宣誓のその先へ

ねこかもめ

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第一章

【八話】追憶と傷心。(4)

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その日の夜。
俺はいつものように幼馴染の寝息を聞きながら、布団の中で天井を眺めていた。

「……」

疲れていて、瞼が重い。それなのに、あの男に関する思考が頭の中をぐるぐると回っている。
考えてもわからないのに——いや、正体の推測に役立つ根拠はいくつかあった。
だが、そこから導き出される結論は、現実と矛盾しているし、俺自身が認めたくないものだった。

「嫌な汗かいたな……」

部屋を、宵闇が包み込む。
月明りが厚い雲に隠されたからだ。
左腕の拘束を慎重に解き、布団を出た。もう一度風呂に入って洗い流すために。


 脱衣所と風呂場は真っ暗だった。時間が時間だし、当然なのだが……。

「うう、寒っ」

夜はなかなか冷える。汗をかいていることも起因しているだろう。
早く温かい湯を浴びたい。風呂場の戸を開くと、その中はさらにひんやりしていた。
誰かが最後に入ってから時間がたっている。

「はぁ……」

冷えた体にお湯をかけると、筋肉の緊張がほどけた……のだが……

——ガラガラと、脱衣所の扉が開く音。

——え、何で……?

——こんな時間に誰が……?

「ま、まさか……おば——」

——た……助けてくれ!アイシャさん‼

——いや落ち着け。この状態でアイシャに来られるとまずい。

——どうする……ああ、どうしようもない……っ‼

風呂の扉がゆっくりと開く。やがて物音の正体が見えて——

「……」
「……」

何が起きているのかわからず、見合ってしまった。そこに現れたのは……

「エ、エリナさん……」
「ご主人様⁈どうしてこのような時間に……」

タオルを巻いてくれていて助かる。それでも目のやりどころに困るが……。

「その……嫌な汗かいちゃって……」
「そうでしたか……。ではお邪魔します。」
「えっ」

え、この人……。

「お背中流しましょうか?」
「いえ、もう洗い終わってるので——」
「どうぞこちらへ」
「あの」
「遠慮なさらず」
「え」
「流させてくださいお願いします何でもしますご主人様ぁ」

すごい圧。

どうしたんだろうこの人……。

「……じゃあ……その……お願いします」
「よし!」
「⁈」
「……失礼。」


数分経つ頃には、この状況に慣れてきてしまっていた。

「そうですか……ご主人様と奥様は幼馴染の関係でいらっしゃるのですね」
「そうなんです。……ところで」

ずっと、気になっていたことがある。

「エリナさんって、リーフさんのことは何て呼んでましたっけ?」
「リーフさんのことは……リーフさんです」
「アイシャは?」
「奥様」
「お姉ちゃんは?」
「お姉ちゃん、もしくはお姉ちゃん先輩と」
「俺は?」
「ご主人様です」
「なぜ……」
「そうですよね……これには深い訳が……」


——その「訳」とやらの説明を受けた。

「要するに、お姉ちゃんのせいですね」
「まあ、そうですね。」

お姉ちゃんが自分を「お姉ちゃん」と呼ばせている理由。
それは、「年下がかわいくて仕方なく、その姉でありたい」という……彼女の癖だ。

「かつてお姉ちゃん先輩に大変お世話になりまして」
「それでその……うつってしまったと?」
「ええ。なので私も……」

その続きを聞かずとも、言いたいことはすべてわかった。
それと同時に、二人で風呂にいるこの状態が真に「やべぇ」ということも理解した。

——早く出た方がいいかも。

「それに」
「?」
「メイドの話が出た時、ご主人様がそわそわされていたと奥様よりお聞きしたので」
「あっ……」
「それも含めてご主人様、と呼ばせていただいております。」

……自業自得。

「なるほど……。」
「ご主人様。」
「はい……?え、何して……」

なぜか這いよってくる。ちょ、誰か助けて……!

