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第11章 五色の恋模様! デート大作戦と新たなる胎動
クラウディア編 氷の令嬢と、計算外のハプニング
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リゼットとの、甘く、そしてどこか懐かしい一日が過ぎた翌日。
デート大作戦の二日目を担当するのは、誇り高き氷の令嬢、クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインだった。
待ち合わせ場所である学院の正門前。
そこに現れた彼女の姿に、僕は、思わず息を呑んだ。
「言っておくけれど、これはデートではないわ。あくまで、王都の防衛設備と、その歴史的背景を再確認するための、戦術的視察よ」。
腕を組み、澄ました顔でそう宣う彼女は、いつもの実用的な騎士服ではなく、知的な紺色のワンピースに身を包んでいた。
銀の髪は、編み込みにされて上品にまとめられ、首元には、彼女の碧眼と同じ色合いの、小さなサファイアのネックレスが輝いている。
それは、騎士としての彼女ではなく、名門貴族の令嬢としての、完璧な装いだった。
だが、その完璧に計算され尽くしたポーカーフェイスも、僕の高性能な観察眼の前では、わずかなノイズを隠しきれない。
ピンと伸びた背筋とは裏腹に、その白魚のような指先は、ハンドバッグの縁を、落ち着きなく彷徨っている。
そして何より、僕の視線に気づいた瞬間、その白い耳が、ほんのりと、桜色に染まったことを、僕の脳内メモリは、しっかりと記録していた。
(ふむ。心拍数のわずかな上昇を検知。体表温度の変化は、末端部に顕著に現れている。
これは、精神的な緊張状態が、自律神経系に影響を及ぼしている典型的な兆候だ。彼女にとって、この『戦術的視察』が、いかに重要なミッションであるかが窺えるな)。
僕が、そんな、どこまでも科学的な分析をしているとは露知らず、クラウディアは、咳払いを一つすると、すっと僕に背を向けた。
「さあ、行くわよ、プロデューサー。今日の視察スケジュールは、分刻みで完璧に計算されているわ。無駄話をしている時間はないのだから」。
彼女が選んだコースは、王立図書館、歴史博物館、そして古代遺跡から発掘された魔導具の特別展示会。
実に、彼女らしい、知的で、アカデミックなデートプランだった。
最初の目的地、王立図書館。
そこは、静寂と、古びた紙の匂いに満ちた、知の聖域だった。
僕たちは、巨大な書架の迷宮を、音もなく歩いていく。
「…この図書館の蔵書数は、およそ三百万冊。そのうち、魔法に関する文献が約四割を占めているわ。特に、あちらの第三書庫に保管されている『古代魔法文明期』の文献は、この国でもトップクラスのコレクションよ」。
彼女は、まるで自分の庭を案内するかのように、淀みなく解説していく。
その横顔は、誇りに満ちて、美しかった。
「ほう、素晴らしい。僕も、古代文明における、エーテルとマナの相互変換理論には、かねてより興味があったんだ。特に、現代では失われたとされる、『空間転移魔法』の基礎理論についての文献は、あるだろうか?」。
僕の、専門的すぎる問いかけに、彼女は、一瞬、驚いたように目を見開いた後、その碧眼に、好敵手を見つけたかのような、挑戦的な輝きを宿した。
「…フン、あなたも物好きね。空間転移魔法は、あまりにも膨大なエネルギーと、複雑な術式を必要とするため、現代では、もはや机上の空論とされているわ。でも、その基礎理論が記されているとされる、伝説の魔導書…『アカシック・レコードの写本』の断片なら、この図書館の禁書庫に、厳重に保管されているという噂よ」。
「アカシック・レコード!」。
僕の、科学者としての魂が、激しく震えた。
それは、前世のオカルト雑誌で、幾度となく目にした、伝説の名だ。
「まさか、この世界に、実在したとは…!ぜひ、閲覧したいものだ!」。
「無理よ。禁書庫への立ち入りは、王家の許可がなければ、たとえ貴族であっても許されないわ。…まあ、いつか、あなたとその謎に挑むのも、悪くないかもしれないけれど」。
