羊たちは幸せな夢をみる

陽花紫

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同僚ケントのとある相談

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 勤め先であるパーソナルジムの控室で、いつものように仕事の準備をしていたトオルはその日、背後からおずおずと声をかけられていた。

「トオル、ちょっと相談があるんだけど……。いい?」
 それは、同僚のケントであった。
 トオルと同い年で、普段は明るく大らかな彼がその日はやけに神妙な面持ちをしていたのだ。
「どうした?」
「あのさ……。その……内臓を鍛えるには、どうすればいいと思う?」
 内臓。
 そのような言葉に、トオルもまた眉を寄せて考える。
「内臓って?」
「そう、内臓」
「インナーマッスルとか、そういうことじゃなくて?」
 埒が明かないと思い、トオルは首をかしげてみせた。
 するとケントは消え入りそうな声で、こう告げたのである。
「その……、肛門括約筋というか……腸というか……」
 耳まで赤くさせたケントの姿を目にしたトオルは、詳しくその話を聞くこととなる。

 ケントは、幼馴染の羊獣人であるリョウという青年と、最近付き合いはじめたのだと語る。
「トオルも、羊の人と付き合ってるって聞いたからさ」
「そうだけど……」
「こっちは家も近所で学校もずっと一緒で、同窓会で久しぶりに会ってさ。……そしたら、向こうから告られて。ずっと俺のことだけを見てたって、言われて」
 そしてケントは、照れたような笑みを浮かべてスマートフォンを見せていた。
 表示された写真には、マドカとは真逆の華奢で長身の整った顔立ちをした羊獣人が写っていた。艶のある細やかな巻き毛に、髪からのぞく小さな耳。その頭部に角はなく、金の瞳は優しく弧を描いていた。

 隣にいるケントと並ぶと、その空気ごと柔らかくなりそうなほど絵になっていた。
「すごく、美人さんだね」
「だろ?俺なんかにはもったいないくらいなんだよ。でも、すっげえ愛してくれててさ。俺のことだけだって言うんだ……」
 そこまで言って、ケントは深く息を吐く。
「……で、その……鍛える話なんだけどさ」
「うん」
「夜が、いろいろと激しくて……」
 その言葉に、トオルは一瞬固まった。
「激しい?」
 マドカとの夜を思い返すものの、激しいというよりかは比較的穏やかな印象があったのだ。
 そしてそれは、羊獣人特有のものであると思い込んでいたのだ。
「俺、誰かと付き合うのも初めてでさ。……何が普通かわかんないんだけど、五回って普通?」
 その回数に、トオルは盛大に目を見開く。
 そしてあの写真の姿からは想像もできないほどに、リョウは肉食であるとケントは告げた。
「けっこう、多いほうかな……」
「だよな!」
 ケントはその場で膝に手をつき、がくりと肩を落としていた。
「嬉しいよ?嬉しいけどさ、体力が追いつかなくて……」
 トオルは思わず苦い笑みを浮かべながら、その肩を叩いていた。
「その気持ちは、よくわかる。……じゃあさ、仕事終わってから俺と一緒にトレーニングしない?最近やってるのがあって、そのついでに」
「助かるよ!頼む、俺の内臓を鍛えてくれ!」
「内臓っていうのは、ちょっと難しいかもしれないけど」

 こうして、ケントはトオルの弟子となったのである。


 その日の夜、トオルは正直にマドカに向けて伝えていた。
 マドカもその話を耳にして目を見開いていたものの、次第に苦い顔をするようになっていた。
「いくら愛しているからって、パートナーに負担を強いるのは少しどうかと思うな」
「そうだよね。でも、まだ付き合いたてだから嬉しいんだって」
「なるほど」
「それで、ケントと一緒にトレーニングをすることになったんだ。だから帰りが少し遅くなるかも」
 その言葉に対して、マドカは穏やかに笑ってみせた。
「わかったよ。でも、無理はしないで」
「うん。ありがとう」
 いつもの柔らかな声で言われ、トオルの胸は温かくなっていた。

 一方その頃、ケントはこのことをリョウに言うことができないでいた。

「このところ仕事が忙しくてさ、最近残業が多いんだ」
「そう……。終わるころに、また連絡しなよ。迎えに行くから」
「うん、ありがと」
 リョウは一瞬眉を寄せたものの、快く頷いていた。人間相手なら、安心なのだろう。
 ケントは胸を痛めていたものの、トレーニングを続けるというその意思は固かった。

 こうしてトオルとケントは、仕事終わりに秘密のトレーニングをするようになるのであった。

***

 しばらくした、ある日のこと。
 リョウは迎えの時間を間違えてしまい、いつもより早くケントの職場に着いていた。

 どうするべきかと迷うものの、少しでもケントのその仕事ぶりを見てみようと、たまたま開いていたトレーニングルームの扉の隙間をわずかに覗き見る。

 するとそこから、かすかにケントの声が聞こえてきた。
「次は、こうか?」
「そうそう。ケント、もう少し腰上げれる?」
「こう?」
「違うよ、こう。ゆっくり……ほら」
「ああ、なるほど」
「そうそう、その調子」
 そこには台の上にうつ伏せになったケントと、その腰元に手を添えて支えるトオルの姿があったのだ。
 それは完全に、マッサージの体勢であった。
 内部を鍛えるためのストレッチとケアのために、二人は真剣な表情をしていた。

