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プロローグ その日、少女たちは「不潔」という名の絶望を知った
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「んっ、あ、あ、だめ、相田くん、深いっ……♡」
星奈歌恋(ほしなかれん)は、愛するミナトの上に跨り一心不乱に腰を打ち付けていた。
汗ばんだ肌と肌がぶつかり合い、結合部から突き上げる熱量が彼女の理性を甘く溶かしていく。
(あぁ……感じる。私の愛が、悦びが……この『拠点』に吸い上げられていく……♡)
彼と繋がり愛し合うこと。
それだけがこの過酷な異世界で唯一の安息地――彼が作り出す『拠点』を広げ、進化させるエネルギー源なのだ。
だから、もっと。もっと激しく。
「いいよ、相田くん……私の全部搾り取って!この家を、私たちの愛でいっぱいにしてぇッ!♡」
絶頂の波が押し寄せる。
子宮の入り口をノックされる快感と共に彼女は確信する。
この爆発的なエクスタシーが明日への希望(レベルアップ)になるのだと。
「んぎぃッ!いくッ!相田くん、大好きぃぃぃッ!♡」
◇◇◇◇◇
私立「天華(てんか)」芸能学園。
そこは神に愛された才能たちが集う現代の『芸術の頂(パルナッソス)』だ。
ガラス張りの校舎に降り注ぐ陽光は計算された照明のように生徒たちを照らし出している。
廊下ですれ違うのは、昨夜のドラマで主演を張っていた若手俳優や、SNSのフォロワー数が数百万を超えるトップインフルエンサーたち。
美貌、才能、家柄。
すべてを持てる者だけが呼吸を許される残酷なまでに美しい箱庭。
教室の中央では今日も華やかな輪ができている。
「昨日の歌番組、見たよカレン!あのウインク、反則級に可愛かった!」
「もう、やだなぁ。あれはカメラさんが良い角度で抜いてくれたからだよぉ」
鈴を転がすような甘い声が教室の空気をピンク色に染める。
星奈(ほしな)歌恋(かれん)。
国民的アイドルグループの絶対的センターであり、この学園のカーストトップに君臨する少女。
亜麻色のふわふわとしたロングヘアに宝石のようなアクアマリンの瞳。
その肢体は折れそうに華奢で、肌は発光しているかのように白い。
彼女はただそこにいるだけで、殺伐とした教室を一瞬にしてステージに変えてしまう「主役(ヒロイン)」のオーラを纏っていた。
そんな煌びやかな世界から視線を外し、僕は教室の隅で黙々とドライバーを回していた。
相田(あいだ)ミナト。それが僕の名前だ。
演劇やダンスの授業で主役を張る彼らとは違い、僕の専攻は「舞台美術」。
彼らが立つステージを作り、光を当て、最高に輝かせるための裏方(クリエイター)だ。
(……椅子の脚のガタつき、これでよし。ネジ山が少し摩耗してたな)
修理を終えたパイプ椅子を確認しているとふわりと甘いバニラの香りが鼻先をくすぐった。
「あ、相田くん。おはよっ」
顔を上げると、そこには至近距離で僕を覗き込む星奈歌恋の顔があった。
完璧な黄金比で構成されたベビーフェイス。
近距離で見ても毛穴ひとつない陶器のような肌。
「おはよう、星奈さん」
「昨日はありがとうね!学園祭のリハ、相田くんが照明(ライティング)を調整してくれたおかげで、私、すごく踊りやすかったの。
やっぱり相田くんがいてくれると安心するなぁ」
彼女は屈託のない笑顔でそう言った。
クラスの男子たちが羨望と嫉妬の入り混じった視線を向けてくるが、彼女は気にする様子もない。
