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チャプタ―64

チャプタ―64

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 水中に没する瞬間とっさに息を止めたが、段々それも限界に達しつつある。いっそ、口を開けてしまおうか、そう思った瞬間――力強く、己の手首を掴む者があった。それも、左右同時に。
 転瞬、市右衛門は水中を逃れ、再び陽光の元に立っていた。喘ぐように息を吸う。
 つい、寸瞬前まで生きることすら諦めかけていたというのに。
「若、大事はありませぬか!?」「お気をつけ下さいませ」
 平兵衛と清次郎が左右から懸念顔でこちらを覗き込んできた。背後では、八九郎と右京亮が立ちはだかり、余の者がぶつかってこないよう遮っている。
 突如として涙が出る。剣戟を交わし、気づけば生じていた傷から血が流れ出すように、不意打ち気味に。
「若、かようなことで――」「かたじけない……」
 かようなことで泣くなと叱責しようとする家老の声を遮り、万感の思いを込めて市右衛門は告げた。
 何を莫迦なことを考えたのだ? こんなふうに己を心配してくれる者が近くにいるというのに、生きることを諦める? 息子に生きることを望んだ父の願いまでも踏みにじって? 魔が差したとしか言いようがない。だが、水面の下で考えたこともまた、市右衛門にとってまことの思いだ。人は一人では、まともに生きることすら叶わぬのだ。
 そのことを、市右衛門は失ってみて初めて気づかされた。
 だからこそ、沁みる――家臣たちの気づかいが。
 足を止めた市右衛門と家臣たちを、「邪魔だ!」と怒鳴りながら士卒たちが避けていく。
「我らも参ろう!」「承知」
 市右衛門の叫びに、家臣たちは一斉にうなずいた。
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