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5その4
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コヴェント・ガーデン駅からロイヤル・オペラ・ハウス前の広場を過ぎて、更に北。
混沌たる雑踏に満ちた市街を抜けて視界が開けると、その巨大な建造物は突如として眼前に現れる。
古代ギリシャの神殿建築を思わせる荘厳な門構えのエントランスをした「それ」は、実に威風堂々たる姿でそこに鎮座していた。もし、何の知識も無いままであったならば、隣でこれを指して「博物館だ」と言われたとて、俄かには信じなかっただろう。
とはえい、これこそがかの大英博物館なのだそうだ。ここでは、世界各地から収集したありとあらゆる文化人類の宝物を、開館以来無料で公開しているのだというから驚きだ。こうした待遇は、膨大な国力が故に為せる業に違いないのだとしても、一ペニーも取らない事実には、太っ腹が過ぎるような気がして、極東の小国の出としては眩暈すらも覚えてしまう。
自動車を降りてもなお開いた口がまるで塞がらない千早を尻目に、グラント警部が、敷地入口の門にもたれて途方に暮れた様子で呟いた。
「しかし、どう捜したものか……」
と言うのも、昨今の博物館は空前の「古代エジプト」ブームの真っ只中にあるらしかった。飛行機械や掘削機等の機巧を用いた近年の学術調査で、新発見がいくつもあったそうである。それ故、遙か古に滅びた王国の遺産をひと目見ようと、近隣はもとより遠方からも人々が訪れているようで、門の向こう側はなかなかの賑わいを見せているのだ。
一足先に敷地を跨いでいたマギエラが、振り向いてグラント警部を一瞥した。
「どうするもこうするも捜すしかないでしょう。それに、そう悲観するものでもないわ。待ち合わせ場所で今もミリアがシャルダンを待っているかもしれないのだもの」
「なるほどね。それで、こういった博物館では普通、何処で待ち合わせをするものなんだい? 恥ずかしながら、母国での経験が無くてね」
千早の問いにマギエラは開けようとした口を閉じて、それから澄ました顔でグラント警部に目配せをした。
「おい、なぜこっちを見る。わたしは知らんぞ」
「……でしょうね」
肩をすくめて言うマギエラだ。「まあ、正面入口の手前あたりか、あるいは入ってすぐの所だと思うわ。中は広過ぎて、それなりに精通している者同士でもなければ、落ち合うには向かないはずだもの」
するとつまり、二人が合流して館内見学を始めてしまっていたなら、ミリアを見つけるのは、限りなく不可能に近いと言えそうだ。
殆ど祈るような心地で正面のエントランスへと歩みを進めていると、ふと、遠方に佇む少女の纏っているドレスが、周囲の景色からすっかり浮いて見えることに気が付いた。ラピスラズリを思わせる青色と、植物画の刺繍が古めかしいシノワズリの生地はそのままに、流行のハーフ・クリノリンに合わせてシルエットを整えたそのドレスは、新世紀を迎えて間もない倫敦においては懐古趣味――仮に名付けるとするならネオ・ロココ様式――とでも呼ぶべき様相を呈していて、故に、中々の異彩を放っていたのである。
マギエラが、隣でホッと息をつくのが分かる。千早と同様、彼女も上等なシノワズリのドレスに気が付いたようだ。
「あの娘が、流行のドレスを持っていなくて良かったわね」
と。しかし安堵の言葉を口にしたのも束の間である。そのシノワズリの少女が、博物館の前でたむろしている群衆の中に待ち合わせの相手を見つけたらしく、スカートを弾ませて入口の方へと駆けだしてしまったのである。
「マズいな、あれは」
とは、グラント警部の言。「インメルマン巡査に任せておいた警官隊の手配がまだ終わっていない。今から捕らえるにしても……あそこで仕込み杖を抜かせるような事態になれば、少々厄介だぞ」
「だからと言って、博物館の中へ入れてしまってはミリアが危険だわ。二人きりになった途端に切り付けられない保証なんて無いんだもの」
「それなら、ミリア達の後をこっそり尾行できないのかい?」
千早の提言にマギエラは、かぶりを振って応じた。
「人の少ない場所を歩いてくれれば、まあ問題ないでしょうけど、エジプト展示のエリアに入ってしまうと難しくなると思うわ。彼等が、古代エジプト王の黄金のマスクを見ないとも思えないし……そうなれば、十中八九で見失うでしょうね」
「いっそのこと、隙を見計らって早いうちに撃ち殺しちまうかなぁ」
なんとも物騒なことをのたまう警官がいたものである。
「バカを言わないで。あなたの下手な鉄砲がミリアに当たったらどうするのよ」
「確証の無いままに容疑者を殺害することには反対しないんだね……」
倫敦市民の倫理観はどうなっているのだろう。
「だって、機巧を盗んだ時点で死刑だもの」
つまらなそうに言って、パイプを取り出すマギエラである。しかつめらしい顔でこれをひと口吸った彼女は、やがて真面目腐った顔で呟いた。
「策があるわ。チハヤ、殺すつもりでシャルダンを斬りなさい。名乗りの口上のひとつもあると良いわね」
……なんだって?