だが、僕は知っている。
彼女が極度の「見られたがり」であり、同時に病的なほどの「潔癖症」であることを。
僕が調整した照明が、彼女の肌を最も白く、神聖に見せる角度だったからこそ彼女は僕を評価しているのだ。
「君が輝く手伝いができたなら職人冥利に尽きるよ」
「ふふっ、相田くんって本当、職人さんだよね。そういうとこ嫌いじゃないよ」
カレンは小さく手を振って、自分にふさわしい場所――カースト上位の女子たちの輪へと戻っていった。
ほんの一瞬の交流。
だが、僕にとってはそれで十分だった。
美しい原石を最高の環境で磨き上げることこそが僕の喜びなのだから。
その時、廊下に小気味よいヒールの音が響いた。
カツ、カツ、カツ。
その規則正しいリズムだけでざわついていた教室が水を打ったように静まり返る。
ガラリと扉が開き芳醇な真紅の薔薇の香りが教室に満ちた。
「席につきなさい。ホームルームを始めますよ」
担任教師、西園寺(さいおんじ)レイカ。
かつて「銀幕の薔薇」と謳われ、世界的な映画賞を総なめにした伝説の元女優だ。
二十代後半とは思えない透き通るような白磁の肌。
意志の強さを宿した切れ長の瞳。
タイトなスーツに包まれたボディラインは、現役時代よりもさらに洗練された色香を放っている。
彼女は「美」の具現化だった。
汗臭さも、生活感も、老いも、すべての「穢れ」を拒絶した、完全なる文明の象徴。
男子生徒たちの多くが彼女をオカズに夜を慰めていることは公然の秘密だ。
「今日は進路希望の最終提出日です。まだの人は……」
彼女が教壇で出席簿を開いた、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!!
地鳴りのような振動が空間を揺さぶり、視界が真っ白な光に塗り潰された。
「きゃっ!?」
「な、なんだ!?」
西園寺先生の凛とした指示も、生徒たちの悲鳴も、すべてが光の奔流に飲み込まれていく。
僕の意識もまたその白の中に溶けていった。
***
次に目を開けた時、そこには何もなかった。
上下左右、見渡す限りの純白。
壁も天井もない無限に続く白い空間にクラスメイト三十名と西園寺先生だけが取り残されていた。
『ようこそ、異界の勇者たちよ』
脳に直接響くような無機質な声と共に、空間の中央に光の粒子が集束し「女神」の姿を形作った。
神々しいまでの美貌。
だがその瞳には人間に対する慈愛など欠片もなく、実験動物を見るような冷徹な光が宿っていた。
彼女が告げたのはあまりにも理不尽な宣告だった。
異世界への転移。
魔王討伐の強制。
そして、こちらの世界の常識が通用しない過酷なルール。
『一度に全員を送ることはできません。エネルギー効率の観点から、一グループ五人までの編成で順次転移させます』
『この空間での三時間は向こうの世界での約二週間に相当します。時間の流れが異なるのです』
『ミッションに失敗、あるいは再起不能と判断された場合、グループはこの空間に強制送還されます。その際は記憶処理の上、元の世界にお返ししましょう』
「ふざけるな!俺は来週ドラマの撮影があるんだぞ!」
クラスの中心人物、剛田(ごうだ)カケルが叫んだが、女神は一瞥もしない。
絶対的な力の差に、誰もが沈黙を余儀なくされた。
そんな中、最初に手を挙げたのはやはり彼女だった。
「……私が行きましょう」
西園寺レイカ。
彼女は震える生徒たちを背に庇い、毅然とした態度で女神を見据えた。
