明敏犀利の蒸気歯車機関(めいびんさいりのスチーム・ギア)Ⅱ シャーウッド・ローズと萌木のロビンフッド

野村だんだら

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1 自動馬車の自明たる欠陥 その1

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 倫敦を騒がせた連続殺人犯――新聞各社が「二十世紀の切り裂きジャック」などと仰々しく書き立てた――が捕縛されてから一週間が経過したその日、事件の容疑者が移送中の事故で死亡したという報せが入った。
 そして、この情報をこの場にもたらした人物が今、マントルピース前のロッキングチェアに体を預けてすっかり脱力している。その振り子のような動きにあわせて、肘掛けからしどけなく零れて垂れた金色の髪がサラサラと揺れては絹糸のように煌いていた。
 誰何できる雰囲気でもなければ名乗りもしていない娘だが、その身元は、はっきりとしている。新聞の一面はもちろん雑誌の表紙をも飾ったことのある彼女は、大英帝国が誇る若き才媛、コレット・アンナ・マグヌスである。蒸気機巧術の祖を系譜とするマグヌスの家系は、蒸気機巧の権威にして至宝と名高い。
「さて、どう話すべきかしら」
 花も恥じらう少女のような外見とは裏腹に、妙齢の婦人らしい落ち着いた声色が理知的である。やや気だるげにも聞こえる響きで呟いた乙女は、この場に居る面々を順番に一瞥していき、大柄な男を横目に捉えたところで目を細めた。
 男は、名をグレン・ロッシュ・グラントという。頭にある重たそうなピッケルハウベは、彼が倫敦警視庁――いわゆるスコットランド・ヤード――の警部であることの証しだ。
「可愛らしいメイドに異国の留学生。あと、わたしの身内がひとり。それと……警察官。うーん、この……面倒臭いのが一人居るわね」
 自分よりもはるかに年下であるはずの娘に「面倒臭いの」などと言われ、眉の端をピクリと動かしたグラント警部が、静かに口を開いた。
「マグヌス女史が望むなら、この場は外しますが……?」
「え? あー、ううん。構わないわ。ただ、あなたが口を堅くしていれば良いだけのことなの。この言葉の意味は分かるわね?」
 国家を代表する蒸気機巧術技師が「口を堅くして」と釘を刺すからには、これから話す内容に、警察も知り得ない機密が含まれるということだろう。しかし、だとすると……、
「ええと、僕と彼女は外に出ていた方が良さそうだね」
 メイドのミリアはもちろん、日本からの留学生である千早の場合も、ここは聞かない方が身の為だろう。下手をすれば国家権力に消されかねない。
 共に外へ出るべくミリアに目配せをして扉を開けてもらったところ「待ちなさい」と声がかかった。
「マサズミ・チハヤね? あなたは居て良いのよ。理由は――まあ、後で話すわ。メイドのお嬢さんは出ていてね。面倒事に巻き込みたくないの」
 退出したミリアの足音が階下へと遠ざかったのを確認したところで、コレット女史は静かに立ち上がると、マントルピース脇に立てかけてあった金色の杖を手に取った。続けて、トンと軽く床を突いては、何をか確認した様子で満足そうに頷く。
「殺人犯とサムライ少年とが大立ち回りをしたと新聞にあったから、壊れていたらどうしようかと思ったけれど、問題は無さそうね。――さて」
 と、コレット女史が振り返る。「ところで、この仕込み杖が機巧だということは、ここに居る全員が知っていると考えて相違ないのかしら?」
 青い双眸が、窓際に佇む少女を見ていた。
 窓辺の彼女は、マギエラ・アンナ・マグヌスである。いわくコレット女史の「身内」で、薄紅色の瞳を除けば、幼いコレットとでも言うべき容貌をした美しい少女だ。千早のルームメイトである彼女は、英国留学中の滞在費用節約のアテでもある。
「どのような機巧かまでは知らないわよ。わたしも含めて、ね」
 眉をしかめて言うマギエラにコレット女史はキョトンとして、ふと得心のいったふうに「ああ」と嘆息した。
「思えば、これを作ったのはあなたが家出した後だったわね。まったく、もう……」
 大仰にため息をついている。「まあ、小言は後にするわ。今は、わたしの身に何があったのかを話す必要があるのだものね。研究所を兼ねた寄宿舎を出た細かな事情は、警部さんが居る手前だと話すのも面倒なのだけれど……とりあえず、イーストエンドでしばらく暮らすにあたって、わたしは護身用にこの機巧杖を用意したわ。
 この仕込み杖の刀身は、名付けるとすれば機巧剣といった感じね。アナメタルとマグヌサイトの複合素材で出来た、カミソリが如き極薄の刀身を蒸気機巧術によって保護して、強度を持たせると共に、機巧に貯蔵されている水の質量をそのまま刀身の重量とする珍しい試みをしているわ。杖から抜くことでスイッチが入る仕掛けで、蒸気エネルギーによる発熱と微細に振動する刃によって鋼鉄製の板をも易々と切断できるだけのカタログスペックを――」
「あの、マグヌス女史」