そう言って、ふい、とそっぽを向く彼女。
その言葉の端々に滲む、僕への対抗心と、そして、それ以上に深い、知的好奇心の共有。
この、言葉少なでも通じ合える感覚は、リゼットとのそれとは、また違う、心地よさがあった。
次に訪れた、歴史博物館。
そこは、この国の栄光と、戦いの記憶が、静かに眠る場所だった。
「この絵画に描かれている騎士は、我がヴァレンシュайん家の初代当主、ジークフリート・フォン・ヴァレンシュタイン。建国戦争の折、たった一騎で、千の魔獣の軍勢を退けたという、伝説の英雄よ」。
彼女は、一枚の、古びた肖像画の前で、足を止めた。
そこに描かれていたのは、銀の鎧に身を包み、氷の魔剣を携えた、彼女とよく似た、碧眼の騎士。
その姿は、気高く、そして、どこか物悲しげだった。
「ヴァレンシュタイン家に代々伝わる剣技は、彼が編み出したもの。美しく、気高く、そして、何よりも、守るべき者のための、誇り高き剣。それが、私たちの教えよ」。
彼女の声には、一族への、そして、自らの血に流れる騎士としての誇りが、満ち溢れていた。
だが、その完璧なエスコートは、時折、計算外のハプニングに見舞われた。
博物館の、最奥。
そこに展示されていたのは、かつて、この国を滅亡の危機に陥れたという、伝説の古代兵器。
その、巨大な腕の模型だった。
天を突くほどの大きさ、黒曜石のような装甲、そして、城壁すらも容易く砕いたという、無慈悲な鉄槌。
その、あまりにも圧倒的なスケールと、そこから放たれる、時代を超えた威圧感に、僕が、「ふむ、この駆動部の構造は、現代のゴーレム技術にも応用できそうだな」などと、呑気な分析をしていた、その時。
「ひゃっ!?」。
隣から、小さな、しかし、明らかに素っ頓狂な悲鳴が上がった。
見ると、クラウディアが、その迫力に素で驚き、僕の腕に、ぎゅっと、力いっぱい、しがみついてきていたのだ。
その身体は、小刻みに震えている。
(…まずい)。
彼女の、氷の仮面が、完全に剥がれ落ちた瞬間だった。
「…っ!」
彼女は、はっと我に返ると、弾かれたように僕から身を離した。
そして、顔を真っ赤にしながら、必死に、その失態を取り繕い始める。
「い、今のは、その…!構造力学的な観点から、この質量がどうして自立しているのかという、純粋な知的好奇心によるものであって、決して、驚いたわけでは…!むしろ、この非合理的なまでの巨大さは、実戦における機動性を著しく損なう、設計上の欠陥だと、そう、分析していただけよ!そう、だから、これは、驚きではなく、呆れの感情の発露だと、そう結論付けるのが、論理的に見て、最も妥当な解釈だわ!」。
早口で、捲し立てるように、言い訳を並べる姿。
その、あまりにも分かりやすい動揺と、必死さが、僕には、どうしようもなく、微笑ましく映った。
僕は、思わず、くすりと笑ってしまった。
「…何がおかしいのかしら」
僕の笑い声に、彼女は、潤んだ瞳で、こちらを睨みつけてくる。
その表情は、怒っているというよりも、まるで、叱られた子犬のようだった。
「いや、すまない。君の、そういう可愛いところも、僕は好きだよ」。
それは、何の他意もない、僕の、心からの本心だった。
だが、その、あまりにも無自覚で、あまりにもストレートな一言は、氷の令嬢の、複雑怪奇な思考回路を、完全にショートさせるには、十分すぎる威力を持っていた。
「…っ!?」
彼女は、言葉を失い、完全にフリーズしてしまった。
その整った顔が、みるみるうちに、蒸気でも噴き出しそうなほど、真っ赤に沸騰していく。
口を、ぱくぱくと、金魚のように開閉させているが、音にならない。
(か、か、か、可愛い…ですって!?こ、この私が!?この、アルト・フォン・レヴィナスに!?す、好き…!?
ど、どういうことなの!?これは、何か、私を油断させるための、高等な心理戦術!?それとも、単なる、社交辞令!?いや、しかし、彼の瞳には、嘘の色はなかった…!
では、本心!?本心で、私のことを、可愛いと、そして、好きだと!?
