上 下
151 / 207
チャプタ―163

チャプタ―163

しおりを挟む
「若は、前世のことを覚えておられまするか?」
「――そんなこと、あるはずなかろう」
「そうでございますな」
 一見無関係な問いかけに対し、誤魔化されているような気分になって市右衛門は苛立ちを見せた。
「拙者も前世の記憶などございませぬ。そして、人の心とは歩んできた人生によって成り立つものでございます――なれば、前世や来世になんの意味がございましょう?」
「……それは」
 たしかにその通りだ――市右衛門は、すっと家臣の言葉が胸に染み込むのを感じる。
「人にとっては今生こそがすべてでございます。今、このときに、必死になにかを為すことにこそ意味がありまする」
「――」
 今度の市右衛門の無言は“否定”の意が薄れていた。
「もっとも、偉そうに語る拙者は一度死んだ身――魂魄のみの存在でござるが」
 自嘲の台詞を口にして、平兵衛は笑みを深くする。
「我らが向後どうなるか、右京亮と八九郎には拙者が話しましょう」
「――いや、それがしが告げる」
 平兵衛の提案を、市右衛門は首を強く左右に振った。
「左様、で」
 そんなこちらの反応に、平兵衛は頼もしげな眼差しを向ける。
しおりを挟む

処理中です...