私に残った物、もうΩしかありません。

塒 七巳

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 海途の指が青葉の胸を這う。
 
 青葉はあっという間にその肌をはだけさせられ、抵抗なぞ頭の片隅にも無い。 上手く力の入らない体は、ただ熱に魘され海途の前に横たえていた。
 
 青葉の首元に顔を埋めて香りを吸えば、正しく骨抜きになる程海途を興奮の高みへ誘う。
 
 慣れた手付きで下着を外すと、青葉の体は一瞬ピクッと跳ねた。
 その反応は拒絶では無い——
 
 海途が青葉の顔を確認すれば、うっとりとした表情で濡れた唇を半開きにしていた。
 
 肉付きも無く、骨ばった青葉の体に触れると、海途の心はギュッと締め付けられる。それと同時に、どうしようも無いほど優しく、暖かかく、全てを包み込みたくなった。
 
 
「体の力、抜いてて……」
 
 海途はそう言って青葉の唇に自身の舌をそっと差し込む。
 
 海途は、青葉をただ喜ばせたかった。
 
 指や舌で、青葉を撫でれば青葉の虚な目に情欲が燃えて満足そうに笑みを浮かべる。
 青葉の体は素直に反応し、青葉自身も海途にぎこちないながら手を伸ばした。
 
 その手さえ、海途には愛おしい……
 
 
 素直な体は与えられる快楽に喜び、青葉は海途の指や舌で頭の中を何度も弾けさせる。
 味わった事のないふわふわとした感覚に、青葉の体は満たされ、包み込まれた。
 
 
 
 だが、数えるのもやめたキスをする度、青葉の脳は薄らと正気に戻る。
 
 海途の恋人は、海途がラットを引き起こされΩとこんな行為をしていると知れば、酷く傷付くに違いない……
 空っぽ故の行為だとしても、海途は後悔と罪悪感に苛まれるだろう……
 
 
 また、私のせいで……——
 誰かが傷つく……——
 
 
 αをフェロモンで煽り、官能的誘う、それしか脳の無いΩ……——他には何も無い癖に……——それ位しか、出来ない癖に……——
 青葉は情けなさに、自身を嘲笑う笑みが溢れた。
 
 
 
 そして……重ねる唇が深いたび、青葉は思い知らされる。

 高校の頃の、橘君じゃ無い——
 
 真っ赤な顔で、ぎこちなく唇を合わせ、その真っ赤な顔を隠す様に青葉を抱きしめた、橘君じゃない——
 
 照れ隠しに笑って、緊張する青葉を何とか笑わそうとする……そんな橘君はもう居ない——
 
 青葉の中の思い出に生きる海途は、もうとっくに消え去っていた。
 
 
 
 慣れた手つきで、女性の肉体を知り尽くした大人の色気を纏う美しい男性が、ただ目の前に居る。

 青葉の10年が真っ白なら、海途は所狭しとみっちり埋めている——青葉はそれをまざまざと見せつけられた。
 
 
 開かれるままに開かれ、マニュアル通りに快感に導かれる体は、単純明快で経験も乏しい故に喜びに身を悶えさせ貪欲に快楽を欲している……——
 
 
 なんて、滑稽なんだろう……——
 
 
 空っぽなりの楽しみ方も知らない。
 開き直ってもいないせいで、空っぽだから、どこか虚しさが身をつつく。
 青葉は、そういう人生を歩んでは来なかった。
 

 あの映画の終わりは幸福だった——
 
 
 でも分かっている、身分差の恋なんてうまく行くはずない。現実には起こらない。
 恋に恋した自分は、身を持って痛いほど理解している。



「……もう……大丈夫だから…、帰って。 ……薬、返して……お願い……」
 青葉の荒い息は治らないが、弱い力をそれでも絞り出して、覆い被さる海途を青葉は押し返した。
 