ああ、ああ、ああ、思考がまとまらない!非論理的よ!非論理的すぎるわ、この状況は!)。
彼女の頭の中で、天使と悪魔(両方ツンデレ)が、壮絶な論戦を繰り広げているであろうことを、この時の僕は、まだ知る由もなかった。
◇
特別展示室。
そこで、僕たちは、この日のデートの、核心となる、一つのアーティファクトと出会うことになる。
展示室の中央に、厳重な結界に守られて、鎮座していたのは、一つの、立方体だった。
大きさは、一辺が30センチほど。
材質は、未知の金属でできており、その表面には、無数の、幾何学模様の溝が刻まれている。
「『賢者の箱キューブ』…。
古代魔法文明の遺産であり、いかなる物理的、魔法的手段をもってしても、開けることのできない、完全無欠の宝箱、だそうよ」。
クラウディアが、どこか悔しそうな声で、解説してくれた。
どうやら、彼女も、過去に、この謎に挑戦したことがあるらしい。
「この溝は、一種の魔力回路になっているわ。正しい手順で、正しい属性の魔力を流し込まなければ、決して開かない。世界中の、名だたる魔術師や、解錠師たちが挑んできたけれど、誰一人として、成功した者はいない。あまりにも、論理的で、完璧すぎる、古代のロックシステムよ」。
その言葉は、僕の、そして、クラウディアの、知的好奇心に、火をつけるには、十分すぎた。
僕たちは、学芸員の特別な許可を得て、その『賢者の箱』に、挑戦させてもらえることになった。
「フン、見ていなさい、アルト。以前、私が挑んだ時は、知識が足りなかっただけ。今の私なら、この程度の論理パズル、解いてみせるわ」。
自信満々に、彼女は、その立方体へと、手をかざした。
彼女の指先から、繊細にコントロールされた、氷の魔力が流れ込んでいく。
溝が、青白い光を放ち、複雑なパターンを描き出す。
彼女の頭脳は、スーパーコンピューターのように、無数の組み合わせを、瞬時に計算し、試していく。
だが。
ブブーッ!
無慈悲なブザー音と共に、立方体は、全ての光を失い、沈黙した。
失敗だ。
「なっ…!?なぜ…!?論理的には、完璧なはず…!」。
何度、試しても、結果は同じ。
完璧な論理は、完璧なシステムの前で、完璧に、拒絶されていた。
クラウディアの額に、悔しさと、焦りの汗が滲む。
僕は、彼女の挑戦を、静かに見守りながら、僕自身の頭脳で、そのシステムを、別の角度から分析していた。
(…なるほど。このパズルは、あまりにも、論理的すぎる。完璧な正解を、完璧な手順で入力しようとすればするほど、袋小路に迷い込むように設計されているんだ)。
僕は、ついに、その答えに、たどり着いた。
「クラウディア君」。僕が声をかけると、彼女は、悔しそうに顔を上げた。
「このパズルは、一つの力だけでは、決して解けない。必要なのは、二つの、全く正反対の力を、同時に、ぶつけることだ」。
「正反対の、力…ですって?」。
僕は、頷く。
「そうだ。例えば、君の、全てを凍らせ、収縮させる、『氷』の力。そして、リゼット君の、全てを燃やし、膨張させる、『炎』の力。その、矛盾する二つの概念を、この立方体の、対角線上の二点に、寸分の狂いもなく、同時に、入力するんだ」。
「な…!?そんなこと、できるわけがないわ!
氷と炎は、互いを打ち消し合うだけ!
