泉田高校放課後事件禄

野村だんだら

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 放課後、高篠先輩を迎えるとあって聡介は、物理講義室へ急いだ。泉は、新聞同好会に一度だけ顔を出してから来ると言っていたが急いでいる様子だったし、高篠先輩が来るよりも先に、物理講義室に来られるはずである。
 渡り廊下を通って物理講義室に着けば、結泉部長が先に来ていた。三年生の教室は四階で一年生のそれは二階、してここ物理講義室も二階である。距離は、聡介の教室からの方がずっと近いはずであるのに、この人は、だいたいいつも一番乗りで部室にいる。はて、ホームルームに出席していないのだろうか。あるいはよほど早くにホームルームが終わるのか。
「稲富君、今日も早いわね」
 教卓の所にノートパソコンを用意しながら言って、ニコリとする結泉部長。
「夏純を撮るんだって聞いたけど?」
 耳が早い、と一瞬驚いたが、思えばこの部長と高篠先輩のクラスは同じだった。
「新聞同好会の友人が、生徒会長を目玉に企画を通したいそうで、その手伝いです」
「そんなこと言って、それだけじゃないんでしょ?」
 言って、いたずらっぽく笑う。「夏純、喜んでたわよ」
 少々面映ゆく感じて、聡介は肩をすくめた。
「まあ、高篠先輩の悩みが少しでも解消されれば、と思っているのも事実ですよ」
「ありがとう、ね」
 優しい眼をしてふわりと微笑んだ。「夏純、人前だとあの性格だから、どうしても高嶺の花に見えちゃうのよね。絶対に損してたと思うし、可愛いあの子の写真をみんなに見てもらえることは、きっといい機会だと思うのよ」
 聡介は頷いた。
「そのためにも、どんな写真を撮るか考えないといけませんね」
 結泉部長は頷いて、しかし愁眉を集めた。
「問題は、新聞同好会の子がどんな写真を望むのか、だけど……どうなの?」
「井上さんなら、たぶん心配いらないですよ。『図書室の妖精』に喰い付いてましたし、本を読んでいる高篠先輩を撮れば、それだけで生徒会長に対する印象が変わりますよ」
 苦笑しつつ結泉部長は頷いて、しかし首を捻る。
「あの子、恋愛小説を読んでいることを隠したがっていたけど、大丈夫なの?」
「一応、許可は取っていますけど」
 直前になって「やっぱり恥ずかしいからダメ」なんて言いかねない気もする。聡介はため息をついた。
「まあ、いざとなったら説得するしかないです。そうでないと俺が撮りたい写真を撮れなくなりますし」
 ふと扉の開く音がして、振り返る。結泉部長の妹である結奈と、涼太郎、それと小学生もかくやといった小柄で童顔の、胸はそこそこあるからそれで辛うじて同年代だと判別できる女の子は、大橋園子おおはしそのこである。
「今朝の話の続きをするだろうと思って、園子も連れてきたぜ」
 得意そうに言うが、園子は美術部だ。断りもなく連れてきたのではあるまいな。
「園ちゃん、美術部の先輩には?」
 すると園子は苦笑して、
「一応、クラスに美術部の子がいるから伝言をお願いしてあるよ。だから、たぶん心配いらないかな」
「工藤君ってたまに強引よね」
 そう言った結奈は呆れたように笑っている。
 それからすぐに、泉が慌てた様子で部室に入ってくる。
「ごめん、ちょっと遅くなっちゃったかも!」
「大丈夫だよ、まだだから」
「あれ、園ちゃん? なんで?」
 言って、すぐに思い至ったらしく呆れた顔をする。「工藤君、園ちゃんが押しに弱いのを分かっていて、ちょっと強引に連れてきたでしょ?」
「ひ、人聞き悪いこと言うなよ」
 肩をすくめる涼太郎。「ほら、新聞同好会のためにも、一人でも多く、三組の人に話を聞けた方がいいだろう。そうだろう、聡介?」
 聡介が肩をすくめるだけに留めると、涼太郎は天を仰いだ。
「なんとか言ってくれ、親友」
 聡介はため息をつく。
「強引なのはよくないな」
「俺の味方は、園子だけだ」
 涼太郎はうなだれた。して、そこに松本がやってくる。
「お、ずいぶんと賑やかじゃないか。じゃ、さっそく」
「ちょっと、松本後輩。その口ぶりだと、普段が賑やかでない、って言ってるふうに聞こえるんだけど」
 結泉部長は不服そうに言っているが、まあ、事実である。晴れた日は、部員の大半が外に写真を撮りに行っているか各部活動の写真を撮って回っているし、雨の日は何人か休む。彼等曰く「外が撮りたい」らしい。撮れないのであれば休む、と。ここが賑やかな日などほとんどない。
「す、すんません」
「まあ、事実だけど、さ」
 頭を下げた松本に満足したのか、結泉部長は苦笑しつつ肩をすくめていた。彼女は、妹の彼氏である松本を、こう見えていたく気に入っている。
 結泉部長は室内の面々を見回して、
「とりあえず今日の活動は、一年三組の黒板について、ってことでいいの?」
 と。泉が遠慮がちに手を上げる。
「あの、生徒会長がみえてからでいいので、写真ページ多めの雑誌についてお話ししたいんですけど、かまいませんか?」
 結泉部長はにっこりと笑って頷いた。
「わたしはむしろその話がしたいから、歓迎するわよ」
 泉は、ほっと胸を撫で下ろしている。彼女は基本的に部外者であるから、結泉部長との接点がほとんど無く、話をしたことも数える程しかない。緊張しているらしい。
 ちなみに園子も部外者ではあるが、彼女は涼太郎に連れられて何度か写真部に顔を出しているため結泉部長とは顔見知りである。まあ、園子は存外に物怖じしない性格なので、初対面でも普通に話していたのだが。
