忍び働き口入れ(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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「おとなしく詫びをいれておけば、命を失わずに済んだものを」
 大上段に大刀をとっているのは浪人態の男だった。悪相の、いかにもといった風貌の者だ。
「待たれよ、いかなる仔細があるかは存ぜぬが、刀を抜くなど剣呑に過ぎましょうぞ」
「やかましい、町人風情が武家のごとき口の利き方をするな」
 提灯の灯りの範囲内に踏み込んだ小平次の制止に、浪人は殺気立った目をこちらに向けた。手にした大刀の刃は刃文が身幅の二分の一以上に達した、見てくれこそいいが、
折れやすく実戦に適さない代物だ。また、柄握りも肌が白くなるほど堅く、業前の低さを露呈している。
 相手の言葉に小平次は胸に疼痛をおぼえる。日傭取りの仕事を引き受けるに当たって町人を思わせる身なりをとっていたのだ。矜持を捨てておいてなにをたわけたことを、浪人のせりふはそんな意味にも聞こえた。
「邪魔立てするなら、うぬから斬り捨ててくれよう」
 こちらの次の出方など待たず、浪人は小平次に向かって踏み出す。肌の色合いからして酒精がまわっているようだ。
 いたしかたない――小平次は決意を固める。
「杖なぞ構えて、なんとする」
 嘲りのひびきを帯びた叫びとともに浪人が一閃を送ってきた。首を狙った横薙ぎの一撃だ。
 早(はや)――小平次はななめ前に出ながら、仕込み杖の刃を抜き放っている。
 次の瞬間、浪人が悲鳴をもらしその場に崩れ落ちた。刀を落とし、血を流す左手を右手で押さえている。
 それを目の当たりにしたとたん、小平次の胸に後悔がわいた。
 仕込み杖で峰打ちなどすれば刃が折れる、その認識からとっさに小指、薬指を狙ったのだが、
 ようよう考えてみればこれ以上に残酷な仕打ちもない――。
 のだ。二本のその指は剣士にとっては生命線だ。これらを失えば爾後、まともに剣をにぎることは叶わない。つまり小平次は相手の剣客としての命を絶ったのだ。
「指が、指がぁ」その意味を理解している浪人が悲痛な声と嗚咽をもらす。もはや、そこに戦意はみじんも見受けられない。
 彼の脇を警戒しながら通り過ぎ、大店の主を思わせる男が小平次に寄ってくる。
「危ないところをありがとうございました」「いえ」
 人として当然のこと、という言葉で応じようとしたが、おのれの所業の重さのせいでそれ以上せりふをつづけられない。
 それに相手は怪訝な表情を見せたが、
「いかがでございましょう。お礼をいたしたいと思うのですが」
 と申し出た。
 小平次はすぐにはうなずきかねたが、「されば、ありがたく」と承諾する。歓待を受けたいというより、なおも悲痛な姿を見せる浪人から遠ざかりたいという思いから出た行動だった。
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