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第0章 法術概論
法術概論Ⅷ -法術討論-
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赤館と郷ケ丘が談笑しながら図書室まで歩いていると、通り過ぎた講義室の窓から、おーい。と呼び止める声が聞こえた。
「赤館さん、さっきはありがとう。
素晴らしい講義だったよ。
またお願いしてもいいかな?」
振り向くとその声は磐城だった。
「あ、磐城先生。」
赤館は呼び止めた磐城にそう言うと
「むしろ講義中に集中できていなくてすみませんでした。」
間髪入れずに謝罪する。
授業態度を減点されない為、ひいては今後の就職活動に悪影響を及ばさない為だ。
リスクは回避しておく。
「いや、いいんだよ。
僕だって座学はすべて集中して聞けるってわけではないからね。
それと先生なんて付けなくていいんだ。
僕はこの大学では講師っていう立場だし、先生なんて柄じゃない。
”磐城さん”でいい。」
磐城は大きく両手を広げて欧米人のような振る舞いで窓枠に腕組みをしてもたれかかった。
その容姿はスーツをぴしっと着こなしてはいるが歳は二十代後半に見える。
講師と云えどもその年齢で講義の一つを任されるということは法術施行において他人も認める圧倒的な実績と経験があるのだろう。
「磐城さん・・・ですか。
今は難しいかもしれませんが、なるべくそう呼べるようにしていきます。」
他人との距離感をつかむことを苦手とする才女はすぐにはさん付けなどできずにたどたどしく答えた。
「じゃあ、自分は磐城さんって呼ばせてもらいまーす。」
一方、誰とでも友好関係を築くことを長所とする能天気は一気に磐城との親交を深めようとしている。
「君たち、キャリアはもう決めているの?」
磐城は穏やかな表情で二人に問いかける。
「自分はレスキューか自衛隊を考えています。」
郷ケ丘がはっきりと答えると、磐城はどうして?とまた問う。
「自分は生まれつきプエナティス値が高いんですけど、まだ祝福は受けていなく て。
でも、どの属性も施行できるので自分の長所が活かせそうなレスキューか自衛隊 で人命救助をしたいと思っています。」
キャラクターに似合わず至極真っ当な郷ケ丘の答えに赤館は驚いていた。同時にさっき知り合った同級生がこんなにもしっかりと自分の将来を考えている事に自分自身と比較して少しショックを受けた。
「どの属性も施行できるなんてすごいね。滅多にいないよ。
僕もこれまでそれほど会ったことはない。」
磐城がそう言うと明らかに嬉しそうにニヤける郷ケ丘。
「人命救助となると法術事故や法術テロの現場に行くこともあるだろう。
郷ケ丘くんは実際に見たことがあるのかな?」
「いえ、まだ実際には見たことはありません。
写真や映像でなら少し。」
郷ケ丘は痛い所を突かれたのかやや早口でそう答えた。
「嫌なことを聞いてしまってごめんね。
郷ケ丘くんの人命救助に対する想いは本物だと思う。
だからこそ一度、その実際ってやつを見てほしいんだ。」
磐城は落ち着いた口調で諭すように郷ケ丘に語り掛けた。
「あの、せんせ、、、いや、磐城さんは事故やテロの現場を見たことがあるんですか?」
今まで話を聞いていた赤館が口を開く。
「あるよ。とてもね。嫌になるほど。
・・・少し話してもいいかな?」
はい、と赤館と郷ケ丘は頷く。
”図書室に行く”という目的は完全に忘れ去られていた。
2人とも法術概論講師の話は本能的に自分にプラスになると感じ取ったからだ。
少し曇った表情の磐城は何かを思い出しているのか下を見ながら腕組みしている左の指で二の腕あたりをぽりぽりと掻いている。
「僕はこの仕事の前は南アフリカにいたんだ。
TTOに所属して担当地区の平和維持をしていたよ。」
赤館が反応する。
「TTO。
各国の選りすぐりの法術施行者で構成された国連の組織ですよね。
一部のメディアでは『国連の思想に異を唱える国家に名目上、平和維持として介入し制圧する精鋭部隊』なんても言われてましたが。」
磐城はその言葉を聞いて顔を上げ、赤館に視線を向ける。
「さすが秀才の赤館さん!