「私は担任です。生徒を危険な場所にいきなり行かせるわけにはいきません。まずは私が安全を確認してきます」
「先生!」
「俺も行きます!先生一人に行かせらんねぇよ!」
剛田カケルが立ち上がり、それに続いて彼の取り巻きである男子生徒たち、いわゆる「一軍」の四名が名乗りを上げた。
彼らは皆、現代でもスポーツ万能で自信に満ち溢れた強者たちだ。
女神が彼らに手をかざすと、頭上に輝く文字が浮かび上がった。
【聖剣使い】
【賢者】
【疾風の槍】
【重装戦士】。
そして西園寺先生には【聖女】の文字が。
まさにRPGの主人公パーティのような強力な戦闘スキル。
剛田は自分の手に現れた輝く剣を見てニヤリと笑った。
「へっ、楽勝じゃん。魔王だか何だか知らねーけど、俺たちの才能なら一瞬でクリアしてやるよ」
西園寺先生の【聖女】スキルは、あらゆる傷を癒やし邪悪を浄化する最高位の能力だという。
その神々しさはさらに増し、彼女自身が女神のようだった。
「皆さん、ここで待っていてください。すぐに終わらせて迎えに来ますから」
彼女のその言葉は、完璧な自信と、生徒を守るという崇高な使命感に満ちていた。
髪の毛一本すら乱れず、良い香りを漂わせた完璧な美女。
それが、僕たちが最後に見た彼女の「人間の姿」だった。
シュンッ、と音がして、彼らは消えた。
***
残された僕たちは白い空間で待機することになった。
三時間。 向こうの世界では、二週間。
その時間経過のズレが、奇妙な不安を煽る。
「剛田のやつ、いいとこ取りかよ」
「先生がいれば安心だよね。怪我してもすぐ治せるし」
クラスメイトたちは比較的楽観的だった。
強力なスキル。
頼れる大人。
失敗する要素が見当たらない。
カレンもまた、不安そうに膝を抱えていたが僕が「大丈夫だよ」と声をかけると少しだけ表情を緩めていた。
だが、僕は言いようのない胸騒ぎを覚えていた。
舞台設営の現場でもそうだ。
一番怖いのは、目に見えるトラブルではない。
演者の体調、空調の不具合、トイレの混雑……そういった「環境」の綻びが最高のステージを崩壊させることを僕は知っていたからだ。
そして、長い長い三時間が経過した。
空間の中央が再び眩い光に包まれる。
「あ、戻ってきた!」
「おかえりー!どうだった!?」
生徒たちが歓声を上げて駆け寄る。
光が収束し、五人の人影が実体化する。
誰もが英雄の凱旋を信じていた。
魔王を倒し、誇らしげに帰還する彼らの姿を。
だが。
「……え?」
「う、わ……」
誰かの引きつった声が漏れた。
歓声は一瞬にして凍りつき、教室のような空間は、通夜のような、いや、もっとおぞましい静寂に支配された。
そこに立っていたのは数時間前に送り出した「英雄」たちではなかった。
プウンッ――。
鼻を突く強烈な腐臭が漂ってきた。
それは、何日も風呂に入っていない汗が酸化した酸っぱい臭いと、腐った泥、そして――隠しようのない、生々しい排泄物の臭いだった。
「あ……う、あ……」
先頭に立っていたのは西園寺レイカだった「モノ」だ。
完璧だったタイトスカートは見る影もなくボロボロに引き裂かれ、泥と何かの体液で茶色く変色している。
白磁のようだった肌は垢にまみれ、無数の虫刺されと化膿した傷で赤黒く腫れ上がり、美しい髪は脂で固まって、海藻のように顔に張り付いていた。
そして何より、衝撃的だったのは彼女の下半身だ。
破れたストッキングの奥、太ももの内側に、べっとりとへばりついた茶色い固形物。
