眉目清秀な劇団座長は、宿屋の平凡娘になぜか弱い。

ゆずまめ鯉

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十.逃亡【2】

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 一夜明けると、春鶯は普段の起床時間よりもずっと早く目が覚めてしまった。楚月は無事だろうか。一体どこまで逃げることができただろうか。そんなことばかり考えてしまう。
 上房には晋高が宿泊しているので、なにかあれば連絡を取り合うことができると言っていた。とはいっても、基本的には書簡なので日数を要してしまうが。
 春鶯が央央に一部始終を説明すると、妹は驚きながらも「きっと大丈夫」と励ましてくれた。楚月の掌には、運命線、太陽線、財運線が中心に集まり、そこから下へ向かって延びる覇王線があるという。つまり、強運の持ち主だというのだ。央央らしい着眼点に、春鶯は少しだけ笑ってしまった。
 その日の夕方。昼公演に楚月が現れなかったことから、町の中心部には、楚月を探す手配書が張り出されているという情報を、福来から耳にした。
 驚いた春鶯が急いで確認しに行くと、確かに手配書は貼られていた。しかし、そこに描かれていた似顔絵は、楚月に似ても似つかないものだった。そして肝心の罪状はというと、「先払い報酬である絹百反を持ち逃げした、月影座の元座長・謝楚月」と記載されていた。
 昨日会った楚月は、長袍と身軽な服装だった。百反も所持していれば気づくはずだ。明らかに偽りの内容だということが窺える。楚月は、残された劇団員に迷惑をかけるような真似は絶対にしない。先払い報酬を持ち逃げするような人物ではない。
 しかし、町の住人たちは楚月のことをよく知らないため、好き勝手に罵っていた。

「金を持っているくせに窃盗だなんて。そんなやつだったのか」
「いつも偉そうにしていたもんな」
「そうだそうだ」

 春鶯は咄嗟に反論したくなったが、ここで騒ぎを起こして迷惑をかけるわけにはいかない。握りしめた拳を震わせながら、必死に堪えた。手配書の前には、大人たちだけではなく、子どもたちの姿もあった。

「月影座の兄ちゃんは、絶対に持ち逃げなんかしない! お腹を空かせていた僕たちに、包子を分けてくれたんだ!」
「そうだそうだ! おれたちに演舞、見せてくれたし、教えてくれたもん!」
「うん。あのお兄ちゃんは悪い人じゃない!」

 悪口に反論したのは、十歳前後の子どもたちだ。文字は読めなくても、大人たちの会話を耳にしたのだろう。春鶯は、その中に数日前、北湖園の湖畔で見かけた子どもがいることに気がついた。

「こら、お前たち! 役人に聞かれでもしたら面倒なことになるから、騒ぐのはやめな!」
「嫌だ! 兄ちゃんのこと、悪く言っているうちは、絶対にやめない!」
「わかったから、わかったって。もう言わないから」
「本当に約束してくれる?」
「ああ。わかったから。まったくもう」

 子どもたちの粘り勝ちだった。子どもが落ち着くと、周囲の人だかりも徐々に減っていった。春鶯は内心で子どもたちに感謝しつつ、楓流軒に向かって歩き出した。

***

 逃亡から三日目。楚月が帝都を脱出したという噂は日に日に増しており、楓流軒に宿泊する客も話題にするほどだった。月影座が宮廷で公演を続けているからだろう。追加公演の日数は残り三日。終わった後、すんなり帝都から出発できるのかは春鶯にもわからない。

「月影座の座長だっけ、指名手配されてるの。今頃どこにいるんだろうな」
「さあな。持ち逃げした絹を売っぱらって、逃走資金にしているだろうし、もうだいぶ遠くまで行ってるんじゃないのか?」
「かもな。金を持ち逃げする座長なんざ、劇団にはいらねえよな」
「だな。いい迷惑だよな」

 夕餉を口にしながらそんな会話を繰り広げている。いつもは宿泊客の話題に混じる春鶯も、黙って耐え忍ぶしかなかった。その会話は、晋高も耳にしていた。

「楚月は、科挙合格に匹敵するほどの知能と身体能力を持ち合わせている。心配ない」
「琳公子……なにか連絡はありましたか?」
「まだない。届いたらすぐに知らせる」
「お願いします」

 長期滞在していた宿泊客の楚月が、三日前から指名手配されているため、継母に客簿を改竄するよう指示されたが、春鶯は応じなかった。隠蔽することは重罪だ。重罪に当たるから改竄をしないわけではなく、公主との婚姻を避けるためだという事情を知っているので、たとえ父親に指示されても書き換えるつもりはない。
 意外にも、町中で楚月の話題はしているのに、役人が探し回っている様子はなかった。本来ならば、犯人が逃走した際はすぐに調査が入る。大量の人員を割いて手がかりを探そうとする。けれど、すでに三日経過しているのに、帝都の様子は普段と変わりなかった。
 晋高は、宮廷にいる月影座の団員とも緻密にやり取りを続けており、公主は不機嫌そうだが、妃賓たちの反応次第で様々な演目を行っているので、今のところ不平不満は出ていないという。残された劇団員が窮地に立たされてはいないことは、不幸中の幸いだろう。
 後は楚月が無事だったらいいのに、と春鶯は気が気でない思いを抱えていた。
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