3 / 141
3
しおりを挟む
「祖父上は惚(ぼ)けがきているので、一日に何度も勝手に食事を摂ってしまうんですよ。実はわたしは三日前からなにも食べていません」
「そうなの、かい」
小平次の言葉に、吟は気の毒そうな顔になって語気を弱めた。
これ以上、この話題をつづけても気分は沈むばかりだ。
「みなの衆は壮健にしていますか?」「ああ、まあねえ」
が、こちらの話にも吟の表情は曇ったままだった。
小平次がたずねたのは手下の忍びたちのことだ。数もかぞえられない馬二は心配なため同じ長屋に住まわせているが、余の者は部屋の空の都合もあって両国、鉄炮洲などと住処(すみか)はばらばらだった。
そもそも、家中の忍びである小平次や仲間たちがなぜ江戸の裏長屋に住まっているか、それは藩が改易にあったためだ。ために、食い扶持の見つかりづらい故郷を出て江戸で出て暮らしている。
が、それまで忍びとして生きてきた者がそうそう次の仕事など見つけられるはずもなく、また生計を立てる手段を得ても「これでいいのか」と鬱屈とした思いは募る。軽業などはお手の物だが、正体を偽るためならともかく正式な生業としておこなうには抵抗があった。
我らはなんのために生きているのか――仕えるべき相手を失った今、しきりにそんな思いが小平次の胸に去来していた。
翌日の朝、小平次は開いたばかりの質屋へと足を運んだ。
もちろん、目的は金子を用立てることだった。いい加減、手持ちが心もとなくなっている。が、
「一両二分になりますよ、お客さん」
大刀を持ち込んで告げられた金高は元の値を考えるとあまりにも少なく、一瞬聞き間違えかと思った。町人の平均的なひと月の生活に入用な額には達しているが、逆にいえば思い入れのある品を質に入れて用立てた金子が三十日もすれば消えてしまうということになる。しかし、確認したところ聞き間違いではなかった。
「どうします、嫌なら嫌でうちは構いませんよ」
狸に似た顔の質屋の主に面倒そうに対応され、小平次は他人との対話を苦痛に感じる、後世でいうところの対人恐怖症の症状をなんとかねじ伏せ、
「それは持ち帰ります」
と小さな声で告げた。
自分が元服を迎えたため祖父や父が金を出し合って購った、無銘とはいえ業物の一品を“どうでもいい”と評価されこれ以上になく小平次はみじめな気持になっている。
まるで、自分の存在が否定されたようだ。いや、自身だけでなく、祖父や今は亡き父までも貶されたような心持ちがした。
それから昼下がり、小平次はついに日傭取りの仕事を受けていた。質屋で金を工面できなかったのだから、否が応でも働くしかない。
脇差すら腰にささず、町人のような身なりとなってむさ苦しい男たちに混じっていた。元武士であると周囲に悟られないことがせめてもの自分の矜持を守る術だ。
「そうなの、かい」
小平次の言葉に、吟は気の毒そうな顔になって語気を弱めた。
これ以上、この話題をつづけても気分は沈むばかりだ。
「みなの衆は壮健にしていますか?」「ああ、まあねえ」
が、こちらの話にも吟の表情は曇ったままだった。
小平次がたずねたのは手下の忍びたちのことだ。数もかぞえられない馬二は心配なため同じ長屋に住まわせているが、余の者は部屋の空の都合もあって両国、鉄炮洲などと住処(すみか)はばらばらだった。
そもそも、家中の忍びである小平次や仲間たちがなぜ江戸の裏長屋に住まっているか、それは藩が改易にあったためだ。ために、食い扶持の見つかりづらい故郷を出て江戸で出て暮らしている。
が、それまで忍びとして生きてきた者がそうそう次の仕事など見つけられるはずもなく、また生計を立てる手段を得ても「これでいいのか」と鬱屈とした思いは募る。軽業などはお手の物だが、正体を偽るためならともかく正式な生業としておこなうには抵抗があった。
我らはなんのために生きているのか――仕えるべき相手を失った今、しきりにそんな思いが小平次の胸に去来していた。
翌日の朝、小平次は開いたばかりの質屋へと足を運んだ。
もちろん、目的は金子を用立てることだった。いい加減、手持ちが心もとなくなっている。が、
「一両二分になりますよ、お客さん」
大刀を持ち込んで告げられた金高は元の値を考えるとあまりにも少なく、一瞬聞き間違えかと思った。町人の平均的なひと月の生活に入用な額には達しているが、逆にいえば思い入れのある品を質に入れて用立てた金子が三十日もすれば消えてしまうということになる。しかし、確認したところ聞き間違いではなかった。
「どうします、嫌なら嫌でうちは構いませんよ」
狸に似た顔の質屋の主に面倒そうに対応され、小平次は他人との対話を苦痛に感じる、後世でいうところの対人恐怖症の症状をなんとかねじ伏せ、
「それは持ち帰ります」
と小さな声で告げた。
自分が元服を迎えたため祖父や父が金を出し合って購った、無銘とはいえ業物の一品を“どうでもいい”と評価されこれ以上になく小平次はみじめな気持になっている。
まるで、自分の存在が否定されたようだ。いや、自身だけでなく、祖父や今は亡き父までも貶されたような心持ちがした。
それから昼下がり、小平次はついに日傭取りの仕事を受けていた。質屋で金を工面できなかったのだから、否が応でも働くしかない。
脇差すら腰にささず、町人のような身なりとなってむさ苦しい男たちに混じっていた。元武士であると周囲に悟られないことがせめてもの自分の矜持を守る術だ。
0
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』
月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。
失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。
その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。
裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。
市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。
癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』
――新感覚時代ミステリー開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる