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第一章 ロストサンタクロース

国葬連の女 /外ヶ浜銀次郎

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「オハヨウゴザイマース。外メッチャ寒イヨー!」
 ブロンドのおかっぱ頭に青い瞳の女は、これ見よがしに片言の日本語を話した。

 早朝の岩木林宮。
 寒さで赤くなった顔をほころばせ、スーツ姿の女が現れた。コートとマフラーに埋もれ、猫みたいに丸くなったその人は、のそのそと客間、兼居間に上がってくる。

「あんた、生まれも育ちも日本なんだろ。なんだその胡散くさい話し方。声もブリッとさせて……。腹立つんだが」
 銀次郎は彼女が苦手なのか、刺々しい態度を隠しもしない。
「えー。こないだ行った神社だと、そのほうがウケよかったんだけどなあ。にしても、辛辣すぎないか……」
「緑茶でいいですか、ニモリさん?」
「フタツモリ、ね。馴鹿カリブーはさ、なんでわざとニモリって呼ぶかな? 二森って苗字、わたしけっこう気に入ってるんだから。緑茶でお願いします」

 不満そうな二森をよそに、馴鹿はお茶を淹れにキッチンへと引っ込んだ。

「わたし、生まれも育ちも日本で、日本国籍の日本人だけどさ。どう見ても顔は西洋人だから、日本の田舎で生活してると、事あるごとに目立つんだよねー」
「愛称で呼ぶのは、あんたのことを気に入ってるからじゃないのかね」
 馴鹿のニモリ呼びについて、銀次郎が気だるそうにフォローを入れた。
「おー、サンタちゃん。唐突にありがとう。まあ、そっかそっか。じゃあ、許す」

 にっこにっこと能天気な笑顔をキッチンに向けつつ、二森はテーブルのお茶菓子に手を伸ばした。

「で? あんたは、例の彼を引き取りに来たのか?」
「もちろん。わたしの仕事だからね。腐敗が進行しちゃうと困るし、カリブーが学校へ行く前にやって来ました。おはよ」
「あぁ、おはよう」

 銀次郎はぶっきらぼうな挨拶を投げつけた。

「ねえ、サンタちゃん」
「その呼び方やめてくれないかね。俺、七十過ぎのジジイなんだけど」
「知ってるし。でも、どう見ても年下だからなあ」

 墓守に対して、二森ほど気さくな人間は少ない。たいてい、敬意を払うか恐れるかのどちらかである。馴鹿と銀次郎の場合は、またすこし特殊なケースといえるだろう。

「そんなことより!」
 ぱんっ、と二森はテーブルを叩く。
「不転化個体、派手に欠損させちゃったらしいじゃん。もうちょっとさ、国葬連のことも考えてやってくれない?」
 銀次郎は、“不転化個体”という言葉に対し、あからさまに顔をしかめる。
「連盟のことをいちいち考えながら人を撃ってられるか」
「え。不転化個体は人じゃないよ。死ぬと木になるのが人だよ。サンタちゃんは自分が人だと思ってるわけ?」
「……思っちゃいないさ。でも、俺にだって、いちおう人間らしい意思がある。いくら木にならないからって、そんな言い草はないだろう。あの男だって、同じだった」
「サンタちゃん。不転化個体は人じゃない。そう思うようにしなよ。でないと、いつか擦り切れちまうんだぜ」
「はいはい」

 音が聞こえそうなほどのウィンクをしてみせる二森。銀次郎は、げんなりした顔で適当に相槌を返した。これだからお前は好かん、と。

「まあまあ、これからはすこし気を付けてハンティングしてくれると、わたし助かるなー」

 わざとらしくバチバチとまぶたを開閉する二森に、銀次郎の表情はますます呆れていった。

「その、ものすごい真剣な声色なのに、とつぜん顔だけコメディになるニモリさん、僕はけっこう好きですけどね」
 そう言いながら、三人分のお茶を携えた馴鹿が戻り、テーブルに湯気がのぼった。
「へっへっへ。でしょうがー」

