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第五章 第一部
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もしも、これが他の人であったなら、そのままそこから去っていたかも知れない。
マユリアがただの人に戻る日が近い、そう告げることの苦しさから。
だが、キリエは「鋼鉄の侍女頭」だ。
三十年以上に渡って侍女頭を務めあげたとの自負もある。
自分の使命から逃げるようなことはできない。
キリエは奥歯を噛みしめるようにして、訪いを告げた。
中から女神の許可が出て、鉛で出来た扉を押し開けるような気持ちで中に入る。
「報告がありました、数日のうちに次代様がご誕生になられます」
正式の礼をして、その言葉を口にする。
「そうですか」
女神はクッションに座ったまま、一言そう答えた。
「それで」
キリエは絞り出すように続く言葉を口にした。
「交代の後、どのようになさるのか、お心づもりを確認させていただけますでしょうか」
「交代の後は、前から申しております通り、両親の元へ帰りたいと思っています」
これまでにも何度もおっしゃっていたことだ。
思っていた通りのお言葉をいただいた。
「分かりました、そのように話をお進めいたします」
「よろしく頼みます」
そう言った後、マユリアがふと思いついたように、
「おまえは、わたくしのご両親がどのような方なのか、知っているのですね」
そう言った。
「申し訳ありません、そのことにつきましては、何も申し上げられません」
キリエはそう言って頭を下げる。
「そうですね、ごめんなさい。やはりどのような方たちなのか、そして今もご健在なのかが気になるもので」
「お気持ちはよく分かります。ですが、交代を終えられるまでは何も申し上げられない決まりなのです」
「分かりました」
マユリアはそう言った後、クスリと一つ笑い、こう言った。
「ですが不思議ですね。人に戻るとなった途端、みながどうするのかと聞いてくれるのです」
楽しそうでもあり、そしてさびしそうでもあるようにキリエには見えた。
「そして選べと言うのです。どうしたいのか自分で決めるようにと。これまで、わたくしには何かを選ぶなどということはできなかったのに」
おっしゃる通りだとキリエは思った。
マユリアは、次代様としてお生まれになり、シャンタルとなられ、マユリアになられた。
それはご自分で選ばれた人生ではない。
自分と同じく、目の前にある道を歩いて来られただけだ。
ただ歩けと言われた道を。
「不思議ですね、人に戻ると途端に何もかも自分で選ばなくてはならなくなる。それを思うと、神とは結構気楽なものだったのかも知れません」
キリエはどうお答えしていいのか困り、そしてこう聞いていた。
「誰が」
「え?」
「一体誰が、いつ、マユリアにそのように尋ねたのでしょうか」
マユリアが表情を緩め、思い出すようにこう言った。
「一番最初はトーヤでした」
「トーヤが」
そう聞いて、ああ、なるほどとキリエは思った。
「トーヤなら言いそうなことですね」
「そうでしょう?」
思わず主従の表情が柔らかくなる。
「本当に、いつでもとんでもないことを言い出す人です」
キリエがため息をつきながらそう言ったので、マユリアが声を出して笑った。
空気が一気に和んだ気がする。
「八年前になります。後は交代の日を迎えるばかりであった日に、自分と先代が戻ってきて、今度こそ交代を迎えたらどうしたいのか、そう聞かれたのです」
「それで、一体どのようにお答えになったのでしょう」
キリエの口からも自然にそんな言葉が出る。
「そうですね、それはミーヤに聞いてみてください」
「ミーヤにですか」
「ええ、その時、ミーヤがトーヤと一緒に聞いています」
「分かりました、聞いてみます。それで、さっきはみなとおっしゃいましたが、他は誰が」
「ルギです」
「えっ、ルギがですか」
さすがのキリエが驚いた声を出す。
その様子を見てまたマユリアが楽しそうに笑った。
「ええ、わたくしも驚きました」
そう言うマユリアの顔からは、さっきのような楽しげな表情が消えている。
「国王陛下がここに来られて、わたくしに皇妃になってほしいとおっしゃった時に、本当はどうしたいのかと聞いてくれました」
「ルギが、ですか」
「ええ」
あまりに意外過ぎて、キリエにはそんなルギの姿を想像することもできない。
トーヤがそうであったように、キリエにもルギは何があってもマユリアの命に従う存在だとばかり思っていた。
「マユリアは、人に戻られた後、どうなさりたいとお考えなのでしょうか、と聞いてくれました。そしてわたくしは先ほどおまえに申した通り、両親の元へ戻りたいと答えたのですが、そうしたら」
マユリアはその時のことを思い出したように複雑な顔をして、
「もう一度聞かれました。トーヤに答えた時のことが望みではないのか、と」
と言った。
「わたくしは、それはその時の想いであり、今は両親の元へ戻りたいというのが本当の気持ちだと言いました」
マユリアは一つ目を閉じて続ける。
「そして、もしも不幸にして、両親がすでにこの世の方ではないのなら、その時には宮へ戻り、ラーラ様のように一生をシャンタルに捧げたい。そう言いました」
キリエは知っている。