でも、半分正解で半分はずれってとこかな。
確かにそんなことを言われても仕方がないと思う。
多くの人たちが法術施行に救われるか、亡くなるかの日々だったよ。
僕たちも派遣された国の為にと思ってやっていた《正しいこと》は
実は全くの見当違いだったんじゃないかと感じることは多くあった。
ただ、テロだけは、テロだけは、絶対に許してはいけないんだ。」
磐城の目には哀しみにも怒りにも見える火が映る。
「南アフリカではそんなに悲惨なテロがあったんですか?」
郷ケ丘が無意識にでも聞いてしまう何というか心が反応してしまう何かが磐城の言葉にはあった。
「南アフリカもそうだけど、僕自身も法術テロの被害者なんだ。」
磐城は2人の学生の瞳を真剣に見つめながら言った。
「ヘイコウインダストリィの記念式典がテロを覚えてる?
当時あそこに僕には参加していた。
僕には民間の警備会社に勤めている弟がいてね。
当日はその会社が警備を担当していた。
運悪く僕たちは兄弟で被害にあったんだ。」
「それで弟さんは?」
触れてはいけないことかもしれないと感じつつ聞いてしまう赤館。
「今は昏睡状態で都内の病院で眠っているよ。
もう少しで1年になる。
ドクターが言うには身体は完全に回復に向かっている。
目を覚ませる状態にはあるそうだ。
しかし、弟が目を覚まさないのは脳がテロの鮮烈な映像を記憶してしまっていて、現実に戻ることに
恐怖して脳の覚醒に鍵をしてしまっているらしい。
覚醒にはトリガーが必要だが、そのトリガーが弟自身の中にあるのか、外部にあるのかは誰にも分か
らない。
だから、今の僕にできることは君たちのような法術施行者の卵に法術は人を幸せにできるし、破滅に
導くこともできるってことを教えることくらいさ。
もし、僕と弟が逆の立場であっても同じことをしていたと思うしね。」
鼻から軽くふうっと息を吐いてから窓枠に寄りかかるのをやめた磐城は校舎の窓から空を見る。
講義の時とは全く違う表情を見せるテロ被害を受けた悲しみを背負った男。
「そ、その弟さんはきっと目を覚ますと思います。
確証はないけれど、私も法術事故で同じ体験をしているから。」
磐城と郷ケ丘は赤館のカミングアウトに驚いたが、お互い動じずにそのまま耳を傾ける。
「私は小学生の頃に事故にあいました。
昏睡中はずっと夢の中にいるような感じで。
手や足、肌の感覚がないんです。
触れるものすべてが無機質でした。
ぼんやりとした意識の中で家に帰りたくて玄関まで行くんですが、ドアに触れようとするとさっきま
であった私の家が炎に包まれているんです。
家の中で泣いている女の子の声がして助けなきゃって思うんですけど、家に入ろうとすると急に熱さ
を感じて足が止まって。
そして、最後には気を失ってしまう。
ずっとこの繰り返しでした。」
「そうか。
それは辛かったね。
それでどうやって目を覚ますことができたんだい?」
彼女はふんわりとした笑みで磐城の問いに答える。
「フルゥです。
フルゥが火の中から守ってくれたんです。
だから、女の子を助けることができました。
そして、目が覚めてからずっとフルゥと一緒にいます。」
(意識下で祝福を受けたのか。本当に変わった子だな、この子は。)と思う磐城。
通常、法術施行時にソームの祝福を受けると言われている。
無論、磐城もそうだった。
しかし、この赤館亜希という女子学生は昏睡中に祝福を受けている。
磐城が読み漁った祝福に関する学術的論文すべてに赤館のケースはあまり記憶にない。
その稀有な存在が目の前にいることに磐城は彼女が弟の回復のきっかけ、よもやトリガーになればと感じずにはいられなかった。
「話してくれてありがとう。
フルゥは君の守護神といったところかな。
人間とソームの理想的な関係だ。
君たちがお互いに信頼し合っているのも分かるよ。」
そんな、ふふふ。と赤館の顔は桃のように柔らかな赤色に染まった。
「今日こうやって君たちと話せたのも何かの縁だ。
いつか弟に会ってもらえるかな。
あいつも家族だけとしか会ってないから2人のような優秀な後輩を見たら、まずい!と思って飛び上
がるかもしれないよ。」
不謹慎かもしれないが、3人はその場であはははと笑った。
「もちろんです!
