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第2章 終わらぬ宴
変幻 2.
しおりを挟む激しくなる雨脚。
騒がしい人の気配と馬の嘶き。
味方になるはずの者達の協力は得られず、逆に安全な場所へと逃れるための行く手を阻む存在となりえたのは、運命の皮肉としか言いようがない。
「……ちっ、流石は中央ご自慢の騎馬隊。瞬く間に、俺達はお尋ね者か」
早馬にて飛散した近衛兵の伝達は思った以上に早く、黒崙に至る要所要所に近衛兵達が殺気めいた警戒をしていた。
その近衛兵達の武装に、変化を感じたサクは目を細めた。
近衛兵が一部ではな、全身を包んでいる鎧や刀が、赤い月が隠れた昏い環境でも、仄白く発光していたからだ。
さらには、光輝く巨大すぎる大砲の姿も見えた。
「……まさかあれ、〝輝硬石〟製か!?」
対人相手ならサクの馬術や武力で突破出来るが、近衛兵達の武具が輝硬石であれば、話は別だ。
武器での斬撃は勿論、掌打を始めとした肉体での体術ですら、全身防備された近衛兵を打ち負かすことは出来ないだろう。
輝硬石――。
それは衝撃はおろか、熱や風などという自然の力をものともしないとされる。倭陵で僅かしか取れない希少石のことである。
鉛や鋼と比較にならぬほどの硬質であり、研ぎ澄まして単体での使用は無論、大量の火薬の衝撃にも耐えれるために、大砲など銃器に応用すればかなりの破壊力がある武器を作り出すことも出来る、幻の素材とされている。
だがそのあまりの硬さに加工も難しいということで、粗石を精錬して武器にするにはまだ何十年もかかると言われていたはずだ。
それが、実は既に実験的にでも使用可能な状態になっていたことは、恐らくハンとて知らなかったことだろう。
ハンは常々言っていた。
――元々ひとつの国として協力し合うのが筋なのに、中央の近衛兵は選び抜かれた者だという上から目線の、情報隠匿主義なのが気に入らねぇ。選び抜かれたんなら、一度でも俺に勝ってみろってんだ。
――サクが武神将になった時代には、中央が開発している輝硬石での武具が黒陵の警備兵にも配給されてるといいがな。現在どの程度の開発段階かすら、祠官にもまるで伝わってこねぇ。
黒崙に行くにはこの臨時関門を抜けねばならない。
未知数の武器と闘うか、迂回するか。
しかし外は土砂降りで、サクの上着を被っているとはいえ、いいだけ濡れてしまったユウナは寒さに震えている。早く暖かな場所を与えたい。
どちらを選んでも時間がかかりすぎるし、ここであれこれ考えている間にでも、ここから目と鼻の先である黒崙に見張りの手を伸ばされたら困る。
思案顔のサクの目に入ったのは、脇の茂みに放り捨てられてあった、汚いぼろ布と縄だった。
やがて指を鳴らしたサクがユウナと共に馬から降りると、周辺の木から枝を切り落とし、落ちていたそのぼろ布で大きくくるんで、馬の鞍ごと縄で括り付けた。
「なんとか……人影に見えるな」
そしてサクは、馬の尻を思いきりはたいて嘶かせると、馬を暴走させた。
馬は、兵士達の横を疾風の如き早さで駆け抜け、反対側に走っていく。
「いたぞ、あっちだ!! 追えっ!!」
馬の音。銃器の音。火矢までもが雨の中に飛んで行く。
あれらを一手に受けていたら大変だったと内心ほっとしながら、サクは、ユウナを抱きかかえたまま、無人になったその場所を抜けて、雨の中走った。
黒崙は、玄武殿の南西にある。黒陵においては比較的小さい街とされる黒崙では、街長一家を中心に五十ほどの家が並び、妻子ら家族を会わせると百人以上はこの街に住まう。
黒崙は、武神将であるハンがサラを妻に娶った祝いに、黒陵の祠官が命じて建立された街であり、ハン一家は黒崙に住居を構えている。
サクは状況に応じて、黒崙の実家と玄武殿にある警備兵の宿舎に寝泊まりを繰り返しており、ここ数週間は、今日に備えて実家に戻っていなかった。
黒崙が、玄武殿のように外壁に囲まれ高い正門があるのは、敵も多いハンが住人をいらぬ戦いに巻き込まぬためである。黒崙を作るにあたり、祠官がハンの希望を取り入れ外壁と門、そして裏口もを作ったのだが、黒崙の民はやがて、ハンがいるのに逃げる必要はなく、むしろ敵を迎え入れるだけの恐れがある裏門を塞いでしまった。
武神将と街長が一体となり、民は彼らに絶大なる信頼を寄せながら、各々の意見がきちんと言える街、それが黒崙であった。
黒崙育ちのサクは、閉まった門の開け方を知っている。それはもしもの時のためにと、ハンから教えられていたものだった。