 饒舌を遮ったのはグラント警部である。「機巧の説明はもう充分ですので、あの晩スキットルズ・インで何があったのかをお聞かせ下さいますと、その……助かるのですがね」
「あら、残念。最新の機巧術に興味が無いだなんて。でもまあ、警部さんが仕事熱心なのは良いことなのでしょうね」
 肩をすくめて言うコレット女史だ。「さて。事件後に新聞で報道されたように、イーストエンドに宿を取ったわたしには、貧民街における機巧の普及率調査という面倒な仕事があったわ。名目とはいえ仕事は仕事なわけで、だいたい宿――スキットルズ・インに帰る頃は日が暮れていたのよ」
 イーストエンドでのコレット女史は、街に溶け込むために娼婦を真似て、華美ながらも安価だという粗悪なドレスを用意し、胸元を強調した煽情的な出で立ちで往来を歩いて回っていたそうだ。悪漢の一人や二人に襲われても不思議ではない振る舞いに思えるが、実際のところは、貧民街に宿を取った初日のうちに絡んで来た酔っ払いを一人のしたらしく、酷く悪目立ちしてしまったもののこれが功を奏して以降は面倒事と無縁なまま事件当日を迎えたとのことだった。
「思っていたよりも治安が良かったものだから、イーストエンドの雰囲気にもすぐに慣れて、部屋ではリラックス出来るようになっていたわ。だからあの日は、外出から帰って機関ランプを灯すこともなく暖炉の火を入れた後、着替えはもちろん写真機ケースも身に付けたままベッドで横になっていたのだけれど、ふと扉の開く音がして……入口に男が立っていることに気付いたのは、その時ね」
「うん? すると、施錠していなかったのですかね?」
「普段は寄宿舎の工房に入り浸っているから、扉に鍵をする癖がついていないのよ」
 不用心だとでも言いたげなグラント警部に、やや言い訳じみた口調で応じるコレット女史は少しだけ子供のように見えた。して、そうした千早の視線に気付いたらしい女史は、控えめに咳払いをすると「それで……」と続けた。
 コレット女史は「いきなりだったわ」と表現したが、男は、仕込み杖を取る間はもちろん誰何する間すらもなく手にしたナイフで斬りかかって来たらしい。これに対して女史は、手近に置いてあったトランク鞄で応戦しつつ逃げようとしたそうなのだが、入口を塞ぐようにして立つ男に閉口した末、窓から出ることに決めたという。二階の部屋だったが、鞄の上に落ちれば大丈夫だろうと思い躊躇はしなかったそうだ。男に背を向けた際、右の肩口に痛みを覚えたもののなんとか飛び降りた女史は、足の激痛に耐えつつ窓を振り返って――この時、初めて男と眼が合ったらしい。
「殺されそうになったのは初めてのことだったから、すごく怖かったわ。けれど悪漢は、飛び降りてまで追ってくる様子は無くて……だから、この時に写真を撮ったの」
「写真、を……撮った?」
 なんと逞しいことだろう。グラント警部などは目をパチクリさせている。
「ええ。わたしを殺そうとしたとなると、敵国のスパイとか暗殺者とかも考えられるでしょう? だから犯人逮捕の参考と言うか証拠にでもなればと思って、ね。身の安全を確保した後にでも、ロンドン警視庁宛てに郵送しようと考えていたのだけれど」
 呆れるやら関心するやら、である。もちろん褒められたことではないだろうが。
「今、当該の写真を見せていただくことは出来ますかね?」
 どうぞ、と写真機ケースから出てきたのは、ネガの硝子乾板である。現像や定着はともかく焼き写しをする環境が無かったということだろうか。
 受け取った写真乾板を光にかざして、グラント警部が目を細めた。
「少し分かり難いが、なるほどたしかにこれはスキットルズ・インだな。窓辺の男も、シャルダンに見えなくもない。ルーペさえあれば……」
「あら、それならこれをどうぞお使いなさいな。ストロボ――スピード・ライトを焚いたから、ハッキリと写っているはずよ」
 腰のシャトレーンをじゃらりとさせて、そこからルーペを取って差し出すコレット女史である。
 して、グラント警部が注意深く硝子乾板を確認したところ、写真の男は、やはりジョルジ・アンリ・シャルダンであったらしい。ルーペを返却しつつ小さく嘆息した警部は、直後、瞑目しては深いため息をつくと、愚痴でも零すように小さく呟いた。
「これでシャルダンの容疑が確定したと言えるわけだが……」
 言葉とは裏腹に苦々しい表情のグラント警部であるが、それもむべなるかな。犯行の裏付けが取れたところでシャルダンが既に死亡しているとなれば、警部としては徒労にも思えることだろう。
 ふと、コレット女史が伸びをした。
「さて、犯人死亡で捜査は終了かしら? あるいは、この先の出来事も話すべき? あ、事故の話は後にしてね。長旅で疲れているしシャワーを浴びたいの」
 そう言いながら女史は、既にネックレスを外すなどし始めていて、今にもドレスを脱ごうとしているともなれば、さしものグラント警部とて取り付く島もない様子だ。
 かくして、続きはアフタヌーンティーの場で、となった。

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