 しかしリョウの目には、それはまったく違う光景であるかのように映っていたのだ。

「俺のケントに、何をしているのかな?」
 その声は、完全に冷えきっていた。
 怒りよりも恐怖に近い静けさが、室内へと漂う。

 トオルは反射的にケントから手を離し、ケントも慌てて飛び起きていた。
「リョウ、違うんだ!これは……!」
「何が違う!」
 その姿は立ちすくんでいるものの、今にも殴りかかりそうな気迫であった。
 ケントは急いでリョウの腕を掴み、抱きしめるように押さえていた。
「本当に、違うんだ!」
「じゃあ、何をしていたというんだ?説明してくれ!」
「……トオルは……!」
 ケントは息を吸い込み、思い切り叫んでいた。
「俺のナカを鍛えるのを、手伝ってくれてただけなんだよ!」

 その瞬間、リョウの体からは一気に力が抜けてしまう。
「……ナカ……?」
 そしてその単語が発されるのは夜の場であると、即座に思い浮かべていた。
「そう。リョウのために、ちゃんと長く続けられるように……。どうにかしたかったんだ……」
 ケントはリョウの胸に額を押しあて、正直にその思いを打ち明けていた。
「お前のことが好きだから。だから、悩んでたんだよ……」

 事情を察したリョウは、静かな笑みを浮かべていた。
「そんなことで……。君はこれまでずっと、悩んでいたのかい?」
 リョウもまた、ケントの様子がおかしいことに気づいていたのだ。
 迎えに行った時、トオルに向けて手を振るケントの表情が軽くなることから、トオルが相談相手なのではないのかとも予測していた。
「ごめん。こんなこと、リョウには恥ずかしくて言えなかったんだよ」
「馬鹿だね。悩みがあるなら、一番に俺に言わなくちゃ」
「……本当に、ごめん」
「いや、俺のほうこそ。ごめん」
 ゆっくりと、二人は抱きしめあう。
 トオルはその様子を見て、静かに頭を下げていた。
「すみません、俺はこれで……失礼します。ケント、これからはリョウさんと仲良くな?」
 ケントもリョウも、安堵の笑みを返していた。


 帰り道。
 二人の間には先ほどまでの緊迫感はなく、穏やかで柔らかな空気が流れていた。
「ありがとう、リョウ。……その、怒らせてごめん」
「怒ったというより、驚いただけさ。でもケントが誰かと距離が近いだけで、正直……かなり心臓に悪いな」
「そんなにか?」
「当たり前だろ?君は、俺のものなんだから」
 リョウの微笑みは甘く、それでいて獣人らしい独占欲が滲んでいた。
 そして、唐突にケントの腰元へとその長い腕を回していた。
「それじゃあ……帰って、その成果を試してみようか?」
「……えっ?」
「楽しみだな」
 ケントは嫌な汗をかきながら、心の底からただ一つだけのことを思っていた。
 明日が休日でよかったと。

***

 トオルはその日の帰り道、少しだけ早足になっていた。
 ケントとリョウの誤解は何とか解けたものの、胸の奥にわずかにひっかかるものがあったからだ。
 マドカにずっと、寂しい思いをさせていたのではないのかと。

「トオル、おかえり」

 キッチンで夕飯の準備をしていたマドカが、顔を上げて微笑んだ。
 その笑みにほっとしながらも、どこか申し訳なさが胸に広がる。
「ただいま。マドカ、やっと終わったよ」
 そうその身を強く抱きしめて、トオルは静かに今日の出来事を伝えていた。
 マドカも笑みを浮かべながら、よかったとトオルの髪を撫でていた。
「これからは、残業もなくなるから……。マドカには、寂しい思いをさせたね」
 いっそう腕の力を強めれば、マドカは嬉しそうに瞳を輝かせていた。
「いや、トオルが真面目に頑張ってること……知ってたよ。本当に、お疲れさま。さあ、ご飯にしよう」
「ありがとう」

 二人は夕飯を食べ終え、食器を洗い終えたリビングで一息ついていた。
 ソファに並んで腰を下ろすと、マドカはトオルの身を強く抱き寄せていた。
「実は少しだけ、寂しかった」
 その言葉は、ひどく小さな声であった。
 しかしトオルの胸には、何よりも深く響いていた。
「マドカ……」
「トオルが帰ってくるのを待つ時間って、どうしても長く感じられてさ……」
 トオルはそっと、マドカの手を包み込む。
「ごめん。本当に……、マドカには無理させてた」
「無理じゃない。それに、トオルが頑張ってることは知ってるし、俺なりに応援したかった」
 そのように告げるマドカの目は潤み、強がりと本音が混ざったような表情をしていた。
「でも今日、トオルの顔を見たら……。寂しいって伝えておけばよかった」
 トオルは迷わず、腕を伸ばしてマドカの唇に自らの唇を押しあてていた。
「俺も。会いたかったよ、マドカ」
「トオル」
 小さく震える声で、マドカも強くその身を抱きしめていた。
 しばらく、互いの胸の鼓動だけが静かに部屋に響いていた。


 その夜、マドカとトオルは久方ぶりにゆっくりと隣り合って過ごしていた。
 互いの肩を寄せながら、マドカが近頃気に入っているという動画を一緒に観たり、ジムであった小さな出来事を話したり。

 時折マドカがトオルの指をささやかに握り、足をぴたりと添わせてくる。
 その甘え方が、ほんの少し増えたかのようにトオルは感じていた。
「よしよし、寂しかったな。マドカ」
「そんなわけじゃ……」
 しかしその耳は、小さく動いていた。これは、嬉しい時の合図でもあったのだ。
 トオルは耳に口づけをしながら、静かに愛を囁いた。
「明日からは、すぐに帰るから」
「うん。また、迎えに行く」
「楽しみにしてる」
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