58 / 488
第一章 第三部 光と闇
18 侍女と衛士と水音
しおりを挟む
その日の夕刻、衛士から連絡を受け、侍女頭であるキリエと警護隊長であるルギが揃って懲罰房へとやってきた。
「一体どういうことだ」
「隊長」
年配の衛士と若い衛士が困ったように顔を見合わせる。
「とにかくこちらへ」
廊下から懲罰房の中へ二人を案内する。
「ここです」
ルギが黙って中に入り、キリエも黙って後に続く。
「それで、ここがどうしたと?」
「いえ、中におります侍女二名が水が滴る音が聞こえると」
「それで?」
「我々には聞こえぬのですが、どうしても聞こえると」
「ふむ」
ルギがしばらく黙って立っていたが、
「俺にも聞こえぬな」
そう言うと、キリエが黙ったまま怪訝な顔でルギを見上げる。
「ルギ隊長、私にも聞こえるのですが」
「え?」
ルギはあまり表情を変えず、それでも少しは驚くような目の色で、二名の衛士は見るからに驚いたように目を丸くして鋼鉄の侍女頭を見る。
「キリエ様には聞こえるのですか」
「ええ、確かに聞こえます」
さすがのルギがどうしたものかという顔になる。
相手が相手、本当のことしか言わない人だ。
「箕帚の司の長を呼びなさい」
キリエが衛士にそう命じた。
「箕帚の司」とは宮の掃除を担当する部署のことである。
シャンタル宮はとてつもなく広く、その清掃のために下働きの者が多数勤めている。その部署の一番上が「長」と呼ばれる責任者である。
他にも様々な部署の下働きがいるが、その者たちと侍女とは立場が違う。侍女は誓いを立てて神に使える身であるが、下働きの者たちは仕事として宮へ入ってきている者たちだ。
もちろん場所が場所だけに誰でも働けるというものではないし、中には一生を侍女たちと同じように宮で過ごす者もいるが、あくまで立場としては侍女より下、低い立場の「働く者」たちである。
だが低い立場と言えど、「長」とまで呼ばれるほどになると、侍女たちもそうそう侮って見るということも言えぬ存在でもある。
今の「長」は五十の半ばに差し掛かるハナという女性であるが、十代の頃に結婚をして子どもができたが夫に早逝され、頼る身寄りもなかったことから、子どもを里子に出して宮に掃除の係として入り、それ以来こつこつと仕事に勤めて認められ、「長」にまでなったという苦労人である。
「キリエ様、お呼びと伺いましたが」
ハナは懲罰房の外の廊下でキリエに丁寧に正式の礼をする。
簡素な木綿のブラウスに、動きやすいよう足首までの木綿のスカートを履いている。
「ハナ、聞きたいことがあります」
「なんでしょうか」
「懲罰房の掃除もやっていますね」
「はい。毎日ではありませんが、上からの指示のある時に」
他の場所はハナが主体でどこをどう掃除するかをほぼ決めているが、懲罰房はある場所、その存在自体が特殊なこともあり、宮から定期的に指示があり、それに従って行われている。
「その時に、水漏れなどありましたか?」
「水漏れですか?」
ハナは少し考えて、
「いえ、そのようなことはなかったと記憶しております」
「間違いありませんね」
「はい。少なくとも上には上がってきておりません」
「そうですか」
キリエは少し考えてから、
「中に入って水漏れの音がするかどうか聞いてもらいたいのです」
「は?」
ハナは一瞬きょとんとした顔をしたが、
「分かりました」
そう答えて立ち上がると、キリエに許可を取るように一つ頷いてから房内に入る。
ハナはしばらく入り口に立っていたが、念のためという風にミーヤがいる房の前まで進み、一番奥の壁まで行ってから戻ってきた。
「水漏れの音は特に聞こえないようです」
「そうですか、ありがとう。ご苦労さま、もう下がってよろしいです。それからこのことは誰にも言わぬように」
「はい、分かりました」
なぜかとも聞かず、ハナはそのまま下がっていった。
「聞こえぬようですね」
キリエはルギに向き直って言う。
「キリエ様には聞こえていらっしゃるのですか」
「ええ、はっきりと」
「今もですか」
「ええ」
ルギがキリエと顔を見合わせる。
「男性と女性という違いではないようですな」
「ええ」
もしかしてと思って女性であるハナを呼んだのだ。
「年齢も関係がないようです」
キリエが一番高齢で次がハナ、それから年配の衛士、セルマ、ルギ、ミーヤと続き、一番年下は若い衛士である。
「違いがあるとすれば聞こえているのは侍女ばかりということになるようですね」
キリエがそう言い、
「少し心当たりがあります。待ってもらえますか」
「ええ、それは構いません」