非論理的よ!」。
「ああ、非論理的だとも。だが、古代の賢者は、その、非論理的な奇跡の先にこそ、真実の扉を用意したんだ。やってみる価値は、ある」。
僕の、自信に満ちた言葉に、彼女は、一瞬、ためらった。
自分の、騎士としての、論理と理性の全てが、それを否定している。
だが、僕の、真っ直ぐな瞳が、彼女の、心の奥底にある、ちっぽけなプライドを、溶かしていく。
「…わかったわ。あなたの、その非論理的な戯言に、一度だけ、乗ってあげる」。
彼女は、深呼吸を一つすると、目を閉じた。
そして、イメージする。
自分の、氷の力を。
そして、自分が、最も認めたくない、好敵手…リゼットの、炎の力を。
彼女の、右手から、絶対零度の冷気が。
左手から、灼熱のオーラが、同時に、立ち上った。
矛盾する二つの力が、彼女の、類まれなる魔力コントロールによって、奇跡の共存を果たしている。
「…今よ!」
二つの力が、同時に、立方体へと注ぎ込まれた。
刹那、立方体は、今までとは比較にならない、まばゆい虹色の光を放ち、カチリ、と、心地よい音を立てて、そのロックを、解除した。
中から現れたのは、一枚の、古びた羊皮紙。
そこには、ただ一言、こう記されていた。
『真実は、常に、二つで一つなり』。
その言葉は、まるで、僕たち二人の関係を、そして、プリズム・ナイツの絆を、祝福しているかのようだった。
「…やったわね、クラウディア君」
「ええ…。あなたの言う通りだったわ、アルト」
彼女は、初めて、僕を、プロデューサーとしてではなく、一人の、対等なパートナーとして、その名を、呼んだ。
その日の帰り道。
夕日に染まる王都の街を、僕たちは、並んで歩いていた。
彼女は、ぽつりと、呟いた。
「…あなたの隣に立つには、私には、まだ、何かが足りない気がするの」
それは、今日一日の経験を経て、彼女が、心の底から感じた、偽らざる本心だった。
自分の、論理だけでは、越えられない壁がある。
自分一人だけでは、決して見ることのできない、景色がある。
その、珍しく弱気な言葉に、僕は、彼女の手を、そっと握った。
びくり、と震える、その冷たい指先を、僕の、温かい手で、包み込むように。
「君の氷は、僕の理論を、より強固で、美しいものにしてくれる。君は、僕の最高のパートナーだ。それ以上でも、それ以下でもないさ」。
そして、僕は、付け加えた。
「それに、君とリゼット君の力が合わされば、僕たちの戦術は、また新たな次元へと進化できる。熱膨張と、急速冷却による、内部からの破壊。技の名は、『サーマルショック・ブレイク』
君たち二人でしか、成し得ない、最強の合体技だ」。
僕の言葉に、彼女は、何も言わなかった。
ただ、握り返してくる、その指先に、ほんの少しだけ、力が込められたのを、僕は、確かに感じていた。
氷の令嬢の、固く閉ざされた心の扉が、今日、ほんの少しだけ、開いた音がした。
デート大作戦の二日目を担当するのは、誇り高き氷の令嬢、クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインだった。
待ち合わせ場所である学院の正門前。
そこに現れた彼女の姿に、僕は、思わず息を呑んだ。
「言っておくけれど、これはデートではないわ。あくまで、王都の防衛設備と、その歴史的背景を再確認するための、戦術的視察よ」。
腕を組み、澄ました顔でそう宣う彼女は、いつもの実用的な騎士服ではなく、知的な紺色のワンピースに身を包んでいた。
銀の髪は、編み込みにされて上品にまとめられ、首元には、彼女の碧眼と同じ色合いの、小さなサファイアのネックレスが輝いている。
それは、騎士としての彼女ではなく、名門貴族の令嬢としての、完璧な装いだった。
だが、その完璧に計算され尽くしたポーカーフェイスも、僕の高性能な観察眼の前では、わずかなノイズを隠しきれない。
ピンと伸びた背筋とは裏腹に、その白魚のような指先は、ハンドバッグの縁を、落ち着きなく彷徨っている。
そして何より、僕の視線に気づいた瞬間、その白い耳が、ほんのりと、桜色に染まったことを、僕の脳内メモリは、しっかりと記録していた。
(ふむ。心拍数のわずかな上昇を検知。体表温度の変化は、末端部に顕著に現れている。
