15 / 80
15
しおりを挟む
二
“同胞(ふたり)”を引っ立てて主の喜兵衛のもとに届け、諸々の説明を終えたときには陽などとうに沈んでいた。
大気自体が黒ずんでしまったように暗いなか、尚勝たちは棟割長屋に帰ってきた。
「……」
気分が周囲の景色のごとく光を失っているせいで、各々の長屋の戸を開けて姿を消す朋友たちといとこは無言だ。
なにをどう言ったところで武士の世界に身を投じることとなったのは自分の責任だ――その思いが尚勝に口を開かせる。
が、四人が視界から消えるまで結局、言葉が見つからなかった。
尚勝は小さくかぶりをふり、自分の与えられた住処(すみか)の戸に手をかけて――身を硬くする。
気配……がするような気がした。
かすかな、蝋燭の火が揺れるようなかすかな“揺らぎ”にしか過ぎないが、尚勝の鋭敏な感覚なそれを察知したのだ。あるいは、同胞たちとの戦いが神経を過敏にさせてせいだろうか。
みぞおちのあたりに、寒気のような嫌な感触が生まれた。敵討(かたきう)ち、だろうか――?
つい一月前ほどに、自分はひとりの武士を討ち取った。
父と母の仇だ。
相手の最低の人間だった。
しかし、“人”であることに代わりはない。
勝手にこの世に現われることはありえず、父と母は必ずいる。二親のそのまま親も。兄弟姉妹もいたかもしれない。
そういった人間であれば、権之助が討たれたことを恨みに思っても不思議はなかった。
尚勝が仇討(あだう)ちを志したように――。
理不尽だとは思う。
渠の復讐は正当なものだった。どこからどう考えても。
だが、人間は理だけでは動かない。心を持っている。
猿牽の相棒だった市兵衛が家を訪れてきたというなら歓迎だが、そんな冗談みたいな事態ではないないだろう――市兵衛とは、武士になるにあたって山に逃がして別れていた。自分やまわりの物が同時に死んでしまったときに、餌をもらえずに住処で飢えて死ぬなどという悲惨なことにならぬようにという意図と、己はいつでも死ねるようにという覚悟をこめた行為だ。
朋友といとこに声をかけるか?
そんな考えが脳裡をよぎる――いや、すぐに自分で尚勝はその選択を否定した。
もし、相手が復讐者であったなら、渠らには“無関係”だ。巻き込むわけにはいかない。
――長い葛藤のすえに、尚勝は山刀を抜き放ち戸をそっと開け放った。全身が驟雨にみまわれたかのように汗で濡れている。
「あら、剣呑な顔つきで物騒な得物を手にしてどうしたの?」
屋内の人影が、闇のなかでかすかに瞳を光らせながらいたずらっぽく聞いた。相手は巫女の装をしている。
「おどかすな、さよ」
尚勝は深く息を吐いて、山刀を腰の鞘にもどした。
「勝手に驚いたのは尚勝のほうでしょう?」
さよ――つややかな黒髪を長くのばした、切れ長の目をした娘が、笑みを深くして言葉をかさねる。彼女の衣装が巫女の物なのは、その職が歩き巫女だからだ。歩き巫女というのは忍びの一種で、巫女頭領・望月千代女(もちづきちよじょ)の配下の者たちのことをさす。この他、尚勝の主である武藤喜兵衛が仕えるの武田家は複数の忍び集団を飼っている。
さよとの出会いは、城下で草鞋の緒が切れて難儀しているところに声をかけたことにあった。その後、さよを目的の屋敷まで背負って連れて行ったのだ。それ以来、一度、二度を会うようになり“こういう”仲になっている。
――尚勝は草鞋を脱ぎ、手桶で足を洗って床にあがった。
そして、彼女が勝手に敷いて横になっている藁布団と掻巻へ体をすべりこませる。
「大丈夫よ、あたしの調べた限り、誰かがあなたを追っている気配はない」
さよがまじめな顔になって尚勝にそっと抱きついた。
「ありがとう……」
そんな彼女に、彼はつぶやくように告げる。
さよは、女透波であることを生かして仇討ちのために動く者がいないか務めのかたわら、調べてくれているのだ。
だが、今の尚勝の胸を重苦しくしているのは仇討ちの可能性だけではない。
同胞を手にかけてしまった――その事実が、水気をたっぷりと含んだ泥のごとくまとわりついていた。
「だから――」
さよが、声色を変えてささやく。
「ああ」
尚勝が手にかけると、さよが自発的に動いて胸もとあたりまで衣装を脱いだ。まぶしいほどの白い肌と、手からこぼれるほどの豊かな胸乳があらわになる。
くちびるを吸い、彼女の柔らかな双丘に手をかけた――さよの温もりにふれていると、仇討ちに対する疑心暗鬼も、今日の同胞を手にかけてしまった件も脳裡から薄れていった。
“同胞(ふたり)”を引っ立てて主の喜兵衛のもとに届け、諸々の説明を終えたときには陽などとうに沈んでいた。
大気自体が黒ずんでしまったように暗いなか、尚勝たちは棟割長屋に帰ってきた。
「……」
気分が周囲の景色のごとく光を失っているせいで、各々の長屋の戸を開けて姿を消す朋友たちといとこは無言だ。
なにをどう言ったところで武士の世界に身を投じることとなったのは自分の責任だ――その思いが尚勝に口を開かせる。
が、四人が視界から消えるまで結局、言葉が見つからなかった。
尚勝は小さくかぶりをふり、自分の与えられた住処(すみか)の戸に手をかけて――身を硬くする。
気配……がするような気がした。
かすかな、蝋燭の火が揺れるようなかすかな“揺らぎ”にしか過ぎないが、尚勝の鋭敏な感覚なそれを察知したのだ。あるいは、同胞たちとの戦いが神経を過敏にさせてせいだろうか。
みぞおちのあたりに、寒気のような嫌な感触が生まれた。敵討(かたきう)ち、だろうか――?