自分が弟さんのお役に立てれば嬉しいです。
それと磐城さんの話を聞いてテロ被害者の方に実際にお会いできればとも思います。」
郷ケ丘は自身より10数センチ高い磐城を見上げながら胸を張ってそう答えた。
この会話の中で彼の中のキャリアに対する考えに変化があったのだろう。
「私もぜひ。
もしかしたら、フルゥが何か教えてくれるかもしれないですし。」
赤館も磐城を見上げて言う。
「なんだか日本でも法術絡みの事件やら事故が増えてきてるし、もう警察だけじゃ抑えられないと思う
んですよねえ。」
溜息交じりにぼそりと郷ケ丘が呟く。
法術産業が進歩すれば自ずと法術犯罪が増加するという説を説いている社会学者もいる。
人類の歴史上、科学力の発展は人々によりよい人生を齎したが、同時に悲劇も齎している。
それを物語っているのが過去の世界大戦。そして、現在も沈静化に至らない内戦や紛争である。
「そうだね。
毎日一つは法術が関係している事件や事故がメディアで報道されている。
まだ日本じゃ事件や事故に留まっているけど、今後の法術施行者の増加や法術技術開発による汎用化
が進み悪用されればテロのリスクは払拭できない。
でもね、悪いニュースばかりじゃないんだ。
今、数十年ぶりの官公庁改変の話が出ているだろ?
僕は法術に関連する省庁が設立されるんじゃないかと思っている。
実際にアメリカ、イギリス、フランスの先進国では既に何かしらの組織が設立され機能もしている。
日本は少し遅いくらいだよ。」
「日本にTTOが派遣されるのは嫌、、、だな。」
赤館が俯く。
「そんな未来にならない為にも僕は官公庁改変に期待しているんだ。
もし、本当に法術を司る省庁が設立されるなら僕はそこに行くつもりでいる。
もう二度と弟のような被害者を出さないように。
そして、こうも思う。
これから世界には日常的に法術が溢れてくるはずだ。
だからこそ、僕たちが安心して生活できることを保障する組織が必要になる。
人間が道を過ってしまわぬように抑止力が不可欠なんだよ。
テロリストは自身が信仰する神や思想が唯一無二と考え、他己排他行動者が群れをなした殺人鬼集
団キラーマジョリティだ。
そんな人間たちの都合で何の関係もない人々の命が危ぶまれることはあってはならない。」
法術施行者として多くを経験した若者はいつしか感情を高ぶらせ、まだ何も知らない学生2人に想いをぶつけていた。
この2人には他の学生とは違うモノを感じる。
法術施行者だが第六感などスピリチュアルなセンスは持ち合わせていないはずの磐城だが確信があった。
赤館と郷ケ丘も法術施行者の先輩である磐城の言葉を真摯に受けとめている。
「柄にもなく熱くなってしまった。
恥ずかしい。
他の学生たちにはくれぐれも内緒にしといてくれよ。」
磐城がそう言うと3人がいた空間を風がぴゅうと吹き抜けた。
「講義中と今とではイメージが変わりました。」
赤館は風で舞い上がった前髪を右手で整えながら言う。
「今までは私たちと年代が近いのに講師をやるなんてすごいな、なんて思ってたくらいでしたけど、話
してみたらこれからの世界のことを考えててこういう人がリーダーってのになるんだろうなあって。