 気を良くしたらしい二森は、菓子で膨らんだ頬をほころばせた。

「馴鹿は変なんだよ」
「いや、カリブーは極めて正常だと思う」
「まあまあ。喧嘩しないでください。お茶、冷めないうちに飲んでくださいね」

 社務所の客間、兼居間に使っている部屋は、十二畳とそこそこ広めの和室である。東北の四月初頭はまだ寒く、早朝ともなるとファンヒーターが唸りを上げる。

「お茶あったかーい!」
 両手で湯飲みを覆うように持った二森は、嬉しそうに声を上げた。
「埋葬林も昨日は猛吹雪でしたからね」
「うへぇ、よく平気で暮らせるよね。体温調節がバカになりそう」
 二森は顔をしかめながらお茶をすすっている。
「あまりに酷いときは離れに移動すれば、まあなんとか」
 馴鹿は境内の端を指さして言った。
「四季に反抗でもしようとしてるのかね、埋葬林は」
 銀次郎がぼそりと呟いた一言に、二森はぴくりと反応した。金髪をさらりと耳にかけ、意味ありげに微笑んでみせる。
「カウンター・フォー・シーズンって感じ?」
「格好つけて横文字なんぞ使って……。英語もろくすっぽ話せないくせに」
「話せるわ! これでも国際組織の人間だぞ。ちょっと下手なだけだし!」
「そ、そうなのか。それは、すまん」

 噛みつかんばかりの二森に、銀次郎は気圧されるようにうなずいた。

「はいはい、喧嘩はおしまい。そうだ、ニモリさん。“トナカイの角”、そろそろ無くなりますよね? 取ってきますね」
 馴鹿は、まるで子供の喧嘩をたしなめるように両手を叩くと、正座をくずして立ち上がった。
「おー、そだね。おねがい」
「じゃあ、俺は巡回でもしてくるかね。ふざけてトナカイの角で刺されたら、たまったもんじゃないからな。こいつならやりかねないし」
 銀次郎はハンガーにかけてあった赤いコートを羽織った。
「ひどー。わたし、そんなことしないし。もったいない。外ヶ浜銀次郎は特殊な墓守なんだから。生きた標本をわざわざ殺すわけないでしょ」
「標本ねえ……」
「で、思い出のほうはどう?」
 ふん、と鼻を鳴らして、銀次郎は肩越しに二森を見やる。
「それが本題か」
「あれもこれもそれも、すべて本題だよ」
「さいですか」
「やっぱり、感情と結びついたまま?」
「それ、よくわからないんだが」
「ええと――」

 仮に、脳に記録されている、“感情と結びついた情報を思い出”とするならば、墓守には墓守以前の思い出がない。
 ところが、銀次郎の場合、墓守以前のすべての思い出を有していた。

「んー。そうなると、やっぱり俺は思い出を有したままだ。ずっとな……」
 銀次郎の眉間にしわが寄った。
「そっかそっか。やっぱ珍しいよね。どこの墓守様も、思い出なんて持ってない。今度、精密検査させてよ。墓守遺伝子が変異してるって、うちの研究員が言ってたよ」
「なにか、わかったのか?」
「ぽい。普通は墓守遺伝子が完全に機能すると、身体再構築の影響で、脳の記録から感情が削げ落ちる。すこし残る場合もあるみたいだけど、すぐに希薄になってしまう。だから、過去の記録を感情を伴って思い出すことができなくなる。つまり、思い出がなくなるってわけだ。でも、外ヶ浜銀次郎は違う。変異した墓守遺伝子が、感情の削げ落ちを阻害する機能を生み出していた、とかなんとか。あ、そうそう、頭を開きたいとも言ってたな」
「最後、怖いんだが……」
「でも、少なくとも感情の紐付きは断ちたくない? だって、昔の知り合いに会いたくなっちゃうでしょ」
「ならないね」
「ほんと?」
「くどい」

