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第2話 ファイアしようぜ

その名はギャス

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  ギャスはわたしの師だ。

  彼は同い歳の男の子で、隣の工業高校に通う金髪のいわゆる地元の不良くずれだったが、将来に渡るわたしの若きメンターとなった。

  工業高校に通う生徒には根が真面目な子が多い、とはよく言われることだが、ギャス(彼はなぜか周囲からこの愛称で呼ばれていた)もまたその例にもれず、素直で純真な心を胸に持つ男子だった。

  まあ、見かけは怖くて最初はわたしも近寄りがたいものを感じていたけど…



  ギャスは知識よりも実践、理屈よりも行動や感覚派の男で、はっきり言って引っ込み思案なわたしにとってはなじみにくいタイプの存在だった。

  彼と出会ったのはわたしがバイトを始めるよりも一年前の高2の夏、ハッカに連れられていっしょに行った化学実験コンテストの会場でだ。

  近隣の高校ごとに準備をしている最中のことだった。

「固体は昇華して気体になる。気体は凝縮して液体になる。液体が固体に変わるのが凝固だ。おまえ、そんなことも知らないのか?」

  彼はそう吐き捨てた。

  馬鹿にされたようで悔しかった。

  たぶん中学校にきちんと通っていれば知っているであろう理科の初歩的な知識なのだろう。

  しかも髪を金色に染めた、どこの馬の骨か分からないような奴に言われたのだ。

「状態変化だよ」

  ギャスは言った。

「いいか、インカ?見せてやるよ。いまアイス買ってくるからな。待ってろ」

  彼は出会って30分も経たないうちに、わたしのことを呼び捨てにした。

  そのうえ始まったばかりのコンテストをいきなり抜け出て、コンビニへと走っていった。

  今のわたしにはもうその知識もあるので、説明しておこう。

  固体・液体・気体のそれぞれの状態を「物質の三態」という。

  これらが物理的に変化して、固体から液体、液体から気体のように異なる他の状態へ移ることを「状態変化」というのだ。

  ちなみに、状態変化は物理変化であり化学変化ではない。

  間違えやすいので要注意。これも試験に出るかもしれないから、合わせて覚えておこう。

「おれが買ってきたばかりのこのアイス。見てみろよ。ほら、もう溶けてビショビショになってるだろ?」

  そう言って彼は溶け切ったソーダアイスの無惨な姿を見せてくれた。

「これがさっきおまえに言った具体例だ」

  わたしは呆れた。

  この男は少々アホではないのか?

  言ってみれば、わたしはいつもと違う経験をすることで心の状態変化を感じたくて、このコンテストへついてきたのかもしれない。

  きっとあなたも未知の状態変化を望んで「おつよん」の受験を考えていることだろう。

  なんであれ、このアイス野郎がもたらしたこれが味わいたかった変化ではない。それは確かだ。

  ハッカは苦笑いしていた。

  そして戻ってきて息を切らす彼にこう言った。

「わざわざ暑い中ありがとう。でも、あなたがインカに教えてくれた変化の中には、この『融解』は含まれていなかったはずのように思うけど」

  ギャスは一瞬あっけに取られてから、舌打ちした。

「ドライアイスみたいな女だな」



  彼女にはそういうところがよくある。

  場を急激に興ざめにさせて、相手の無邪気な好意が跡形もなく消え去るという意味で、妹への彼の皮肉なたとえは当たっていた。

  ドライアイスやナフタリンは固体から一気に気体へ昇華する。

  これも試験に頻出だから覚えておくといい。


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