さらに、彼女の意思とは無関係に股間からは今もチョロチョロと黄色い液体が垂れ流され、床に水たまりを作っている。
「いや……暗い……臭い……もう嫌ぁ……」
彼女の瞳から知性の光は完全に消え失せていた。
虚ろな目で宙を見つめガタガタと震えながら、自身の汚物にまみれた体を抱きしめている。
あの凛とした「銀幕の薔薇」の姿はどこにもない。
そこにあるのは野生の過酷さに敗北し、尊厳を剥ぎ取られたただの哀れな肉塊だった。
「マ、ママ……お水……お風呂……」
剛田たちも同様だった。
自信満々だった表情は恐怖に歪み、一人は体育座りをして失禁し、もう一人は自慢の筋肉を掻きむしりながら幼児退行を起こしている。
衛生管理の崩壊。
尊厳の喪失。
終わりのない不潔とストレスによる精神の死。
「ひっ……うぅ、あぁかゆい、かゆいよぉ……私、汚い……」
西園寺先生が狂ったように自分の首筋を掻きむしる。
剥がれ落ちた垢と共に爪の間から血が滲む。
彼女はもう、自分が生徒たちの前にいることさえ認識できていないようだった。
ただひたすらに、自身の体から発せられる悪臭とこびりついた汚れに怯え続けている。
『あらあら。やはり失敗でしたか』
女神の声は、あまりにも軽かった。
彼女は汚物にまみれた彼らをまるで出来損ないの生ゴミを見るような目で見下ろした。
『戦闘力は十分でしたが、環境適応能力が皆無でしたね。不衛生な環境による感染症、栄養失調、そして終わりのないストレスによる精神崩壊。魔物に殺される以前の問題です』
女神が指をパチンと鳴らす。
西園寺たち五人の体が光の粒子となって分解されていく。
『約束通り、元の世界にお返しします。記憶を消してね。もっとも、壊れた心が元に戻るかは知りませんが』
光が消えるとそこには誰もいなかった。
残されたのは、床に残った汚物の染みと強烈な残臭だけ。
生徒たちは恐怖で悲鳴を上げる気力さえ失っていた。
魔王と戦う?
世界を救う?
そんなファンタジーな話ではない。
待っているのは「汚れて、狂って、死ぬ」という、あまりにもリアルで生理的な地獄だ。
「嫌だ……行きたくない!あんな風になりたくない!」
星奈カレンがその場に座り込み錯乱したように叫んだ。
美しいアイドルである彼女にとって、西園寺先生の末路は死刑宣告よりも恐ろしい未来図だった。
排泄物を垂れ流し、悪臭を放ちながら狂うなんて想像するだけで精神が壊れそうになる。
だが、女神は無慈悲に次のリストを読み上げる。
『では、第2班。転移を開始します』
空中に名前が浮かび上がる。
【星奈歌恋】
【王美鈴】
【一ノ瀬清花】
【日向莉央】
そして、最後の一人。
【相田ミナト】
「えっ……」
僕の名前だ。
カレンが青ざめた顔で僕を見る。
他の女子たちも同様だ。
誰もが「終わった」という顔をしていた。
戦闘系の男子エースたちが全滅したのに、残ったのはアイドル、拳法家、委員長、スポーツ女子、そして裏方の地味な男。
戦力バランス云々の前に精神的に脆そうなメンバーばかりだ。
(……いや、違う)
絶望する彼女たちをよそに僕の中で冷徹な計算が走る。
西園寺先生たちが負けた原因は「魔王」ではない。
「生活環境」だ。
風呂に入れないストレス、トイレがない羞恥心、虫や汚れへの嫌悪感。
それが人間としての尊厳を削り精神を殺したのだ。
だとしたら。
僕に与えられたスキル【拠点設営】。
女神の説明書きには「安全な休憩所を作る」としか書かれていなかった地味なスキルだが、これこそがこのクソみたいな状況を打破する唯一の鍵なんじゃないか?