ルギも少し思い当たる人物があるらしくそう答える。
「とにかくただでさえ色々な問題があるのです。この大事な時期にこれ以上知る者を増やすわけにもいかないでしょう」
「おっしゃる通りです」
キリエとルギがそう決めて、衛士2人にもしっかりと口止めをする。
「分かったな、この話はこれまでだ」
「分かりました」
衛士二人としても、こんな訳のわからない状況にこれ以上巻き込まれては敵わない。
というより、はっきり言うと怖い、恐ろしい。こんな地下の懲罰房などというよろしくない場所での意味不明な出来事。
「もちろん話しません」
「ええ、もちろんです」
きれいさっぱり忘れてしまうと心に決めた。
「一体どういうことだ」
「隊長」
年配の衛士と若い衛士が困ったように顔を見合わせる。
「とにかくこちらへ」
廊下から懲罰房の中へ二人を案内する。
「ここです」
ルギが黙って中に入り、キリエも黙って後に続く。
「それで、ここがどうしたと?」
「いえ、中におります侍女二名が水が滴る音が聞こえると」
「それで?」
「我々には聞こえぬのですが、どうしても聞こえると」
「ふむ」
ルギがしばらく黙って立っていたが、
「俺にも聞こえぬな」
そう言うと、キリエが黙ったまま怪訝な顔でルギを見上げる。
「ルギ隊長、私にも聞こえるのですが」
「え?」
ルギはあまり表情を変えず、それでも少しは驚くような目の色で、二名の衛士は見るからに驚いたように目を丸くして鋼鉄の侍女頭を見る。
「キリエ様には聞こえるのですか」
「ええ、確かに聞こえます」
さすがのルギがどうしたものかという顔になる。
相手が相手、本当のことしか言わない人だ。
「箕帚の司の長を呼びなさい」
キリエが衛士にそう命じた。
「箕帚の司」とは宮の掃除を担当する部署のことである。
シャンタル宮はとてつもなく広く、その清掃のために下働きの者が多数勤めている。その部署の一番上が「長」と呼ばれる責任者である。
他にも様々な部署の下働きがいるが、その者たちと侍女とは立場が違う。侍女は誓いを立てて神に使える身であるが、下働きの者たちは仕事として宮へ入ってきている者たちだ。
もちろん場所が場所だけに誰でも働けるというものではないし、中には一生を侍女たちと同じように宮で過ごす者もいるが、あくまで立場としては侍女より下、低い立場の「働く者」たちである。
だが低い立場と言えど、「長」とまで呼ばれるほどになると、侍女たちもそうそう侮って見るということも言えぬ存在でもある。
今の「長」は五十の半ばに差し掛かるハナという女性であるが、十代の頃に結婚をして子どもができたが夫に早逝され、頼る身寄りもなかったことから、子どもを里子に出して宮に掃除の係として入り、それ以来こつこつと仕事に勤めて認められ、「長」にまでなったという苦労人である。
「キリエ様、お呼びと伺いましたが」
ハナは懲罰房の外の廊下でキリエに丁寧に正式の礼をする。
簡素な木綿のブラウスに、動きやすいよう足首までの木綿のスカートを履いている。
「ハナ、聞きたいことがあります」
「なんでしょうか」
「懲罰房の掃除もやっていますね」
「はい。毎日ではありませんが、上からの指示のある時に」
他の場所はハナが主体でどこをどう掃除するかをほぼ決めているが、懲罰房はある場所、その存在自体が特殊なこともあり、宮から定期的に指示があり、それに従って行われている。
「その時に、水漏れなどありましたか?」
「水漏れですか?」
ハナは少し考えて、
「いえ、そのようなことはなかったと記憶しております」
「間違いありませんね」
「はい。少なくとも上には上がってきておりません」
「そうですか」
キリエは少し考えてから、
「中に入って水漏れの音がするかどうか聞いてもらいたいのです」
「は?」
ハナは一瞬きょとんとした顔をしたが、
「分かりました」
そう答えて立ち上がると、キリエに許可を取るように一つ頷いてから房内に入る。
ハナはしばらく入り口に立っていたが、念のためという風にミーヤがいる房の前まで進み、一番奥の壁まで行ってから戻ってきた。
「水漏れの音は特に聞こえないようです」
「そうですか、ありがとう。ご苦労さま、もう下がってよろしいです。それからこのことは誰にも言わぬように」
「はい、分かりました」
なぜかとも聞かず、ハナはそのまま下がっていった。
「聞こえぬようですね」
キリエはルギに向き直って言う。
「キリエ様には聞こえていらっしゃるのですか」
「ええ、はっきりと」
「今もですか」
「ええ」
ルギがキリエと顔を見合わせる。
「男性と女性という違いではないようですな」
