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しおりを挟む「私は医師の田所と言います」
真っ白に光る蛍光灯。
それと同じ位、真っ白な物々しい防護服のような服を着た眼鏡の男性が、こちらを見下ろしている。
「お名前を教えてください」
穏やかにそう問われても、パッとは出てこない。脳と口は、経験したことが無い程上手く連動しない。
鼻と口元を覆われていた酸素吸入器は既に外され、せっかく話しやすくなったのに……——
未だ霞がかった頭で、ぼんやりそんな事を考えていた。
それでも、未だ鼻には吸入器が取り付けられ体には幾つも管が繋がり、体は余り思うように動けない。
この異様な空間は、自分の状況からしても病院だと見当はついたものの、医師だと名乗る人物の格好は、また疑心暗鬼を加速させる。
「こっ……こは……?」
掠れた声を絞り出すのに、想像以上に力を要した。
「大丈夫ですよ、病院です。ほら、身分証」
そう言って医師は首に下げた身分証を見せて優しい笑みを浮かべる。
ただし、その笑みは顔を確認出来るように顔面部分が透明になった被り物越しだ。
「こんな格好ですみません。けれど、万が一を考えて、患者さんの安全を考えてのことです。ほら、他の人は普通でしょ?」
そう言って医師の田所は、後ろに控えた他数人の方を指差した。
「……もう一度聞きますね。お名前を教えてください」
確かに、ここは病院らしい……。
万が一……安全……——
この時は、それが一体何を指すのか、見当もつかなかった——
自身の虚な目は、医師を捉える。
「……星川……星川、青葉です……」
「……星川青葉さんですね。年齢も教えてくれますか?」
息を大きく吸い込み、声帯から声がはっきり出るように意識する。
「……18です。……18歳です」
「安斎さん、肝機能の数値良く無いんでしょ?それでも入院中ヒートが起きたら、抑制剤使う為にステロイド使うか最悪麻酔で眠らせるかも、なんて先生言うからビックリしちゃった」
「ヒートが起きた場合の事を先生達随分警戒してますね。そこまで大変なんですか、ヒートって?」
「さぁ?それはβには分からないけど。 まるで獣のように自我を失いーとか看護学校で習ったでしょ?αはΩのフェロモンでラットを引き起こして本能のまま、犯罪にまで発展、とかニュースでも聞くじゃ無い?現に……今回だって大騒ぎだったし……。まさかRYUSEIが関わってたなんてねー……。αだし、カッコ良いし、私好きだったのに……」
「学生時代にトラブルがあったって記事ありましたね……。
安斎さんの場合抑制剤を使っても負担が大きいけど、使わないと傷の治りも良くは無いし、まだ高熱が続く時もありますし……。そこへ来て肝機能のダメージ……。嗜好品の習慣は無いってありましたけど、かなり強い抑制剤とか常用してたんですかね……」
「でも、今の状態でヒートは確かに危ないと思うわ。ただでさえいろいろ他の薬も使ってるし。短命な訳ね、Ωって。
身を守る為には抑制剤は欠かせないだろうし。心身共に蝕まれるっていうか、私なら精神病むなぁ……。
ほら、病院居ればΩの患者さんも稀に診ることもあるけどやっぱり受け入れるこっちも扱いづらいのよね、正直。
Ωの患者さんの情報って、凄く厳しく管理しないといけないし、そもそもΩの患者さんは人と関わる事を嫌がる傾向が強いから。
先生の中にも勿論αの人は居るけど……でもαの方のパートナーはΩってパターン少なく無いわよ。先生の中にもそんな人居るんじゃないかしら」
「確かαの番が居れば、ヒートからも解放されてΩも普通になれるんですよね?
だったら、やっぱりそれが一番じゃないですか?αとΩのお見合いシステムみたいのありませんでしたっけ?Ω救済法のなんとかとか……」
「あれも結局はお国公認の人身売買だって非難してる人居るじゃない。お膳立てして、後はご自由にー、自由恋愛なので国は関係ありません……なんて、相手はαよ?そう易々と上手くいくとは思えないけど。
お金払えば良い、なんて……いかにもα目線ていうか……。いくら同意といっても本心はそんなもの利用したくないでしょ、Ωだって。そもそも、Ω使ってαを増やしたいって本心がまるで隠しきれてないじゃない」
「αを増やす為と言われれば、まぁ……確かにどこの国も似たようなものですけど……。まぁ僕たちβが軽々しく入っていい話じゃないですね……」
「βが一番よ。安斎さんみたく、いつトラブルになるやら。Ωならまともな生活なんて出来ないだろうし、安斎さんも今まで大変だったと思うわよ」
「……頻繁に安斎さんの事訪ねて人……てっきり、安斎さんの恋人なのかなって思ってたんですけど……」
「訪ねてくる人?ああ、弁護士の人?」
「いえ……背の高い、綺麗な男性の……なんていうか凄く、αっぽい……」
「ああ、あの人ね!あの人はそうみたいよ。来ると皆盛り上がっちゃって困るのよね。でも、暫くは限られた面会しか無理ね。警察のこともあるし、安斎さんの容態もそうだけど、αは今近づけられないわ」
「……恋人なら気の毒ですね。しかも、記憶障害なんて……——」
「恋人なら、ね。とりあえず、私達は看護師、関係無いの。相手は大騒動に巻き込まれてる患者、それだけよ。……それにしても、Ωだからって理由でαとトラブった人の恋人はαって?はーやだやだ。βが一番よ、やっぱり……」
目が覚めると、異様な口の渇きを感じた。
体は重く、あらゆる管が伸びて、口元には圧迫感を感じる。
見慣れない部屋に居るのに、現実なのか夢なのか、それを認識するまでに時間がかかった。
くぐもった音が聞こえて、数人の人の影が目に映り込む。
暫くしてやっと、自分が病院に居るのだと青葉は認識出来た。頭がはっきりしても、手足は思うように動かない。いや、動けないように何故かかなり制限されていた。
お母さんは……
お母さん……
最初に頭に浮かんだのは母と父、そして一樹だった。
頭の中の霧が徐々に晴れて来ると、青葉は不安と寂しさに襲われる。
頻繁にやって来る医師に、その思いを青葉は既に伝えていた。
「いつ……家族と面会出来ますか?心配してると思うので……」
「……もう少し容態が安定すれば、面会も出来ますよ」
医師はそう返し、今は面会は極々限られた人間しか出来ないと青葉にやんわり告げる。
そういうものなのかな——
青葉はどこか腑に落ちず、胃の辺りが気持ち悪くなる。
お母さんにプリン食べたいって看護師さんに伝えてもらおう……
橘くんはどうしてるんだろう……
早く、会いたいな……
海途を思い浮かべると、青葉は自然と顔には笑みが浮かぶ。
——ここから先は、頭の中にある抜けてしまったものを拾いあげる度、まるで崖下に転げ落ちるような感覚しか無かった。
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