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木島香の困惑

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「その話のきっかけって、この……アレだよね」
 あまね先輩は受付カウンター後ろ。台の上に乗っているプラスチック製の籠に積まれている本の山に目をやりながら言った。
「ああ。はい、そうでした」
 この本はたった今返却されてきた本なのだが、以前までは特に気にすることもなくそのまま元の棚に戻されていた。
 ところが数週間前に、ある返却された本にかなり汚れが見つかったのだ。恐らくケーキか何かの生クリームがべっとりついてしまったのだと想われページが貼りついてとれないぐらいの状態。
 しかも、返却の際に汚した当人はそれを申告してこなかった。
 だから、気づかれずにそのまま本棚に戻され、図書室の本棚で偶々本をめくった生徒がそれに気づき教えてくれたのだ。
 やったのは多分、その本を一番最後に借りた生徒。だが、少し時間も経っているし今更問い詰めても仕方がないという事になり不問に付す結果となった。
その変わり、以降返却した本は棚に戻す前に、図書委員が一度ページを全部捲って汚れがないかを確認する羽目になった訳だ。
「そうそう。確かノッコ先輩とその話をした後だったっていうのはありましたね」
「じゃ、じゃあ。本を汚す人が嫌いって、あんま本気ではなかったのかな。冗談……みたいな」
「いや、まあ。でも、物を粗末にするのは余りいいもんじゃないですよね。特に図書室の物ってみんなの物ですから」
「じゃあ、やっぱり本を汚す人って許せない……かな」
 あまね先輩は私を伺う様な顔で私を見つめてくる。
「うーん。まあ、そうかもですね」
 言いながらその様子に私は少し不審に思っていた。何だかいつもの先輩と様子が違う様に想えたからだ。
 正直言えば、本だろうが何だろうが敢えて物を汚したり壊したりする人は好きにはなれない気がする。特に図書室の物の様に公共の物ならなおの事。それは当たり前のことだ。
「そういう先輩はそういう人の事、許せるんですか?」
 それが態度に出てしまったのか自分でもちょっとイヤらしいものの言い方で切り返してしまう。
「え? いや、ははは。どうだろうね。まあ、不可抗力ってこともあるしさ」
「不可抗力って、食べ物を落として汚したりするのは不可抗力じゃないですよね」
「ああ、そっちはね。それは、良くないよ。勿論。うん、良くない……さってと、本の確認しちゃわなきゃね」
 イヤにワタワタしながら先輩は後ろの台の本に手をやった。
「変な先輩。どうしちゃったんですか」
「べ、別にそんなことはないでしょ。ボクはいつもどうりさ~」
 少しの動揺を見せながら後半は誤魔化すようにいつもの口調を入れ込んだように見えた。
「まあ、いいですけど」首を傾げながら私も作業を手伝おうと想って台の方に目をやる。が、
「あれ? この本は返却分じゃないんですか?」
 よくよく見るとその本は籠とは別に台の上に置かれていたものだった。
「あ、ああ。それは違う分だね」
 こちらをチラ見しながらあまね先輩は貸出分の本の確認作業に追われている。
「そうなんですね……あ」言いながら私は何気なく置いてあった本のタイトルが目に入って来た。
そして、「ああ、これ、ここで借りて読んだことある。結構好きな作家なんですよね」言って本のページをパラパラと捲ったのだが、途端に違和感を感じた。
 いやに新しい感じがするのだ。以前読んだ時点からでも大分昔の本だったしそれに……。
「ど、どうしたの?」
 あまね先輩が尋ねてくる。その声が強張っているように聞こえるのは気のせいか。
「やっぱりおかしいですよ。この本、前に借りた時は確か初版だったんです」
 にも関わらず奥付を見ると大分版を重ねた物だった。
「ほ、本当に? 何かの勘違いなんじゃないの」
「いえ。確かにこの本だった筈ですけどね」
 いや、この本で間違いない筈だ。バーコードはついているので誰かの私物という事もないだろう。などと考えている所へ。
「おっつかれ~。カオちゃん交代するよん」 
 明るい声を上げてノッコ先輩が入って来た。そうだ、今日は家の事情があって私は早上がりさせてもらう予定だった。だから、ノッコ先輩が代わってくれることになってたのだ。
「ああ、ノッコ先輩。すみません、お願いします。あまね先輩もすみませんお先に失礼します」
 私は本を置いてくるりと振り返って二人にお辞儀。
「なーに。困った時はお互い様って奴よ。後は、ふ~ちゃんと私に任せなさい」
 ノッコ先輩は笑みを浮かべて答えてくれた。ふ~ちゃんと呼ばれたあまね先輩もノンビリ調子で答えてくれる。
「うん。大丈夫大丈夫。気を付けてね」
 それに対して私は頭を下げ下げ扉を開けた。帰る前に目の前にある女子トイレで用を済ませる。トイレから出ると先輩二人の話し声が聞こえてきた。
 隣には男子トイレにその目の前には書庫の扉。反対側には階段。いつもの通りの何気ない光景。
 でも、私は例の新しくなっていた本の事が頭を霞め腑に落ちない気分になりながらも自分の教室へ歩き出した。
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