【完結】完璧アルファの寮長が、僕に本気でパートナー申請なんてするわけない

中村梅雨(ナカムラツユ)

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後編一完結編一

第三十九話


 ひとしきり盛り上がり切った頃、時刻はすでに夜の十一時を回っていた。母はアーサーにシャワーを勧め、ダイニングに散らかった食器を片付け始めた。
 リースは母に言われるままソファに腰掛けていたがなんとなく落ち着かず、自然と足がキッチンに向いた。
 母はひとり、食器を丁寧に洗っていた。昔から変わらない仕草だ。皿に添えた指先も、ゆっくりした呼吸も、懐かしい温度を帯びている。その背中が少し小さく見えるのは、リースが大きくなったからだろうか、それとも。

「……手伝うよ」

 声をかけると、母は振り返ってリースに笑顔を向けた。

「ありがとう、助かるわ」

 皺の刻まれた目元がゆるむ。母も歳を取るのだ。そんな当たり前のことを改めて思い知らされた気がして、不意に行き場のない焦燥感がリースの中に湧き上がった。
 母の隣に立ち、クロスを手に取る。母から受け取った皿を拭き、無言で丁寧に重ねてゆく。その単純な動作が、少しずつ心を落ち着かせてゆく。
 隣のバスルームからは、シャワーの音が規則正しく響いてくる。改めてこう冷静になると、なんとも不思議な状況だ。アーサーがここにいる。母に紹介した。そのことの重みが、じわじわと実感として迫ってくる。

「……驚いた?」

 手元に視線を落としたままそう問いかけると、母はふと手を止めた。

「……驚いたわよ、そりゃあ」

 数秒の沈黙ののち、再び食器に水がぶつかる音がキッチンに響き始める。

「今までそんなそぶり、一切見せなかったのに……急に恋人なんて連れてきちゃって」

 母はおどけるように肩をすくめた。そのあっけらかんとした反応に、リースはかえって不安になった。大切なことをはぐらかされているようで。

「そうじゃなくて……」

 リースは思わず言葉を詰まらせた。ベータの両親から生まれた、オメガの一人息子。リースがそうだと分かって周りの反応は変わっても、両親はなにも変わらず一人の男の子として育ててくれた。
 母の反応が怖いわけじゃない。きっとリースの前ではなんでも認めて笑ってくれるという確信がある。ずっと、そうやって育ててくれたからだ。軍学校に行きたいと言った時もそうだった。
 でも、本心はどうだろう。
 ずっと見て見ぬ振りをしてきた、いつも帰省が終わる時に垣間見える不安げな視線。軍の中でオメガに向けられるどこか見下したような視線を、母はきっと知っている。

「リース」

 母は蛇口の水を止めると、手を軽く拭い、リースの頬にそっと触れた。
 ハッとして顔を上げると、そこにはどこまでも澄み切った母の眼差しがあった。

「母さんはね、あなたが好きに生きてくれれば、本当にそれでいいのよ」
「……母さん」
「男でも女でも、アルファでもオメガでもなんでも関係ないわ。あなたが選んだ人なら……それが答えなのよ」

 どこまでも優しい言葉に、思わず目頭が熱くなる。そんなリースを見て、母も目を細めた。遠くから見守りながら、必要なときはそっと手を伸ばしてくれる。いつもそうだった。この人は、いつも。

「母さん、僕……。もう一つ、相談したいことがあってね」

 リースはクロスをぎゅっと握りしめた。母の表情は変わらない。その優しさに甘えて、母の不安を見て見ぬ振りをしてきた。それでも最後は笑って送り出してくれるから、また我儘を言ってしまう。

「……卒業したら、特進課程に進みたい」
「……特進課程?」
「うん。先生に……推薦したいって言われて。卒後二年の指揮官養成課程」

 リースは一つ深呼吸をして、母の目をまっすぐに見つめた。

「……この間の演習ね、課題がセントブレア海域だったんだよ」

 その言葉に、母が大きく目を見開いた。父が最後の任務で赴いた海域。あの日以来、この家では誰も口にしなかった場所。

「そこでね、僕、やれたんだ。ちゃんと意見を言えて、作戦を完遂できたんだ。それを先生に評価してもらえて……僕——」

 言葉が喉に詰まる。言いたいことがたくさんあるのに、上手く出てこない。そんなリースを、母はそっと抱き寄せた。

「あんた本当に、小さい頃から父さんのこと大好きね」

 母の声が、耳元で優しく震えた。条件反射のように涙が溢れて、母の部屋着を黒く染めていく。

「そうだよ。ずっと、父さんと母さんが大好きだよ。いつも心配かけて本当にごめん……」

 思えば母に対して、こんなふうに自分の気持ちを言葉にしたのは初めてだ。ああ、もっと早くからこうしていればよかった。そうすればお互いの不安も寂しさも、こうやって和らいでいたはずなのに。
 母はゆっくりとリースの両頬を両手で包み込むと、優しく笑った。

