天魔の血脈

黒ひげの猫

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王都断罪編①

かつて王国を救った男

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 それは、今から五年前の出来事だった。
 突如として、漆黒の空を裂くようにして現れた魔族の軍勢が、フォルスター王国を襲撃した。
 その力は人間の想像を遥かに超えており、騎士団や軍勢は比べるまでもないほどの圧倒的な力の差の前に、為す術なく塵と化していった。
 魔族が操る未知の魔法、常識を逸した存在、抗えぬ暴威すべてが、人の手には余るものだった。
 王国の守りは崩れ、多くの兵が命を落とし、街は焼かれ、民は虐殺され、国そのものが滅亡の危機に瀕していた。
 恐怖と絶望が蔓延する中、その混沌の戦場に、たった一人、魔族の大軍勢の前に立ちはだかる青年の姿があった。
 
 その青年の名は、ファウスト・ライウス。
 
 彼はただの剣士ではなかった。
 一振りの剣で数百の魔族を斬り伏せ、無数の魔法に怯むことなく、光のように鋭い反撃を繰り返す。
 彼の剣は雷よりも速く、意志は鋼よりも固く、ただの人間では到底持ち得ぬ力をもって、ファウストは戦場を駆け抜けた。
 血と炎に満ちた戦場において、ただ一人、彼だけが希望の灯火であった。
 兵たちはその姿を見て、心を奮い立たせた。
 絶望に沈んでいた民は、瓦礫の陰からその戦いを見上げ、祈るように彼の名を叫んだ。
 彼の背を追うように、残された兵は再び剣を取り、民は涙を流しながら彼を英雄と信じた。
 この人智を超えた戦いは、三日三晩にわたって続き――ついに、魔族の軍勢は後退を余儀なくされた。
 絶望の淵に沈みかけていた国は、ファウストというたった一人の英雄の手によって救われたのだ。
 この奇跡の戦いの後、人々は彼をこう呼んだ。
 
 《大英雄ファウスト・ライウス》
 
 その名は、後の歴史に刻まれることとなる。
 

 ―――だが、五年後。
 

 アドルフに死刑を宣告されたその青年こそ、かつてこの王国を救った大英雄、ファウスト・ライウスである。

「……もう時間か」

 アドルフが扉の方へと向きを変える。
 その背に、ファウストの静かな声が投げかけられた。

「……待てよ」

 動かぬ体を無理に動かす素振りも見せず、ファウストはただ座ったまま、淡々とした口調で言葉を続ける。

「死ぬ前に、ひとつだけ確認しておきたい」

 アドルフは足を止め、ゆっくりと振り返った。
 ファウストの表情には怒りも哀しみも浮かんでいない。
 そこにあるのは、ただ冷静に事実を見極めようとする静かな観察者のまなざしだった。

「……お前たちは俺を英雄に仕立て上げ、そして今、その役目を終えた俺を罪人として処刑しようとしている。――いったい、何を企んでいる?」

 その口ぶりに焦りはない。
 あたかも、自分の運命がどうなろうと動じないかのように。
 アドルフは少しだけ間を置いてから、ふっと鼻で笑い、肩をすくめる。
 そして、マントの内から一つの物を取り出した。
 それは血を染めたような深紅の光沢を放つ、古びた角笛だった。
 どこか異様な存在感を放つその笛を、アドルフはわざとらしく見せつけるように掲げてみせた。

「……角笛?」

 ファウストはアドルフの手元に目を留めた。
 奇妙な装飾が施されたそれは、ただの笛とは思えない気配を放っている。

「あぁ、そうだ。この笛の存在をお前はまだ知らないだろ?」

 アドルフは口角をゆっくりと吊り上げる。
 
「これはな、我がフォルスター家に伝わる“神の遺産”だ。選ばれた者だけが扱える……真なる支配の笛」

 濁った瞳が、熱に浮かされたように狂気じみて輝く。

「……ファウスト。お前は“神”の存在を信じるか?」

 アドルフの問いに、ファウストはわずかに眉をひそめた。
 
「神……だと?」
 
 その声音には嘲笑も憤怒もない。
 ただ、あまりに唐突な問いかけに対する、純粋な疑念の色があった。
 アドルフの指が角笛をなぞる。
 石のような冷たさが、アドルフの手に伝わるたび、どす黒い霧が、笛の表面からゆらゆらと立ち上る。
 その光景はまるで、古の神がまだ生きており、囁きかけているかのようだった。
 ファウストは顔を上げた。

「……くだらねぇ。俺は神を信じない」

 その宣告めいた声に、アドルフは楽しげに笑い、低く答えた。
 
「ならば――証明してやろう。この笛が奏でる時、お前は否応なく跪くことになる」
 
 
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