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ボクはキミに夢中〜ズル大人の、本気の声
しおりを挟む「ズルい大人」
君はそう聞いて笑うだろうか。
いつしか本音を隠す術を器用に身につけ、物分かりのいい「オトナ」を演じるようになった。マイクの前で「他人」の人生をなぞり、海外俳優の微かな口元に合わせて「声」という――情熱の熱量を切り売りする。それが、俺たちの生きる道だ。
暖色系の間接照明が、重厚な革張りのソファに深い陰影を落としている。
予定調和――そんな薄っぺらな防壁は、目の前の「彼」という眩い閃光の前では、いとも簡単に焼き切られる。剥がれ落ちた残骸から露呈したのは、滑稽なプライドと、喉の奥底にひた隠しにしてきた醜悪なまでの「ズルさ」だけ。
君は、こんな汚れた俺を赦(ゆる)せるだろうか。互いの魂の形を歪めるほど曝け出して、ドロドロに溶け合えるのだろうか。
舞台と吹き替えの暗がりに身を置く俺と、華やかなアニメの世界で飛躍する彼――朝日奈蓮。偶然に再会した俺たちが、同じ夜に沈んだのは、必然という名の呪いだったのかもしれない。何かに引き寄せられたかのような「予感」に脳を灼かれ、お互いちょっとしたアクシデントだと思える程度には、俺たちは「大人」という仮面の利便性に甘えていた。
◆
「あなた」の燃え盛るような真紅の長い髪が、首元にかかってくすぐったい。
ずっと憧れてきた先輩の、大きな手に頬を包まれて、長い指が吸い付くような熱を孕んで俺の輪郭をなぞった。
……なんで? 俺、ずっと銀幕の向こう側のように遠かった「あなた」に口づけされているの?
これじゃまるで、壊れることを恐れる恋人に触れる手つきじゃないか……。
ああ……そうか。この人は、慈しむべき対象を扱うように、こうやって優しく誰かを甘やかすんだな……。
深い口づけで絡む舌に上顎を擽(くすぐ)られる。背筋がゾクゾクとする快感に、自分でも驚くような、仕事用のマイクには決して乗せることのない生々しい熱と、無防備な艶を帯びた声が溢れ出した。
「ふっ……あぁ」
口内が甘く、トロリと蕩(とろ)けるような執着の熱が心地よい。
「うん……すっごい……気持ちいい」
自分から舌を絡めて、甘いキャンディを強請(ねだ)る幼子のように、もっと、もっと、と深淵を求めてみる。
――俺、気持ちいいことは大好きだ。
もっと口づけてほしい、もっとドロドロに溶け合っていたい。
アルコールで麻痺した痺れを盾に、「もっともらしい理由」を並べることを、俺はとうの昔に放棄した。
◆
アルコールに酔った「彼」に、自分も酔ったフリをして重なった。
甘いキャンディを喜ぶ、その無垢な肢体に溢れる狂おしい色香。
当てられた俺の「大人」の仮面は、内側からの衝動に耐えきれず、音を立てて砕け散った。
――その崩壊の音を、俺は確かに聞いた。自分はきっと、救いようのない「ズルい大人」なのだ。
「……蓮」
ずっと、ずっと、「彼」に触れてみたいと思っていた。脳内では、数えきれないほど不埒に、無残に汚してきたのに。
なのに、こうして現実に触れてみたら、想像の中の彼よりも、現実の彼のほうがずっと、息が止まるほど愛おしいと思ってしまった。
――残酷なほどに、俺を虜にする。
重い遮光カーテンが外界の喧騒を遮断し、部屋は二人だけの、濃密で閉鎖的な宇宙になる。
熱に潤んだ、だがまっすぐな瞳が俺の逃げ道を射抜く。
華奢な手が、俺のシャツの胸元を、布地が悲鳴を上げるほどギュッと握り込んだ。強引に逃げ場を塞がれた俺は、熱に浮かされたその美しい色彩の奥へ、底なしの甘い痺れと共に引きずり込まれていく。
見つめ合った、永遠の一秒。
重なり合った吐息の隙間から、彼は掠れた甘い声で、俺の喉元に「本音」という刃を突き立てた。
「あなたは……恋人にこんな風に触れるんですね」
それを聞いた俺は、心臓を直接握り潰されたように苦しくなった。
情熱の種火。ずっと胸の奥深くで眠っていた「想い」が、あどけないそのひと言で爆発的に火を灯し、全身を焼き焦がす。制御不能なまでに燃え広がるのを、俺はただ、まざまざと見せつけられた。「ズルい大人」なんていう安っぽい隠れ蓑は、もう、どこにもない。
「……恋人なんて、いない」
掠れた声が、自分でも驚くほどに震えていた。
マイクの前では完璧にコントロールできるはずの「声」という楽器が、今この瞬間には、一人の「男」としての剥き出しの情熱に、無残にも支配されていた。
◆
(気持ちいい……もっとして)
強請(ねだ)るように、俺の腕を彼の首に回した。
抱き寄せられた項(うなじ)に、生々しい体温と彼だけの香りが狂気のように流れ込んでくる。
その熱に当てられた瞬間、榊さんの中で何かが「プツン」と音を立てて切れたのがわかった。
それは、今まで頑なに守り通してきた、善き先輩としての「理性」があっけなく破断した音。俺が彼を「ズルい大人」と称することで守ってやっていた、その姑息な境界線への「最高に甘い敗北」の瞬間。
「はっ……蓮……っ」
溢れた彼の声に、背筋を突き抜けるような甘い痺れが走る。
マイク越しの「演技」では、逆立ちしても出せない、喉の奥底から絞り出したリアルな響き。――情欲が互いの官能を震わせ、形を溶かしていく。
俺は、自分の零した言葉に、なぜか胸がギュッと苦しくなった。
そうか。「あなた」が他人にこんな風に触れるのだと思ったら、殺したいほどに悲しくなったのか。
その時、気づいてしまった。ずっと見ないふりをしていた、この「想い」に。
なんだ……俺は、ずっと「あなた」に恋焦がれていたのか。
「……このまま……俺を抱けますか?」
いくらなんでも、百戦錬磨のあなたでも、俺が相手じゃ無理か。俺は紛れもなく「男」だし、榊さんを取り巻く美しい女たちとは違う。「冗談もその位にしとけよ」と笑ってくれたら、そのまま寝たフリでもして終わらせられたのに。
榊さんは一瞬驚いた顔を見せたが、次には俺を二度と放さないという昏い意志で、逃がさないように尋ねてきた。
「……本気なのか?」
「……誰にでも優しいでしょ? 知ってるんです。あなたは……ズルい」
彼は自分を「ズルい」と言う。ならば、彼のズルさは俺がすべて飲み込めばいい。
「知ってた? ずっとこうして君が、この腕の中に抱かれてくれればいいと思ってたんだ」
お互い、いい歳をした大人じゃないか。一夜の夢で終わらせられるだろう?
