12年越しの初恋 ―大人になってからの、ほんとの恋―

華月麗奈

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第1話 同窓会の夜

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金曜日の夜、松原小夜は駅前の居酒屋の扉を押した。油の香りと笑い声が一度に押し寄せ、胸の奥が少しだけ浮く。入口の黒板には白いチョークで《三年C組 同窓会》と書かれている。手に汗がにじむのを、鞄の裏地でそっと拭った。

店員に案内されて奥の座敷に踏み入れると、懐かしい顔と名前の洪水だ。みんなスーツやきれいめの私服に身を包み、十二年という時間が丁寧に手を入れたみたいに見える。

「……松原?」

背後から、低くて聞き覚えのある声。小夜は振り返る。そこに立っていたのは小山春樹だった。背が伸びた、というより、姿勢がいい。すっと背筋が通ったスーツ姿がよく似合い、ネクタイの色が落ち着いた紺で、まじめな彼らしい。

「……ひさしぶり、小山くん」
 言葉にすると、胸の中の何かが微かに跳ねた。彼の目が笑って、ほんの短い間だけ視線が絡む。十二年前、同じ教室で斜め前に座っていた横顔。あのときもこんなふうに、名前を呼ばれるだけで少しだけ息が詰まった。

「元気だった?」
「うん。えっと、小山くんは?」
「元気。松原は今何の仕事してるの?」
「私は……調剤薬局で事務。小山くんは?」
「俺は商社で営業してる」


言いながら、小夜は自分の声がほんの少し上ずっているのに気づく。春樹の目線が、真っ直ぐ自分に向いている。その真面目さが心地よくて、でも同時にくすぐったい。彼の指先がグラスの水滴を払う仕草すら、記憶の中の「小山くん」と重なった。

「春樹くーん、写真撮ろうよ! こっちこっちー!」
明るい声に、小夜の肩がわずかにすくむ。振り向けば、女子のグループがスマホを掲げて手招きしていた。春樹は一瞬だけ小夜を見る。迷うような、でも礼儀正しい目。

「ごめん、ちょっと行ってくる。またあとで」
「うん。行ってらっしゃい」

彼は軽く会釈して、女子たちの輪に吸い込まれていく。フラッシュの光が一瞬白く弾け、笑い声が重なる。小夜はグラスの水面を見つめた。氷がかすかに鳴る。その音が、胸の奥の静かなざわめきと同じリズムに思えた。

「松原、だよね? 覚えてる? 斎藤栄太」

横から伸びてきた声は、陽に焼けたように明るかった。振り向くと、肩幅が広く、Tシャツの上に羽織ったカーディガンの下でもわかる締まった体つきの男性が、にかっと笑っている。髪は短く、目尻に快活な皺。

「……あ、ひさしぶり」
「久しぶり!いやー、見違えたなあ。大人っぽい、っていうの?なんか雰囲気ある」

褒められ慣れていない場所を、くすぐられたみたいに小夜は頬が熱くなるのを感じる。彼は躊躇なく隣に腰を下ろし、店員を呼んで「すみませーん、こっちにも唐揚げとポテサラください!」と声を張る。その元気さに、座敷の空気が一段明るくなる。

「斎藤くん、今は何してるの?」
「ジムでトレーナーやってる。身体動かすの、もともと好きでさ。松原は?」
「薬局で事務。処方箋の入力とか、保険の計算とか」
「へえ、なんか頼れそう。風邪ひいたら行ってもいい?」
「うん、もちろん。……っていうか、風邪はひかないで」

自分でも予想外に軽く返せたことに、小夜は少し驚く。彼の空気に、自然に押し出されるみたいに言葉が滑る。ラッキーアイテムみたいに笑顔をまぶしてくる人だ、と思った。

テーブルの端で、幹事がくじ引きの景品を掲げて盛り上げている。写真撮影の輪の向こうで、春樹が女子たちに囲まれて笑っているのが見えた。
シャッター音。小夜は目線をすぐに戻す。見なくていいのに、視界の端に彼のスーツの袖がちらちらと映る。胸の奥が、すっ、と一度だけ冷える。

