面談

玉木白見

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杜紀枝

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 気がつくと、この廊下に立っていた。

 小学校や中学校の廊下だろう。でも私の母校のそれとはまた何か違う。もう20年くらいも前の記憶だからはっきりとは覚えていないが、私の小学校や中学校の教室の壁や窓、掃除道具入れのロッカー、廊下、傘立てはもっと古く傷んでいたし汚かった。それに、太陽の光がよく入り、また昼でも蛍光灯がついていてとても明るかった。今のこの廊下はきれいで、でも外の光が入ってこないせいで薄暗い。向かって左側は教室がある。扉には3年1組から順番に組を表すプレートかかっているがこれもきれいだ。しかしその扉は鍵が掛かっており窓から中を見ることはできるものの入ることができない。窓から見る教室の向こう側の窓の先は、どこの学校にもあるような校庭があるのが見える。一部しか見えないがどうやら田舎の学校のようだ。向かって右の窓を見ると下には中庭があり、その中央には円形の花壇がぽつんと一つだけある。咲いているのはパンジーだろうか。ぽつぽつと隙間を開けて寂しそうに咲いていてどことなく元気がないように見える。中庭の位置から推測するにどうやらここは2階の廊下のようだ。

 私以外には誰もいないし気配も感じない。少し真っ直ぐ進むと、右に曲がる廊下があった。目をやると、廊下の先はさらに薄暗く先がよく見通せない。なんと長い廊下だろうか。なんとなく怖くなり右折せずそのまま真っすぐと進むことにした。小学校や中学校の頃と比べ天井が高いように感じるし、また横幅も広く感じる。それが余計に寂しさを演出している。

 こんなに誰もいない学校を見るのは初めてだ。廃校だろうか。
 
 この学校に何人の児童、生徒が通い、卒業して行ったのだろう。何人もの先生が教育をし、何人もの両親が訪れたことだろう。ここにいた一人ひとりがこの場所にそれぞれ違う思い出を持っているに違いない。それぞれが違う経験をし、違うことを学び、違うことを感じて生活していた。この廊下の壁はその感情、記憶をずっと見て感じ、吸収し、今もここに存在し続けているのを感じる。壁に手をやると、はっきりとわからない何かがジワーッと染み出してくるのを感じる。何百回と使った土鍋のようなものだ。壁だけではない。廊下、蛍光灯、ガラス、この学校全体が一人ひとりの思い出を吸い、それが染み込み、そして目に見えない何かに形を変えて少しずつ染み出している。今にも、天井や壁から当時の子どもたちがワイワイと声を上げながら走り出す姿、それを注意する教師の姿が見えてきそうそうだ。その時の空気、雲の流れ、土の匂い、光の進行とともに。そして、それはこの学校が亡くならない限り永遠にここに残り続ける。もちろん、いい思い出ばかりではないだろう。嫌な事、悪事もあっただろう。善悪関係なくすべてがここに凝縮され蓄えられている。

 そういった気持ちで見ているとこの学校のことを全く知らない自分にも何かこの場所がまったく別のものに見えてくる。中庭の花壇もまるで、神社に飾られている狐、地獄の門をじっと監視している考える人にも見えてくる。なんて趣のある風景だろう。ワクワクしてくる。いろいろな風景を見てきたがこういった風景もあるのだと気がつく。廃校、廃墟にも行ってみるべきだった、なぜ気が付かなかったのだろうと後悔する。無性にまた制作意欲が湧いてきて全身がウズウズしてくる。

 廊下をしばらく進むと、ある教室の扉が少し空いていることに気がついた。ここから教室に入れば奥の窓から、先程小さくしか見えなかった学校の校庭を眺めることができる。そう思いワクワクした気持ちで扉を開き中に入ると横の机の上に30インチくらいのモニタが置いてあることに気がついた。そのモニタは私が部屋に入ったのを感知したかのように自動的に電源が入り、なにか映像が流れ始めた。海と荒い波が叩きつける険しい岩崖。空から撮影された映像のようだ。
 「あっ」
 声が漏れる。そうだった。私、自殺の名所と言われているここに一人で来てたんだった。もちろん自殺するために来たのではない。自殺する人が自分の最期の場所としてここを選び、最後どんなことを思い身を投げるのだろう、そしてそんな場所にどのような意味があり、その場所を自分が見た時に何を感じるのか、その場所は私に何を教えてくれるのだろうか、それを味わいたくて来たのだった。

