明敏犀利の蒸気歯車機関(めいびんさいりのスチーム・ギア)Ⅱ シャーウッド・ローズと萌木のロビンフッド

野村だんだら

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3その6

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「これは……見事ですね」
 水晶宮と呼称されることもあるガラスと鉄骨で出来た建築は、元来から大変美しいものであるのは、間違いのない事実だろう。そして、植物温室こそが最も美しい建築物であるのかもしれない。
 植物になどまるで造詣のない千早だが、そう思わせるだけの気品というものが、オーキッド商会の温室には備わっている気がした。
 白で塗られた細い鉄骨に、空の青を透かして見せているガラスには植物の青までをも映して、この青の重なりがまるで嫌味でなく美しい。植わっている植物の姿形が美しいからかあるいは咲いている花が美しいからかは定かではないが、空の青を透かしつつもこれらを薄っすらと映しているガラスまでもが美しくあるのだ。
 言うなれば、世界各地の自然物と世界最先端の人工物との調和である。
 加えて、鉄骨に沿って張り巡らされた蒸気送配管の金色が、本来であれば無味乾燥な無機物であるはずのガラスと鉄骨の建築に華を添えているのも、植物の美しさに負けず劣らずの存在感を、水晶宮にもたらす一助となっているようにも思えた。
 圧巻のひと言である。これ以上の言葉が出て来ない。
 千早の様子を見たアーサー氏が、得意げな様子で口を開いた。
「植物温室を見学するのは、これが初めてですかな?」
「ええ、初めてです。日本には、このような温室はまだ無かったので……」
 なにせ日本の庭は、野山の景色を借りる借景の文化が主だ。盆栽にしても、小さきものをいかに大きく見せるかという発想から植物を育てて、雄大な自然を表現しようとしているに過ぎない。故に、このような、人工物と植物とを調和させる発想と文化は、これまでの日本には無いものなのだ。
 故郷の幼馴染の、千颯にも見せてあげたい、と。そう思わずにはいられない。
「これは、写真機があれば良かったですね。もしあったなら、手紙に添えて故郷へこの景色を送ったものですが……」
「チ、チハヤ少年まで……まったく、物見遊山ではないのですぞ」
 グラント警部が呆れた顔をしている。
「分かってはいますが、しかし、僕はこの国に官費で留学している立場ですので、学べる物は、機会さえあれば学ばないわけにもいかないのですよ。まして、最先端の建築と蒸気機巧術の融合となれば、これはしばらく滞在してでも学ぶ価値のあるものです」
「なるほど、事情は分からんでもないが……しかし、ここへ来た目的を――警護を疎かにはしないでもらいたいものですな」
「……肝に銘じておきます」
 ここへ来れたのは、グラント警部のおかげでもあるのだ。優先すべきはアーサー氏の警護だろう。腰の打刀に触れ、いつでも抜けることを確認する。
「あら、警部さんの言葉なんて気にせず遠慮なく見ていいのよ? マサズミ・チハヤはわたしの弟子なのだから」
 コレット女史はそう言うが、その言葉に甘えるわけにもいかないだろう。仮にもし流れ矢が、彼女に当たるような事があっては、留学の話そのものに影響を与えかねない。
「いえ、警護を優先します。そう言っていただけるのはありがたいですが……僕は、あなたの身の安全も守らなければならないので」
「あら、そう? 残念な気もするけれど、わたしの騎士みたいで、そう言われるのもなんだか悪くないわね」
 何故だか少し嬉しそうだ。「じゃあ、代わりに写真を撮っておいてあげるわね」
 鞄から写真機を取り出すコレット女史は、まさに渡りに船である。彼女の趣味が写真であることをすっかり失念していた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。これ、シンクレア社のウナ・カメラなのよ。サンダーソンも持ってるけど、今日はこれなの。いいでしょう?」
 ニコニコして、いかにも上機嫌な様子だ。あるいは、彼女は写真機その物が好きなのかもしれない。
「美しい写真機ですね」
「ええ、次はトロピカル仕様が欲しいわね」
 そう言いながら腰に構えた写真機のシャッターを切るコレット女史は手慣れた様子だ。あるいは、千早が撮るよりも上手く写せていることだろう。つくづく写真機を持っていなくて良かったと思う。
 コレット女史の視線を見たところでは、どうやら温室の概観を写しているようだった。すると、やはり少しくらいは細部に眼をやっておいた方が後学のためにはなるのやもしれない。思えばここは、植物が多く植わっているおかげで遮蔽物には事欠かないのだし、弓矢で襲撃するには不向きな場所には違いないのだ。
 さて、どうするべきか。迷っていると、ふと後ろから声がかかった。マギエラである。
「ねぇ、チハヤ。犯人――萌木のロビンフッドは、どうやって弓と矢を持ち運んでいると思う?」
 どう、って……さっぱり分からないと言うのが正直な所見だ。
「矢なら、例えば短いものをズボンの中に隠すとか出来そうだけれども、弓となるとさっぱり分からないね。エリーは、どう考えているんだい?」
「わたしは……そうね。杖の中に板バネを仕込んでおいて、使う時には抜いて弦を張る……というのが現実的かと思っているわ。とはいえ郷紳階級でない人間――ゆったりとしたズボンを穿いているだなんて貧民街に居そうな外見の男――が杖なんて持っていても目立つし不自然なだけだから、杖は、ステータスシンボルとしての物ではなくて、実用的な外見の物でしょうね。すると、歩く時は足を引きずるとか、演技をしていると思うのよ」
 なるほど、理には適っている気がする。
「すると、事件当夜に杖を持って足を引きずって歩いていた、ゆったりとしたズボンを穿いた小柄な男といった感じの、目撃証言を捜せば犯人に辿り着ける、ってことかな」
「とはいえ、イースト・エンドならともかく、高級住宅街のウェスト・エンドでそれは、目立つような気もするのよね……。それに、ロンドンからノッティンガムシャーまで一日で移動をしているとなるとこれは鉄道でしょう? 絶対に目立つわ。本当にそんな恰好をしていたのか……もう、まるで分からないわ」
 小さく首を捻っていて、どうやらマギエラは自身の考えが腑に落ちない様子だ。
 もしかして、と思った。
「エリー。グラント警部に教えなかったのは、それが理由なのかい?」
「だって、捜させて徒労に終わっても悪いでしょう?」
 恥ずかしそうにフンと鼻を鳴らして、マギエラはパイプを吸う。
 小言が飛んで来たのは、そんな時だった。
「ほう、徒労に終わったとしても、知らせて欲しかったものだな」
 どうにも盗み聞きをしていたらしい。とはいえグラント警部は、小言をこぼしつつもマギエラの心遣いに感謝はしていたようである。インメルマン巡査に倫敦警視庁へ連絡するよう指示を出した後、彼は「助かる」とて、ひと言だけれども呟いていた。

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