榊さん、あなたなら、この夜が明けるまでの時間、俺をめちゃくちゃに壊してくれるでしょ?
二人だけの室内で、テーブルの上の飲みかけのロックグラスが温度を失って結露し、氷が溶けてカランと鳴った。その小さな音が、運命を告げる鐘のように大きく響いた。
◆
抱き上げた「彼」は、思ったよりも随分と軽く、儚く感じられた。
初めて彼の声をマイク越しに聞いたアニメのオーディション「審判の日」。その瞬間に、この声を「自分のものにしたい」と強烈な渇望を抱いたのを覚えている。理屈ではない、魂の「一目惚れ」だった。
そんな彼が、今俺の目の前で、羞恥と期待に震え、無防備な牙城をさらしている……。
(守ってやりたい。俺以外の手の届かない場所で)
素直にそう思えた。リビングの静寂を置き去りにして、さらに暗い寝室へと場所を移す。
ベッドの上に彼を下ろし、深い接吻と共に二人でシーツの波に沈む。
再度口づければ、蓮の表情は直ぐ様蕩けて、演技ではない、彼本人の艶と熱を乗せた絶唱が漏れ聞こえる。
「うん……アッ!」
鼓膜を甘く擽(くすぐ)り、中枢を逆なでする美声が俺を煽る。
上質なコットンのシーツが、激しく動く肢体に擦れて衣擦れのような音を立てる。服を脱がせば、月の光すら届かない闇の中で、線の細い魅惑的な裸体が浮かび上がり、彼にしか香らせられない色香に目眩がした。
(今だけは、俺のものだ。……いや、もう二度と離さない)
◆
唇から首筋、胸元へと、恋焦がれた男の唇と舌が辿る度に、すべてが溶けて無くなってしまいそうな甘い痺れが駆け抜ける。
鍛えられた彼の胸筋に触れる。こうして抱き合うことが、こんなにも幸福なものだったなんて。相手が「あなた」だから、こんなにも満たされるんだ。
「あっ、あ! そこ気持ちいい!」
突起を執拗に甘噛みされ、指先で弄ばれるたび、脳内の回路が焼き切れていく。
俺はポロポロと涙を流して、彼の後頭部を抱き込んだ。
「榊さん……京介さん、もっとして」
(今だけは、この男は俺だけのものだ)
切ないほどの愛おしさ。愛されていない場所なんて、身体のどこにも残っていなかった。
このまま抱き合ったまま――溶けてドロドロに混ざりあって、一つになってしまえればいいのに。
そんな残酷で甘い夢を見させるのは、この男だから。俺は必死に、浅ましくも、男に懇願していた。
「早く、早く。俺をあなたのものにして」
◆
白く滑らかな肌に、至る所に情交の証である紅い花を散らした。
その頬には、俺が残した涙の跡。
時間はすべてを消し去る。それでも、俺が君を暴いたという証を、呪いのように残さずにはいられなかった。
彼は俺の腕の中で眠っている。
エアコンの微かな駆動音だけが響く静まり返った部屋。
(……榊さん。京介さん……)
切なげに俺の名を呼ぶ、掠れた余韻が、胸の中にまだ生々しく震えていた。
ギュッと彼を抱きしめて、俺も静かに目を閉じる。
だが、きっと眠れない。
夜明けまでには、まだ時間がある。
カーテンの隙間から差し込み始めた薄明が、散乱した衣服やグラスを無慈悲に照らし出す。
このまま夜が明ければ、彼には「この夜」は無かった事になるのだろうか。
「ちょっとしたアクシデントだろ?」と流されることなど、俺の歪んだ独占欲が絶対に許さない。
彼が目覚めたなら、俺はこの曝け出された想いのすべてを告げよう。
新しい朝を、二人で迎えられることを願って。
I’m addicted to you.
毎日20時更新です。
ご読了ありがとうございました。
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