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18.無常
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病室へ戻ると、父さんはテレビを観ていた。
「何の番組?」
「何か植物の話やな。わしは仏教とか歴史のことしかわからんけん。こういう理科の番組は新鮮じゃな」
父さんが説明してくれる。
「植物のすごさをテーマにしちょるんやけど、何か地味やけど面白いわ。植物って動けんし、何も食べんけど、一生懸命、生命を維持して成長しよるもんな」
「確かに動けんのにすごいな。海外の小説では、動く植物の話あったけどな。『地球の長い午後』って知らん?生態系の頂点に君臨しているのが、植物なんよ。中には、月まで蔓が伸びる植物や頭のいいキノコ何か出てきたりするのよ。あと、最近やと、植物が人間を襲う映画もあったな」
「さすが文学博士は違うね。本当にお前は本が好きなんだな。本の話しをしているときは興奮しちょるもん。お前も本書けばいいんに。闘病記じゃなくて、今の経験を文学に昇華させんとな」
「父さんは何の花が好き?」
「住職じゃから、蓮と言わんといけんかもしれんけど、やっぱり、日本人は桜じゃろう。たった一本の木に、一瞬にして十万個以上の花を鮮やかに咲かせるんやけん」
「でも、すぐ散っちゃうやん」
「いやいや、咲き乱れて、散った後には、すぐに葉を出すんや。その場所で連綿と受け継がれる姿に生命の営みを感じるなあ」
その夜、文恵さんに電話を架けた。
「お義父さん調子はどうかな?」
「正直言ってあまりよくはないけど、今日は植物の話した」
「植物?珍しいわね。男同士で植物の話なんて」
東京と違って、別府の空は星がよく見える。
「文恵さんの方は?」
「うん、少し怠かったので、病院に行ったんだけど、軽い貧血だったわ。風邪っぽいって言われた」
「文恵さんも無理しないように」
「ありがとう」
扇状地の随所から、湯煙が天に棚引いて伸びていく。
父さんの病室には、植物関連の書籍が数冊積まれていた。
「歩、ネジバナって知っちょるか?」
「いや聞いたことない」
「人間も動物も左右対称やろ?日常生活では左右対称のものを、バランスがとれちょるって言うやん、一方、左右の非対称のものはアンバランス。でな、人や動物は左右対称が多いんに、植物何かやと、木の幹から出る枝なんかは全く対称性がねえやん。不思議やなと思って、植物について色々調べちょる。因みにネジバナって花があるらしい。植物の中にも、お前の仲間おったんやな」
ネジバナとは、ずばり捻れた花を指すそうだ。
「医者に七割八割の回復を目指そうっち、言われちょるんやろ?寛解すりゃそれは一番いいさ。でもな、もしも、もしも完全に治らんかったとしても、受け入れることもせなな」
父さんの言葉どおり、受け入れることも大切かもしれない。
「ゆっくり温泉に浸かりてえなあ……」
父さんがポツリと言った。
私も親譲りのせいか、めっぽう温泉好きだった。
その夜から父さんの痛みは激しさを増した。痛みのために、眠れないよう日々が続いた。
母さんと姉さんは一晩中、父の背中をさすった。
父さんは日に日に卑屈になっていった。「もう楽になりたい」父さんが弱々しい声で言った。
父さんは病室の真っ白な天井を見ながら、「生きたい」と「死にたい」という相反する言葉を繰り返す。
「健康なときに、自分が病気になるなんて思わないよな。みんな同じだ。お前もそうだったろ?陳腐に聞こえるかもしれないんやけど、人間って一人じゃ生きていけん。自分が思っている以上にな」
父さんが振り絞るような声で言った。
時の矢は無情にも一直線に進む。それが父さんと話した最後の言葉となった。
母さんから連絡が入り、病室へ急いだ。危篤だと連絡を受けて、病院に向かう途中、父さんは息を引き取った。結局、半年どころか、半月で旅立った。
父さんは穏やかな表情で眠っていた。
父さんの通夜と葬儀は、実家の禅寺で執り行われた。
母さんが喪主になった。兄さんが導師を、私が数名の弟子と共に役僧を務めた。首は辛いがどうしてもやりたかった。曹洞宗の葬儀は、他の宗派に比べて賑やかだ。私が務めた役僧は、太鼓やハツなどの仏具を打ち鳴らす役割を担っている。太鼓や鐘の音と共に登場する導師入場に驚く参列者は少なくない。宗門関係でない参列者にしてみれば、葬儀で太鼓を打ち鳴らすとは思いもよらないことなのだろう。
花輪の数は多かった。祭壇の四方を埋め尽くした花輪は、親族席の脇にも飾られ、そこから溢れたものは、お堂の外に並べられた。
兄さんの重厚な声色の読経が始まる。故人を仏の世界へと送り出す儀式である。一連の読経が終わると、私を含めた役僧が音を鳴らす仏具を順番に鳴らしていく。鼓鈸(くはつ)と言い、いわゆる音楽供養というものだ。仏を華やかに、また厳かに仏の世界へと送り出すのだ。手にした鼓は、身体の一部であったかのように手に馴染み、意識とも無意識ともわからない意識の狭間で鳴り続けた。
最後の読経ののち、焼香が始まった。焼香台は多くの花輪で一杯になったお堂の外に設けられた。
導師のすぐ脇、祭壇の目の前で、焼香台からはだいぶ離れていたが、読経と混じり合うように参列者たちのすすり泣きが耳に入った。その音はこびりついた染みのようにいつまでも私の耳朶に響いていた。