(清潔な水、安全な寝床、そしてプライバシー。それさえあれば人間は壊れない)
『それではいってらっしゃい。健闘を祈ります』
有無を言わさぬ光が僕たち五人を包み込む。
カレンの絶叫、サヤカの悲鳴、リオとメイリンの息を呑む音。
(大丈夫だ、カレン。君たちをあんな風にはさせない)
視界が白に染まり浮遊感が襲う。
次に目を開ける時、僕の「裏方」としての本当の仕事が始まるのだ。
S級の美女たちを、泥と汚濁の世界で誰よりも美しく輝かせるための戦いが。
星奈歌恋(ほしなかれん)は、愛するミナトの上に跨り一心不乱に腰を打ち付けていた。
汗ばんだ肌と肌がぶつかり合い、結合部から突き上げる熱量が彼女の理性を甘く溶かしていく。
(あぁ……感じる。私の愛が、悦びが……この『拠点』に吸い上げられていく……♡)
彼と繋がり愛し合うこと。
それだけがこの過酷な異世界で唯一の安息地――彼が作り出す『拠点』を広げ、進化させるエネルギー源なのだ。
だから、もっと。もっと激しく。
「いいよ、相田くん……私の全部搾り取って!この家を、私たちの愛でいっぱいにしてぇッ!♡」
絶頂の波が押し寄せる。
子宮の入り口をノックされる快感と共に彼女は確信する。
この爆発的なエクスタシーが明日への希望(レベルアップ)になるのだと。
「んぎぃッ!いくッ!相田くん、大好きぃぃぃッ!♡」
◇◇◇◇◇
私立「天華(てんか)」芸能学園。
そこは神に愛された才能たちが集う現代の『芸術の頂(パルナッソス)』だ。
ガラス張りの校舎に降り注ぐ陽光は計算された照明のように生徒たちを照らし出している。
廊下ですれ違うのは、昨夜のドラマで主演を張っていた若手俳優や、SNSのフォロワー数が数百万を超えるトップインフルエンサーたち。
美貌、才能、家柄。
すべてを持てる者だけが呼吸を許される残酷なまでに美しい箱庭。
教室の中央では今日も華やかな輪ができている。
「昨日の歌番組、見たよカレン!あのウインク、反則級に可愛かった!」
「もう、やだなぁ。あれはカメラさんが良い角度で抜いてくれたからだよぉ」
鈴を転がすような甘い声が教室の空気をピンク色に染める。
星奈(ほしな)歌恋(かれん)。
国民的アイドルグループの絶対的センターであり、この学園のカーストトップに君臨する少女。
亜麻色のふわふわとしたロングヘアに宝石のようなアクアマリンの瞳。
その肢体は折れそうに華奢で、肌は発光しているかのように白い。
彼女はただそこにいるだけで、殺伐とした教室を一瞬にしてステージに変えてしまう「主役(ヒロイン)」のオーラを纏っていた。
そんな煌びやかな世界から視線を外し、僕は教室の隅で黙々とドライバーを回していた。
相田(あいだ)ミナト。それが僕の名前だ。
演劇やダンスの授業で主役を張る彼らとは違い、僕の専攻は「舞台美術」。
彼らが立つステージを作り、光を当て、最高に輝かせるための裏方(クリエイター)だ。
(……椅子の脚のガタつき、これでよし。ネジ山が少し摩耗してたな)
修理を終えたパイプ椅子を確認しているとふわりと甘いバニラの香りが鼻先をくすぐった。
「あ、相田くん。おはよっ」
顔を上げると、そこには至近距離で僕を覗き込む星奈歌恋の顔があった。
完璧な黄金比で構成されたベビーフェイス。
近距離で見ても毛穴ひとつない陶器のような肌。
「おはよう、星奈さん」
「昨日はありがとうね!学園祭のリハ、相田くんが照明(ライティング)を調整してくれたおかげで、私、すごく踊りやすかったの。
やっぱり相田くんがいてくれると安心するなぁ」
彼女は屈託のない笑顔でそう言った。
クラスの男子たちが羨望と嫉妬の入り混じった視線を向けてくるが、彼女は気にする様子もない。