 銀次郎はギロチンを落とすかのように会話を叩き切り、車庫へと消えてしまった。

「ニモリさん。研究対象としての銀次郎の希少さ、重大さはわかりますけど、あまり酷い扱いをしたら、僕も怒りますよ」
「うへぇ、ごめんごめん。ついね……」
「まったく……。はい、どうぞ。巻いてタバコにしておきましたけど、良かったですか?」
 居間に戻った馴鹿は、トナカイの角を削って作ったタバコをテーブルに置いた。
「よいよい。ありがとう、カリブー。やっぱこれがないとだよねー。わたしたちもサンタちゃんのこと、曖昧になっちゃ困るからね」

 馴鹿も、二森のような国葬連の人間も、本来であれば墓守を視認することは不可能である。しかし、トナカイの角を摂取することで、墓守遺伝子の機能の一部を再現できるのだ。
 逆に、墓守に対しては致死性の猛毒となる。墓守にトナカイの角を摂取させることは、場合によっては千年近くも生存可能である墓守を死に至らしめる、もっとも簡単な方法だ。

「ねえ、カリブー。トナカイの角ってどこでどうやって手に入れるの?」
「僕がどう答えるのか、わかってて聞いてるでしょ」
「おしえてくれー」
「だめです。そればかりは連盟にも教えられません。わかってるでしょう? トナカイの角の秘匿、および管理の責任がありますから」
「くっそ。やっぱダメか」

 二森は金髪をかきかき、ふて腐れたように青い瞳を細めた。

「ほんと、林宮庁の連中はみんな口が堅い。さすが国家公務員。政治家もそうであれ」
「ははは。田舎の林宮は、あんまり公務員って感じしないですけどね」
「もー、トナカイの角があれば、墓守遺伝子の解明がもっと進むかもしれないのに」
「こうやって定期的に差し上げてるじゃないですか」
「足りん。こんな木っ端じゃダメなのだよ。原木――これ木なの? それがあればなあ」
「林宮庁か、国家埋葬林委員会に聞いてください。もしくは、別の国のそういう機関に」
「まじかー。官庁と戦うのはきついな。こっそり、お姉さんにだけ。ね? ダメかね?」

 馴鹿は微笑を湛えたまま、何も話さなくなった。

「ダメかー! わかったよ、諦める。さてと、不転化個体は安置所?」
「はい、そうです」
「親族とは話がついた? 難しそうなら、お姉さんが出張るけど」
「大丈夫でした。総理大臣の署名付き献体請書を見せたら、むしろ嬉しそうに捺印してて、複雑な気持ちになってしまいましたよ……」
 そう言って、馴鹿はすこし寂しそうに苦笑した。
「そっかそっか……。で、いま吐いたよね? いま弱音を吐いたよね、カリブー?」
「はい? ちょ、ちょっと……!?」

 年相応の顔を見せた馴鹿に、二森は踊りかかる。がっちりとロックされた馴鹿の顔は、真っ赤に熟れ、呻き声を上げて目を白黒とさせていた。

「サンタちゃんにも言ったけど、君たちは恒常的シリアスだから、気を付けないと擦り切れちゃうんだぜー。おらー」
「あ、あ、し、死ぬ。おっ……」

 あばばばば、と古典文学も斯くやあらんと悲鳴を上げる馴鹿と、満面の笑みとは裏腹に真剣な声色の二森である。
 じたばたと畳の上で暴れているさまは、まるで柔道かなにか、格闘技の練習のようだった。

