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チャプタ―6

お犬様6

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 両親に反抗した日のこと、昼休みの会話だった。
「幼い命のために、もし大事が人が死んだからどう思うか」
 遊と弁当を裕樹の席で一緒に摂っているなかでつい収まりきらない胸の思いがこぼれ落ち、仔狛犬と祖父の死の件を抽象的にしてたずねてみたのだ。
 ふざけるか、とも思ったが遊は思いのほか真剣に抽象化のせいでわかりにくくなった質問について考えているようすを見せる。そして、
「それはあれだろ。たとえるなら、大事な人が溺れた子どもを助けた代償に死んだ、とかそんな感じの話だろ」
 そう、いう話になるのか――裕樹は自分では思いつきもしなかったであろう考えに衝撃を受けた。
「だったら、恨むのちょっと可哀想だろ」
 遊がさらに重ねた言葉に裕樹は完全に駄目押しを喰らう。
 俺は間違ったことをしているのか、理不尽な怒り方をしてるのか――親友の言葉にそんな思いを抱かずにはいられなかった。
 それから時間は過ぎ、生物の授業を裕樹が受けているときのことだった。
 老年で耳の遠くなった教師に、どれだけの音量であればスマートフォンの着信音が聞こえるかを試すクラスメートを横目に裕樹はうつらうつらと舟を漕いでいた。なにしろ、仔狛犬の相手足す蛟からの逃亡劇で疲れきっていた。
 そして、完全に意識が途切れたころ、教室が騒がしくなった気がして裕樹は薄目を開けた。瞬間、息が詰まる。クラスメートたちが、宙に持ち上がった筆箱や教科書を目の当たりにし目を丸くしていた。
 彼らの目には見えていないだろうが、裕樹の視界には仔狛犬が浮いている物体をくわええているのが映っている。
 なんであいつらがここに――裕樹は動揺といらだちが入り混じった思いを抱いた。
 しかも最悪な事態はつづく。
「物が勝手に浮いておる。た、祟りじゃ」
 生物の教師が廊下にまで聞こえそうな声で叫んだ。次の瞬間、その場に倒れる。
 物が浮いている以上に生徒たちはおどろき教室は静寂に支配される。空間から酸素が消えたしまったように息苦しかった。
「きゅ、救急車を呼べ」
 事態を理解しているだけに我に返るのは裕樹が一番早かった。何とか圧を撥ね退け静けさを打ち破る。
 幸い、生物教師は気を失っただけで済んだ。
 が、仔狛犬たちの暴走は留まらない。音楽室でピアノを鳴らしてみたり、狸の骨格標本の頭蓋骨をかぶって廊下を疾走したり、生徒たちにじゃれついて恐怖を与えたりと、学校中が大騒ぎになった。
 あーいーつーらー――なんとか一匹、二匹は首根っこをつかんだものの、それ以上は裕樹の手に余る。どうすりゃいいんだ、正直怒りながらも途方に暮れていた。暴徒を前にした少人数の警官のごとき気分だ。
「ここに来てた」
 学級崩壊が校舎全体に波及したような中、側らから聞き覚えのある声が聞こえた。
 肩越しにふり向くと、巫女服こそ着ていないものの自分に罵声を浴びせた少女がたたずんでいる。というか、この学校の制服をなぜか身にまとっている。
「どういうことだ」
「また、仔狛犬たちが逃げ出したのよ。で、呪力のあとを頼りに追いかけてきたら、ここにたどりついたの」
「呪力のあとを、っておまえそんなことができるのか」
 裕樹の問いかけに、少女、従姉妹の常盤は鼻で笑って返した。
「あなた、九字は遣える?」「それぐらいはな」
 皮肉もあり、力をこめて応じる。
「じゃあ、見てて」
 常盤が背負っていたデイパックをおろし、一節の竹を取り出すや「臨兵闘」と九字をとなえた。瞬間、裕樹が捕まえていたうちの一匹が竹に吸い込まれた。
「筒封じと呼ばれる呪法よ。九字をとなえれば、手の届く距離に仔狛犬がいれば捕らえられるようにしてあるから」
 これなら無能のあなたにもできるでしょ、とでもいいいたげな口調に腹が立ったがこの混乱を収める方法を裕樹はほかに知らない。おとなしく、
「わかった」
 とうなずいた。