だが、僕は知っている。
彼女が極度の「見られたがり」であり、同時に病的なほどの「潔癖症」であることを。
僕が調整した照明が、彼女の肌を最も白く、神聖に見せる角度だったからこそ彼女は僕を評価しているのだ。
「君が輝く手伝いができたなら職人冥利に尽きるよ」
「ふふっ、相田くんって本当、職人さんだよね。そういうとこ嫌いじゃないよ」
カレンは小さく手を振って、自分にふさわしい場所――カースト上位の女子たちの輪へと戻っていった。
ほんの一瞬の交流。
だが、僕にとってはそれで十分だった。
美しい原石を最高の環境で磨き上げることこそが僕の喜びなのだから。
その時、廊下に小気味よいヒールの音が響いた。
カツ、カツ、カツ。
その規則正しいリズムだけでざわついていた教室が水を打ったように静まり返る。
ガラリと扉が開き芳醇な真紅の薔薇の香りが教室に満ちた。
「席につきなさい。ホームルームを始めますよ」
担任教師、西園寺(さいおんじ)レイカ。
かつて「銀幕の薔薇」と謳われ、世界的な映画賞を総なめにした伝説の元女優だ。
二十代後半とは思えない透き通るような白磁の肌。
意志の強さを宿した切れ長の瞳。
タイトなスーツに包まれたボディラインは、現役時代よりもさらに洗練された色香を放っている。
彼女は「美」の具現化だった。
汗臭さも、生活感も、老いも、すべての「穢れ」を拒絶した、完全なる文明の象徴。
男子生徒たちの多くが彼女をオカズに夜を慰めていることは公然の秘密だ。
「今日は進路希望の最終提出日です。まだの人は……」
彼女が教壇で出席簿を開いた、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!!
地鳴りのような振動が空間を揺さぶり、視界が真っ白な光に塗り潰された。
「きゃっ!?」
「な、なんだ!?」
西園寺先生の凛とした指示も、生徒たちの悲鳴も、すべてが光の奔流に飲み込まれていく。
僕の意識もまたその白の中に溶けていった。
***
次に目を開けた時、そこには何もなかった。
上下左右、見渡す限りの純白。
壁も天井もない無限に続く白い空間にクラスメイト三十名と西園寺先生だけが取り残されていた。
『ようこそ、異界の勇者たちよ』
脳に直接響くような無機質な声と共に、空間の中央に光の粒子が集束し「女神」の姿を形作った。
神々しいまでの美貌。
だがその瞳には人間に対する慈愛など欠片もなく、実験動物を見るような冷徹な光が宿っていた。
彼女が告げたのはあまりにも理不尽な宣告だった。
異世界への転移。
魔王討伐の強制。
そして、こちらの世界の常識が通用しない過酷なルール。
『一度に全員を送ることはできません。エネルギー効率の観点から、一グループ五人までの編成で順次転移させます』
『この空間での三時間は向こうの世界での約二週間に相当します。時間の流れが異なるのです』
『ミッションに失敗、あるいは再起不能と判断された場合、グループはこの空間に強制送還されます。その際は記憶処理の上、元の世界にお返ししましょう』
「ふざけるな!俺は来週ドラマの撮影があるんだぞ!」
クラスの中心人物、剛田(ごうだ)カケルが叫んだが、女神は一瞥もしない。
絶対的な力の差に、誰もが沈黙を余儀なくされた。
そんな中、最初に手を挙げたのはやはり彼女だった。
「……私が行きましょう」
西園寺レイカ。
彼女は震える生徒たちを背に庇い、毅然とした態度で女神を見据えた。
「私は担任です。生徒を危険な場所にいきなり行かせるわけにはいきません。まずは私が安全を確認してきます」
「先生!」
「俺も行きます!先生一人に行かせらんねぇよ!」
剛田カケルが立ち上がり、それに続いて彼の取り巻きである男子生徒たち、いわゆる「一軍」の四名が名乗りを上げた。