「……リース」

 母の指先が、涙を掬い上げるように目元をそっと撫でる。温かい手のひらが、リースの頬の温度を確かめるように。

「謝らなくていいのよ。夢を追うことは、全く勝手なんかじゃないわ。それを応援するのが親の役目でしょう」
「でも……」
「心配なんて、して当たり前よ。親なんだから」

 そう言って母は少し寂しそうに、それでいて優しく微笑んだ。

「だから、行きたいなら行きなさい。好きなように生きなきゃ。死ぬ時に後悔する人生だけは絶対にダメよ」

 そして母はリースの頭を、まるで小さな子供に接するようにそっと抱き寄せた。リースは静かに母の肩に額を預ける。母の優しい体温が全身に伝わってくる。

「……うん」

 小さく頷く声が、静かなキッチンに溶けていく。バスルームのシャワーが、静かに止まる音がした。































 シャワーを浴びて自室に戻ると、部屋着を着たアーサーがベッドの端に腰掛けていた。いつもの制服姿ではない、ラフな姿。

「……いたんですね」
「ああ」
 
 柔らかな生地に包まれたどこか無防備なその姿に、リースの心臓が不意に跳ねる。おずおずと隣に腰を下ろす。
 部屋の照明は少し落としてあった。窓の外では静かに夜が更けている。今年いちばんの寒さと謳われていた通りの刺すような冷たい気配が、窓の僅かな隙間から入り込んでくる。

「……俺、やっぱり明日帰ることにする」

 アーサーがぽつりと言った。リースは思わず顔を上げる。

「え?どうして、年が明けるまでいればいいのに……。母もそのつもりですよ?」
「……やっぱり、早く決着をつけたいと思って」

 決着。その言葉が重く響いて、リースは俯いて口を噤んだ。
 アーサーは窓の外に視線を向けたまま、静かに言葉を継ぐ。

「……卒業までに、もう時間もない」

 その覚悟を決めたような横顔に、少しの寂しさを覚える。
 次に家に帰ったら、本当にもう二度と帰らないつもりなのだろうか。考えただけで胸が苦しくなる。仲が悪いとはいえ、帰る場所を失うのだ。並大抵の覚悟でできるはずもない。

「……僕も行きましょうか?」

 なんと言っていいのか分からず、唐突にそんな提案をしてしまった。今日だって勝手に誘ってしまったのだ。彼の未来を一緒に背負うつもりなのだから、リースだってそれくらいのことをする覚悟はある。

「いい、お前は来るな」
「でも……」
「うちの親はな」

 だが、アーサーは強い口調でそれを遮った。

「確実にお母様みたいな反応はしないぞ。立場だの身分だのとくだらないことを言って、交際してると知れば家の敷居さえ跨がせてくれない」

 その言葉には、諦めにも似た冷静さがあった。まるで何度も繰り返された光景を思い出すようなその眼差しに、リースは俯いた。 

「ごめんなさい……」
「いや……すまない」

 アーサーは慌てたようにリースの方に向き直り、僅かに俯いた。

「お前のことをどうこう言いたいんじゃなくて。それくらい、頭が固い連中なんだよ」

 分かってはいたけれど、やはりオメガに向けられる視線は厳しいのだ。似たような考えで、アーサー自身もそうやって否定されてきたのだろう。

「……うちは王族だのと言われているが、そもそも傍系で巷で言われているほどの権力もない。それなのにプライドだけは一丁前だ」

 アーサーは一つ息をつき、再び窓の外に視線をやった。

「……三人の兄のうち、一番上の兄は官僚、二番目も官僚、三番目は医者。まあ、意地の悪い兄たちだったが……。皆結局、限られた選択肢の中から将来を選んだんだ。家のために名誉ある職を選び、押し付け合って喧嘩。まったくしょうもないよな」

 諦観したように語るアーサーの横顔は、やはりたった二つしか離れていないとは思えないほどに大人びている。一人で全て乗り越えてきた故の強さなら、捨ててくれて構わない。いつでもここで泣いてほしい。リースにとっての母のようなーーそういう場所でありたい。

「帰ってきたら……ずっと一緒ですよ」

 ただそう伝えたくて、そっと手を取った。母もきっと、そう言うだろう。

「どんな時も、僕が味方でいる」

 目が合って、どちらからともなく笑う。彼の瞳は、僅かに潤んでいた。

「……ありがとう」

 囁くような声だった。アーサーがゆっくりとリースの手を握り返してくる。温かい手のひらが、しっかりとリースの手を包み込む。この手を、絶対に離さない。これから先、どんなことがあっても。
 心の中でそう誓えば、リースも少し強くなれたような気がした。


















「……あ、忘れないうちに。渡したいものがあったんだ」

 しばらくそうしていたのち、アーサーがそう言って立ち上がった。なんだろうと見ているうちにゴソゴソと鞄から何かを取り出されたのは、あの坐薬の抑制剤だった。

「次のヒート、演習で帰れないかもしれないから」

 四年の後期には、長期の乗艦訓練がある。次のヒートが三月ごろだとしたら、ちょうどその頃だろうか。礼を述べてそれを受け取ると、ちゃんと飲めよ、と冗談混じりに釘を刺された。

「……ずっと気になってたんですけど、これはどうやって手に入れたんですか?」

 そう尋ねると、アーサーは少し考えるそぶりをしたあと、諦めたようにふと笑った。

「友人に譲ってもらっている。オメガの友人ができたのは、人生で初めてだったからな。……一応言うなと言われているから、内緒で頼む」

 彼はそう言って笑った。リースは目をパチクリとさせて、思い当たる人物を脳内に思い描く。そして、つられて笑ってしまった。







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