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5その5
しおりを挟む昼に浮かび上がった謎は、謎のまま夜を迎え、外へと巡回に出ていたグラント警部が再び屋内に戻って来たのは、夕食が終わった頃であった。例に漏れず、彼の分だけ卵とハムとレタス、それと今回だけはキュウリからなるサンドウィッチが残されている。やや寒冷な気候をした英国でキュウリは贅沢品らしいため、好待遇と言えるだろう。
ピッケルハウベを脱いで、さすがに疲れた様子を見せたグラント警部は、夕食のサンドウィッチを一息に頬張ると、深くため息をついていた。
「いつ来るか――あるいは来ないかもしれない犯人を相手に、いったい我々は何をしているんだろうな……」
言葉にも疲労が滲み出ている。初めて口にしただろうキュウリについての感想はない。
「こちらも、アーサー氏が温室を見に行くと言って聞かないので、困りましたよ」
午前中は事務仕事があったらしく大人しくしていたからまだよかったのだが、問題は午後からである。「温室を見て回りたい」のひと言から始まり、やがては「外の栽培園を見なければ」になっていった。
オーキッド商会の栽培園を任されている身の上として、アーサー氏にも仕事があるのは理解できるものの、命を狙われているにも拘らず外を歩きたがるのは、命知らずとしか思えなかった。彼自身、昨日は「南米や東南アジアに出掛けると、その地域の原住民に襲われる」ため、命を狙われることに慣れ過ぎて「危機意識が足りない」と話していたが、襲われた翌日から外に出たがる程とは、流石の千早も思わなかったのである。
「ほう。それで、どうしたのだ?」
「どうするもなにも、付かず離れずで警護しましたよ」
昨日は案内するだけだった温室や園内を、今日は植物の手入れをしつつ回ったのである。葉を切ったり花ガラを摘んだり、葉の様子を見たり水をやったり等々、こちらの警護などお構い無しに動き回るものだから、どっと疲れたというのが正直なところである。次にどう動くか分かっていればまだ対処のしようも有ろうというものだが、生憎と植物栽培にはまるで造詣の無い千早であったため、基本は後手に回らざるを得なかった。故に、精魂も果てた今は、寝てしまいたいのだが……まあ、そうもいかないだろう。
「今夜の警護も、交代で良いですか?」
「うむ、そうしてくれると助かる」
すると休んでいる時間はあまり無さそうだ。
――して、実際のところその日の夜に休息の時間はほぼ無かった。というのも、萌木のロビンフッドによる襲撃事件に大きな動きがあったのである。時計を持っていなかったため正確な時間こそ分からなかったが、深夜には違いなく、グラント警部と交代で二度ほど仮眠を取った後の事であった。故に、三時くらいのことと思われる。
外で待機していた警官隊の自動車に接近するハンサム・キャブがあったかと思えば、その直後には警察車両が栽培園の敷地内へと入って来たのである。
「……警部、何かあったようですよ」
「ぐ、ううむ……うむ」
少し寝ぼけているようにも見えるが、座ったまま壁に寄りかかりつつもピッケルハウベを被るグラント警部は、仕事に戻る用意をしているのは確かである。仮眠を終えて立ち上がった彼は、アーサー氏の無事を一瞥にて確認すると、千早を振り返った。
「少年、何があった?」
「警察車両が、敷地に入って来ました。今、こちらへ向かっているみたいです」
「……なに?」
訝しげに眉を寄せたグラント警部が、外を振り返って目を見張る。屋敷へと接近する機関ランプの灯りを眼に留めたようだ。庭の木立を照らして出来る影からは、自動車がゆっくりと動いていることが窺える。草花を傷付けないよう配慮しているあたり、緊急の要件ではなさそうだが……。
「出迎えますか?」
「うむ、確かに気になるところだな」
階下へと降りて車寄せにて待っていると、しばらくして警察車両が姿を現した。警護を担当していた巡査――たしかダグラス・ウォーカーと言ったか――が運転席から降りて来るなり、グラント警部の前に立つ。
「何があった?」
「只今、ロンドン警視庁より遣いの者が報せを持って参りました。ノッティンガムシャー州から電報にて『炭鉱関係者への襲撃に際して警護にあたっていた者が反撃、件のロビンフッドが銃弾を受けた模様。なお、現場の枝葉に多量の血ありこそすれ遺体は見つからず。現在は血痕を追跡中』とのことです」
「つまり、犯人は手負いか」
「はい、そのようであります」
「これは……明朝にも我々は解散だな」
ほぅ、と息を吐いたグラント警部が、胸ポケットから煙草を取り出して火をつける。
月明かりを受けて浮かび上がった紫煙が夜風にたなびくと、そのまま、木立のある闇の方角へと吹いて、深夜の冷えた空気へと溶けるようにして消えていった。
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