その道は選べないということを。
マユリアの母は、今、この宮にいるのだ。
次代様の母として。
マユリアがただの人に戻る日が近い、そう告げることの苦しさから。
だが、キリエは「鋼鉄の侍女頭」だ。
三十年以上に渡って侍女頭を務めあげたとの自負もある。
自分の使命から逃げるようなことはできない。
キリエは奥歯を噛みしめるようにして、訪いを告げた。
中から女神の許可が出て、鉛で出来た扉を押し開けるような気持ちで中に入る。
「報告がありました、数日のうちに次代様がご誕生になられます」
正式の礼をして、その言葉を口にする。
「そうですか」
女神はクッションに座ったまま、一言そう答えた。
「それで」
キリエは絞り出すように続く言葉を口にした。
「交代の後、どのようになさるのか、お心づもりを確認させていただけますでしょうか」
「交代の後は、前から申しております通り、両親の元へ帰りたいと思っています」
これまでにも何度もおっしゃっていたことだ。
思っていた通りのお言葉をいただいた。
「分かりました、そのように話をお進めいたします」
「よろしく頼みます」
そう言った後、マユリアがふと思いついたように、
「おまえは、わたくしのご両親がどのような方なのか、知っているのですね」
そう言った。
「申し訳ありません、そのことにつきましては、何も申し上げられません」
キリエはそう言って頭を下げる。
「そうですね、ごめんなさい。やはりどのような方たちなのか、そして今もご健在なのかが気になるもので」
「お気持ちはよく分かります。ですが、交代を終えられるまでは何も申し上げられない決まりなのです」
「分かりました」
マユリアはそう言った後、クスリと一つ笑い、こう言った。
「ですが不思議ですね。人に戻るとなった途端、みながどうするのかと聞いてくれるのです」
楽しそうでもあり、そしてさびしそうでもあるようにキリエには見えた。
「そして選べと言うのです。どうしたいのか自分で決めるようにと。これまで、わたくしには何かを選ぶなどということはできなかったのに」
おっしゃる通りだとキリエは思った。
マユリアは、次代様としてお生まれになり、シャンタルとなられ、マユリアになられた。
それはご自分で選ばれた人生ではない。
自分と同じく、目の前にある道を歩いて来られただけだ。
ただ歩けと言われた道を。
「不思議ですね、人に戻ると途端に何もかも自分で選ばなくてはならなくなる。それを思うと、神とは結構気楽なものだったのかも知れません」
キリエはどうお答えしていいのか困り、そしてこう聞いていた。
「誰が」
「え?」
「一体誰が、いつ、マユリアにそのように尋ねたのでしょうか」
マユリアが表情を緩め、思い出すようにこう言った。
「一番最初はトーヤでした」
「トーヤが」
そう聞いて、ああ、なるほどとキリエは思った。
「トーヤなら言いそうなことですね」
「そうでしょう?」
思わず主従の表情が柔らかくなる。
「本当に、いつでもとんでもないことを言い出す人です」
キリエがため息をつきながらそう言ったので、マユリアが声を出して笑った。
空気が一気に和んだ気がする。
「八年前になります。後は交代の日を迎えるばかりであった日に、自分と先代が戻ってきて、今度こそ交代を迎えたらどうしたいのか、そう聞かれたのです」
「それで、一体どのようにお答えになったのでしょう」
キリエの口からも自然にそんな言葉が出る。
「そうですね、それはミーヤに聞いてみてください」
「ミーヤにですか」
「ええ、その時、ミーヤがトーヤと一緒に聞いています」
「分かりました、聞いてみます。それで、さっきはみなとおっしゃいましたが、他は誰が」
「ルギです」
「えっ、ルギがですか」
さすがのキリエが驚いた声を出す。
その様子を見てまたマユリアが楽しそうに笑った。
「ええ、わたくしも驚きました」
そう言うマユリアの顔からは、さっきのような楽しげな表情が消えている。
「国王陛下がここに来られて、わたくしに皇妃になってほしいとおっしゃった時に、本当はどうしたいのかと聞いてくれました」
「ルギが、ですか」
「ええ」
あまりに意外過ぎて、キリエにはそんなルギの姿を想像することもできない。
トーヤがそうであったように、キリエにもルギは何があってもマユリアの命に従う存在だとばかり思っていた。
「マユリアは、人に戻られた後、どうなさりたいとお考えなのでしょうか、と聞いてくれました。そしてわたくしは先ほどおまえに申した通り、両親の元へ戻りたいと答えたのですが、そうしたら」
マユリアはその時のことを思い出したように複雑な顔をして、
「もう一度聞かれました。トーヤに答えた時のことが望みではないのか、と」
と言った。
「わたくしは、それはその時の想いであり、今は両親の元へ戻りたいというのが本当の気持ちだと言いました」
マユリアは一つ目を閉じて続ける。
「そして、もしも不幸にして、両親がすでにこの世の方ではないのなら、その時には宮へ戻り、ラーラ様のように一生をシャンタルに捧げたい。そう言いました」
キリエは知っている。
その道は選べないということを。
マユリアの母は、今、この宮にいるのだ。
次代様の母として。
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