がかりを探そうとする。けれど、すでに三日経過しているのに、帝都の様子は普段と変わりなかった。
晋高は、宮廷にいる月影座の団員とも緻密にやり取りを続けており、公主は不機嫌そうだが、妃賓たちの反応次第で様々な演目を行っているので、今のところ不平不満は出ていないという。残された劇団員が窮地に立たされてはいないことは、不幸中の幸いだろう。
後は楚月が無事だったらいいのに、と春鶯は気が気でない思いを抱えていた。
上房には晋高が宿泊しているので、なにかあれば連絡を取り合うことができると言っていた。とはいっても、基本的には書簡なので日数を要してしまうが。
春鶯が央央に一部始終を説明すると、妹は驚きながらも「きっと大丈夫」と励ましてくれた。楚月の掌には、運命線、太陽線、財運線が中心に集まり、そこから下へ向かって延びる覇王線があるという。つまり、強運の持ち主だというのだ。央央らしい着眼点に、春鶯は少しだけ笑ってしまった。
その日の夕方。昼公演に楚月が現れなかったことから、町の中心部には、楚月を探す手配書が張り出されているという情報を、福来から耳にした。
驚いた春鶯が急いで確認しに行くと、確かに手配書は貼られていた。しかし、そこに描かれていた似顔絵は、楚月に似ても似つかないものだった。そして肝心の罪状はというと、「先払い報酬である絹百反を持ち逃げした、月影座の元座長・謝楚月」と記載されていた。
昨日会った楚月は、長袍と身軽な服装だった。百反も所持していれば気づくはずだ。明らかに偽りの内容だということが窺える。楚月は、残された劇団員に迷惑をかけるような真似は絶対にしない。先払い報酬を持ち逃げするような人物ではない。
しかし、町の住人たちは楚月のことをよく知らないため、好き勝手に罵っていた。
「金を持っているくせに窃盗だなんて。そんなやつだったのか」
「いつも偉そうにしていたもんな」
「そうだそうだ」
春鶯は咄嗟に反論したくなったが、ここで騒ぎを起こして迷惑をかけるわけにはいかない。握りしめた拳を震わせながら、必死に堪えた。手配書の前には、大人たちだけではなく、子どもたちの姿もあった。
「月影座の兄ちゃんは、絶対に持ち逃げなんかしない! お腹を空かせていた僕たちに、包子を分けてくれたんだ!」
「そうだそうだ! おれたちに演舞、見せてくれたし、教えてくれたもん!」
「うん。あのお兄ちゃんは悪い人じゃない!」
悪口に反論したのは、十歳前後の子どもたちだ。文字は読めなくても、大人たちの会話を耳にしたのだろう。春鶯は、その中に数日前、北湖園の湖畔で見かけた子どもがいることに気がついた。
「こら、お前たち! 役人に聞かれでもしたら面倒なことになるから、騒ぐのはやめな!」
「嫌だ! 兄ちゃんのこと、悪く言っているうちは、絶対にやめない!」
「わかったから、わかったって。もう言わないから」
「本当に約束してくれる?」
「ああ。わかったから。まったくもう」
子どもたちの粘り勝ちだった。子どもが落ち着くと、周囲の人だかりも徐々に減っていった。春鶯は内心で子どもたちに感謝しつつ、楓流軒に向かって歩き出した。
***
逃亡から三日目。楚月が帝都を脱出したという噂は日に日に増しており、楓流軒に宿泊する客も話題にするほどだった。月影座が宮廷で公演を続けているからだろう。追加公演の日数は残り三日。終わった後、すんなり帝都から出発できるのかは春鶯にもわからない。
「月影座の座長だっけ、指名手配されてるの。今頃どこにいるんだろうな」
「さあな。持ち逃げした絹を売っぱらって、逃走資金にしているだろうし、もうだいぶ遠くまで行ってるんじゃないのか?」
「かもな。金を持ち逃げする座長なんざ、劇団にはいらねえよな」
「だな。いい迷惑だよな」
夕餉を口にしながらそんな会話を繰り広げている。いつもは宿泊客の話題に混じる春鶯も、黙って耐え忍ぶしかなかった。その会話は、晋高も耳にしていた。
「楚月は、科挙合格に匹敵するほどの知能と身体能力を持ち合わせている。心配ない」
「琳公子……なにか連絡はありましたか?」
「まだない。届いたらすぐに知らせる」
「お願いします」
長期滞在していた宿泊客の楚月が、三日前から指名手配されているため、継母に客簿を改竄するよう指示されたが、春鶯は応じなかった。隠蔽することは重罪だ。重罪に当たるから改竄をしないわけではなく、公主との婚姻を避けるためだという事情を知っているので、たとえ父親に指示されても書き換えるつもりはない。
意外にも、町中で楚月の話題はしているのに、役人が探し回っている様子はなかった。本来ならば、犯人が逃走した際はすぐに調査が入る。大量の人員を割いて手がかりを探そうとする。けれど、すでに三日経過しているのに、帝都の様子は普段と変わりなかった。
晋高は、宮廷にいる月影座の団員とも緻密にやり取りを続けており、公主は不機嫌そうだが、妃賓たちの反応次第で様々な演目を行っているので、今のところ不平不満は出ていないという。残された劇団員が窮地に立たされてはいないことは、不幸中の幸いだろう。
後は楚月が無事だったらいいのに、と春鶯は気が気でない思いを抱えていた。
6
あなたにおすすめの小説
王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~
しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。
豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。
――食事が、冷めているのだ。
どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。
「温かいごはんが食べたい」
そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。
地下厨房からの高速搬送。
専用レーンを爆走するカートメイド。
扉の開閉に命をかけるオープナー。
ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!?
温かさは、ホッとさせてくれる。
それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。
冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、
食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ!
-
家族から邪魔者扱いされた私が契約婚した宰相閣下、実は完璧すぎるスパダリでした。仕事も家事も甘やかしも全部こなしてきます
さら
恋愛
家族から「邪魔者」扱いされ、行き場を失った伯爵令嬢レイナ。
望まぬ結婚から逃げ出したはずの彼女が出会ったのは――冷徹無比と恐れられる宰相閣下アルベルト。
「契約でいい。君を妻として迎える」
そう告げられ始まった仮初めの結婚生活。
けれど、彼は噂とはまるで違っていた。
政務を完璧にこなし、家事も器用に手伝い、そして――妻をとことん甘やかす完璧なスパダリだったのだ。
「君はもう“邪魔者”ではない。私の誇りだ」
契約から始まった関係は、やがて真実の絆へ。
陰謀や噂に立ち向かいながら、互いを支え合う二人は、次第に心から惹かれ合っていく。
これは、冷徹宰相×追放令嬢の“契約婚”からはじまる、甘々すぎる愛の物語。
指輪に誓う未来は――永遠の「夫婦」。
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛
春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
2/26 番外編を投稿しました。
読んでいただけると嬉しいです。
思っていたよりずっとたくさん読んでいただいていてとても嬉しいです。
とてもとてもありがとうございます!!
目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです
MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。
しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。
フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。
クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。
ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。
番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。
ご感想ありがとうございます!!
誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。
小説家になろう様に掲載済みです。
行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました
鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。
けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。
そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。
シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。
困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。
夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。
そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。
※他投稿サイトにも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる