吼える月Ⅰ~玄武の章~

奏多

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第3章 帰還

 ユマの想い

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 黒陵の姫とサク、そしてハン夫妻が退室した後、街長がひとつ咳払いをしてから神妙な面持ちで言う。

「五日だ。五日でここは戦場になるやもしれん。巻き込まれて怪我をする前に、支度をして避難してくれ。……サカキ!」

 名前が呼ばれたのは饅頭屋の主人だった。

「お前は黒崙に古い。私の代理として、東の村の……ユラに皆を先導してくれ。お前なら行商もしているし道には明るい」
「街長、私は……」
「頼む。黒崙の民を、護ってくれ」

 街長はサカキの節くれ立った手を握った。

「………」

 鎮静する民衆の烈火。
 消えゆくユウナの後ろ姿を見ながら、ユマは思った。

 こうした状況に導いたのは、ユウナだ。
 ユウナの言葉の力が、あれだけの民衆の敵意を鎮まらせた。

 そして彼女に代わって、渦巻く戸惑いをまとめ上げたのはハンだ。
 ハンもまた、ユウナの言動を見越した上で、暴動が起こる寸前だった民衆を傍観していたようにも思えたのだ。
 厳しい顔でサクを突き放すようにして動かなかったのは、もしかしたらユウナが初めから近くに居ることを察知して、彼女を煽動するつもりだったのかもしれない。

 緊急事態の黒崙に必要なのは、わだかまりのない一致団結。
 民衆の心に燻る不平不満を取り去るために、あえて民衆に言いたいことを言わせ、それをユウナの真実の言葉で鎮めさせたのではないか。

 上辺だけの虚飾の言葉は、真実に勝ることはない。
 自らの真実の意志で、黒崙を捨てる運命を選択させるために。

 ひとは自らが納得しない限り、どこまでもその場に踏みとどまろうとする。ただやみくもに命令されるだけでは、民衆は動かない。無理矢理動かしたところで、サクへの不信感から恨みを募らせるだけだ。

 だから――。

 サクに対する禍根を取り除くには、ユウナが必要だったのだ。
 サクを助けるために、ユウナの助力をハンは乞うていたのだ。
 ……自分ではなく。

――お黙りなさいっ!
 
 登場からして、畏怖すべき声音と存在感で場を鎮めたユウナ。
 器が違う、とユマは思った。
 自分と姫はまるで似てもいないと。

――ユマは、ユウナ姫の縁者か? まるで双子のようだぞ。

 最初に、姫とユマの顔形が酷似していると言ったのは誰だったのか、もう思い出すことは出来ない。

 ユウナは、よくハンやサクを従えて揺籃に遊びに行くという。
 その際に見かけた者達が、こぞって「ユマと姫は似ている」「似すぎていて本人のようだ」と口にしたものだから、ユマはユウナの顔を知らぬまま、その気になってしまっていたのだった。
 だからサクがユウナに懸想しているという周知の事実がありながらも、サクに接触して女らしさを見せ続けてさえいれば、必ずサクは振り向いてくれると思い込んでいたのだ。

 サクはいつも、戸惑うようにして自分を見るから。
 時折、情熱的な顔を向けてくるから。
 他の女に向けるような冷たさはなく、自分には優しく笑うから。

 自分の奥にある姫の面影ではなく、いつかきっとユマという女を見つめてくれると、信じて――。

 姫とリュカの婚礼が決定した時、誰もがユマの背中を押して応援した。
 未来の武神将と街長の娘との婚礼が実現出来れば、それは黒崙の名誉だと。

 何度もサクにふられたが、時間が解決してくれると思った。
 サラや親を引き込み、未来のサクの妻としての花嫁修業も積んでいた。
 いつかサクが、本当の幸せを気づいてくれた時のために。

 そう――自分だけがサクを幸福にする自信があったから。

 姫と従僕なんて結ばれるわけがない。
 周囲がサクにその夢を断ち切らせなかったのは、ハンという姫と関わり深い存在があったからだ。
 ハンがサクを溺愛すればこそ、皆ハンと共にからかって遊んでいただけのこと。

 〝サク、今日は姫と両想いになれたか?〟
 〝姫との婚礼は、いつだ?〟

 だから――実現しそうな錯覚に、サクが勝手に囚われただけのこと。

 姫の護衛や警備隊長の肩書きはあるといえども、臣下は所詮臣下。
 ただの武官が、黒陵を総べる次期祠官になれるはずもない。

 サクに相応しいのは等身大の娘だ。しかも自分は、サク好みの顔をしている。
 ならば、サクと自分が結ばれるのは天命とすら思った。

 調子に乗りすぎたのは否めない。
 荒れて元気のないサクに、姫の代わりでいいからと色仕掛けをしたこともある。

――ごめんな。お前は抱けねぇや。

 拒まれても押しまくる自分に難色を示したのは、ハンだ。

――姫さんと酷似しているのがお前の強みというのなら、それだけではサクはお前に堕ちねぇ。お前は姫さんとは似ていねぇんだからな。

 サクすら動揺しているのに、ハンだけが姫と似ていないという。

――ま、なにが幸せかはサクが決めることだ。サクにとって、俺も含めお前も外野だ。勝手な幸福論掲げてサクを追いつめることだけはしないでくれ。
 
 自分の動きがサクにとっては妨げになると言われて、正直悲しく悔しかった。
 ハンに、自分は認められていない気がして。

 サクを誰よりも愛して、理解しているのは自分だけだ……そう思えばこそ、ユマは愛するサクのために、どんなことでもする覚悟は出来ていた。
 だから、街の民の全員を敵にしてたサクの前に、飛び出したのだ。
 愛する男を護りたいという、恋するがゆえの切実さと、サクに恩を売ろうという邪心も少し。

 だが自分は、仲良くやって来たはずの民相手に説得が出来ず、声を張り上げても彼らの心を動かすことは出来なかった。ただわめいていただけだった。

 そしてユウナが現れた。

――姫様っ!!

 取り乱すサクを押さえつけて、蒼白な顔で自らの苛酷な体験を口にしてサクを庇おうとする姫の姿は、あまりに毅然として気高く。

 そしてユウナの献身により、相手が姫だからというよりは、ひとりの人間の言葉として、皆が耳を傾け心に刻んだことは、ユマに衝撃を与えた。

 ユウナの出現で、サクはユマを見なくなってしまった。 いつでも優しかったサクの視界の中に、姫は居ても自分は居なかった。

 サクだけではない。誰もがユウナだけを認め、ユウナだけを受け入れていた。
 ユマは、元からこの世に存在しない亡霊のように、影に追いやられ、傍観者に徹することを強いられた。

 それが現実――。

 ユウナが辛い目にあったのだろうことはユマでもわかる。
 だがユウナの境遇に同情する以上に、ユウナがそうした体験を掲げることで、ますますサクを縛り付けているように思えて仕方が無かった。

 ならば、自分も辛い目に合えば、サクの気を引くことができるのだろうか。
 姫になれないのなら、せめてサクに気を引けるだけの哀れな女になれば……。

 そう――。誰からも哀れまれ、無条件でサクに庇護される弱い女になれば。

 ユマの心に、どす黒いものが渦巻いていた。

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