「そうだ、さ」
栄太がスマホを取り出し、ロックを親指で外す。
「せっかくだし、連絡先交換しない?また飯でも行こうよ」

提案は自然で、健全で、断る理由がない。小夜は頷いて、自分のスマホを取り出した。画面の指紋の跡を親指で拭い、連絡先交換の画面を開く。

「AirDropでいける?」
「うん……あ、待って。名前、出た」
「これ俺」

近づいた二人のスマホが、ぴ、と短い音を立てる。ほんの一瞬、彼の指先と小夜の指先が触れた。体温の違いが、針の先で触れたみたいに鋭く伝わってきて、――ドキン、と心臓が跳ねる。小夜は反射的に息を呑んだ。

「ごめん」
「いや、こっちこそ。……えっと、送れた?」
「うん、届いた。ほら」

画面には〈斎藤栄太〉の文字。そこに登録された笑顔の小さなアイコン。彼はニコニコしながら、「スタンプ送っとく」と言って、元気なウサギがハイタッチしているスタンプを送ってきた。画面の中で、ウサギが跳ねる。小夜の口元も、つられてほどける。

「あ、写真も撮ろうよ。せっかくだし」
「うん」
二人で肩を寄せ、前髪を手で整える。栄太の腕が自然に小夜の背に回りかけ、彼は気づいてすっと距離を調整した。気遣いが、軽く触れない空気のやさしさになって残る。シャッター音。画面に映った自分は、想像より楽しそうだった。

そのとき、ふっと視界の端が明るくなる。向こうのテーブルで、女子たちに囲まれた春樹が、カメラに顔を向けたまま、ふとこちらを見た……気がした。ほんの一瞬。目が合った、と小夜は思った。次の瞬間には彼はまた笑顔でピースして、ライトに照らされて写真に収まっている。

――見られてた?

小夜は自分の胸の内の言葉に、気づかれないように笑って消音ボタンを押した。画面をタップして、一枚前の写真に戻る。そこには自分と栄太が肩を寄せて笑っている。ああ、そうか。遠くから見れば、ただの「楽しそうな二人」に見えるんだろう。

「今日、二次会どうする?」
栄太が無邪気に訊く。
「うーん、明日は早番だから行かないかな」

話しながらも、小夜は視線を動かさないように気を付ける。向こうの喧噪の中に、春樹の横顔がちらつくたび、胸が不規則に波打つ。あの「松原?」という呼びかけが、まだ耳の奥に残っている。

幹事が締めの挨拶を始め、座敷の空気が一つにまとまっていく。「三年C組、サイコー!」という誰かの声に、自然と拍手が起きた。小夜も手を叩く。その手の中に、さっき交換したばかりの連絡先の重みがある気がする。

会計の列ができ、ぞろぞろと玄関へ向かう流れができる。

靴を履きながら、小夜はふと顔を上げる。玄関の少し手前で、春樹が女子たちに「またな」と笑っている。その視線がふとこちらへ流れ、小夜は軽く会釈した。彼も短く頷いたように見えた。――見間違いかもしれない。けれど、それで十分だった。

外に出たところで、栄太がスマホを持ちながら軽く言った。
「小夜ちゃん、今度本当にご飯行こうよ。近いうちに誘うから」
その調子は押しつけがましくなく、爽やかで、断りようのない自然さだった。

「うん、ありがとう」
そう答えると、彼は満足げに笑い、仲間に呼ばれて去っていった。

ポケットの中のスマホが震える。〈同窓会アルバム作ったよー〉とグループLINEの通知。参加者一覧に〈小山春樹〉の名前がある。当たり前のことなのに、小夜はほんの少しだけ心臓が速くなるのを感じていた。

――ただの同窓会で終わるのかもしれない。
――終わらないのかもしれない。

胸のどこかで、薄い紙片がめくられるような音がした。新しいページの匂い。小夜は夜風を吸い込み、ゆっくりと吐いた。駅前の信号が青に変わる。

店内の灯りに照らされた座敷で、春樹が会計を済ませながら、扉の向こうの二人を一瞬だけ目で追っていたことを――小夜は知らない。ただ、背中に、誰かの視線の名残がそっと触れた気がして、無意識に肩をすくめた。

それでも、足取りは軽い。ポケットの中のスマホには、新しく登録された〈斎藤栄太〉。そして、グループトークの中に、淡く並ぶ〈小山春樹〉の文字。

十二年ぶりの夜は、確かにここから、少しだけ動き始めていた。
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