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しおりを挟むだが、変わったことももちろん、ある。
「起――」
「起き――勝」
「起きろ、尚勝」
曖昧だった声がはっきりと聞こえたところで、尚勝は勢いよくまぶたを開けた。
「甚之丞!」
思わず小さく叫んでいた。
――が、夜空を背景に自分を見下ろすのは清吉だ。気づかわしげな表情の彼は、こちらの言葉を受けて眉を悲しげにひそめる。
「すまぬ……」
「謝ることでもない」
尚勝のかすれた声の謝罪に、清吉は淡々と、だが温かみのある口調で応じた。
辛い出来事を経るたびに、胸のうちに黒い澱(おり)のようなものがたまっていくのがわかる――そのうちに、身のうちがその澱で満ち満ちるのでははいか、ふいにそんな寒気をおぼえる考えに襲われることがあるのだ。
「うなされていたのを起こしてくれたのだな?」
こちらの問いかけに、彼は小さくうなずく。
なにゆえに見誤ったのだ、と清吉はまなざしで問うた。
「――以前、似がようなことがあったのだ。そのとき、起こしてくれたのが」
「甚之丞だったか」
清吉が言いよどむこちらの言葉を継いだ。
ああ、と尚勝はつぶやく。
なんともいえない虚ろな思いが胸のうちに去来する。清吉が似たような思いでいるのは、彼の目の色からわかった。
どうして、甚之丞は尚勝を斬ろうとしたのか……、それは未だもって彼らには理解できていない。
憂鬱な思いが尚勝の自制心を弱める。
「なあ、清吉」
「ん?」
こんなこと明かしてもいいものか、かすかな躊躇いをおぼえながら怪訝なまなざしを向ける彼に対して口を開くのを止められない。
「源蔵のやつは、おれがくりを最愛しく思っていると揶揄(からか)う。だが、おれは本当にあやつを愛しておるのだろうか?」
暢気に大いびきをかいて燃え尽きた焚き火の側で眠る、脇の彼へと視線を移しながら尚勝は言葉をかさねた。
「……どういうことだ?」
「おれは、拷問にあってもどってきたさよの顔を目の当たりにしたとき、つい心のうちで“醜い”と思うてしまった。それを見抜いたさよは目の前から消えた。おれは、心の片隅でかすかにとはいえ、さよを醜悪を感じたことを今でも悔いている。その後ろめたさが、くりを大事にする事由ではないか、最愛しくなど思っていないのではないか、と考えてしまうのだ」
清吉にうながされ、尚勝は胸のうちに秘め誰にも語らずにいたことをあかした。
「――それはおまえの思い過ごしだ」
清吉があきれと憤りの入り混じったような口調でこたえる。
尚勝が彼に目を向けると、どこか悲しげな表情を目の当たりにすることになった。
「そもそも、奥に懸想しておらぬなら、おまえが祝言をあげるはずがないだろう。それこそ後ろめたさで、以前のお前は女なぞ近づけたくもなかったはずだ」
「そう――だな」
清吉のせりふで、心に巣食っていた不安が陽をあびた雪の塊のごとくゆっくりと溶けていくのを尚勝は感じた。
「おまえは昔から抱え込む“癖”がある」
「おまえだって、言葉が少ないだろう?」
怒ったように言う清吉に対し、尚勝はちょっとむっとなって応じる。
「おれはただ、物を考えていないだけだ」
ちょっと自慢するように告げる朋友に対し、
「それは誇るようなことではなかろう」
尚勝は思わず笑みをこぼした。
――が、ふたりの表情が瞬時に険しいものとなる。
「見られているな?」
「ああ」
尚勝と清吉は、顔をほとんど動かさず目だけで周囲のようすをさぐった。
だが、視線の感触はあまりにも薄弱だ。
「武士の物見ではない――」
「――おそらくは忍びだろう」
しかし、ひとつやふたつといった数ではない。
動物の群れが息を殺してこちらをうかがっているような気配を感じた。
どこにいるか掴みかねているうちに、
「消えた」
尚勝はその事実を口にする。そうだな、と清吉も応じた。
ふたりともしばし、なおも警戒をつづけて、
「ふぅ」
と同時に息を抜いた。
「風魔の奴輩だろうか?」
「かもしれぬな」
尚勝の言葉に、またも清吉はうなずく。
――直接対峙したことはないが、彼らには因縁があった。
真田昌幸の以前の主であった甲斐の武田勝頼・信勝父子が信濃らの軍勢をひきつれて駿河に侵攻し、黄瀬川(きせがわ)をはさんで浮ヶ島(うきがしま)に布陣した。この武田勢に対し、北条勢も陣を敷いた。
そして、この黄瀬川の対陣では、風魔一党が雨の降る夜だろうが、また強風の夜でも構わず、川の激流をものともせずに渡り奇襲をかけて武田の陣営になだれ込んだ。手当たり次第に将兵を生け捕りにしてはなぶり殺し、陣場の綱を切ってまわり、そこかしこに火を放ち、鬨の声をあげ、ほしいままに武器・食糧を略奪し、陣中を阿鼻叫喚のちまたに陥れて引き揚げた。
一夜明けてみると、大混乱のなかで同士討ちが起き、あるいは親子の出陣者のなかには親が子を、子が親を殺すという惨状だ起きていたことがあきらかになった。
そんな風魔一党の夜討ちは毎夜のようにつづいたのだ。ついには、武田勢は北条勢と一線もまじえることなく退却するという結末をむかえる。
この年、真田昌幸は甲斐新府城の普請奉行をつとめる、沼田城代海野兄弟を誅殺するなどで奔走していたため、その家臣である尚勝たちも駿河への出陣には参加していなかった
だが、どれだけおそろしいものだったかは生きて帰ってきた者たちから耳にしており、強い警戒心を抱いている。
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