僕、逃亡中【BL】

いんげん

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リーディング

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 仕事上がりに、一々騒ぐ桜川警部補にメットを被せ、バイクの後ろに乗せて、警察の特殊能力捜査部門の宿舎にやって来た。此処は治外法権のような場所で、能力を持つ者が、うっかり力を使ったり、個人的使用をしても、問題にならない。能力者が政府側に付くということは、特権階級を得るのと同義語かもしれない。

能力もあるが、そもそもがキャリア組の桜川警部補は自宅から通っているが、戸田が現れると五月蠅いので、桜川警部補の腕を掴んで、グイグイ部屋まで連れてきた。そして、鍵を掛けた。

「松山警部補、見た目に違わぬワイルドっぷり……」
 桜川警部補は、玄関のドアに背中を預けて、部屋に上がろうとしない。人の家には上がりたくない潔癖症のタイプだったのか? 白い手袋はリーディング予防ではないのか? 
「あの、俺は此処でも良いですが、どうしますか」
「ここで⁉」
 桜川警部補が目を剥いて、枝のような腕を彷徨わせている。ウチの玄関は臭いのだろうか。
「匂いますか?」
 俺は、鼻をクンクンとさせて匂いを嗅いだが、自分の家だ、分からない。ただ、もし自分が年齢とともに臭くなった時に、理斗に匂うと言われたら、きっと暫く立ち直れないだろう。
「ひぃ、む……むしろ嗅ぎたいと思う俺、どうした!」
 桜川警部補が頭を抱えてしゃがみ込んだ。育ちの良い人間は正直、よく分からない。

「あの、すいません。用意して来ます、そのままで」
「うおぉえあい! 用意⁉ 道具とか⁉」

 玄関が五月蠅い。しかし帰って貰っては困る。俺は急いでベッドルームに向かい、ジップロックに保存してある、レシートを手に取った。現場で拾った洋菓子店のレシートだ。

 直ぐに玄関に戻ると、桜川警部補は玄関の姿見で、入念に髪を直していた。俺に気がつくと、鏡から飛び退いて、視線を彷徨わせている。

「あ、あの、松山警部補。恥ずかしながら、俺は今まで……こういった経験が」
「そうなんですか? すみません。桜川警部補なら周囲に求められると事も多いと思ってました」
 彼の能力は物の記憶を読むリーディング能力だ。何か頼まれることも多いかと思った。もちろん能力の個人的使用は禁止されているが、それはあくまで野良の能力者だ。警察組織の能力者は、署内や宿舎などで、かなり自由に使っている。

「松山警部補! いつから俺をそんな目で見てたんですか!」
「は? 昨日からですかね」
「はああ⁉ 展開が早すぎる! これだから、モテる奴らは! とっかえひっかえか! くそおおお! なぜ、俺はそれでも良いなんて思っているんだ!」
 一人で興奮して怒っている桜川警部補を見て、図々しい頼みだったと改めて感じた。しかし、理斗の消息を掴む唯一の手がかりだ、諦めることは出来ない。土下座してでも、高額な金銭を要求されようとも、何としてもお願いしたい。

「桜川警部補」
「ひぃぃ、顔面が近い!」
 俺は、桜川警部補の細すぎる肩を掴んだ。つい、気持ちが前に行きすぎて顔が近づき過ぎてしまった。髪を切りに行く暇も無いので、伸びてきているウェーブの髪が落ちてきて顔に掛かる。その髪を桜川警部補の視線が追っていた。

「すみません。十年ぶりだったんで、切羽詰まってしまって」
「十年ぶり⁉ そんなわけあるか、お前、自分がどれほど……」
「……本当に情けない話ですが、必死に探していました、全く見つけられなくて」
 俺の弟が行方不明だという話は、戸田にも西島警視にもしてある。
 桜川警部補にはしていなかっただろうか。手がかりを求めるあまり、大概の仕事仲間には話をして、理斗の画像も見せている。財布にも常に理斗の写真を数枚入れている。
 話をしすぎて誰に言ったのか、もう覚えていない。