それとなんだか上手く言えないけど、ソームを大切にしていて、とても優しい人って思いました。」
思わぬ年下の女の子からの言葉で目をきょろきょろとさせてしまう磐城。
これは予想外だ。と照れずにはいられない。
「ご、ごほん。
なんだか取り留めのない話をしちゃったけど僕は君たちの将来を楽しみにしてるよ。
また話をしよう。
とても有意義な時間だった。」
「今度、磐城さんの講師室に遊びに行ってもいいですか?」
「私も行きたい。」
「もちろんだよ。
その時はお茶しながらにしよう。
入室料のお菓子も忘れずにね。」
3人は悪だくみをしている子供のような顔をして再び集まる約束を交わす。
「そうそう。
僕の実家で父が法術施行道場みたいなのを始めたんだ。
家族大好き人間みたいな感じでくすぐったいけど、父の法術施行の指導方法は国内でもトップクラス
だと思う。
経験者の僕が保証するよ。」
講師専用の端末を操作しながら生徒2人の学生証ICにデータを送る。
「一度パンフレットを見てみて。
興味があったら討論会の時にでも教えてよ。
見学は無料!」
と、親指をびっと上げて「いいね!」のアクション。
すると、音量の控え目の電子音がなり、それは磐城のスマートフォンに呼び出しの着信だった。
またね。と言い人気講師は駆け足でどこかに行ってしまった。
「忙しそうだなあ。」
走る磐城の背中を見ながら郷ケ丘が漏らす。
「忙しくでもしないときっと弟さんのこと。
自分はなんで助けられなかったんだろうって考えちゃうんじゃないかな。」
そう言う赤館の顔を見て郷ケ丘は
「お前、意外と人たらしなのな。
磐城さんはまんざらでもなかったよ。
あの感じは。」
え、何のこと?と不思議そうに聞き返す赤館を制しながら郷ケ丘は図書室へ向かった。
「赤館さん、さっきはありがとう。
素晴らしい講義だったよ。
またお願いしてもいいかな?」
振り向くとその声は磐城だった。
「あ、磐城先生。」
赤館は呼び止めた磐城にそう言うと
「むしろ講義中に集中できていなくてすみませんでした。」
間髪入れずに謝罪する。
授業態度を減点されない為、ひいては今後の就職活動に悪影響を及ばさない為だ。
リスクは回避しておく。
「いや、いいんだよ。
僕だって座学はすべて集中して聞けるってわけではないからね。
それと先生なんて付けなくていいんだ。
僕はこの大学では講師っていう立場だし、先生なんて柄じゃない。
”磐城さん”でいい。」
磐城は大きく両手を広げて欧米人のような振る舞いで窓枠に腕組みをしてもたれかかった。
その容姿はスーツをぴしっと着こなしてはいるが歳は二十代後半に見える。
講師と云えどもその年齢で講義の一つを任されるということは法術施行において他人も認める圧倒的な実績と経験があるのだろう。
「磐城さん・・・ですか。
今は難しいかもしれませんが、なるべくそう呼べるようにしていきます。」
他人との距離感をつかむことを苦手とする才女はすぐにはさん付けなどできずにたどたどしく答えた。
「じゃあ、自分は磐城さんって呼ばせてもらいまーす。」
一方、誰とでも友好関係を築くことを長所とする能天気は一気に磐城との親交を深めようとしている。
