炎の精霊王の愛に満ちて

陽花紫

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呪いの名残り

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 夜が、深まる。
 焚き火の光は次第に弱まり、代わりにフレアの体からこぼれ出る微かな炎が、ふたりを淡く照らしていた。

 ミヤは臆することなく、その光に向けて手を伸ばす。
 指先が触れたような錯覚と共に、その強い熱が伝わる。それは痛みなどではなく、やわらかな感覚であった。
 まるで愛おしさが、皮膚の下で形を持ちはじめるようでもあった。
「……ねえ、フレア」
「なんだ」
「もしも俺がこの炎の中に溶けたら……。俺は、君と同じになれる?」

 フレアは、しばし黙した。
 その沈黙が、夜風よりも冷たくミヤの胸を撫でる。

「ミヤよ。それは、戻れぬ道となりえるのだぞ」
 諭すようなフレアの口調に、ミヤは深く頷いた。
「大丈夫、怖くないよ」
「なぜだ」
「この先もフレアと一緒にいられるなら、それでいい」
 フレアは、静かにその瞳を閉じた。
 炎が一度だけ強く燃え上がり、ふたりの影を包む。
 すべてをかき抱くかのように、その炎はやがて二人を吞み込んだ。

 その光が消えたあとも、ミヤの胸の中にはまだあたたかい炎が灯っていた。
 それは願いの名残か、愛のはじまりか。
 その区別もつかぬほどに、尽きることのない炎は深く柔らかに燃えていた。

***

 夜の風が、森の奥をすり抜けていく。
 炎の気配は遠のき、代わりに冷たい気がひたひたと地を這うようでもあった。

 ミヤはふと、顔を上げた。
 その静寂がとても重いものであるかのように感じられ、音がないほどに、世界は息を潜めていた。
 焚き火の明かりが、かすかに揺れる。
フレアはその隣に座り、何かを感じ取るように目を細めた。
「懐かしい、風だ」
「懐かしい?」
「忘れたくても、忘れられぬ気配ともいえる」

 その言葉の響きに、ミヤの胸はざわめく。
 いつもは穏やかなフレアの声が、少しだけ遠く感じられた。
 まるで、特別な感情を抱く誰かのことを思い出しているかのように。

 途端に、夜空の雲が割れ白く大きな月が顔を出す。
 その光がフレアの頬を照らし、艶やかな輝きを放つ。炎のように紅い熱をもつはずであるフレアの姿が、なぜだか月の冷たさに包まれていくようにミヤの目には映っていた。
「ミヤ、聞くがよい」
「うん」
 フレアは常とは違った顔をして、ミヤに向きなおる。
「もし我が、この姿を保てなくなる時がきたのであれば……その時は」
「どうして、そんなことを言うんだ?」
 その表情は以前のミヤのような、まるで全てを諦めたかのような顔にも似ていた。

「お前には、その影が見えぬのだな」

 フレアの声は柔らかく、それでいてどこか祈りの呪文のようでもあった。
「この森には、かつて我を封じた者の呪いが今もなお遺されている。それが呼び覚まされるようなことがあれば、再び炎は縛られることとなる」
 ミヤは震える指で、フレアの手を取る。
「フレアはもう自由の身だよ?俺が、願ったんだ。フレアはいま、ここにいる」
「確かに、その願いは強い。だが、世界はそれ以上に永い時が刻まれている。お前の声も届かぬほど、深く長く暗いものがあるのだ」

 その言葉の途中で、空が低く唸り声をあげる。
 森の影が形を変え、焚き火の光を暗闇が呑み込む。
 ミヤの心臓が、ばくばくと音を立てた。その影は冷ややかなものであるというものの、胸の奥が燃えるように熱い。

「離れるんだ、ミヤ」
 フレアはミヤの身を突き放そうとするが、ミヤはその身を強く抱きしめた。
「嫌だ!」
「ミヤ……!」
フレアの声が、炎の裂ける音と共に大きく空気を震わせる。
 その瞬間、焚き火の火は爆ぜ、熱風が吹き荒れる。風は呻き声をあげ、木々は激しく軋む。

 それでもミヤは、フレアの身を離しはしなかった。
「フレアを、決してひとりにはしない!」
「我は、ひとりで生まれた」
「でも、いまは違う!」
 その叫びが、闇を切り裂くように深く響く。
 漆黒の影が渦を巻き、ふたりを包み込む。フレアの瞳には、深い闇の色が浮かんでいた。

 ミヤは一瞬、世界の輪郭を失いかける。
 呪いの残影が、その姿をみせていたのだ。
 しかしその暗闇の中に、かすかな光を見たような気がした。

 それはフレアの心の奥にある、確かな炎。
 誰かに封じられても、決して燃え尽きることのない小さな命。
 ミヤはその炎に向かって、静かに手を伸ばす。目には見ることのできぬ炎を、そっと抱きしめるかのように。
 唇を寄せれば、炎は息を吹き返すかのように再び強く燃え上がる。

 影は揺らぎ、風は止む。
 沈黙のなかで、フレアの瞳がゆっくりと開かれた。
 その奥には、かつての炎の色が戻っていた。
「……ミヤ」
「うん」
「お前の声が、我の奥底へと響いていた」
 フレアの指先が、ミヤの頬に触れる。
 その手は熱くも冷たくもなく、ただ確かにそこに存在することを物語っていた。
 精霊王と人とが、重なる境界。そこには、言葉にならない愛が確かに存在したのだ。
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