 桜川警部補の目が潤んでいる。顔も真っ赤だ。人に理斗の話をすると、相手が共感してくれる余り、涙することも希にある。戸田の場合は、吠えるように泣いていた。桜川警部補は、他人に興味が無い淡泊なタイプかと思ったが違ったのだろうか。

「え、選ばれて、こ、光栄だ」
 桜川警部補が快く協力要請に応じてくれた。俺は嬉しくて気持ちが高まり、彼の名前を呼びながら抱きついた。骨でゴツゴツしている桜川警部補を抱きしめながら、早く理斗をこの腕に取り戻したいと強く思った。

「松山警部補! いや……灯馬!」
 背中に回った桜川警部補の腕を払い、体を離した。桜川警部補の顔は、キョトンとしている気がする。
 それにしても、男二人で立つ玄関は狭い。理斗が戻ってきたら宿舎を出て暮らしたい。以前住んでいたアパートの部屋は、理斗が帰ってきた時に教えて貰うため、シングルマザーの友人に家賃を補助して住んで貰っている。定期的に連絡をしているが、残念ながら誰も尋ねて来ないようだ。

「では、早速。お願いします」
 俺は、尻のポケットに入れたレシートを取り出した。
「は? 何だコレは?」
「レシートです」
「……必要な物品にかかる費用を、請求されるということか?」
 薄い眉を寄せた桜川警部補は、スーツのポケットに手を入れて財布を取り出した。
「何の事ですか?」
「ん?」
 開かれた財布の中は、とても綺麗で桜川警部補の几帳面さが覗えた。

「このレシートをリーディングして頂きたいのです」
「……」
 時が止まったかのように動きが止まった桜川警部補の目の前で、ジップロックを開いた。しかし、彼はピクリとも動かない。

「桜川警部補?」
「……はっ! おま、お前……最初からそのつもりだったのか!」
「は?」
「このレシートは何だ! あれか、恋人の浮気とかを疑ってんのか⁉ 十年ぶりにフラれたのか! いや、無い。松山 灯馬をふる馬鹿はいない! 何なんだ!」
「……失踪した弟の、十年ぶりに見つかった手がかりです」
 桜川警部補の勢いに圧倒され、一歩下がり、改めてお願いする為に深く頭を下げた。

「図々しい頼みだとは理解しています。ただ、余りにも手がかりが有りません。貴方に縋るしかない。俺に出来る事なら何でもします、だから……」
「……貸せ!」
 俺の手から袋が奪われた。桜川警部補は、白い手袋を乱暴に外し、俺に押しつけ、レシートに手をかけた。
「……」
 桜川警部補の目が閉じられた。瞼の中で眼球が動いている。玄関の時計の針が、カチカチと時を刻む。時間を取り戻したい。理斗と過ごす幸せな時を。

「……松山」
普段より、低音な声で呼ばれ、嫌な予感がする。桜川警部補は、ゆっくりと目を開き、俺を見据えた。ほんの数分だったのに、凄く長い時間に感じ、いつの間にか手に汗をかいていた。
「はい」
「言いにくいが、見えた映像では、可愛い顔した青年が血だらけで狼狽えていた。場所は薄暗くてよく分からない」
 心臓が強く跳ねて痛んだ。

「その、その青年は、この写真の子に似ていますか⁉」
 玄関に飾っている写真立てを桜川警部補の目の前に突き出した。高校の卒業式の日の写真だ。養護施設の桜の木の下で、照れたように微笑んでいる理斗が愛らしい。写真の端には、施設の少年が寂しそうに理斗を見て映っている。卒業と共に理斗を迎えに行った俺は、彼にとっては歓迎されない客だった。砂を蹴りかけられた時は、流石に少し驚いた。

「この子だ。このレシートは、大分古いのか? 他は何も見えない。だが、その場面だけは鮮明に残ってた。この出来事は最近かもしれない」
「弟の姿は大分変わっていますか?」
「残っている映像が薄暗いから微妙だが、殆ど変わっていないと思う。怯えた顔だった」
「……くそっ」
 俺は、拳の中で袋を握りしめて、自分の太股を殴った。
 十年も経ってこのレシートが俺の手に渡ったのは、偶然だろうか。早く自分を助けてくれ、という理斗のSOSなのでは?