彼らは皆、現代でもスポーツ万能で自信に満ち溢れた強者たちだ。
女神が彼らに手をかざすと、頭上に輝く文字が浮かび上がった。
【聖剣使い】
【賢者】
【疾風の槍】
【重装戦士】。
そして西園寺先生には【聖女】の文字が。
まさにRPGの主人公パーティのような強力な戦闘スキル。
剛田は自分の手に現れた輝く剣を見てニヤリと笑った。
「へっ、楽勝じゃん。魔王だか何だか知らねーけど、俺たちの才能なら一瞬でクリアしてやるよ」
西園寺先生の【聖女】スキルは、あらゆる傷を癒やし邪悪を浄化する最高位の能力だという。
その神々しさはさらに増し、彼女自身が女神のようだった。
「皆さん、ここで待っていてください。すぐに終わらせて迎えに来ますから」
彼女のその言葉は、完璧な自信と、生徒を守るという崇高な使命感に満ちていた。
髪の毛一本すら乱れず、良い香りを漂わせた完璧な美女。
それが、僕たちが最後に見た彼女の「人間の姿」だった。
シュンッ、と音がして、彼らは消えた。
***
残された僕たちは白い空間で待機することになった。
三時間。 向こうの世界では、二週間。
その時間経過のズレが、奇妙な不安を煽る。
「剛田のやつ、いいとこ取りかよ」
「先生がいれば安心だよね。怪我してもすぐ治せるし」
クラスメイトたちは比較的楽観的だった。
強力なスキル。
頼れる大人。
失敗する要素が見当たらない。
カレンもまた、不安そうに膝を抱えていたが僕が「大丈夫だよ」と声をかけると少しだけ表情を緩めていた。
だが、僕は言いようのない胸騒ぎを覚えていた。
舞台設営の現場でもそうだ。
一番怖いのは、目に見えるトラブルではない。
演者の体調、空調の不具合、トイレの混雑……そういった「環境」の綻びが最高のステージを崩壊させることを僕は知っていたからだ。
そして、長い長い三時間が経過した。
空間の中央が再び眩い光に包まれる。
「あ、戻ってきた!」
「おかえりー!どうだった!?」
生徒たちが歓声を上げて駆け寄る。
光が収束し、五人の人影が実体化する。
誰もが英雄の凱旋を信じていた。
魔王を倒し、誇らしげに帰還する彼らの姿を。
だが。
「……え?」
「う、わ……」
誰かの引きつった声が漏れた。
歓声は一瞬にして凍りつき、教室のような空間は、通夜のような、いや、もっとおぞましい静寂に支配された。
そこに立っていたのは数時間前に送り出した「英雄」たちではなかった。
プウンッ――。
鼻を突く強烈な腐臭が漂ってきた。
それは、何日も風呂に入っていない汗が酸化した酸っぱい臭いと、腐った泥、そして――隠しようのない、生々しい排泄物の臭いだった。
「あ……う、あ……」
先頭に立っていたのは西園寺レイカだった「モノ」だ。
完璧だったタイトスカートは見る影もなくボロボロに引き裂かれ、泥と何かの体液で茶色く変色している。
白磁のようだった肌は垢にまみれ、無数の虫刺されと化膿した傷で赤黒く腫れ上がり、美しい髪は脂で固まって、海藻のように顔に張り付いていた。
そして何より、衝撃的だったのは彼女の下半身だ。
破れたストッキングの奥、太ももの内側に、べっとりとへばりついた茶色い固形物。
さらに、彼女の意思とは無関係に股間からは今もチョロチョロと黄色い液体が垂れ流され、床に水たまりを作っている。
「いや……暗い……臭い……もう嫌ぁ……」
彼女の瞳から知性の光は完全に消え失せていた。
虚ろな目で宙を見つめガタガタと震えながら、自身の汚物にまみれた体を抱きしめている。
あの凛とした「銀幕の薔薇」の姿はどこにもない。
そこにあるのは野生の過酷さに敗北し、尊厳を剥ぎ取られたただの哀れな肉塊だった。