「もうない? もう出ない? どう? 弱音どう? 聞かして聞かして?」
「も……っ。な、な……ない。ないです」
 馴鹿の返事を聞き、するりと腕をほどいた二森。乱れたスーツを直した彼女は、相変わらずの笑顔で立ち上がる。
「よいよい。じゃあ、さっさと不転化個体を回収するとしよう。立ち読みしに行かねば」
「はぁ……、またですか……。いい加減、四季ノ国屋のひとに怒られますよ」
「たまに買ってるよー。それに、店員さんだって、べつにかまわないって言ってくれてるし。けっこう変な本が置いてあって面白いんだよねー、あの本屋」
「四季ノ国屋の書店員さんが主人公の小説とかもありますもんね」
「そうそう。あれ、店のオリジナルらしいよ。本屋が本を自主制作ってのも好きなところだよ」

 サークル活動みたいだよね、と二森沙兎は笑ったのだった。



 ◆



「今日は、“バートランド・ラッセル”ですか」

 バックヤードと思しき場所から、ひょっこりと顔を出した書店員が二森に声をかけた。

 四季ノ国屋書店の店内。悪びれた態度など微塵もなく、まるで仁王立ちのごとく立ち読みをしていた二森。書店員はそんな彼女をとりわけ咎めるでもなく、雑談へと突入していった。

「あら。悪戸あくどさん、お詳しい?」
「いえ、まったく。タイトルにバートランド・ラッセルとあったので、それを読んでみただけです」
「そっかそっか。んー、世界五分前仮説というのが気になって読んでみたんですけど、どう思います?」
「さあ……、どうといわれましても、私はそれがなにかも知りませんから」

 悪戸と呼ばれた書店員は、うっすらと生えた顎ひげをなでて、困ったような苦笑いをこぼした。

「世界が五分前に誕生したのだと仮定して行われる思考実験ですって」
「はあ。よくもまあ、そんなことしようと思いつきますね」
「まったくです」
 悪戸の困った顔を見て、二森は口角を不敵に持ち上げた。彼女は手に持っていた本をぱたんと閉じて、にっこりと碧眼を細める。
「これ、買います」
「え……、珍しいですね。雪でも降りそうです」
 そう言って笑いながら、悪戸はエプロンと名札を正し、レジへと向かった。

「ひどー。思ったよりお金、落としてますよ、わたし」
 本を抱え、ぶつくさと言いながら二森は悪戸の後を追う。
「わたしのお金はあまり降らないかもしれませんが、雪ならまた降ったりするかもしれませんね」
「ええ、ここらは四月だからといって油断はできません。最高気温も平気で一桁になりますから」

 バートランド・ラッセルをレジに通している悪戸の足元には、赤熱したストーブがいまだ置かれていた。

「昨日も、猛吹雪だったらしいですからね」
 と言う二森の言葉に、悪戸はきょとんと呆ける。
「あれ、そうでしたか?」
「埋葬林の話です」
 ああ、と合点がいったように悪戸は顎ひげをなでる。
「なるほど。あそこは磁場がどうとかで、常識が通用しませんからね。普段、埋葬林の天候なんて気にもしませんから、一瞬、なんのことかと思いましたよ」
「気になりませんか?」
「ええまあ、ぜんぜん。墓参りやらお祭りやら、そういう節目でもないかぎり、鳥居をくぐることもなかなかありません。遊歩道を散歩するくらいです。どれだけ埋葬林が悪天候でも、遊歩道にいるかぎり気になりませんし。あそこの天候を気にしてる人なんて、そうそういないと思いますよ」
「人は嘘をつくとき、饒舌になる傾向があると聞きました」

 二森はにっこにっこと笑いながら、それにそぐわぬ剣呑な声色をしてみせた。

「あはは……、嘘をつくような場面でもないでしょう。それに、私はもともと饒舌な方ですよ。バートランド・ラッセルを知らなかっただけで」

 悪戸は気を悪くした様子もなく、ただ柔らかく笑みを返すだけだった。

「そっかそっか。そうでした。わたしが国葬連だから、埋葬林が気になるだけか」
「そうでしょうね」
「話しましたっけ?」
「はい?」
「わたしが国葬連の人間だって」

 本を袋に入れる悪戸の手が、すこしだけ止まった。
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