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第1章
5.
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「ただいま、もど……っえ! ?」
キーリが家の扉を恐る恐る開いて、まず確認したのはベッドの上だ。火傷痕の男の姿を確認しようとするが、ベッドには誰もいなかった。
驚きに声が漏れて、慌てて勢いよく扉を開く。何かあったのかとキーリが部屋に飛び込むと、同時に足が何かに当たった。
反射的に目線はそちらへ。そして、床に目線を落とすとそこにはうつ伏せで倒れている火傷痕の男がいた。
「な、なんでこんな所に!」
手当てをしたといっても素人の手当てだ。一番深かった足の傷に巻き付けた包帯には血が滲んでおり、微かに床も赤く染めていた。
それはベッドからここまで続いており、呆然としながらだが理解した。
火傷痕の男は、ここから逃げようとしたのだ。キーリが家を空けた隙に出て行こうとしたが、足の怪我が思った以上に深く立てなかったのだろう。
それでも、どうにかここから逃げようとして這いずりながらもここまで来たが、意識を失ったという所だろう。
キーリの勝手な想像だったが、外れていなかった。
火傷の男の判断は正しい。この貧民窟で、こうして他者を助けるというのは見返りを狙っている場合が普通だ。それは、情報や肉体や他者の命だ。
助けて貰っても、何を要求されるかわかったものではない。ただ助けたかったというお人好しはいないのだ。
「……本来なら、な」
はあ、と深い溜息がキーリの口から知らずに零れた。自分の間抜けさに呆れていた。
「アレンだってこんな俺を見たら、大馬鹿野郎だと笑い出すぜ」
キーリは火傷痕の男の腕を掴んで、再度ベッドへと運んだ。それはやはり重く、キーリは泣き言を零すのを忘れなかった。
◾︎◾︎◾︎
豆のスープがぐつぐつと煮え切り、湯気が上る。木のスプーンを突っ込んで二三度掻き混ぜた後に、掬ってぺろりと舐める。
「ぐえ」
キーリは舌に広がる豆の味に思わずえづく。味自体は悪くないのだがキーリは昔から豆類が大の苦手だった。
淵が欠けた木の器にそれを注いでから、ゆっくりと運ぶ。向かうのは、火傷痕の男の方だ。
ベッドに運んでスープを作り出した辺りから、彼は目を覚ました。そして、やはり無言でキーリを見詰めるだけなので、気にしないようにしながらスープを作っていた。
刺さり続ける視線を受けながら、完成した豆のスープを片手にベッドの側の椅子に座る。
「ええと、何も食ってないだろ。だから、これ」
「……」
器を差し出したが、微動だにしない。キーリが差し出した器を黙って見つめるだけだ。
──まあ、当たり前の反応だよな。
先程の事といい、火傷の男はここでの生き方をよく理解している。何が入っているかわからない食事を警戒しないはずもないだろう。
しかし、このまま食べないと怪我も治らない。更にキーリ自身も残されてしまうと嫌いな豆のスープと向かい合わなくてはならなくなる。
「……仕方ないな」
器に入れた木のスプーンを掴み、中身を掬う。そしてまだ熱めのスープを吐息で冷まして、舌先でぺろりと舐める。
「……うえっ」
キーリはやはり豆のスープが嫌いだった。
「あ、違うからな。俺が豆が嫌いなだけであって不味いとかそういうんじゃなくて」
思わず弁明してしまうが、火傷痕の男は特に興味も無さそうにしており表情に変化もない。
彼にこれを飲ませるには毒見が必要だ。キーリは意を決して、スープを口に放り込みごくりと喉を通して飲み込む。更に、しっかりと口を開いて何も入っていない事を見せつける。
食べ物には何も入っていない、という事をわかって貰うためだ。
キーリはとりあえず様子を見て、そっとベッドの端に器を置いた。
火傷痕の男は、その器を黙って見詰めてどれくらいの時間が経っただろうか。スープも冷めきってしまい、そろそろ無理矢理にでもキーリの胃の中に片付けようとした時だ。
火傷の男の指先がぴくりと跳ねる。そしてゆっくりと、手を伸ばして器を掴んだ。
スープをまじまじと眺め、スプーンを手に取ると初めは舌先で舐めて暫し動かない。
更に時間が過ぎた後に、再度食べ始めた。
それらの様子を見守っていたキーリは、スープを食べ始めたのを確認して全身の力が抜けていくのを感じた。
──はあ、良かった。折角助けたってのに、死なれたら困る。
かなり警戒しながらではあるが、食べてくれたその姿は猛獣を飼い始めたような気分でキーリにとってはどうにも複雑だ。
ベッドは暫く彼のモノだ。キーリ自身は今日も床で寝る事になるだろうが、諦めている。
そうして、キーリと火傷痕の男と奇妙な同居は始まったのだ。
傷が治るまで、という短期間の同居ではある。しかし初日からは特に何かが起こる事はなく、それからは平和な同居生活が続いていた。
その間に火傷痕の男は、警戒を取る事はないが会話してくれるようにはなった。その際に名前を聞かれ馬鹿正直に名乗ったキーリは、最高に間抜けだと自分を呪った。
今まで無言を貫いていたのに突然名前を聞かれた為、混乱と気を許して貰えた喜びで判断能力が鈍くなったのだ。