「ご主人様」
「はいっ‼」

状況が状況で、思わず声が裏返ってしまった。本当に、「ヤバい」。

「私はご主人様のメイドですから……」
「はい」
「なんでもご命令くださいね……?」

——ゴクリ。そんな典型的な音でつばを飲み込む。

「なんでも……?」
「はい。なんでも。ですから……」

——ぐいっと顔を近づけてくる。

「……っ‼」
「もしも……」

——うわああああああああああああああああああああ

「何かお悩みでしたら、私が相談に乗りますよ」
「えぇ……」

急に冷静になる。
エリナさんは風呂場用の椅子に座り直し、つづけた。

「それもメイドの……あら?」

気が抜けたような俺を見て言う。

「ご主人様……もしや何か、期待されましたか?」
「いえ……。」
「ふふっ」

何ですかその笑みは。

——まったく恐ろしい人だ。

とはいえ、悩みごとがあるのは本当だ。
以前言っていた「メイドの勘」ってやつを勝手に実感した。
ここはひとつ、エリナさんに相談してみることに。

「今日あった事はお姉ちゃんから聞いてますか?」
「ええ。前に皆さんを尾行していた人物が接触してきた、とのことでしたね」
「そうなんです。」
「ご主人様も奥様も、かなりご活躍されたと聞き及んでいます。」
「それなんですけど、アイシャはともかく、本来なら、あいつの相手は俺一人じゃ務まらないくらいなんです。」
「その人物はそんなにも……?」
「はい。アイシャで互角が精いっぱいくらいでしたし……。」
「……しかし違った、と?」
「そうなんです。俺はどうしてか——」

自分の中で結論は出かけているが——

「——そいつの太刀筋を知っていたんです。」
「それは……」
「どういう風に攻めてきて、次にどうしてきて、どんな動きをするのか。」
「……それが全てご主人様には分かった、と……」
「……はい。おかげで一撃ももらうことなく、むしろ反撃できたんですけど、どうしても気になっちゃって。」

——それを認めたくない自分が居た。
ゆえに、誰にも言えていない。あの太刀筋は……

「そうですか……。何か思い当たることはあるのですか?」
「無くは……」
「……。」
「太刀筋を完全に理解するほどに対人戦をした相手は、二人しかいないんです。」
「お二人?」
「はい。一人は、俺とアイシャに剣を教えてくれた人。言わば師匠です。」
「しかしその方では……」
「そうなんです。その人だった場合、アイシャも太刀筋を知っていないとおかしいですよね。」

その考えには、考え始めてすぐにたどり着いた。
だからこそ、消去法で嫌な、望まぬ結論が導かれてしまった。

「もう一人は……」

拳に力が入る。言いたくなかった。認めたくなかった。

「師匠が亡くなった後、俺の対人戦に付き合ってくれたのは——」

拍動が激しくなるのが分かった。

「——俺の、祖父なんです。」
「おじい様、ですか……」

……ブルーダーさんが亡くなった後、俺の訓練に付き合ってくれたのは祖父だった。
競技剣術の経験があった祖父は、ブルーダーさんほどではないにしろ、激しい剣の修行をしてくれた。
墓参りに付き合わせてしまった、という自責の念があったのかもしれないと思っていた。

「……おじい様は、ご実家にいらっしゃるのですか?」
「……去年、実家から騎士校の寮に連絡がありました。……亡くなった、と。それも、信じられない理由の一つです。でも——」

……もう、これしか考えられないんだ。

——俺とアイシャに放たれた「強くなったな」という言葉。

——つまり、過去の俺とアイシャを知っている人物。

——それでいて、アイシャは知らず、俺だけが知っている太刀筋の持ち主。

——結論付けるに足る、数々の根拠。

「でも、これだけ辻褄が……っ⁈エ、エリナさん……?」

怒りか、悲しみか。感情が高ぶり始めていた俺を、エリナさんはそっと抱擁した。
さっきとは別の理由で心臓が激しく動く。そんな俺をよそに、エリナさんはそのまま続けた。

「申し訳ございません。」
「……。」

——迷っていた。

——認めたくない心と、認めざるを得ない状態。

——導かれた結論。間違っていてほしいと思う心。

——そんな自己矛盾を……

「ご主人様。」
「……」
「ご主人様が抱えていらっしゃる現実と心の矛盾は、私も痛いほど理解できます。」
「エリナさん……」
「私も、そうでしたから。ですが、ご主人様。」