これは、精神的な緊張状態が、自律神経系に影響を及ぼしている典型的な兆候だ。彼女にとって、この『戦術的視察』が、いかに重要なミッションであるかが窺えるな)。
僕が、そんな、どこまでも科学的な分析をしているとは露知らず、クラウディアは、咳払いを一つすると、すっと僕に背を向けた。
「さあ、行くわよ、プロデューサー。今日の視察スケジュールは、分刻みで完璧に計算されているわ。無駄話をしている時間はないのだから」。
彼女が選んだコースは、王立図書館、歴史博物館、そして古代遺跡から発掘された魔導具の特別展示会。
実に、彼女らしい、知的で、アカデミックなデートプランだった。
最初の目的地、王立図書館。
そこは、静寂と、古びた紙の匂いに満ちた、知の聖域だった。
僕たちは、巨大な書架の迷宮を、音もなく歩いていく。
「…この図書館の蔵書数は、およそ三百万冊。そのうち、魔法に関する文献が約四割を占めているわ。特に、あちらの第三書庫に保管されている『古代魔法文明期』の文献は、この国でもトップクラスのコレクションよ」。
彼女は、まるで自分の庭を案内するかのように、淀みなく解説していく。
その横顔は、誇りに満ちて、美しかった。
「ほう、素晴らしい。僕も、古代文明における、エーテルとマナの相互変換理論には、かねてより興味があったんだ。特に、現代では失われたとされる、『空間転移魔法』の基礎理論についての文献は、あるだろうか?」。
僕の、専門的すぎる問いかけに、彼女は、一瞬、驚いたように目を見開いた後、その碧眼に、好敵手を見つけたかのような、挑戦的な輝きを宿した。
「…フン、あなたも物好きね。空間転移魔法は、あまりにも膨大なエネルギーと、複雑な術式を必要とするため、現代では、もはや机上の空論とされているわ。でも、その基礎理論が記されているとされる、伝説の魔導書…『アカシック・レコードの写本』の断片なら、この図書館の禁書庫に、厳重に保管されているという噂よ」。
「アカシック・レコード!」。
僕の、科学者としての魂が、激しく震えた。
それは、前世のオカルト雑誌で、幾度となく目にした、伝説の名だ。
「まさか、この世界に、実在したとは…!ぜひ、閲覧したいものだ!」。
「無理よ。禁書庫への立ち入りは、王家の許可がなければ、たとえ貴族であっても許されないわ。…まあ、いつか、あなたとその謎に挑むのも、悪くないかもしれないけれど」。
そう言って、ふい、とそっぽを向く彼女。
その言葉の端々に滲む、僕への対抗心と、そして、それ以上に深い、知的好奇心の共有。
この、言葉少なでも通じ合える感覚は、リゼットとのそれとは、また違う、心地よさがあった。
次に訪れた、歴史博物館。
そこは、この国の栄光と、戦いの記憶が、静かに眠る場所だった。
「この絵画に描かれている騎士は、我がヴァレンシュайん家の初代当主、ジークフリート・フォン・ヴァレンシュタイン。建国戦争の折、たった一騎で、千の魔獣の軍勢を退けたという、伝説の英雄よ」。
彼女は、一枚の、古びた肖像画の前で、足を止めた。
そこに描かれていたのは、銀の鎧に身を包み、氷の魔剣を携えた、彼女とよく似た、碧眼の騎士。
その姿は、気高く、そして、どこか物悲しげだった。
「ヴァレンシュタイン家に代々伝わる剣技は、彼が編み出したもの。美しく、気高く、そして、何よりも、守るべき者のための、誇り高き剣。それが、私たちの教えよ」。
彼女の声には、一族への、そして、自らの血に流れる騎士としての誇りが、満ち溢れていた。
だが、その完璧なエスコートは、時折、計算外のハプニングに見舞われた。
博物館の、最奥。
そこに展示されていたのは、かつて、この国を滅亡の危機に陥れたという、伝説の古代兵器。
その、巨大な腕の模型だった。
天を突くほどの大きさ、黒曜石のような装甲、そして、城壁すらも容易く砕いたという、無慈悲な鉄槌。
その、あまりにも圧倒的なスケールと、そこから放たれる、時代を超えた威圧感に、僕が、「ふむ、この駆動部の構造は、現代のゴーレム技術にも応用できそうだな」などと、呑気な分析をしていた、その時。
「ひゃっ!?」。
隣から、小さな、しかし、明らかに素っ頓狂な悲鳴が上がった。