そのような言い訳を心の中で繰り返した。
そうして、火傷痕の男との同居が二週間くらい過ぎた。
キーリが家の扉を恐る恐る開いて、まず確認したのはベッドの上だ。火傷痕の男の姿を確認しようとするが、ベッドには誰もいなかった。
驚きに声が漏れて、慌てて勢いよく扉を開く。何かあったのかとキーリが部屋に飛び込むと、同時に足が何かに当たった。
反射的に目線はそちらへ。そして、床に目線を落とすとそこにはうつ伏せで倒れている火傷痕の男がいた。
「な、なんでこんな所に!」
手当てをしたといっても素人の手当てだ。一番深かった足の傷に巻き付けた包帯には血が滲んでおり、微かに床も赤く染めていた。
それはベッドからここまで続いており、呆然としながらだが理解した。
火傷痕の男は、ここから逃げようとしたのだ。キーリが家を空けた隙に出て行こうとしたが、足の怪我が思った以上に深く立てなかったのだろう。
それでも、どうにかここから逃げようとして這いずりながらもここまで来たが、意識を失ったという所だろう。
キーリの勝手な想像だったが、外れていなかった。
火傷の男の判断は正しい。この貧民窟で、こうして他者を助けるというのは見返りを狙っている場合が普通だ。それは、情報や肉体や他者の命だ。
助けて貰っても、何を要求されるかわかったものではない。ただ助けたかったというお人好しはいないのだ。
「……本来なら、な」
はあ、と深い溜息がキーリの口から知らずに零れた。自分の間抜けさに呆れていた。
「アレンだってこんな俺を見たら、大馬鹿野郎だと笑い出すぜ」
キーリは火傷痕の男の腕を掴んで、再度ベッドへと運んだ。それはやはり重く、キーリは泣き言を零すのを忘れなかった。
◾︎◾︎◾︎
豆のスープがぐつぐつと煮え切り、湯気が上る。木のスプーンを突っ込んで二三度掻き混ぜた後に、掬ってぺろりと舐める。
「ぐえ」
キーリは舌に広がる豆の味に思わずえづく。味自体は悪くないのだがキーリは昔から豆類が大の苦手だった。
淵が欠けた木の器にそれを注いでから、ゆっくりと運ぶ。向かうのは、火傷痕の男の方だ。
ベッドに運んでスープを作り出した辺りから、彼は目を覚ました。そして、やはり無言でキーリを見詰めるだけなので、気にしないようにしながらスープを作っていた。
刺さり続ける視線を受けながら、完成した豆のスープを片手にベッドの側の椅子に座る。
「ええと、何も食ってないだろ。だから、これ」
「……」
器を差し出したが、微動だにしない。キーリが差し出した器を黙って見つめるだけだ。
──まあ、当たり前の反応だよな。
先程の事といい、火傷の男はここでの生き方をよく理解している。何が入っているかわからない食事を警戒しないはずもないだろう。
しかし、このまま食べないと怪我も治らない。更にキーリ自身も残されてしまうと嫌いな豆のスープと向かい合わなくてはならなくなる。
「……仕方ないな」
器に入れた木のスプーンを掴み、中身を掬う。そしてまだ熱めのスープを吐息で冷まして、舌先でぺろりと舐める。
「……うえっ」
キーリはやはり豆のスープが嫌いだった。
「あ、違うからな。俺が豆が嫌いなだけであって不味いとかそういうんじゃなくて」
思わず弁明してしまうが、火傷痕の男は特に興味も無さそうにしており表情に変化もない。
彼にこれを飲ませるには毒見が必要だ。キーリは意を決して、スープを口に放り込みごくりと喉を通して飲み込む。更に、しっかりと口を開いて何も入っていない事を見せつける。
食べ物には何も入っていない、という事をわかって貰うためだ。
キーリはとりあえず様子を見て、そっとベッドの端に器を置いた。
火傷痕の男は、その器を黙って見詰めてどれくらいの時間が経っただろうか。スープも冷めきってしまい、そろそろ無理矢理にでもキーリの胃の中に片付けようとした時だ。
火傷の男の指先がぴくりと跳ねる。そしてゆっくりと、手を伸ばして器を掴んだ。
スープをまじまじと眺め、スプーンを手に取ると初めは舌先で舐めて暫し動かない。
更に時間が過ぎた後に、再度食べ始めた。
それらの様子を見守っていたキーリは、スープを食べ始めたのを確認して全身の力が抜けていくのを感じた。
──はあ、良かった。折角助けたってのに、死なれたら困る。
かなり警戒しながらではあるが、食べてくれたその姿は猛獣を飼い始めたような気分でキーリにとってはどうにも複雑だ。
ベッドは暫く彼のモノだ。キーリ自身は今日も床で寝る事になるだろうが、諦めている。
そうして、キーリと火傷痕の男と奇妙な同居は始まったのだ。
傷が治るまで、という短期間の同居ではある。しかし初日からは特に何かが起こる事はなく、それからは平和な同居生活が続いていた。
その間に火傷痕の男は、警戒を取る事はないが会話してくれるようにはなった。その際に名前を聞かれ馬鹿正直に名乗ったキーリは、最高に間抜けだと自分を呪った。
今まで無言を貫いていたのに突然名前を聞かれた為、混乱と気を許して貰えた喜びで判断能力が鈍くなったのだ。
そのような言い訳を心の中で繰り返した。
そうして、火傷痕の男との同居が二週間くらい過ぎた。
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