「マ、ママ……お水……お風呂……」
剛田たちも同様だった。
自信満々だった表情は恐怖に歪み、一人は体育座りをして失禁し、もう一人は自慢の筋肉を掻きむしりながら幼児退行を起こしている。
衛生管理の崩壊。
尊厳の喪失。
終わりのない不潔とストレスによる精神の死。
「ひっ……うぅ、あぁかゆい、かゆいよぉ……私、汚い……」
西園寺先生が狂ったように自分の首筋を掻きむしる。
剥がれ落ちた垢と共に爪の間から血が滲む。
彼女はもう、自分が生徒たちの前にいることさえ認識できていないようだった。
ただひたすらに、自身の体から発せられる悪臭とこびりついた汚れに怯え続けている。
『あらあら。やはり失敗でしたか』
女神の声は、あまりにも軽かった。
彼女は汚物にまみれた彼らをまるで出来損ないの生ゴミを見るような目で見下ろした。
『戦闘力は十分でしたが、環境適応能力が皆無でしたね。不衛生な環境による感染症、栄養失調、そして終わりのないストレスによる精神崩壊。魔物に殺される以前の問題です』
女神が指をパチンと鳴らす。
西園寺たち五人の体が光の粒子となって分解されていく。
『約束通り、元の世界にお返しします。記憶を消してね。もっとも、壊れた心が元に戻るかは知りませんが』
光が消えるとそこには誰もいなかった。
残されたのは、床に残った汚物の染みと強烈な残臭だけ。
生徒たちは恐怖で悲鳴を上げる気力さえ失っていた。
魔王と戦う?
世界を救う?
そんなファンタジーな話ではない。
待っているのは「汚れて、狂って、死ぬ」という、あまりにもリアルで生理的な地獄だ。
「嫌だ……行きたくない!あんな風になりたくない!」
星奈カレンがその場に座り込み錯乱したように叫んだ。
美しいアイドルである彼女にとって、西園寺先生の末路は死刑宣告よりも恐ろしい未来図だった。
排泄物を垂れ流し、悪臭を放ちながら狂うなんて想像するだけで精神が壊れそうになる。
だが、女神は無慈悲に次のリストを読み上げる。
『では、第2班。転移を開始します』
空中に名前が浮かび上がる。
【星奈歌恋】
【王美鈴】
【一ノ瀬清花】
【日向莉央】
そして、最後の一人。
【相田ミナト】
「えっ……」
僕の名前だ。
カレンが青ざめた顔で僕を見る。
他の女子たちも同様だ。
誰もが「終わった」という顔をしていた。
戦闘系の男子エースたちが全滅したのに、残ったのはアイドル、拳法家、委員長、スポーツ女子、そして裏方の地味な男。
戦力バランス云々の前に精神的に脆そうなメンバーばかりだ。
(……いや、違う)
絶望する彼女たちをよそに僕の中で冷徹な計算が走る。
西園寺先生たちが負けた原因は「魔王」ではない。
「生活環境」だ。
風呂に入れないストレス、トイレがない羞恥心、虫や汚れへの嫌悪感。
それが人間としての尊厳を削り精神を殺したのだ。
だとしたら。
僕に与えられたスキル【拠点設営】。
女神の説明書きには「安全な休憩所を作る」としか書かれていなかった地味なスキルだが、これこそがこのクソみたいな状況を打破する唯一の鍵なんじゃないか?
(清潔な水、安全な寝床、そしてプライバシー。それさえあれば人間は壊れない)
『それではいってらっしゃい。健闘を祈ります』
有無を言わさぬ光が僕たち五人を包み込む。
カレンの絶叫、サヤカの悲鳴、リオとメイリンの息を呑む音。
(大丈夫だ、カレン。君たちをあんな風にはさせない)
視界が白に染まり浮遊感が襲う。
次に目を開ける時、僕の「裏方」としての本当の仕事が始まるのだ。
S級の美女たちを、泥と汚濁の世界で誰よりも美しく輝かせるための戦いが。
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