「君たち、キャリアはもう決めているの?」
磐城は穏やかな表情で二人に問いかける。
「自分はレスキューか自衛隊を考えています。」
郷ケ丘がはっきりと答えると、磐城はどうして?とまた問う。
「自分は生まれつきプエナティス値が高いんですけど、まだ祝福は受けていなく て。
でも、どの属性も施行できるので自分の長所が活かせそうなレスキューか自衛隊 で人命救助をしたいと思っています。」
キャラクターに似合わず至極真っ当な郷ケ丘の答えに赤館は驚いていた。同時にさっき知り合った同級生がこんなにもしっかりと自分の将来を考えている事に自分自身と比較して少しショックを受けた。
「どの属性も施行できるなんてすごいね。滅多にいないよ。
僕もこれまでそれほど会ったことはない。」
磐城がそう言うと明らかに嬉しそうにニヤける郷ケ丘。
「人命救助となると法術事故や法術テロの現場に行くこともあるだろう。
郷ケ丘くんは実際に見たことがあるのかな?」
「いえ、まだ実際には見たことはありません。
写真や映像でなら少し。」
郷ケ丘は痛い所を突かれたのかやや早口でそう答えた。
「嫌なことを聞いてしまってごめんね。
郷ケ丘くんの人命救助に対する想いは本物だと思う。
だからこそ一度、その実際ってやつを見てほしいんだ。」
磐城は落ち着いた口調で諭すように郷ケ丘に語り掛けた。
「あの、せんせ、、、いや、磐城さんは事故やテロの現場を見たことがあるんですか?」
今まで話を聞いていた赤館が口を開く。
「あるよ。とてもね。嫌になるほど。
・・・少し話してもいいかな?」
はい、と赤館と郷ケ丘は頷く。
”図書室に行く”という目的は完全に忘れ去られていた。
2人とも法術概論講師の話は本能的に自分にプラスになると感じ取ったからだ。
少し曇った表情の磐城は何かを思い出しているのか下を見ながら腕組みしている左の指で二の腕あたりをぽりぽりと掻いている。
「僕はこの仕事の前は南アフリカにいたんだ。
TTOに所属して担当地区の平和維持をしていたよ。」
赤館が反応する。
「TTO。
各国の選りすぐりの法術施行者で構成された国連の組織ですよね。
一部のメディアでは『国連の思想に異を唱える国家に名目上、平和維持として介入し制圧する精鋭部隊』なんても言われてましたが。」
磐城はその言葉を聞いて顔を上げ、赤館に視線を向ける。
「さすが秀才の赤館さん!
でも、半分正解で半分はずれってとこかな。
確かにそんなことを言われても仕方がないと思う。
多くの人たちが法術施行に救われるか、亡くなるかの日々だったよ。
僕たちも派遣された国の為にと思ってやっていた《正しいこと》は
実は全くの見当違いだったんじゃないかと感じることは多くあった。
ただ、テロだけは、テロだけは、絶対に許してはいけないんだ。」
磐城の目には哀しみにも怒りにも見える火が映る。
「南アフリカではそんなに悲惨なテロがあったんですか?」
郷ケ丘が無意識にでも聞いてしまう何というか心が反応してしまう何かが磐城の言葉にはあった。
「南アフリカもそうだけど、僕自身も法術テロの被害者なんだ。」
磐城は2人の学生の瞳を真剣に見つめながら言った。
「ヘイコウインダストリィの記念式典がテロを覚えてる?