 黒と紫色の暗い感じのワンピースに、リボンの付いた小さめの麦わらの帽子をかぶった女性が一人、崖の先端の方へ進んでゆく。
 髪や服のなびき方から見て風が強く帽子も今にも空に飛んでいきそうだ。女性自身も時たま左右に振られる。
 上空にトビが数羽、優雅に飛んでいる。周りの木々はわさわさと騒ぎ立てている。沿道でマラソンの応援をしている人たちのように。
 他の観光客もちらほらと見える。ゆったりと散歩しながら観光を楽しんでいるようだ。

 トビの一羽が女性の方に方向を変える。やがて急降下し女性めがけて突っ込んでゆく。
 波がより激しく打ち付け、飛沫が岩に降り注ぐ。木々たちがよりいっそう騒ぎ立てる。
 トビが女性に近づき、重なり合った瞬間、その女性が崖の隙間へと吸い込まれるように姿を消していった。
 涙が溢れてくる。両腕を寒気が襲う。映像を見た瞬間にわかった。あれは私。
 「そうか。やっぱり。私、死んだんだ・・・」
 トビが後ろから迫って来ていることなんて全然気が付かなかった。それにしても崖の上の道は高い柵で覆われており普通にしていればよほどのことがない限り落ちるわけがない。そう自殺するために柵を自力でよじ登らない限り。どうしていとも簡単に落ちてしまったのか、全くわからない。
 観光客の数人がその様子を見ていたようだ。慌てて動き出す人が数人見える。
 
 映像が消える。
 暗くなったモニタに自分の顔が映る。こんな悲しい自分の顔を見たくはない。零れそうな涙を袖で拭い画面から目を背ける。
 ふと自分よりも先生のことが気になる。これからどうするんだろう。私がいなくなって大丈夫かしら。
 教室の窓から外を見る。校庭は少し汚れた深緑色の網で囲われていた。地面は砂利のように見える。陸上競技部が練習で使うようなトラックが薄い白線で引かれている。所々欠けているところを見ると石灰で書かれているのだろう。右奥には小さな山とジャングルジムがある。あんなものがあるなんて小学校なのだろうか。その近くに鉄棒もある。私は中学生になっても逆上がりができなかった。校庭の先は道路を挟んで、田んぼや畑が広がっているようだ。ポツポツと農家のようなものも見える。長閑な田舎。一体どこなのだろう。全く見覚えのない場所だ。

 窓を開け、風を感じながらしばらく外を眺めていた。それから教室を出て、また廊下を進む。
 しばらく進むと、また扉が空いた教室があった。その入り口には「こちらの教室に入りでお待ち下さい。」とある。手書きだ。不気味で身の毛がよだつが筆跡からは悪意は感じられず、むしろ優しがを感じる。一体何が始まるというのか。
 恐る恐る教室入ると、一人の男が椅子に座って待っていた。机と椅子は少し移動されていて、親子と先生で行う三者面談のような形に整っている。男は私が入っていくるのを見るとさっと立ち上がり、丁寧に挨拶をした。
 「武井杜紀枝(タケイ トキエ)さんですね。お待ちしておりました。どうぞお掛けくださいませ。」
 そのスーツを着た男は、そう言って私が座りやすいように席を後ろに引いた。とても紳士な態度で再度私をエスコートしてくれた。
 「失礼します。」
 意味もわからないまま席につく。

 「はじめまして。私は萬永(バンエイ)と申します。
 ご様子から見て、もうご自身の状況について認識されているかと思います。
 私は、死後のあなたの進路について最適な道をご提案する者です。そのためにあなたの生前の経験や人生観、考え方などを詳しく知りたいと思います。つきましては差し支えなければ少しの間お時間をいただき、お話をお聞かせ願えればと思うのですがよろしいでしょうか。」
 「死後の進路ですか?」
 「はい。輪廻転生とか聞いたことがあるかと思いますが、そのようなものです。」
 「りんね・・あまり聞いたことが。」
 「そうですか。お話は強制ではございません。差し支えなければで結構です。」
 少し間、沈黙する。でもこの場で特にやることもない。
 「はい、特に問題ないです。よろしくお願いいたします。」
こうやって半信半疑のまま、面談が始まった。
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