忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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「祖父上は惚(ぼ)けがきているので、一日に何度も勝手に食事を摂ってしまうんですよ。実はわたしは三日前からなにも食べていません」
「そうなの、かい」
 小平次の言葉に、吟は気の毒そうな顔になって語気を弱めた。
 これ以上、この話題をつづけても気分は沈むばかりだ。
「みなの衆は壮健にしていますか?」「ああ、まあねえ」
 が、こちらの話にも吟の表情は曇ったままだった。
 小平次がたずねたのは手下の忍びたちのことだ。数もかぞえられない馬二は心配なため同じ長屋に住まわせているが、余の者は部屋の空の都合もあって両国、鉄炮洲などと住処(すみか)はばらばらだった。
 そもそも、家中の忍びである小平次や仲間たちがなぜ江戸の裏長屋に住まっているか、それは藩が改易にあったためだ。ために、食い扶持の見つかりづらい故郷を出て江戸で出て暮らしている。
 が、それまで忍びとして生きてきた者がそうそう次の仕事など見つけられるはずもなく、また生計を立てる手段を得ても「これでいいのか」と鬱屈とした思いは募る。軽業などはお手の物だが、正体を偽るためならともかく正式な生業としておこなうには抵抗があった。
 我らはなんのために生きているのか――仕えるべき相手を失った今、しきりにそんな思いが小平次の胸に去来していた。

 翌日の朝、小平次は開いたばかりの質屋へと足を運んだ。
 もちろん、目的は金子を用立てることだった。いい加減、手持ちが心もとなくなっている。が、
「一両二分になりますよ、お客さん」
 大刀を持ち込んで告げられた金高は元の値を考えるとあまりにも少なく、一瞬聞き間違えかと思った。町人の平均的なひと月の生活に入用な額には達しているが、逆にいえば思い入れのある品を質に入れて用立てた金子が三十日もすれば消えてしまうということになる。しかし、確認したところ聞き間違いではなかった。
「どうします、嫌なら嫌でうちは構いませんよ」
 狸に似た顔の質屋の主に面倒そうに対応され、小平次は他人との対話を苦痛に感じる、後世でいうところの対人恐怖症の症状をなんとかねじ伏せ、
「それは持ち帰ります」
 と小さな声で告げた。
 自分が元服を迎えたため祖父や父が金を出し合って購った、無銘とはいえ業物の一品を“どうでもいい”と評価されこれ以上になく小平次はみじめな気持になっている。
 まるで、自分の存在が否定されたようだ。いや、自身だけでなく、祖父や今は亡き父までも貶されたような心持ちがした。 
 それから昼下がり、小平次はついに日傭取りの仕事を受けていた。質屋で金を工面できなかったのだから、否が応でも働くしかない。
脇差すら腰にささず、町人のような身なりとなってむさ苦しい男たちに混じっていた。元武士であると周囲に悟られないことがせめてもの自分の矜持を守る術だ。
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