当時あそこに僕には参加していた。
僕には民間の警備会社に勤めている弟がいてね。
当日はその会社が警備を担当していた。
運悪く僕たちは兄弟で被害にあったんだ。」
「それで弟さんは?」
触れてはいけないことかもしれないと感じつつ聞いてしまう赤館。
「今は昏睡状態で都内の病院で眠っているよ。
もう少しで1年になる。
ドクターが言うには身体は完全に回復に向かっている。
目を覚ませる状態にはあるそうだ。
しかし、弟が目を覚まさないのは脳がテロの鮮烈な映像を記憶してしまっていて、現実に戻ることに
恐怖して脳の覚醒に鍵をしてしまっているらしい。
覚醒にはトリガーが必要だが、そのトリガーが弟自身の中にあるのか、外部にあるのかは誰にも分か
らない。
だから、今の僕にできることは君たちのような法術施行者の卵に法術は人を幸せにできるし、破滅に
導くこともできるってことを教えることくらいさ。
もし、僕と弟が逆の立場であっても同じことをしていたと思うしね。」
鼻から軽くふうっと息を吐いてから窓枠に寄りかかるのをやめた磐城は校舎の窓から空を見る。
講義の時とは全く違う表情を見せるテロ被害を受けた悲しみを背負った男。
「そ、その弟さんはきっと目を覚ますと思います。
確証はないけれど、私も法術事故で同じ体験をしているから。」
磐城と郷ケ丘は赤館のカミングアウトに驚いたが、お互い動じずにそのまま耳を傾ける。
「私は小学生の頃に事故にあいました。
昏睡中はずっと夢の中にいるような感じで。
手や足、肌の感覚がないんです。
触れるものすべてが無機質でした。
ぼんやりとした意識の中で家に帰りたくて玄関まで行くんですが、ドアに触れようとするとさっきま
であった私の家が炎に包まれているんです。
家の中で泣いている女の子の声がして助けなきゃって思うんですけど、家に入ろうとすると急に熱さ
を感じて足が止まって。
そして、最後には気を失ってしまう。
ずっとこの繰り返しでした。」
「そうか。
それは辛かったね。
それでどうやって目を覚ますことができたんだい?」
彼女はふんわりとした笑みで磐城の問いに答える。
「フルゥです。
フルゥが火の中から守ってくれたんです。
だから、女の子を助けることができました。
そして、目が覚めてからずっとフルゥと一緒にいます。」
(意識下で祝福を受けたのか。本当に変わった子だな、この子は。)と思う磐城。
通常、法術施行時にソームの祝福を受けると言われている。
無論、磐城もそうだった。
しかし、この赤館亜希という女子学生は昏睡中に祝福を受けている。
磐城が読み漁った祝福に関する学術的論文すべてに赤館のケースはあまり記憶にない。
その稀有な存在が目の前にいることに磐城は彼女が弟の回復のきっかけ、よもやトリガーになればと感じずにはいられなかった。
「話してくれてありがとう。
フルゥは君の守護神といったところかな。
人間とソームの理想的な関係だ。
君たちがお互いに信頼し合っているのも分かるよ。」
そんな、ふふふ。と赤館の顔は桃のように柔らかな赤色に染まった。
「今日こうやって君たちと話せたのも何かの縁だ。
いつか弟に会ってもらえるかな。
あいつも家族だけとしか会ってないから2人のような優秀な後輩を見たら、まずい!と思って飛び上
がるかもしれないよ。」
不謹慎かもしれないが、3人はその場であはははと笑った。
「もちろんです!
自分が弟さんのお役に立てれば嬉しいです。
それと磐城さんの話を聞いてテロ被害者の方に実際にお会いできればとも思います。」
郷ケ丘は自身より10数センチ高い磐城を見上げながら胸を張ってそう答えた。
この会話の中で彼の中のキャリアに対する考えに変化があったのだろう。
「私もぜひ。
もしかしたら、フルゥが何か教えてくれるかもしれないですし。」
赤館も磐城を見上げて言う。
「なんだか日本でも法術絡みの事件やら事故が増えてきてるし、もう警察だけじゃ抑えられないと思う
んですよねえ。」
溜息交じりにぼそりと郷ケ丘が呟く。
法術産業が進歩すれば自ずと法術犯罪が増加するという説を説いている社会学者もいる。
人類の歴史上、科学力の発展は人々によりよい人生を齎したが、同時に悲劇も齎している。
それを物語っているのが過去の世界大戦。そして、現在も沈静化に至らない内戦や紛争である。
「そうだね。
毎日一つは法術が関係している事件や事故がメディアで報道されている。
まだ日本じゃ事件や事故に留まっているけど、今後の法術施行者の増加や法術技術開発による汎用化
が進み悪用されればテロのリスクは払拭できない。
でもね、悪いニュースばかりじゃないんだ。
今、数十年ぶりの官公庁改変の話が出ているだろ?