「ええ」
もしかしてと思って女性であるハナを呼んだのだ。
「年齢も関係がないようです」
キリエが一番高齢で次がハナ、それから年配の衛士、セルマ、ルギ、ミーヤと続き、一番年下は若い衛士である。
「違いがあるとすれば聞こえているのは侍女ばかりということになるようですね」
キリエがそう言い、
「少し心当たりがあります。待ってもらえますか」
「ええ、それは構いません」
ルギも少し思い当たる人物があるらしくそう答える。
「とにかくただでさえ色々な問題があるのです。この大事な時期にこれ以上知る者を増やすわけにもいかないでしょう」
「おっしゃる通りです」
キリエとルギがそう決めて、衛士2人にもしっかりと口止めをする。
「分かったな、この話はこれまでだ」
「分かりました」
衛士二人としても、こんな訳のわからない状況にこれ以上巻き込まれては敵わない。
というより、はっきり言うと怖い、恐ろしい。こんな地下の懲罰房などというよろしくない場所での意味不明な出来事。
「もちろん話しません」
「ええ、もちろんです」
きれいさっぱり忘れてしまうと心に決めた。
0
あなたにおすすめの小説
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
『悪役令嬢』は始めません!
月親
恋愛
侯爵令嬢アデリシアは、日本から異世界転生を果たして十八年目になる。そんな折、ここ数年ほど抱いてきた自身への『悪役令嬢疑惑』が遂に確信に変わる出来事と遭遇した。
突き付けられた婚約破棄、別の女性と愛を語る元婚約者……前世で見かけたベタ過ぎる展開。それを前にアデリシアは、「これは悪役令嬢な自分が逆ざまぁする方の物語では」と判断。
と、そこでアデリシアはハッとする。今なら自分はフリー。よって、今まで想いを秘めてきた片想いの相手に告白できると。
アデリシアが想いを寄せているレンは平民だった。それも二十も年上で子持ちの元既婚者という、これから始まると思われる『悪役令嬢物語』の男主人公にはおよそ当て嵌まらないだろう人。だからレンに告白したアデリシアに在ったのは、ただ彼に気持ちを伝えたいという思いだけだった。
ところがレンから来た返事は、「今日から一ヶ月、僕と秘密の恋人になろう」というものだった。
そこでアデリシアは何故『一ヶ月』なのかに思い至る。アデリシアが暮らすローク王国は、婚約破棄をした者は一ヶ月、新たな婚約を結べない。それを逆手に取れば、確かにその間だけであるならレンと恋人になることが可能だと。
アデリシアはレンの提案に飛び付いた。
そして、こうなってしまったからには悪役令嬢の物語は始めないようにすると誓った。だってレンは男主人公ではないのだから。
そんなわけで、自分一人で立派にざまぁしてみせると決意したアデリシアだったのだが――
※この作品は、『小説家になろう』様でも公開しています。
異世界転生旅日記〜生活魔法は無限大!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
農家の四男に転生したルイ。
そんなルイは、五歳の高熱を出した闘病中に、前世の記憶を思い出し、ステータスを見れることに気付き、自分の能力を自覚した。
農家の四男には未来はないと、家族に隠れて金策を開始する。
十歳の時に行われたスキル鑑定の儀で、スキル【生活魔法 Lv.∞】と【鑑定 Lv.3】を授かったが、親父に「家の役には立たない」と、家を追い出される。
家を追い出されるきっかけとなった【生活魔法】だが、転生あるある?の思わぬ展開を迎えることになる。
ルイの安寧の地を求めた旅が、今始まる!
見切り発車。不定期更新。
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
皇后マルティナの復讐が幕を開ける時[完]
風龍佳乃
恋愛
マルティナには初恋の人がいたが
王命により皇太子の元に嫁ぎ
無能と言われた夫を支えていた
ある日突然
皇帝になった夫が自分の元婚約者令嬢を
第2夫人迎えたのだった
マルティナは初恋の人である
第2皇子であった彼を新皇帝にするべく
動き出したのだった
マルティナは時間をかけながら
じっくりと王家を牛耳り
自分を蔑ろにした夫に三行半を突き付け
理想の人生を作り上げていく
愛想を尽かした女と尽かされた男
火野村志紀
恋愛
※全16話となります。
「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる