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番外編 夢の中で
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目覚めると、そこは夢とも現実ともつかないような場所だった。
光が柔らかく揺れて、空気は驚くほど静かだった。
境界のない世界。
けれども、なぜだか懐かしいような気がした。
「リカ様」
その声を聞いた瞬間に、胸が強く締めつけられた。
振り向くと、そこにはウィルが立っていた。
あの頃よりもいくらか大人びていたけれど、相変わらずな佇まいをしていた。
髪は整い、瞳には深い静けさが宿っている。
年月を経てもなお、どこか遠くを見てきた人のような余裕と落ち着きがあった。
彼は記憶の中よりもずっと穏やかで、それでいて美しかった。
「……ウィル」
その名前を口にしただけで、思わず涙が滲む。
「これは、夢なのでしょうか」
「いいえ、夢じゃないわ。きっと」
「……あなたさまの声を、追い求めていました」
「私も。あなたの声を、ずっと夢で探していたわ」
彼は、少しだけ笑った。
懐かしい微笑みだった。
あのころ、疲れ果てた私の心を何度も救ってくれた優しい笑顔だった。
「リカ様は、お変わりのない様子で……」
「あなたは……。少し、静かになったわ」
「そう見えるだけだですよ」
交わす言葉には、いくつもの長い時が滲んでいた。
沈黙が落ちる。
それなのに、不思議と息苦しさはなかった。
彼がそばにいるだけで、胸の奥があたたかくなる。言葉さえもいらない、そんな穏やかな雰囲気のなかで私たちはただ見つめ合っていた。
「幸せに、暮らしていらっしゃいますか?」
ふいに問われて、私は少し迷ってからうなずいた。
「ええ、とても。……娘も、あの時のエリアスくらいに大きく成長したわ。穏やかな日々を過ごしていて、でも……」
「でも?」
「ときどき、思い出すのよ。あなたたちのこと。あの頃の自分が、もう少しだけ誰かを信じていられたら――って」
ウィルは、静かに目を伏せた。
そして再び顔を上げたとき、その瞳には微かな光があった。
「あなたさまを忘れたことは、一度もありませんでした」
その一言が、夢の中の空気を変えた。
高鳴る胸を、抑えきれなかった。彼の声は変わらず静かで、けれども確かに熱を帯びていた。
私は言葉を探したけれど、何も言うことができなかった。
ただ、彼を見つめ返すことしかできなかった。
次の瞬間、彼が一歩私に向かって近づいた。
距離が、縮まる。
心臓の鼓動が、夢の中なのにやけに大きくリアルに響いていた。
「……これは、私のなかの、都合のいい夢だと思っています」
彼が、小さく呟いた。
「だからこそ、お許しください」
そう言って、彼は私の頬に触れた。
彼の指先は温かく、確かにそこに彼は存在していた。
ゆっくりと、彼の顔が近づいてくる。
私は受け入れるように、そっと目を閉じた。
柔らかな光が差し込むような感覚の中で、唇が触れ合った。
音のない世界で、たったひとつの現実がそこにはあった。
痛みも悲しみもない、ただ静かな幸福だけがそこにはあったのだ。
離れたときに、ウィルは何も言わなかった。
けれど、その沈黙がすべてを語っていた。
私もまた、何も言わなかった。この想いを言葉にすれば、すべてが壊れてしまいそうだったから。
***
次に目を開けたとき、私は自分の寝室にいた。
隣で、美桜が眠っている。
その小さな手を握りしめながら、私はまだ唇に残るぬくもりを感じていた。
すべては、ただの夢だった。
けれども確かに、あの瞬間は存在したんだと私は信じている。
誰にも語れない記憶。
時を越えて夢の中で交わされた、たった一度の口づけ。
私は、静かに目を閉じた。
心の中で、そっと彼の名前を呼んだ。この声が、どこか遠くに届くよう願いながら。
END
光が柔らかく揺れて、空気は驚くほど静かだった。
境界のない世界。
けれども、なぜだか懐かしいような気がした。
「リカ様」
その声を聞いた瞬間に、胸が強く締めつけられた。
振り向くと、そこにはウィルが立っていた。
あの頃よりもいくらか大人びていたけれど、相変わらずな佇まいをしていた。
髪は整い、瞳には深い静けさが宿っている。
年月を経てもなお、どこか遠くを見てきた人のような余裕と落ち着きがあった。
彼は記憶の中よりもずっと穏やかで、それでいて美しかった。
「……ウィル」
その名前を口にしただけで、思わず涙が滲む。
「これは、夢なのでしょうか」
「いいえ、夢じゃないわ。きっと」
「……あなたさまの声を、追い求めていました」
「私も。あなたの声を、ずっと夢で探していたわ」
彼は、少しだけ笑った。
懐かしい微笑みだった。
あのころ、疲れ果てた私の心を何度も救ってくれた優しい笑顔だった。
「リカ様は、お変わりのない様子で……」
「あなたは……。少し、静かになったわ」
「そう見えるだけだですよ」
交わす言葉には、いくつもの長い時が滲んでいた。
沈黙が落ちる。
それなのに、不思議と息苦しさはなかった。
彼がそばにいるだけで、胸の奥があたたかくなる。言葉さえもいらない、そんな穏やかな雰囲気のなかで私たちはただ見つめ合っていた。
「幸せに、暮らしていらっしゃいますか?」
ふいに問われて、私は少し迷ってからうなずいた。
「ええ、とても。……娘も、あの時のエリアスくらいに大きく成長したわ。穏やかな日々を過ごしていて、でも……」
「でも?」
「ときどき、思い出すのよ。あなたたちのこと。あの頃の自分が、もう少しだけ誰かを信じていられたら――って」
ウィルは、静かに目を伏せた。
そして再び顔を上げたとき、その瞳には微かな光があった。
「あなたさまを忘れたことは、一度もありませんでした」
その一言が、夢の中の空気を変えた。
高鳴る胸を、抑えきれなかった。彼の声は変わらず静かで、けれども確かに熱を帯びていた。
私は言葉を探したけれど、何も言うことができなかった。
ただ、彼を見つめ返すことしかできなかった。
次の瞬間、彼が一歩私に向かって近づいた。
距離が、縮まる。
心臓の鼓動が、夢の中なのにやけに大きくリアルに響いていた。
「……これは、私のなかの、都合のいい夢だと思っています」
彼が、小さく呟いた。
「だからこそ、お許しください」
そう言って、彼は私の頬に触れた。
彼の指先は温かく、確かにそこに彼は存在していた。
ゆっくりと、彼の顔が近づいてくる。
私は受け入れるように、そっと目を閉じた。
柔らかな光が差し込むような感覚の中で、唇が触れ合った。
音のない世界で、たったひとつの現実がそこにはあった。
痛みも悲しみもない、ただ静かな幸福だけがそこにはあったのだ。
離れたときに、ウィルは何も言わなかった。
けれど、その沈黙がすべてを語っていた。
私もまた、何も言わなかった。この想いを言葉にすれば、すべてが壊れてしまいそうだったから。
***
次に目を開けたとき、私は自分の寝室にいた。
隣で、美桜が眠っている。
その小さな手を握りしめながら、私はまだ唇に残るぬくもりを感じていた。
すべては、ただの夢だった。
けれども確かに、あの瞬間は存在したんだと私は信じている。
誰にも語れない記憶。
時を越えて夢の中で交わされた、たった一度の口づけ。
私は、静かに目を閉じた。
心の中で、そっと彼の名前を呼んだ。この声が、どこか遠くに届くよう願いながら。
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