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チャプタ―19

君へ向かうシナリオ19

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 夕食を丸の内にあるビルのレストランで祖母とともにして帰宅した僕は、渋々ながら咲花へと電話をかける。
 単に親族に恋人を引き合わせるとは違った意味で憂鬱だ。
 祖父を嫌うあまり祖母は彼個人だけでなく、夫のついている職業についている同業者全体までにも憎悪を向けるようになっている。
「学者なんてロクな人種じゃないわよ」
 というのが彼女の口癖だ。
 あの年代の人にはめずらしく、夫婦仲の悪さから離婚している。
 小さいころは「なんで、おじいちゃんとおばあちゃんはいっしょに住んでいないんだろう」と不思議だった。
 それを口にすると祖母は不機嫌になり、彼女の機嫌をそこねた、と母に睨まれるということがたびたびあった――その場に祖母が居合わせなければひっぱたかれているだろう。
 翔花は典型的な学者タイプの人間だ。
 自分の好きな分野の話になると途轍もなく饒舌になる。そして、人間的に不器用な部分があった。
 今のところ、そういう片鱗は見せていないが恐らく頑固だろう。祖父がそうだった。
 ただ、頑固という部分は学者がどうこうというより、“プロ”と呼ばれる人間に多く見られる属性でもある。ゲーム業界の人間の多数の人間がそうだし、ライトノベル作家の布施も表面的な軽薄さとは裏腹に頑固一徹という側面を見せることがあった。
 一抹の不安のせいで短時間のうちに色々なことを考える、それは電話がつながったことで中断させられた。
 夜遅くにごめん、という入りで僕は祖母に付き合っている人がいるということをもらしてしまったこと、彼女が会いたがっていることなどを説明する。
 しかも、顔を合わせるとすれば翌日だ。
 正直、「用事が入ってるから」「実験で手が離せないから」と断ってほしかった。
 祖母は正直な、いや正直すぎる人だ――そんな人間が頑固な人間と結婚すれば、そりゃあ喧嘩が絶えなかったというのも納得できる。
 翔花が気に入らなければ「気に入らない」と口にしかねない。
 だが、僕の願いに反して、
「いいよ」
 翔花はあっさり承諾する。
「大丈夫? 実験で手が離せないとか、ない。無理することないよ」
「今は手が空いてるから」
 ノーを引き出そうとするがかえって祖母に会えることが可能であると再確認しただけだった。
 電話が終わったと思ったら、従兄弟から着信が入る。
「何?」
 と電話に出てたずねると、
『父さんが俺がシナリオライターを目指すことを認めてくれた』
 と彼は弾んだ声で答えた。
「へえ、そりゃよかったな」
『それで、兄貴に話があるんだけど』
 従兄弟の発言に僕は眉をひそめる。話というのは叔父が息子が夢に向かって歩むことを認めたことで終わりではないのかと思ったのだ。
『俺、大学に行かせてもらったし、これから例えば専門学校に入ってシナリオライターを目指すのは経済的な負担が大きすぎるんだよね』
 従兄弟の話の流れにとてつもなく嫌な予感がする。
『それで、さ。兄貴に弟子にして欲しいんだ』
「待て、待て、なんでそうなるんだよ」
 口ではこう言ったものの、理由は何となく察せられた。
 シナリオを読ませて可否を判断させた。それなら、そこかさ先を任せるのもひとつの手段、叔父たちはそう考えたのだろう。
 だが、そこには「親戚の人生を預かる」という重圧がこちらにかかることへの配慮が欠けていた。もし、従兄弟が挫折したとき、その責任を僕が問われる可能性があった。お前の指導がなってないから失敗したのだ、と。
『やっぱりやるなら徹底的にやりたいんだ。だから、週に一度のシナリオ教室なんかの“習いごと”じゃ満足できないんだ』
「あのな、俺だって忙しいんだ。週一のシナリオ教室以上のことができる保障なんかない」
『けど、親父が巽が教えるなら許すって言うんだ』
 従兄弟の言葉に眩暈がする。大体、親戚だからといって専門学校なら百万以上の学費を取るものを無償で行えというのは理不尽だ。その上で責任がついて回るならやってられない。それに現状、ディレクター業と講師業だけで十二分に忙しい。
『なあ、兄貴頼むよ。俺がシナリオライターを目指せるかどうかの瀬戸際なんだ』
 従兄弟の懇願に体から力が抜けて行く。かつて、専門学校への進学の交渉を親としたときの記憶が脳裏に甦った。自分の人生をかけて右往左往するときの精神的な負担は身に覚えがあった。
 はあ、とため息をついてから口を開く。
「いいか、やれって言ったことは絶対にやれ。それにあくまで仕事が優先で、過度に負担がかからない程度にしか教えないからな」
『ありがとう』
 電話口で喜びが弾けた。
 またも記憶が甦る。専門学校進学が許されたときの出来事が脳裏に去来した。あの頃の希望に満ち溢れていた自分と従兄弟が重なって眩しい。
 通話が切れる。スマートフォンを机に置こうとしたところで、ふたたび電話がかかってきた。相手は友人の海生だ。
『今から出てこられないか』
 と告げられた。どこか声が沈んでいるように思える。
「いいよ、都合をつける」
 僕そう応じて、用意をして住まいを後にした。
 駅一つ分ほどの距離を歩いて駅前に向かう。飄々とした歩き方で海生が現れた。だが、やはり表情が浮かないものに感じられた。
「扇谷に行こうに」
 彼に告げられ、連れ立って飲み屋に向かう。駅のセンター街の一角、扇谷に入店した。
 注文を済ませ、グラスが運ばれてきて乾杯する。
「今日は何か話があるのか」
 機を計っている雰囲気の友人に水を向けた。
「ちょっと、企画とプロット見てもらえない。今日の飲み代は持つから」
 海生の言葉に、
「いいよ」
 相手に気を使わせ過ぎないよう気軽な調子でうなずく。
 海生がショルダーバッグから紙の束を取り出すのを受け取る。ふたりの間では、プロットといえはシナリオ畑でいう小箱、シーンごとの出来事が記されたものだ。プロットを卓上に置き、企画書を手元に残した。
 集中して企画に目を通す。なるほどな、相からず面白いこと考えるな、と内心思った。次にプロットに目線を走らせた。
 こちらが読み終えたところで、
「どうだった?」
 と海生が眉間に小皺を寄せて尋ねてくる。
「うーん、物語の構造から外れてるかなあ」
 ハリウッド映画に代表されるストーリー構成術、ヒーローズジャーニーからプロットは逸脱していた。
「そうか」
 海生は落胆を隠せない表情で首肯する。
「主人公が何をしたいかが曖昧な気がする。で、成長の過程が踏まれてない」
「なるほど」
 ふたたび暗い顔で友人は顎を引いた。
「実は一般文芸向けの作品の出版の話があって、これがそのプロットなんだ」
 それでか、と僕なは納得がいく。ストーリーテラーは自分の話が面白いのかどうかが分からなくなるときがある。普段なら、ここをこうすべきだということがまったく思いつかなくなる。俗にいうスランプだ。
「アイデアはいいと思うから、プロットをもう一回組み直した方がいいと思う」
「それができたら、見てもらえるか」
「もちろん」
 海生のすがるような言葉に承知の意を伝える。
 友人はデビューしたレーベルが早々にデビューして本が出なくなるなどした過去がある。できれば手助けしたかった。
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