困惑した千早が何をか言う前に、グラント警部が慌てた様子で口を開いた。
「おい、流石にそれはマズいだろう」
「あら、何か勘違いしているようね、グレン。チハヤに銃を向けるのがあなたの役割なのよ」
「……なんだと?」
続けてマギエラはその意図を告げる。
混沌たる雑踏に満ちた市街を抜けて視界が開けると、その巨大な建造物は突如として眼前に現れる。
古代ギリシャの神殿建築を思わせる荘厳な門構えのエントランスをした「それ」は、実に威風堂々たる姿でそこに鎮座していた。もし、何の知識も無いままであったならば、隣でこれを指して「博物館だ」と言われたとて、俄かには信じなかっただろう。
とはえい、これこそがかの大英博物館なのだそうだ。ここでは、世界各地から収集したありとあらゆる文化人類の宝物を、開館以来無料で公開しているのだというから驚きだ。こうした待遇は、膨大な国力が故に為せる業に違いないのだとしても、一ペニーも取らない事実には、太っ腹が過ぎるような気がして、極東の小国の出としては眩暈すらも覚えてしまう。
自動車を降りてもなお開いた口がまるで塞がらない千早を尻目に、グラント警部が、敷地入口の門にもたれて途方に暮れた様子で呟いた。
「しかし、どう捜したものか……」
と言うのも、昨今の博物館は空前の「古代エジプト」ブームの真っ只中にあるらしかった。飛行機械や掘削機等の機巧を用いた近年の学術調査で、新発見がいくつもあったそうである。それ故、遙か古に滅びた王国の遺産をひと目見ようと、近隣はもとより遠方からも人々が訪れているようで、門の向こう側はなかなかの賑わいを見せているのだ。
一足先に敷地を跨いでいたマギエラが、振り向いてグラント警部を一瞥した。
「どうするもこうするも捜すしかないでしょう。それに、そう悲観するものでもないわ。待ち合わせ場所で今もミリアがシャルダンを待っているかもしれないのだもの」
「なるほどね。それで、こういった博物館では普通、何処で待ち合わせをするものなんだい? 恥ずかしながら、母国での経験が無くてね」
千早の問いにマギエラは開けようとした口を閉じて、それから澄ました顔でグラント警部に目配せをした。
「おい、なぜこっちを見る。わたしは知らんぞ」
「……でしょうね」
肩をすくめて言うマギエラだ。「まあ、正面入口の手前あたりか、あるいは入ってすぐの所だと思うわ。中は広過ぎて、それなりに精通している者同士でもなければ、落ち合うには向かないはずだもの」
するとつまり、二人が合流して館内見学を始めてしまっていたなら、ミリアを見つけるのは、限りなく不可能に近いと言えそうだ。
殆ど祈るような心地で正面のエントランスへと歩みを進めていると、ふと、遠方に佇む少女の纏っているドレスが、周囲の景色からすっかり浮いて見えることに気が付いた。ラピスラズリを思わせる青色と、植物画の刺繍が古めかしいシノワズリの生地はそのままに、流行のハーフ・クリノリンに合わせてシルエットを整えたそのドレスは、新世紀を迎えて間もない倫敦においては懐古趣味――仮に名付けるとするならネオ・ロココ様式――とでも呼ぶべき様相を呈していて、故に、中々の異彩を放っていたのである。
マギエラが、隣でホッと息をつくのが分かる。千早と同様、彼女も上等なシノワズリのドレスに気が付いたようだ。
「あの娘が、流行のドレスを持っていなくて良かったわね」
と。しかし安堵の言葉を口にしたのも束の間である。そのシノワズリの少女が、博物館の前でたむろしている群衆の中に待ち合わせの相手を見つけたらしく、スカートを弾ませて入口の方へと駆けだしてしまったのである。
「マズいな、あれは」
とは、グラント警部の言。「インメルマン巡査に任せておいた警官隊の手配がまだ終わっていない。今から捕らえるにしても……あそこで仕込み杖を抜かせるような事態になれば、少々厄介だぞ」
「だからと言って、博物館の中へ入れてしまってはミリアが危険だわ。二人きりになった途端に切り付けられない保証なんて無いんだもの」
「それなら、ミリア達の後をこっそり尾行できないのかい?」
千早の提言にマギエラは、かぶりを振って応じた。
「人の少ない場所を歩いてくれれば、まあ問題ないでしょうけど、エジプト展示のエリアに入ってしまうと難しくなると思うわ。彼等が、古代エジプト王の黄金のマスクを見ないとも思えないし……そうなれば、十中八九で見失うでしょうね」
「いっそのこと、隙を見計らって早いうちに撃ち殺しちまうかなぁ」
なんとも物騒なことをのたまう警官がいたものである。
「バカを言わないで。あなたの下手な鉄砲がミリアに当たったらどうするのよ」
「確証の無いままに容疑者を殺害することには反対しないんだね……」
倫敦市民の倫理観はどうなっているのだろう。
「だって、機巧を盗んだ時点で死刑だもの」
つまらなそうに言って、パイプを取り出すマギエラである。しかつめらしい顔でこれをひと口吸った彼女は、やがて真面目腐った顔で呟いた。
「策があるわ。チハヤ、殺すつもりでシャルダンを斬りなさい。名乗りの口上のひとつもあると良いわね」
……なんだって?
困惑した千早が何をか言う前に、グラント警部が慌てた様子で口を開いた。
「おい、流石にそれはマズいだろう」
「あら、何か勘違いしているようね、グレン。チハヤに銃を向けるのがあなたの役割なのよ」
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