見ると、クラウディアが、その迫力に素で驚き、僕の腕に、ぎゅっと、力いっぱい、しがみついてきていたのだ。
その身体は、小刻みに震えている。
(…まずい)。
彼女の、氷の仮面が、完全に剥がれ落ちた瞬間だった。
「…っ!」
彼女は、はっと我に返ると、弾かれたように僕から身を離した。
そして、顔を真っ赤にしながら、必死に、その失態を取り繕い始める。
「い、今のは、その…!構造力学的な観点から、この質量がどうして自立しているのかという、純粋な知的好奇心によるものであって、決して、驚いたわけでは…!むしろ、この非合理的なまでの巨大さは、実戦における機動性を著しく損なう、設計上の欠陥だと、そう、分析していただけよ!そう、だから、これは、驚きではなく、呆れの感情の発露だと、そう結論付けるのが、論理的に見て、最も妥当な解釈だわ!」。
早口で、捲し立てるように、言い訳を並べる姿。
その、あまりにも分かりやすい動揺と、必死さが、僕には、どうしようもなく、微笑ましく映った。
僕は、思わず、くすりと笑ってしまった。
「…何がおかしいのかしら」
僕の笑い声に、彼女は、潤んだ瞳で、こちらを睨みつけてくる。
その表情は、怒っているというよりも、まるで、叱られた子犬のようだった。
「いや、すまない。君の、そういう可愛いところも、僕は好きだよ」。
それは、何の他意もない、僕の、心からの本心だった。
だが、その、あまりにも無自覚で、あまりにもストレートな一言は、氷の令嬢の、複雑怪奇な思考回路を、完全にショートさせるには、十分すぎる威力を持っていた。
「…っ!?」
彼女は、言葉を失い、完全にフリーズしてしまった。
その整った顔が、みるみるうちに、蒸気でも噴き出しそうなほど、真っ赤に沸騰していく。
口を、ぱくぱくと、金魚のように開閉させているが、音にならない。
(か、か、か、可愛い…ですって!?こ、この私が!?この、アルト・フォン・レヴィナスに!?す、好き…!?
ど、どういうことなの!?これは、何か、私を油断させるための、高等な心理戦術!?それとも、単なる、社交辞令!?いや、しかし、彼の瞳には、嘘の色はなかった…!
では、本心!?本心で、私のことを、可愛いと、そして、好きだと!?
ああ、ああ、ああ、思考がまとまらない!非論理的よ!非論理的すぎるわ、この状況は!)。
彼女の頭の中で、天使と悪魔(両方ツンデレ)が、壮絶な論戦を繰り広げているであろうことを、この時の僕は、まだ知る由もなかった。
◇
特別展示室。
そこで、僕たちは、この日のデートの、核心となる、一つのアーティファクトと出会うことになる。
展示室の中央に、厳重な結界に守られて、鎮座していたのは、一つの、立方体だった。
大きさは、一辺が30センチほど。
材質は、未知の金属でできており、その表面には、無数の、幾何学模様の溝が刻まれている。
「『賢者の箱キューブ』…。
古代魔法文明の遺産であり、いかなる物理的、魔法的手段をもってしても、開けることのできない、完全無欠の宝箱、だそうよ」。
クラウディアが、どこか悔しそうな声で、解説してくれた。
どうやら、彼女も、過去に、この謎に挑戦したことがあるらしい。
「この溝は、一種の魔力回路になっているわ。正しい手順で、正しい属性の魔力を流し込まなければ、決して開かない。世界中の、名だたる魔術師や、解錠師たちが挑んできたけれど、誰一人として、成功した者はいない。あまりにも、論理的で、完璧すぎる、古代のロックシステムよ」。
その言葉は、僕の、そして、クラウディアの、知的好奇心に、火をつけるには、十分すぎた。
僕たちは、学芸員の特別な許可を得て、その『賢者の箱』に、挑戦させてもらえることになった。
「フン、見ていなさい、アルト。以前、私が挑んだ時は、知識が足りなかっただけ。今の私なら、この程度の論理パズル、解いてみせるわ」。
自信満々に、彼女は、その立方体へと、手をかざした。
彼女の指先から、繊細にコントロールされた、氷の魔力が流れ込んでいく。
溝が、青白い光を放ち、複雑なパターンを描き出す。
彼女の頭脳は、スーパーコンピューターのように、無数の組み合わせを、瞬時に計算し、試していく。
だが。
ブブーッ!
