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チャプタ―18

お犬様18

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   二

 数カ月の世話をしてきた。外に放っても戻ってくるだろうと、祐樹たちは一〇八匹の仔狛犬を注連縄をほどいて初めて部屋の外へ放った。
 目的は、むろんのこと蛟を追うことだ。大水神社の土を仔狛犬たちに嗅がせ、
「いいか、この臭いがする場所を探すんだ」
 と告げた。
 結果、妙なことになった。

 特に鼻の利く仔狛犬八十三に誘われてひとつの神社にたどりついた。
 どういうことだ、なんで蛟の御神体を盗んだ犯人が神社に――そう思いながら敷地を一周したが特に怪しい人影はなかった。
 それどころか、
「こら、御神体を盗んだのはおまえか」
 突然現れた老齢の神主に怒鳴りつけられた。
「なんのことですか」
 祐樹はうろたえながら応じる。この年代の人間に彼は弱い。
「だから、この神社の御神体を盗んだのはおまえなのかとたずねている」
「違います」
 落ちつきを取り戻し、祐樹は鼻息を荒くする神主にこたえた。
 彼はしばらく無言でこちらをにらみつけていたがやがて、
「どうやらほんとうに違うようだな」
 と表情に嘘がないと判断したようだ。
 祐樹がほっとしたところで、境内、本殿の陰からこちらを覗く影に気づいた。
 一見するとただの老女だ。ただし死に装束だが。
 しかし、その正体は火消婆(ひけしばば)という妖怪だ。提灯の火を消すことを習性としていたが、現代ではそんなものなどあるはずもなく暇つぶしに一際執拗に祐樹を脅かしていた妖だ。
「おまえさん“視える”のか」
 ハッと我に返ると、老神主がこちらを真剣さとなつかしさの入り混じった目で見ていた。
「ええと、それは妖怪とか」
「そうだ」
 一拍の間のあと、「ええ、まあ」とうなずいた。
 中には自分の不幸を居もしない妖怪のせいにして祓うように求めてくる人間がいるから注意するように祐樹は母にいわれていたからすこし思案したのだ。結果、この老人なら大丈夫そうだと結論づけた。
「なつかしいな、わたしの父方の祖父も“力”を持っていた」
 遠い目になったあと、老神主はこちらに目線を向けた。
「苦労も多いだろう」
 労わるように彼はこちらの肩を数度軽く叩いた。
 とたん、祐樹は泣きたいような気分になる。
 他人にレッテルを貼ることを習いとする祐樹だが、元々は“異能を持つ”という他人と自分を隔てる特異な点(レッテル)が彼をそういう習性へと駆り立てている部分は否めない。だから、それを苦しいなと指摘するのに近い発言を受け、思わず涙をこぼしたい心地になった。
「ありがとうございます」
 礼をのべ、御神体が盗まれた状況などをたずねて祐樹はその神社をあとにした。
 神主と話しているあいだに、火消婆はとうの昔に逃げ出していた。

 犯人は現場にもどるという言葉はすべての場合に当てはまるものではないが、犯人が小心な場合やその犯行によって目立つことなどを目的としている場合には適合する。
 去りゆく少年の背中を、ひとりの男が十字路の陰からうかがっていた。御神体を盗んだ人間だ。刑事の捜査がおこなわれているのか、だとしたらどれくらい進んでいるのか確かめるためにひそかに外から神社を監視していたのだ。
 その末、不審な少年が現れたことに気づいた。
 これは報告すべきだろう――そう思って、自分の住むアパートの一室にもどった。家賃の心配はいらない。主のお陰でパチンコ、スロットで大儲け、それも店を変えて勝ちすぎないようにしたから捕まることもなくこうして無事にいられた。
 扉を開けるや、
「くさい、おまえ狛犬の臭いがするぞ」
 という声が飛んできた。1Kの部屋の奥、座布団に座った主が不機嫌そうに鼻を蠢かせる。
「神社に行ってきたからですかね、警察が動いているか知りたかったもので」
「いや、その臭いは若年の狛犬のものだ。それにしてもおまえ、御神体を盗んだ神社の近くに行ったのか? バカか。警察が動いていれば、それこそおまえを不審な男としてリストアップしかねないだろうが」
 いわれてみればそうだ、しかしその言い方はひどい、と男は思う。
「感謝しろよ。我と出会わなければ、おまえは一生うだつのあがらない暮らしを送っていたところだ」
 はい、と男はうなずくしかない。過酷な道路工事のバイトの連続から解放されたのは確かに主のおかげなのだから感謝すべきだ。
「しかし、狛犬が積極的に動くとなれば大神神社が怪しい」
 こちらの返事など聞かず、主は考え込むようすを見せる。
「そこに盗みに入りますか」
「いや、しばらく盗みは止めろ。ようすを見る。それに御神体を失った神社が多数出たことで我の妖力も強まっている」
「そうですか、それはよかった」
 男は深く考えずに言祝(ことほ)いだ。それがのちに大事件につながるとも知らずに。
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