「情報を確実に共有したいから、夏純に聞いたことをまず話そうかと思うんだけど、いいかしら?」
 夏純って誰だ、といった塩梅で涼太郎が首を捻っていたから、「生徒会長だよ」と園子に小突かれていた。
「黒板が消されているのは、一年三組。前方の黒板はホームルームの後に消されるから、不思議なのは後方の黒板が消されていること。消しているのはうちのクラスの春日亜紗奈。一年三組に妹の明乃ちゃんがいて、この子が先月の終り頃に痴漢にあって以来、亜紗奈は怯える妹さんのために、彼女の部活が終わるまで一年三組の教室で待ってる」
「疑問なんすけど、なんで一年三組? 待つなら三年生の教室でもよさそうに思うんすけど」
 松本の言葉に、結泉部長は少し首を捻って、
「いくら兄妹でも一年生だと、三年生の教室には入りにくいでしょ? 受験勉強で教室に残っている生徒もいるし」
 なるほどと頷いている松本。一呼吸ほどの間があって、結泉部長が続ける。
「亜紗奈はほぼ毎日一年三組で妹さんを待っているけど、黒板が消されるのは週に二回だけで、月曜日と水曜日の放課後。だから一年三組の生徒が消されている黒板を目にするのは火曜日と木曜日ということになるわね。ただし、明乃ちゃんだけは月曜日と水曜日に綺麗になった黒板を見ている、と」
 結奈と園子が頷いているのをちらと見て、満足したふうに笑顔を見せた。
「明乃ちゃんが亜紗奈に、どうして黒板を綺麗にしたのかを尋ねれば、『だって気になるし迷惑でしょ』と返ってきた。要するに、落書きがあると気が散って授業に集中できない、って言いたかったのかしらね。溺愛する妹さんのためなら、それくらいしてもおかしくは無いわね」
 姉に溺愛されている結奈は、恥ずかしそうに俯いては赤くなっている。「そんなのお姉ちゃんだけだよ」なんて小さな抗議の声が聞こえた。
「お昼に稲富君と夏純達がいくつか仮説を立てて検証したそうね。
 予習と復習を黒板に書いてしているのかも、って考えてみたそうだけど、これは違うわよね。ノートに書いた方が見返せるもの。受験生なんだし、そうでなくても黒板に書いて満足するなんてことは、しない方がいいし普通はしないわ。
 他にも、一年三組の教室で、一年生の勉強を見てあげていたんじゃないか、とも考えたらしいけど、これは有り得そうだけどやっぱり無いわ。たしかに亜紗奈は面倒見がいいから、教室に残って熱心に勉強をしている子がいれば、間違いなく声をかけたでしょうし教えるでしょうけど、板書をしながら教えるなら、教室前方の黒板を使うわ。後ろを使うには黒板の落書きを消さなきゃいけない云々以前に、机の向きが前を向いているんだから、前の黒板を使った方が教えられる方も板書が見やすいもの。
 面倒見のいい優しい亜紗奈が、わざわざ意地悪をして後ろの黒板を使うなんて意味が分かんないわ。だから、これを理由に後ろの黒板を消したなんてことはあり得ない。と、まあこんなところね」
 結泉部長の意見も含まれているものの、聡介が高篠先輩達と話したことが、なかなかにまとまっていたように思う。結泉部長の意見も、補説的というか、仮説を否定する論拠をより確実にしてくれているように思う。
「今の話で、わたしの認識が間違っている所とか、あるいは気になる所、ってあったかしら?」
 聡介はかぶりを振る。一年三組である結奈と園子を見れば、園子が口を開くところだった。
「気になるところ、と言うわけではないですけど、一年生に勉強を教えているという事実はあるみたいですよ。クラスの何人かが、明乃ちゃんのお姉さんに勉強を見てもらった、って話してました」
「亜紗奈、教えるの上手いから慕われてるでしょ?」
 園子は頷いて、
「明乃ちゃんのお姉さんを目当てに、最近は教室にしばらく残っていく子もいるくらいです。下心のありそうな男の子もいますけど」
 苦笑した園子を見て、結泉部長はさもありなん、と納得したふうに頷いた。
「亜紗奈、前髪で表情が隠れちゃってるから損してるけど、髪を上げれば可愛い顔立ちが分かるし、間近で勉強を教えてもらっていれば、優しくて賢くて綺麗なお姉さんに惚れる子がいてもそれは仕方がないんじゃないかしら」
「そうかもしれませんね」
 言いつつも、園子はやはりどこか呆れたふうな様子である。先輩が真剣に勉強を教えてくれているのに不純な動機でいる彼らを、園子は「仕方のない人たちだこと」だなんて思っているのかもしれない。
「あ、そうだ。勉強を見てもらってる子に訊けば、どうして消してるかも分かるんじゃないの?」
 そう言った結泉部長に、結奈がかぶりを振る。
「クラスの子達、新聞同好会が調べてる、って知って面白がってるのかなんなのか、皆して示し合わせたみたいに、詳しくは話してくれなくって」
「マッチーが、謎だなんだなんて言いながら号外にする、って息巻いて一度だけ取材に来たからだよね、あれは。謎を謎のままにしておきたい、って一体感というか雰囲気があったよね」
 呆れたふうに言いながらも、園子は微笑んでいて、彼女自身そんなクラスの在りようを面白がっていそうだ。
「本当に、皆仲が良いよね」
 悪いことではないのだろうが、結奈はため息をついていた。「検討に戻りましょ」
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