つい一月前ほどに、自分はひとりの武士を討ち取った。
父と母の仇だ。
相手の最低の人間だった。
しかし、“人”であることに代わりはない。
勝手にこの世に現われることはありえず、父と母は必ずいる。二親のそのまま親も。兄弟姉妹もいたかもしれない。
そういった人間であれば、権之助が討たれたことを恨みに思っても不思議はなかった。
尚勝が仇討(あだう)ちを志したように――。
理不尽だとは思う。
渠の復讐は正当なものだった。どこからどう考えても。
だが、人間は理だけでは動かない。心を持っている。
猿牽の相棒だった市兵衛が家を訪れてきたというなら歓迎だが、そんな冗談みたいな事態ではないないだろう――市兵衛とは、武士になるにあたって山に逃がして別れていた。自分やまわりの物が同時に死んでしまったときに、餌をもらえずに住処で飢えて死ぬなどという悲惨なことにならぬようにという意図と、己はいつでも死ねるようにという覚悟をこめた行為だ。
朋友といとこに声をかけるか?
そんな考えが脳裡をよぎる――いや、すぐに自分で尚勝はその選択を否定した。
もし、相手が復讐者であったなら、渠らには“無関係”だ。巻き込むわけにはいかない。
――長い葛藤のすえに、尚勝は山刀を抜き放ち戸をそっと開け放った。全身が驟雨にみまわれたかのように汗で濡れている。
「あら、剣呑な顔つきで物騒な得物を手にしてどうしたの?」
屋内の人影が、闇のなかでかすかに瞳を光らせながらいたずらっぽく聞いた。相手は巫女の装をしている。
「おどかすな、さよ」
尚勝は深く息を吐いて、山刀を腰の鞘にもどした。
「勝手に驚いたのは尚勝のほうでしょう?」
さよ――つややかな黒髪を長くのばした、切れ長の目をした娘が、笑みを深くして言葉をかさねる。彼女の衣装が巫女の物なのは、その職が歩き巫女だからだ。歩き巫女というのは忍びの一種で、巫女頭領・望月千代女(もちづきちよじょ)の配下の者たちのことをさす。この他、尚勝の主である武藤喜兵衛が仕えるの武田家は複数の忍び集団を飼っている。
さよとの出会いは、城下で草鞋の緒が切れて難儀しているところに声をかけたことにあった。その後、さよを目的の屋敷まで背負って連れて行ったのだ。それ以来、一度、二度を会うようになり“こういう”仲になっている。
――尚勝は草鞋を脱ぎ、手桶で足を洗って床にあがった。
そして、彼女が勝手に敷いて横になっている藁布団と掻巻へ体をすべりこませる。
「大丈夫よ、あたしの調べた限り、誰かがあなたを追っている気配はない」
さよがまじめな顔になって尚勝にそっと抱きついた。
「ありがとう……」
そんな彼女に、彼はつぶやくように告げる。
さよは、女透波であることを生かして仇討ちのために動く者がいないか務めのかたわら、調べてくれているのだ。
だが、今の尚勝の胸を重苦しくしているのは仇討ちの可能性だけではない。
同胞を手にかけてしまった――その事実が、水気をたっぷりと含んだ泥のごとくまとわりついていた。
「だから――」
さよが、声色を変えてささやく。
「ああ」
尚勝が手にかけると、さよが自発的に動いて胸もとあたりまで衣装を脱いだ。まぶしいほどの白い肌と、手からこぼれるほどの豊かな胸乳があらわになる。
くちびるを吸い、彼女の柔らかな双丘に手をかけた――さよの温もりにふれていると、仇討ちに対する疑心暗鬼も、今日の同胞を手にかけてしまった件も脳裡から薄れていった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
無明の彼方
MIROKU
歴史・時代
人知を越えた魔性を討つ―― 慶安の変を経た江戸。女盗賊団が夜の中で出会ったのは、般若面で顔を隠した黒装束の男だった…… 隻眼隻腕の男、七郎は夜の闇に蠢く者たちと戦う。己が使命に死すために(※先に掲載した「柳生の剣士」の続編です)。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
高天神攻略の祝宴でしこたま飲まされた武田勝頼。翌朝、事の顛末を聞いた勝頼が採った行動とは?
俣彦
歴史・時代
高天神城攻略の祝宴が開かれた翌朝。武田勝頼が採った行動により、これまで疎遠となっていた武田四天王との関係が修復。一致団結し向かった先は長篠城。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる