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16.負の連鎖
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スマートフォンに手を伸ばす。珍しい。姉からの電話だ。姉さんが上京以来、連絡を取り合っていなかった。
「もしもし、歩?急なんやけど……」
元々、早口の姉がゆっくりと落ち着いた低い声で話す。
「お父さんが……。お父さんが……」
「どうしたん?」
「お父さん、今入院しちょるのよ。こっちに帰って来られん?」
「入院?怪我?病気?」
姉が電話口で泣いているのが伝わってくる。
「癌。膵臓の癌」
「膵臓癌?」
一瞬視界が霞む。
歩は電話を切ると、床に倒れ込んだ。まさかこのタイミングで父さんも病気になるとは思いもよらなかった。寺の子供だけれど、正直、信仰心はあまりない。この時ばかりは、神様、仏様を恨みたくなった。
姉さんの話によると、父さんも体調が悪かったようだが、なかなか腰をあげず、無理矢理に病院に連れて行ったようだ。医者は即刻入院を命じたというが、父さんは最初拒んだらしい。
私も文恵さんと急遽実家に帰省することにした。電車と飛行機とバスを乗り継いで、姉さんに教えてもらっていた病院に直行した。
病室に入ると、父さんはひどく痩せていた。頬がこけ、手首も細い。
「歩、わざわざ帰ってきたんか?すまんかったな。疲れたやろ?そこに椅子があるけん座れ」
父の顔を見るのが辛かった。
「姉さんは?」
「香は買い出しに行っちょる」
「そっか。明日、手術なんやろ?大丈夫?」
「そっちはどうや?お前も病気で大変やろうにすまんな。文学の研究は面白いんか?歩は昔から本が好きやったもんな。社会も得意やったから、歴史の道に進むかとも思ったときもあったんやけど。確か中学の模試で全国一番だったときもあったやろ?社会だけやったけどな」
「歴史も好きやけど、本も好きやし、言葉自体が好きやったけん。国文学を学ぶんやったら、東京の大学の方がいいと思った」
「そうか。充実した学生生活を過ごしてきたんなら、父さんは安心じゃ」
「父さんの大学にも、一応日本文学のコースあるけん、いつかはこっちに戻ってくりゃええよ」
「考えとくよ」
父さんの手術が行われた。母さん、姉さんと私、文恵さんが病院に来た。兄さんは寺の仕事で来られなかった。手術室の入口で、手術中のランプが煌々と光っている。
医者によると、父さんの膵臓癌は末期らしい。余命はもって半年と告げられた。横で姉さんが人目も憚らず泣いていたので、私は泣くのを我慢した。
夜、暗くなった病院のベンチに一人で座ると、涙が溢れた。
人は途方もない壁に直面し、その壁を乗り越えるまでに、どれだけ耐え忍ばなければならないのだろうか。苦痛や我慢といった世界から逃れ、忘却の彼方に消えられればどんなに楽だろうか。
病院から実家までは兄さんが車で迎えに来てくれた。 兄さんは副住職ということもあり、頭を丸めている。
「坊主いいね。似合っちょる。ハゲも隠せるやん」
「まだハゲてねえっちゃ」
「首どうなん?痛いんか?」
「ずっと右向いちょるから、左側がちょっと痛いくらいかな」
海沿いの国道十号線を走り、今度は坂を上る。坂道の側溝からは湯煙が至るところから立ち昇る。見慣れた景色を上りきると、古い寺が見えてきた。十八年間過ごした場所だ。甍の傾斜、床の高いお堂も、当時と変わらない。数年に一度しか、この場所には帰って来ないが、何もかもが温かく迎えてくれる。深い感慨を覚える。
義理の姉さん、姪っ子が玄関先で迎えてくれる。鳥が鳴く。メジロだろうか。メジロは大分の県鳥である。
「もうすっかり春やな。メジロかな?文恵さんメジロって目の周りが白いからメジロっていうんやけど、メグロもおるらしいで知っちょった?」
「え?本当ですか?聞いたことありません」
「あんたも辛いのに、わざわざすまんね。文恵さんも疲れたやろ」
文恵さんはかぶりを振る。