「他には何か無いのか? もう、ついでだから何でも持ってこい」
 桜川警部補の問いかけに首を振った。
「新しい物は何も」
「そうか、もし、何か出てきたら声を掛けろ。協力してやらんこともない」
「ありがとうございます」
 桜川警部補から労いの気持ちが伝わってくる。俺はため息をつきながらも小さく微笑んだ。
特能班は、三つの班があり、今日は非番だったが会議のため出勤したけれど、明日は週休だ。もう一度、あの現場に足を運んでみよう。

「桜川警部補、今日は……」
 ありがとうございました、と続くはずだった俺の言葉は、「松山先輩!」とドアを叩く戸田によって掻き消された。
「居ますよね⁉ 出てきて下さいよ!」
 ドアが歪む勢いで叩かれている。隣の部屋から「うるせぇぞ、戸田!」と苦情の声が聞こえてくる。ドアの前に立つ桜川警部補は、ニヤリと笑ってレシートをシューズボックスの上に置いた。そしてネクタイをほどき、ワイシャツのボタンをいくつか外している。

「馬鹿を揶揄って帰る」
 俺にそう言って、桜川警部補が鍵を解錠し、ドアを開いた。
「松山先輩!」
 熱量の塊みたいなゴリラが、俺の家の玄関に飛び込んできた。大暴れでもするのか、そう思ったが、飛び込んできた戸田は、桜川警部補をみて、目も口も大きく見開いて固まった。

「おまっ……お前、まさか、本当に……」
 戸田の太い指が、桜川警部補を指さして震えている。
「邪魔が入ったな。じゃあな、灯馬」
 ニヤリと笑った桜川警部補が颯爽と立ち去っていった。その後ろ姿に、ありがとうございました。と声を掛け、呆然と立ち尽くす戸田を押し出して、鍵を掛けた。

「ちょ、ちょっと! 松山せんぱーーい!」
 戸田を無視し、レシートを手にしてリビングへと戻った。


「おばあさんが来た」

 九月八日の夜、友人から連絡があった。俺と理斗が暮らしていたアパートに住んで貰っている友人だ。夫に先立たれたシングルマザーの彼女は、生活に困窮していた。そんな彼女と、特能班に所属し宿舎暮らしになった俺の利害は一致した。俺が家賃を補助する代わりに、彼女に部屋に住んでもらい、不審な来訪者や、理斗が尋ねてきたら教えて貰う事になった。約三年。彼女からの連絡は「誰も尋ねて来なかった」だった。俺は、焦る気持ちを抑え、夜中にアパートに向かった。

 彼女に話を聞き、アパートの玄関前に設置した小型の監視カメラを確認した。映っていたのは、年老いた女性と、背が高く、しなやかに鍛えられた若い男だった。顔はキャップで隠れている。

 彼女が言うには、もう一人若い男が居たというが、映像には映り込んでいなかった。映っていた二人の画像をスマホに保存し、彼女に礼を言ってアパートを後にした。

レシートを拾ったのが、九月二日の夜。不審な老婆が尋ねてきたのが、八日だ。

何か理斗を取り巻く環境が動いている気がしてならない。
早く、一刻も早く見つけて、理斗を安心させたい。俺は、気持ちばかりが焦った。

「メイドのみやげ? ふざけた名前だ。ここから調べるか……」
 明らかに職権乱用だ。権力に属するまでは知らなかった。権力がこんなに易々と、私用で利用されているとは。胸が痛むが、たとえ正義に反しても、職を失おうとも、やめようとは思わない。俺は必ず理斗を見つけ出す。

 
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