無慈悲なブザー音と共に、立方体は、全ての光を失い、沈黙した。
失敗だ。
「なっ…!?なぜ…!?論理的には、完璧なはず…!」。
何度、試しても、結果は同じ。
完璧な論理は、完璧なシステムの前で、完璧に、拒絶されていた。
クラウディアの額に、悔しさと、焦りの汗が滲む。
僕は、彼女の挑戦を、静かに見守りながら、僕自身の頭脳で、そのシステムを、別の角度から分析していた。
(…なるほど。このパズルは、あまりにも、論理的すぎる。完璧な正解を、完璧な手順で入力しようとすればするほど、袋小路に迷い込むように設計されているんだ)。
僕は、ついに、その答えに、たどり着いた。
「クラウディア君」。僕が声をかけると、彼女は、悔しそうに顔を上げた。
「このパズルは、一つの力だけでは、決して解けない。必要なのは、二つの、全く正反対の力を、同時に、ぶつけることだ」。
「正反対の、力…ですって?」。
僕は、頷く。
「そうだ。例えば、君の、全てを凍らせ、収縮させる、『氷』の力。そして、リゼット君の、全てを燃やし、膨張させる、『炎』の力。その、矛盾する二つの概念を、この立方体の、対角線上の二点に、寸分の狂いもなく、同時に、入力するんだ」。
「な…!?そんなこと、できるわけがないわ!
氷と炎は、互いを打ち消し合うだけ!
非論理的よ!」。
「ああ、非論理的だとも。だが、古代の賢者は、その、非論理的な奇跡の先にこそ、真実の扉を用意したんだ。やってみる価値は、ある」。
僕の、自信に満ちた言葉に、彼女は、一瞬、ためらった。
自分の、騎士としての、論理と理性の全てが、それを否定している。
だが、僕の、真っ直ぐな瞳が、彼女の、心の奥底にある、ちっぽけなプライドを、溶かしていく。
「…わかったわ。あなたの、その非論理的な戯言に、一度だけ、乗ってあげる」。
彼女は、深呼吸を一つすると、目を閉じた。
そして、イメージする。
自分の、氷の力を。
そして、自分が、最も認めたくない、好敵手…リゼットの、炎の力を。
彼女の、右手から、絶対零度の冷気が。
左手から、灼熱のオーラが、同時に、立ち上った。
矛盾する二つの力が、彼女の、類まれなる魔力コントロールによって、奇跡の共存を果たしている。
「…今よ!」
二つの力が、同時に、立方体へと注ぎ込まれた。
刹那、立方体は、今までとは比較にならない、まばゆい虹色の光を放ち、カチリ、と、心地よい音を立てて、そのロックを、解除した。
中から現れたのは、一枚の、古びた羊皮紙。
そこには、ただ一言、こう記されていた。
『真実は、常に、二つで一つなり』。
その言葉は、まるで、僕たち二人の関係を、そして、プリズム・ナイツの絆を、祝福しているかのようだった。
「…やったわね、クラウディア君」
「ええ…。あなたの言う通りだったわ、アルト」
彼女は、初めて、僕を、プロデューサーとしてではなく、一人の、対等なパートナーとして、その名を、呼んだ。
その日の帰り道。
夕日に染まる王都の街を、僕たちは、並んで歩いていた。
彼女は、ぽつりと、呟いた。
「…あなたの隣に立つには、私には、まだ、何かが足りない気がするの」
それは、今日一日の経験を経て、彼女が、心の底から感じた、偽らざる本心だった。
自分の、論理だけでは、越えられない壁がある。
自分一人だけでは、決して見ることのできない、景色がある。
その、珍しく弱気な言葉に、僕は、彼女の手を、そっと握った。
びくり、と震える、その冷たい指先を、僕の、温かい手で、包み込むように。
「君の氷は、僕の理論を、より強固で、美しいものにしてくれる。君は、僕の最高のパートナーだ。それ以上でも、それ以下でもないさ」。
そして、僕は、付け加えた。
「それに、君とリゼット君の力が合わされば、僕たちの戦術は、また新たな次元へと進化できる。熱膨張と、急速冷却による、内部からの破壊。技の名は、『サーマルショック・ブレイク』
君たち二人でしか、成し得ない、最強の合体技だ」。
僕の言葉に、彼女は、何も言わなかった。
ただ、握り返してくる、その指先に、ほんの少しだけ、力が込められたのを、僕は、確かに感じていた。
氷の令嬢の、固く閉ざされた心の扉が、今日、ほんの少しだけ、開いた音がした。
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しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。
「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。
だが……一人きりになったとき、俺は気づく。
唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。
出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。
雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。
これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。
裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか――
運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。
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