超短編小説集 4.5.6月

いとくめ

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2023.4月

記憶編集人

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個人の記憶を映像化する会社で、わたしは編集人をしている。
顧客は、結婚出産卒業退職などよくある人生の節目をテーマに依頼することが多い。
最近は葬儀で上映するために故人の人生を編集する依頼も人気だ。
プロの編集で誰もが自分の人生を完璧な状態で残すことができるのだ。

良い思い出が何もないと嘆く人には、新たな記憶で人生の隙間を埋めることができるサービスもある。
そんなものは偽物で、単なる記憶の改竄ではないかと笑う人もいる。
しかし不幸せな事実よりも幸せなフィクションを必要とする人も多いのだ。
架空のなれそめ映像を結婚式で上映したカップルもいたし、亡くなった我が子の架空の成長記録を注文した夫婦もいた。
我が社のサービスを利用すれば、誰もが欲しかった理想の記憶を持つことができる。

わたしは入社したときから、新たな記憶の編集を担当してきた。
毎日定時に出社し自分のデスクで編集作業に勤しむ。
編集人はそれぞれ得意なジャンルやテイストがあり、熟練の営業が顧客と編集人をマッチングしていく。

ある時わたしに初めて指名での仕事が入った。
依頼人は病気療養中であまり長くは待てないらしく、納期早めでお願いします、と営業担当から指示があった。
ところが、希望の記憶を書き込む事前のアンケート用紙には何も記入がない。
どういうことかと営業担当に尋ねたら、あなたならわかるはずだと依頼者が言ってまして、と困った顔で告げられた。
確かに依頼人の名前には見覚えがあった。

会社の地下倉庫には、人のあらゆる記憶の素材が棚に並んでいる。
無数にある素材から、顧客の求めるものを選び出すのがわたしたち編集人だ。
棚の前で目を閉じて集中し、顧客の望みを叶える記憶のイメージを膨らます。

名前だけの依頼主に無事納品を済ませた日の夜遅く、わたしのところに非通知の着信があった。

わたしにはそれが誰なのかわかっていたから、相手が名乗るより先に問いかけた。

「あれでよかった?」

わたしの短い問いかけに、相手が小さく息をのむのがわかる。
辛抱強く返事を待てば「完璧だった」と彼は苦しそうに笑って答えた。

突然姿を消した元恋人のためにいったい何を作ればいいのか。
迷った末にわたしは自分が彼と送るはずだった架空の人生の記憶を作り上げた。

このやり取りもその一部だ。
わたしたちは互いの声を久しぶりに聞いている。
納品した記憶はここで終わることになっており、この後のことはわからない。

今からでもまだ間に合うだろうか。
わたしは彼のいる病室に飛び込んだ。

こんな再会しか待っていないなら、わたしたちはあの時きちんと別れを経験すべきだった。
彼を探し出し、みっともなく追いすがってわめき散らせばよかったのかもしれない。
だけどわたしはそうしなかった。
みじめで悲しい記憶を残すのが嫌で逃げたのだ。

辛い経験をうまく回避したはずなのに、少しも安らかな気持ちになれなかった。
何をやっても後悔するなら、ひとつ残らずやっておけばよかった。

わたしに見守られながら、彼は静かに息を引き取った。
今度こそ胸の痛みを引き受けるのだ。
この番外編の記憶は、記録されることもほかに知る人もいない。
完璧にわたしだけのものだ。
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