——両手を俺の両肩に乗せて続けた。

「ご自身の心は?そう私に聞いてくださったのは、ご主人様ではないですか」

……っ‼

「俺の、心……。」

——結論

——現実

——願望

——ためらい

——それらを超えた先にある、俺の本心。

「俺は……向き合いたい……です」

昼間は、逃げてしまった。

「あのフード男と、もう一度話したい」

奴と話すことを、拒んでしまった。

「あいつが……じいちゃんだろうと、そうでなかろうと……っ‼」

直接確かめてやりたい。もし結論が正しいなら、目的を聞きたい。

そして何より——

「何より、俺はじいちゃんが死んだとき、傍にいなかったんです。だから……話をしたいです……。騎士ではなく、ただの孫として……。」
「それが、ご主人様の本心ですか」
「はい」
「……そのようですね。ずいぶんスッキリした表情をされています。」
「かなり気が晴れましたよ。その……ありがとうございます」
「いいえ。ご主人様の心のケアも、メイドの務めですから。」

——改めて、すごい人だと感じた。
お姉ちゃんの「気を付けてね」という言葉の意味を完全に理解したのも同時だったが……。
とにかく、ただの「ヤバい」人ではないのだ、と。

「ところで」
「……?」
「私の背中も流してほしいなぁ、なんて思って……」
「いいですよ」
「あ、いいんですか……?」
「ええ、まあ。」

悩みを聞いてくれた礼だ。背中を洗うくらいお安い御用です。

「ではお願いします。タオル外しますね」

椅子に座り、壁の方を向いて言った。

「……どうぞ」

一応反対を向いて、エリナさんから視線をそらした。

「別に見てもらっても構いませんよ」
「いや良くないです、こっちの問題で。」
「……残念。」

……。

タオルで石鹸を泡立てる。エリナさんの持ってきた石鹸からは、とてもいい匂いがした。

「じゃあ行きますよ」
「はい、お願いします」

泡のついたタオルをエリナさんの背中、左の肩甲骨辺りに当てる。
そのまま右、下、左とジグザグに進む。

……。

「ご、ご主人……様ぁ……っ」
「⁈」
「お上手……ですねっ」
「ちょ、変な声出さないでください‼」
「すみません。気持ちよかったものですから、つい」
「背中流してそうなります……?」

——前言を半分くらい撤回したい気分だ。

「ありがとうございました。至福の時間でした。」
「そ、そうですか……。喜んでもらえて、何よりです……。じゃあ俺はもう出ますね。」
「ええ。」

ろくに返事を聞かず、俺は早足で脱衣所の方へ。ノブに手をかけ、ドアを開——

「ごちそうさまでした」

エリナさんの声だったと思うが、ドアの開閉音で聞こえなかった。

「何か言いました?」
「いいえ。おやすみなさい。」
「……おやすみなさい。」

——不思議な人だな。そう感じながら、トイレを済ませて部屋へ戻った。


 トラウマは、心に負った傷だ。アイシャのトラウマであるあの出来事は、未だに彼女を苦しめ続けている。
実力で勝っているにもかかわらず、クモ型魔物と戦えないほどに。

俺は、その克服を要求しない——否、その傷を、どうやって癒してやるのがいいのか見当もつかなかった。
同じ「傷」でも、お姉ちゃんの能力で治すことは出来ない。無理やりクモ型魔物と戦わせて恐怖心を克服……なんてのは論外だ。
そんな事では、傷をえぐるだけにすぎない。

 俺の、祖父に関する出来事も心の傷なのかもしれない。
亡くなった時、俺は騎士校の寮から離れられなかった。魔特班試験の期間だったからだ。
家族からは「自分を優先しろ」と言われた。そうするしかなく、とても悔しかった。

その悔しさを必死に乗り越えた。

なのに、祖父は生きていて?
正体を隠して俺たちの前に現れて?
敵かもしれなくて?
妙な紙を託してきて?
しかも魔物について未知の情報を知っていて?

色々な事がひしめき合って、心に傷が出来かけた。
トラウマが一つ増えそうだった。

——エリナさんは、そんな俺を救ってくれた。傷が広がる前に、消毒してふさいでくれた。それは……

——あの日。

——あの馬車の中で、俺がアイシャにしてやれなかった事。


——俺には、いったい、何ができるのだろうか……。
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