「何の番組?」
「何か植物の話やな。わしは仏教とか歴史のことしかわからんけん。こういう理科の番組は新鮮じゃな」
父さんが説明してくれる。
「植物のすごさをテーマにしちょるんやけど、何か地味やけど面白いわ。植物って動けんし、何も食べんけど、一生懸命、生命を維持して成長しよるもんな」
「確かに動けんのにすごいな。海外の小説では、動く植物の話あったけどな。『地球の長い午後』って知らん?生態系の頂点に君臨しているのが、植物なんよ。中には、月まで蔓が伸びる植物や頭のいいキノコ何か出てきたりするのよ。あと、最近やと、植物が人間を襲う映画もあったな」
「さすが文学博士は違うね。本当にお前は本が好きなんだな。本の話しをしているときは興奮しちょるもん。お前も本書けばいいんに。闘病記じゃなくて、今の経験を文学に昇華させんとな」
「父さんは何の花が好き?」
「住職じゃから、蓮と言わんといけんかもしれんけど、やっぱり、日本人は桜じゃろう。たった一本の木に、一瞬にして十万個以上の花を鮮やかに咲かせるんやけん」
「でも、すぐ散っちゃうやん」
「いやいや、咲き乱れて、散った後には、すぐに葉を出すんや。その場所で連綿と受け継がれる姿に生命の営みを感じるなあ」
その夜、文恵さんに電話を架けた。
「お義父さん調子はどうかな?」
「正直言ってあまりよくはないけど、今日は植物の話した」
「植物?珍しいわね。男同士で植物の話なんて」
東京と違って、別府の空は星がよく見える。
「文恵さんの方は?」
「うん、少し怠かったので、病院に行ったんだけど、軽い貧血だったわ。風邪っぽいって言われた」
「文恵さんも無理しないように」
「ありがとう」
扇状地の随所から、湯煙が天に棚引いて伸びていく。
父さんの病室には、植物関連の書籍が数冊積まれていた。
「歩、ネジバナって知っちょるか?」
「いや聞いたことない」
「人間も動物も左右対称やろ?日常生活では左右対称のものを、バランスがとれちょるって言うやん、一方、左右の非対称のものはアンバランス。でな、人や動物は左右対称が多いんに、植物何かやと、木の幹から出る枝なんかは全く対称性がねえやん。不思議やなと思って、植物について色々調べちょる。因みにネジバナって花があるらしい。植物の中にも、お前の仲間おったんやな」
ネジバナとは、ずばり捻れた花を指すそうだ。
「医者に七割八割の回復を目指そうっち、言われちょるんやろ?寛解すりゃそれは一番いいさ。でもな、もしも、もしも完全に治らんかったとしても、受け入れることもせなな」
父さんの言葉どおり、受け入れることも大切かもしれない。
「ゆっくり温泉に浸かりてえなあ……」
父さんがポツリと言った。
私も親譲りのせいか、めっぽう温泉好きだった。
その夜から父さんの痛みは激しさを増した。痛みのために、眠れないよう日々が続いた。
母さんと姉さんは一晩中、父の背中をさすった。
父さんは日に日に卑屈になっていった。「もう楽になりたい」父さんが弱々しい声で言った。
父さんは病室の真っ白な天井を見ながら、「生きたい」と「死にたい」という相反する言葉を繰り返す。
「健康なときに、自分が病気になるなんて思わないよな。みんな同じだ。お前もそうだったろ?陳腐に聞こえるかもしれないんやけど、人間って一人じゃ生きていけん。自分が思っている以上にな」
父さんが振り絞るような声で言った。
時の矢は無情にも一直線に進む。それが父さんと話した最後の言葉となった。
母さんから連絡が入り、病室へ急いだ。危篤だと連絡を受けて、病院に向かう途中、父さんは息を引き取った。結局、半年どころか、半月で旅立った。
父さんは穏やかな表情で眠っていた。
父さんの通夜と葬儀は、実家の禅寺で執り行われた。
母さんが喪主になった。兄さんが導師を、私が数名の弟子と共に役僧を務めた。首は辛いがどうしてもやりたかった。曹洞宗の葬儀は、他の宗派に比べて賑やかだ。私が務めた役僧は、太鼓やハツなどの仏具を打ち鳴らす役割を担っている。太鼓や鐘の音と共に登場する導師入場に驚く参列者は少なくない。宗門関係でない参列者にしてみれば、葬儀で太鼓を打ち鳴らすとは思いもよらないことなのだろう。
花輪の数は多かった。祭壇の四方を埋め尽くした花輪は、親族席の脇にも飾られ、そこから溢れたものは、お堂の外に並べられた。
兄さんの重厚な声色の読経が始まる。故人を仏の世界へと送り出す儀式である。一連の読経が終わると、私を含めた役僧が音を鳴らす仏具を順番に鳴らしていく。鼓鈸(くはつ)と言い、いわゆる音楽供養というものだ。仏を華やかに、また厳かに仏の世界へと送り出すのだ。手にした鼓は、身体の一部であったかのように手に馴染み、意識とも無意識ともわからない意識の狭間で鳴り続けた。
最後の読経ののち、焼香が始まった。焼香台は多くの花輪で一杯になったお堂の外に設けられた。
導師のすぐ脇、祭壇の目の前で、焼香台からはだいぶ離れていたが、読経と混じり合うように参列者たちのすすり泣きが耳に入った。その音はこびりついた染みのようにいつまでも私の耳朶に響いていた。
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