僕は法術に関連する省庁が設立されるんじゃないかと思っている。
実際にアメリカ、イギリス、フランスの先進国では既に何かしらの組織が設立され機能もしている。
日本は少し遅いくらいだよ。」
「日本にTTOが派遣されるのは嫌、、、だな。」
赤館が俯く。
「そんな未来にならない為にも僕は官公庁改変に期待しているんだ。
もし、本当に法術を司る省庁が設立されるなら僕はそこに行くつもりでいる。
もう二度と弟のような被害者を出さないように。
そして、こうも思う。
これから世界には日常的に法術が溢れてくるはずだ。
だからこそ、僕たちが安心して生活できることを保障する組織が必要になる。
人間が道を過ってしまわぬように抑止力が不可欠なんだよ。
テロリストは自身が信仰する神や思想が唯一無二と考え、他己排他行動者が群れをなした殺人鬼集
団キラーマジョリティだ。
そんな人間たちの都合で何の関係もない人々の命が危ぶまれることはあってはならない。」
法術施行者として多くを経験した若者はいつしか感情を高ぶらせ、まだ何も知らない学生2人に想いをぶつけていた。
この2人には他の学生とは違うモノを感じる。
法術施行者だが第六感などスピリチュアルなセンスは持ち合わせていないはずの磐城だが確信があった。
赤館と郷ケ丘も法術施行者の先輩である磐城の言葉を真摯に受けとめている。
「柄にもなく熱くなってしまった。
恥ずかしい。
他の学生たちにはくれぐれも内緒にしといてくれよ。」
磐城がそう言うと3人がいた空間を風がぴゅうと吹き抜けた。
「講義中と今とではイメージが変わりました。」
赤館は風で舞い上がった前髪を右手で整えながら言う。
「今までは私たちと年代が近いのに講師をやるなんてすごいな、なんて思ってたくらいでしたけど、話
してみたらこれからの世界のことを考えててこういう人がリーダーってのになるんだろうなあって。
それとなんだか上手く言えないけど、ソームを大切にしていて、とても優しい人って思いました。」
思わぬ年下の女の子からの言葉で目をきょろきょろとさせてしまう磐城。
これは予想外だ。と照れずにはいられない。
「ご、ごほん。
なんだか取り留めのない話をしちゃったけど僕は君たちの将来を楽しみにしてるよ。
また話をしよう。
とても有意義な時間だった。」
「今度、磐城さんの講師室に遊びに行ってもいいですか?」
「私も行きたい。」
「もちろんだよ。
その時はお茶しながらにしよう。
入室料のお菓子も忘れずにね。」
3人は悪だくみをしている子供のような顔をして再び集まる約束を交わす。
「そうそう。
僕の実家で父が法術施行道場みたいなのを始めたんだ。
家族大好き人間みたいな感じでくすぐったいけど、父の法術施行の指導方法は国内でもトップクラス
だと思う。
経験者の僕が保証するよ。」
講師専用の端末を操作しながら生徒2人の学生証ICにデータを送る。
「一度パンフレットを見てみて。
興味があったら討論会の時にでも教えてよ。
見学は無料!」
と、親指をびっと上げて「いいね!」のアクション。
すると、音量の控え目の電子音がなり、それは磐城のスマートフォンに呼び出しの着信だった。
またね。と言い人気講師は駆け足でどこかに行ってしまった。
「忙しそうだなあ。」
走る磐城の背中を見ながら郷ケ丘が漏らす。
「忙しくでもしないときっと弟さんのこと。
自分はなんで助けられなかったんだろうって考えちゃうんじゃないかな。」
そう言う赤館の顔を見て郷ケ丘は
「お前、意外と人たらしなのな。
磐城さんはまんざらでもなかったよ。
あの感じは。」
え、何のこと?と不思議そうに聞き返す赤館を制しながら郷ケ丘は図書室へ向かった。
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三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
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