天使飼い始めました。

冬見

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1話 天使はお腹が空いている 1

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バイト帰り。
自転車でいつもの帰路を走る。この時間になると、この辺は車もあまり通らない。静かな夜が涼しさを増幅させる。うぃんうぃんと、ライトの摩擦音だけが辺りに響いていた。
前方部についた籠には、今日の夕飯の食材が入っていた。夕飯には少し遅い時間だが、まかないのないバイト先で働いているのでしょうがない。
バイト先から家までの道のりは15分くらいだった。改装したばかりで見た目が小綺麗なアパートに到着し、自転車をとめる。
ふと角部屋である自分の部屋を見上げると、窓から明かりが漏れていた。おかしい。確かに俺の部屋は周りの建物の関係で日のあたりが悪く、朝も関係なく電気をつけている。だが一人暮らしを始めて一年半、出かける前に電気を消し忘れたことなどない。節約にはかなり気を使っているつもりだった。
変な胸騒ぎがする。
自然と足取りが速くなり、アパートの階段を駆け上る。二階の一番奥の部屋が俺の部屋だった。扉の前についてから、リュックのポッケをまさぐる。イヤホンやポケットティッシュが入ったそのポケットから鍵を取り出すのに、少し手間取る。
そして俺は焦る手つきで鍵を差し込み、扉を開けた。
玄関に踏み入った俺の目に飛び込んできたのは、荒らされた部屋と、冷蔵庫を漁る少女と、少女の口に咥えられたソーセージとーーーーーーー少女の背中に生えた純白の羽だった。
「て・・・天使だ・・・・」
思わずその単語が口からこぼれでた。
現実離れした銀色の髪に、頭に浮いた輪っか。眩しいくらいに白い羽は背中から少し浮いていた。
あまりにも天使に即した視覚情報に、俺の脳内は『天使』という文字で埋め尽くされてしまった。
少女は俺の存在に気付き、一瞬こちらの様子を伺ったが、口をもぐもぐさせながら何食わぬ顔ですぐに冷蔵庫漁りに戻った。
「い、いや待て待て!お前はなんだ!ここは俺の部屋だぞ!」
少女の暴挙に俺の止まっていた思考が動き出す。
靴を脱いで玄関に放り出し、未だに物色を続ける少女に駆け寄った。
近くで見ると、少女から感じる強烈な違和感に目が眩んだ。俺の部屋に、ただのワンルームの狭い部屋に、まさに天使としか形容しようのない神々しさをもった少女が座り込んでいる。
座り込んで今度はチーズを食べている。
ちらっと上目で俺の顔色を伺ってきたが、手と口は止まることはなかった。
俺はついに我に帰り、冷蔵庫に突っ込まれていた少女の両手をがっしり掴みあげた。
「!?」
少女は激しく動揺する。しかしパンパンに物が詰め込まれた口は動くのをやめない。
俺はこの場面で何を言うべきなのか正解がわからなかったが、なんとか言葉をひねり出そうと思考を巡らせた。
「・・・・人の物を食べるな!」
そもそもそう言う問題じゃない気がするが、まあ間違えてもいないだろう。
少女は焦った表情を浮かべながら、口を含んでいた物を一気に飲み込んだ。
そして、俺は彼女の第一声を聞くことになる。
「待ってください!いまお腹空いてるんです!」
俺は唖然とした。それはもう、口をあんぐりとあけて。
少女は俺の手を全力で振り払い、冷蔵庫から取り出した二分の一カットのキャベツを貪り始めた。
なんなんだ一体・・・・なんなんだ!!??
俺は立ち尽くした。
夢か?これは夢だなそうだそうに違いない。こんな訳のわからない状況、現実にあるわけがない。
俺は両手で自らの頬を叩いた。生きのいい音がなる。痛い。あれ?夢でも痛みって感じるんだっけ?感じないんだっけ?
いや、まてよ。この際そんなことはどうでもいいんだ。今日の晩ご飯は回鍋肉にするつもりだったんだ。そのつもりでさっき豚バラ肉を買ってきたんだ。キャベツとピーマンは冷蔵庫に入っているはずだった。
俺は視線を天使が手に持っているものへと移す。
「あぁ・・・・・・あぁああ・・・・・!キャベツはやめろぉ!」
俺は天使を後ろから羽交い締めにした。
「キャベツはダメだろ!今日のおかずなんだよ!回鍋肉にはキャベツが必須なんだよ!」
キャベツのない回鍋肉は回鍋肉にあらず。今天使によって、俺の回鍋肉が存在の危機を迎えていた。
天使は最初、唸りながら抵抗していたが俺の手から逃れることはできず、やがて脱力した。っていうか羽が顔に当たって・・・・・ふわふわしている。
口の中の食べ物を飲み込んだ天使は俺に抱えられた状態で呟いた。
「・・・・あなたは誰ですか?」
「いやこっちのセリフだ」
間髪入れず脊髄で返答してしまうほどブーメランなセリフだった。
しかし天使は続けた。
「違うんです。本当にわかんないんです。あなたは誰ですか?ここはどこですか?この羽はなんですか?この輪っかは?・・・・私は一体誰ですか?」
天使は怒涛の言葉を紡いだ。そこには冗談めいた心情など一切含まれておらず、心底困惑している様子だった。
「・・・・・」
言葉が出てこなかった俺はひとまず天使を解放した。天使は部屋の隅のベッドへと飛び乗って布団にくるまり、俺の顔を怯えた顔で見た。
「な、なんなんですか本当に・・・・私はただお腹が空いてただけなんです・・・・!勘弁してください・・・・!」
「いや、それは・・・・え?なんで俺怖がられてるんだ?」
何この状況?ホワッツ?俺は不審者に不法侵入され、さらに冷蔵庫の中を荒らされていたわけだが。
何が何やらわからないが、とにかく少女は怯えているようだった。
その怯えっぷりは、さっきまで堂々と人の冷蔵庫を必死に漁っていた人物とは思えないが。それほど尋常じゃなくお腹が空いていた、ということなのだろうか。
俺は考える。
この状況、俺には本当にわけがわからない。しかし、どうやらさっきの反応を見るに、当の天使本人にも何が何だかわからないらしい。
少しして俺は立ち上がった。
「まだお腹空いているか?」
布団にくるまったまま無言で俺を観察し続ける天使に聞く。天使は凄い勢いで首を縦にブンブン振った。どうやら空腹はまだおさまっていないらしい。
俺は天使が先ほどまでかぶりついていたキャベツを拾い上げ、キッチンへと持っていく。半分ほど食われているが、問題ない。
俺はとりあえず、お互いが落ち着くために回鍋肉を作ることにした。
「な、なにを作るんですか・・・・?」
天使はビクビクしながら聞いてくる。
「回鍋肉だ。肉とキャベツとピーマンの炒め物」
「ほいこーろー・・・・知ってます。絶対美味しいやつです・・・!」
少女のセリフに少し違和感を覚える。知ってはいる、しかし食べたことはない、といった口ぶりだ。
しかしこの状況に対してはほんの些細なことで、俺はすぐに違和感を受け流した。
「美味しいぞ。少し待ってな」
天使は布団にくるまりながら目を輝かせる。そんなに期待されると作りがいもあるというものだ。思えば人に料理を作るなんていつ以来だろうか。実家にいるときも毎日のように料理をしていたが、自分のためにしか料理をしたことがなかった。
俺は包丁を取り出し、野菜を切り始めた。

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