「歩も相変わらず、首は駄目そうやね」
気を張っていたせいか、実家に着くと、どっと疲れが出る。
久しぶりの自分の部屋はやけに狭く感じる。その日は、大人数で食卓を囲んだ。
「もしもし、歩?急なんやけど……」
元々、早口の姉がゆっくりと落ち着いた低い声で話す。
「お父さんが……。お父さんが……」
「どうしたん?」
「お父さん、今入院しちょるのよ。こっちに帰って来られん?」
「入院?怪我?病気?」
姉が電話口で泣いているのが伝わってくる。
「癌。膵臓の癌」
「膵臓癌?」
一瞬視界が霞む。
歩は電話を切ると、床に倒れ込んだ。まさかこのタイミングで父さんも病気になるとは思いもよらなかった。寺の子供だけれど、正直、信仰心はあまりない。この時ばかりは、神様、仏様を恨みたくなった。
姉さんの話によると、父さんも体調が悪かったようだが、なかなか腰をあげず、無理矢理に病院に連れて行ったようだ。医者は即刻入院を命じたというが、父さんは最初拒んだらしい。
私も文恵さんと急遽実家に帰省することにした。電車と飛行機とバスを乗り継いで、姉さんに教えてもらっていた病院に直行した。
病室に入ると、父さんはひどく痩せていた。頬がこけ、手首も細い。
「歩、わざわざ帰ってきたんか?すまんかったな。疲れたやろ?そこに椅子があるけん座れ」
父の顔を見るのが辛かった。
「姉さんは?」
「香は買い出しに行っちょる」
「そっか。明日、手術なんやろ?大丈夫?」
「そっちはどうや?お前も病気で大変やろうにすまんな。文学の研究は面白いんか?歩は昔から本が好きやったもんな。社会も得意やったから、歴史の道に進むかとも思ったときもあったんやけど。確か中学の模試で全国一番だったときもあったやろ?社会だけやったけどな」
「歴史も好きやけど、本も好きやし、言葉自体が好きやったけん。国文学を学ぶんやったら、東京の大学の方がいいと思った」
「そうか。充実した学生生活を過ごしてきたんなら、父さんは安心じゃ」
「父さんの大学にも、一応日本文学のコースあるけん、いつかはこっちに戻ってくりゃええよ」
「考えとくよ」
父さんの手術が行われた。母さん、姉さんと私、文恵さんが病院に来た。兄さんは寺の仕事で来られなかった。手術室の入口で、手術中のランプが煌々と光っている。
医者によると、父さんの膵臓癌は末期らしい。余命はもって半年と告げられた。横で姉さんが人目も憚らず泣いていたので、私は泣くのを我慢した。
夜、暗くなった病院のベンチに一人で座ると、涙が溢れた。
人は途方もない壁に直面し、その壁を乗り越えるまでに、どれだけ耐え忍ばなければならないのだろうか。苦痛や我慢といった世界から逃れ、忘却の彼方に消えられればどんなに楽だろうか。
病院から実家までは兄さんが車で迎えに来てくれた。 兄さんは副住職ということもあり、頭を丸めている。
「坊主いいね。似合っちょる。ハゲも隠せるやん」
「まだハゲてねえっちゃ」
「首どうなん?痛いんか?」
「ずっと右向いちょるから、左側がちょっと痛いくらいかな」
海沿いの国道十号線を走り、今度は坂を上る。坂道の側溝からは湯煙が至るところから立ち昇る。見慣れた景色を上りきると、古い寺が見えてきた。十八年間過ごした場所だ。甍の傾斜、床の高いお堂も、当時と変わらない。数年に一度しか、この場所には帰って来ないが、何もかもが温かく迎えてくれる。深い感慨を覚える。
義理の姉さん、姪っ子が玄関先で迎えてくれる。鳥が鳴く。メジロだろうか。メジロは大分の県鳥である。
「もうすっかり春やな。メジロかな?文恵さんメジロって目の周りが白いからメジロっていうんやけど、メグロもおるらしいで知っちょった?」
「え?本当ですか?聞いたことありません」
「あんたも辛いのに、わざわざすまんね。文恵さんも疲れたやろ」
文恵さんはかぶりを振る。
「歩も相変わらず、首は駄目そうやね」
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