門は普通夜は閉められている。いつもはさらに、警備兵の配下にあたる警備団が、夜も黒陵にあるすべての街の警備をすることになっていたが、今日は玄武殿以外の警護を禁止して、自宅に帰らせていた。
だから幸運にも追手もなかったサクは、故郷で無益な戦いをすることなく、黒崙の街に入れたのだった。
今日は凶々しい夜ということで、どの家も窓を止めて戸板で封じ、外から明かりが漏れることはなく、寂れた街の風景を露呈している。
街の中に近衛兵が待機しているわけでもなく、ほっとしながら雨の夜道を歩き続けるサクは、ずぶ濡れになりながら、南側に大きく構えた屋敷、サクの生家に向かう。
軒先では、篝火を焚いた下人である衛士がふたり立っていた。どんな夜であろうと、シェンウ家の下人は主人の家族を守ろうとしていたらしい。
なんだかそれが嬉しくなったサクは微かに微笑み、彼の上着で覆われ顔を隠したままのユウナを両腕に抱きながら、ご苦労さんと声をかけた。
「――サク様!?」
「おう、今帰った。入るぞ」
体についた雨滴を飛ばすかのようにぶるぶると何度か頭を横に振った後、いつもの通り足音をたてて慣れた我が家に入る。
その物音で飛び起きたらしい数人の下男下女達や、母であるサラも夜着姿で現れた。
サラは、艶やかな腰まである黒髪と、十代の少女かと見紛うほどの瑞々しい肌をした、童顔で愛らしい顔をした小柄の女性だ。
だが怒れば、最強の武神将ですら顔を青ざめて縮こまるほどの般若顔をさらす。見かけに騙されてはいけないことを、幼いサクに悟らせた……それがサクの母親である。
「ハン……ではなく、サク? 今日は泊まりじゃなかったの?」
どうやら主人の帰宅と間違ったらしい。
サラは顎で促し、下人達を下がらせた。
「予定変更。風呂入る」
「それはいいけど、あんたが抱えているのはなに?」
サクは、母親を背に既にすたすたと廊を歩き出しながら、振り返りもせず平然と言った。
「ああ、姫様だ」
「そう。姫様ね……」
そして長い沈黙。
「姫様ですって!?」
サラの声がひっくり返ると、サクの中でユウナがもぞりと動いた。
そしてサクの上着の中から顔を出し、サラと視線を合わせる。
「ひ、姫様!!」
サラが見たのはその目と口もとだけではあったが、彼女も黒陵の民ともなれば、ユウナの顔はよく知っている。本当に小さい時は、ハンに連れられて家にも遊びに来たこともあるほど、見知った姫だった。
「ご無沙汰しております、姫様。狭苦しい場所ですが、どうぞごゆるりと……」
両膝を床につけて頭を下げて畏まったサラの前で、既にユウナは目を閉じてしまっていた。相手がサクの母親であると認識していたのかも怪しい。
「姫様……?」
ユウナの無反応さに訝るサラに、サクは苦笑した。
「ちょっと姫様はお疲れなんだ。騒ぎ立てるな。そして姫様が此処にいることも内密に。あ、それとお袋の白髪染めをくれ」
するとサラの可愛らしい顔が引き攣った。
「し、白髪染め!? なんでそれを……」
「若作りを隠しているつもりだったのか? 蒼陵の高級品を親父経由でジウ殿から仕入れていたくせに……」
「そこまで……!? いやいや、それよりなんで白髪染めと姫様が関係あるの!?」
「ちょっとワケあって、姫様を暫くウチで預かりたい」
さらりとサクは言った。
「あ、預かる!? 姫の婚儀は明日でしょう!? あんたまさか駆け落……」
「なわけねぇだろ!? 理由は後で話すから。まずは風呂だ、風呂!! 早く、白髪染めを持って来てくれ。姫様が凍え死んだらどうすんだ!!」
「わかったわ」
サラはパタパタと忙しく自室へと向かい、再びバタバタと足音を立てながらやってくると、丸い容器に入ったものをサクに手渡す。
「しばらく風呂には来るな。誰にも近づけさせるな」
「ん……」
母親の心配そうな眼差しは、息子が長年片思いをしている婚礼直前の姫を連れているという事実に対してではなく、息子のその憔悴仕切った表情に向けられていた。
どことなく生気がない顔は、リュカと姫との婚儀が決まった時よりもかなり深刻そうに見えた。
言うなれば、死の雲に覆われているような。
「サク、あんた大丈夫よね!?」
「お~」
振り向きもしないその声はいつも通りだけれど、その背中はやけに小さく儚げで、サラは不安になった。
「ハン……。早く帰ってきて」
最強の武神将なら、きっとなにかを抱えているサクの力になれるだろうから。
サラは、小さくなるサクの後ろ姿を、しばしの間じっと見つめていた。
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