 サッカーボールにじゃれて遊ぶ仔狛犬を、廊下を曲がったところで待ち受けて捕まえ素早く筒封じにかけた。

 図書室で本を破って遊ぶ仔狛犬を後ろから忍び足でせまって筒封じにかける。

 家庭科室から包丁をくわえて持ち出して疾走する仔狛犬が前方から向かってきたときは悲鳴をあげたくなった。なぜなら、こちらに気づいた仔狛犬、一〇がうれしそうに尻尾をふったからだ。
 あきらかにこちらに接近してきている。そして包丁の刃がふくらはぎを裂く。
 寸前でなんとか体を開いて避け、仔狛犬の首根っこをつかんで筒封じにかけた。
 なんで、俺がこんなことを――内心なげくが、新たな悲鳴が聞こえたため無視することもできず疲れた体に鞭打って駆け出した。
 近くの教室から小さな影が飛び出してくる。頭蓋骨をかぶった仔狛犬、一だ。
 すれ違った瞬間、尻尾がうれしげに左右に激しく動き出した。
 待て、と思って追いかけるものの、一は追いかけっことでも思っているのかかえってよろこぶ有様だ。
 廊下を端から端まで走らされる。混乱のせいで注意はされないが、本心では走るには止めたい。と、前方に常盤が突如現れた。一も対応できず捕まった。狸の頭蓋骨が落ちて軽い音を立てた。
「そっちは何匹捕まえた?」「二〇匹だ」
「こっちは二十五匹よ」常盤は口の端をあげて告げる。
 家から逃げたという仔狛犬は五十匹というから、すでに半数は彼女は捕まえたことになる。
 どうでもいいだろ、どっちが何匹なんて――妙な対抗心を押し付けてくるのに鬱陶しさを感じ裕樹は内心顔をしかめた。
 と、ふいに常盤があっけに取られたような顔をして、さらにあわてたようすで、
「それじゃあ、つづきを再開するわよ」
 といってその場からはなれていった。彼女と入れ替わる形で、
「おい、ゆう。授業どころじゃないとはいえ、お前が授業中に歩きまわるなんて珍しいな」
 と遊が姿を現した。まあ、な、と裕樹はその後しばらく適当な言い訳を見繕ってなんとか遊をふり切ることに成功した。
 それから一時間ほど時間をかけ、すべての仔狛犬を捕獲することに成功する。
 だが、裕樹は益々、疎ましく感じられるようになった。それはそそうだ、ここまで迷惑をかけられれば当然のことだ、と彼は思う。
 それから帰宅し、風呂を出たところで縁側で涼んでいた常盤に捕まった。
「ちょっと話があるの。仔狛犬たちが何で学校に行ったかなんだけどね」
 彼女は眉間にしわを寄せて口を開く。
「悪戯がしたかったんだろ、俺に」
「それもあったかもしれないけどな、根本的な理由は淋しさなのよ」
 裕樹のせりふに常盤が首を左右にふって応じた。淋しさ、と裕樹は聞き返す。
「神社の家の人間は仔狛犬にとっては家族、それも親や兄に準じるみたいで、それでもっと一緒に過ごす時間が増えたら仲が深まるだろうって」
「それってまさか、あいつらが?」「そう、早いでしょ成長が」
 常盤の言葉に裕樹は眉をひそめた。彼女は幼い兄妹のことを誇るように告げた。
 淋しいか――裕樹にも孤独な経験はある。幼稚園でのことだった。妖怪が見えることをつい明かしてしまい、
「おまえ、気持ち悪い」「ウソつくなよ」「ダメだよ、ウソは」
 などと周囲の園児に責められ果ては、
「裕樹くん、そういうことはあまり言わないほうがいいなあ」
 と幼稚園教諭にまで信じてもらえない始末だった。これには、当時の裕樹は打ちのめされた。これもまた、物事にレッテルを貼るという彼の人格形成に大きく寄与したのかもしれない。
 だから、どうした――自分は迷惑をかけなかった、という思いを裕樹は抱く。一つ息をつき、
「それが迷惑をかけていい理由にはならない」
 と硬い声で言葉を発した。とたん、常盤はいらだちと落胆の入り混じった表情を浮かべた。そんな彼女のの横をすり抜け裕樹は自分の声へ向かった。
 ちなみに、学校での騒動は集団幻覚ということで片づけられた。テレビ局など報道も押し寄せたが、すぐにもっと大きな事件が起きてそちらにマスコミの注目は移り仔狛犬の起こした事件のことなど忘れ去られた。
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