 押し返す自らの手から感じる海途のしっかりした体にさえ、青葉の脳は瞬時に色香を拾う。口では拒絶しながらも、自然と手は海途の鍛えられた胸板を這い、外されたボタンから覗く肌に伸びていた。
 
 
 もう、抗うのさえ、やめてしまいたい……
 素直に受け入れれば楽になるのだろうか……——


「気持ち……良くない?」
 
 手を止めた青葉の様子を窺うように、海途は荒い息で首を傾げる。
 青葉の手を優しく握りしめ、欲しくて堪らないと懇願するように海途はその手を自身の唇に押し当てると、青葉を見た。
 
「……良く無い」
 
 青葉がポツリとそう返す。
 顔を逸らし、海途の姿が目に入らないように青葉はギュッと目を瞑った。
 

 ——嘘、この世のものとは思えないほど気持ちいい……
 
 
 不意に青葉の頬に、海途の熱い吐息がかかる。
 
 
「本当?」
 掠れた声で、海途がそう尋ねる。

 青葉は首を縦に振り、決して目は開けなかった。
 
 海途の唇が、青葉の頬を優しく滑る。
 触れるだけで、どこか優しく物足りない感触に、青葉はゾクリと体を震わせた。
 
 
「青葉……」
 熱に絆されたその吐息が、艶かしく青葉の耳元で吐かれる。
 
 先程まで青葉の中に在った海途の指が、青葉の耳たぶを撫でた。
 まるでその音さえ聞こえそうな、トロリとした液体の感触を、青葉は確かに自身の耳たぶに感じる。
 

「嘘つき……」
 妖しく優しげな海途の声が、青葉の体の芯を激しく揺らし、一気に突き抜ける。
 
 
 青葉は海途の首へ両腕を回し、その体を自身にぐっと近づけた。
 勢いをつけたまま、青葉から海途に唇を重ねる。
 
 でも、青葉は海途のように上手くは出来ない。
 
 知らないから、幾ら青葉が必死になった所で、その差を埋める事は出来ない。
 
 海途は一瞬驚きながらも、ゆったりとそれを楽しむように青葉の舌を導き弄び、夢中になっていた。
 
 
 夢から覚める必要があった——
 この何の意味も無い行為から——
 
 
 青葉は閉じていた目を薄らと開く。
 

 偽物だ。本物じゃ無い——
 Ωが誑かし、αが貪るための、ただの、繁殖行為……——
 
 
 青葉は床に片手を這わせ、目的の物を探す。手で形を確かめて、目当ての物をしっかり掴むと、それを思い切り海途の腕に突き刺した。抑制剤の注射器だ。
 
 海途は痛みと驚きに目を見開き、呆気に取られ唇は糸をひいて離れる。
 その隙に青葉は海途を押しやり、転がる茶色い容器を手に取った。

 素早く蓋を開け、さっと何粒かを口に放り込む。
 
 それが規定量なのかどうなのか、そんな事はもう青葉には関係無い。


「っ青葉——!やめろ!」
 

 呆気に取られながら青葉に手を伸ばす海途の顔が、青葉にはどこか可笑しい。
 
 
 すっかり表情に乏しくなった海途が、焦り、驚いている——


 あの頃の橘くんみたい……——
 
 
 青葉には目の前に映る全てが遅く見えた。
 
 大好きだった人——
 
 抱きしめられたい。いや、抱きしめたい、心の底から……
 
 青葉の体はその場にぐらりと倒れ込む。
 


「……あの頃の私だけを、覚えてて欲しかった……。橘くんに……だけは……」

 朦朧とする意識の中で、青葉は説明の出来ない満足感に包まれていた。
 何か海途が言っている、言葉は分かるが、青葉は理解出来ない。
 
 
 青葉は目を閉じる——
 
 
 目を閉じれば、あの頃の、10年前の海途が、照れ臭そうな笑みで青葉を振り返った——

 このまま、目が覚めなければ良い……
 このまま……——
 
 
 ねぇ、橘くん……——



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