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第一章 ロストサンタクロース

あわてんぼうのサンタクロース (1) /外ヶ浜巽

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「不魚住! さっきのあれは、なんだ!?」
 息を切らせ、転がり込むようにして社務所に現れた俺を見て不魚住は目を丸くしていた。

「いったい、なにが起きた?」
 立ち尽くす不魚住に、俺は重ねて問いを投げた。

「あれって……。なんのこと?」
「埋葬林から雲が!」

 一瞬、驚いたような表情を浮かべて、ぱくぱくと声も出せずにうろたえる不魚住。まるで、空気でも食べているみたいだった。

「不魚住。知らないふりをするのが下手すぎる」

 馴鹿である不魚住が、あの異常事態に気付いていないはずがない。もうすこし不魚住が器用だったら、俺は疑わなかったかも知れない。自分の頭のほうをこそ、疑っていたかも知れない。
 墓守のような優衣子。異常な埋葬林。唐突に興味を失う人々。そんな話を披露したら、誰もが鼻で笑って話題は次へ移る。本物のサンタクロースを見た、などと言うのと一緒だ。与太話の類である。
 でも、不魚住は笑わなかった。今も、下唇を噛み締め、沈黙している。

「なあ。あれは、なんだ?」
 三度目の問い。
「僕にもわからないんだ。あれが、なんなのか。あんなことは、いままで起こったことがない」
 眉根を寄せ、うつむいたまま、不魚住はそう言った。

 彼の握り締められた拳が、ふるふると震え、俺に異常事態を知らせているかのようだ。本当にわからない。だから困っている。林宮を預かる者として悔しい。そういった、異常な事態であることを俺に知らせているかのようだった。

「本当にわからないのか……」
「うん。ごめん」
「いや、謝ることじゃないよ。でも――」

 知らず、俺の目は見開かれていた気がする。

 ――世界の嘘を暴き、嶽優衣子の死の真相を知りたいのなら――

「調べたほうがいいんじゃないか?」
「調べる?」
「あぁ。どうみても、あれは異常だった」
「そ、そうだね。でも、それはこっちでやっておくよ。巽は心配しないでいいよ。疲れてるんだから、早く帰って休んだほうがいい」

 ――埋葬林を目指せ。中心部にあるという御神体に接触しろ――

「巽? また、具合が悪そうだよ?」
「いや、俺はぜんぜん平気だ。それより――」

 俺は指差す。三之鳥居を越え、埋葬林のその中心へ向かって、俺は指を差す。

「すぐにでも調べよう。墓守様に、なにかあったのかも知れない。いや、もしかしたら、御神体かも知れない」
「た、巽。落ち着いてよ。それは僕の仕事だ。向こうに行っちゃいけない」
「だけど……」
「あれが、異常とは限らないよ。もちろん、超常現象の類ってわけでもないと思う。僕がまだ馴鹿として浅いから知らないだけで、稀に起こる現象かも知れない。ニモ……連盟の人たちと一緒に調べるから、巽は気にしなくてもいいんだ」
「……そうか」

 ――超常現象。
 なにか、猛烈な違和感が鎌首をもたげる。

 埋葬林は、見た目よりも広い。それは感覚的な話ではなく、本当に広い。中と外で、計測した距離に食い違いが発生する。膨張し続けているという話も聞いたことがあった。違和感につられ、それらを不意に思い出した。

 

 俺は、物理法則だとか、そういう学問には疎い。だけど、鳥居のこちらとあちら。その程度のもので、空間に齟齬が生じるものだろうか。見えない壁に遮られたように、くっきりと天候が変わるものだろうか。どうにも、そうは思えなくなってきた。それらこそ、超常現象のように思えてしまう。

 ――この世界は嘘つきだ――

「なあ、不魚住」
「うん? 大丈夫? これ飲んで落ち着いて」

 俺がぼうっとしている間に、不魚住はあたたかい飲み物を持ってきてくれていた。いつものお茶だった。そのお茶をすすって、ほうっと熱い息がもれた。あたたかい湯気が、まつげを湿らせる。いつの間にか座り込んでいた玄関の板張りから、どこか懐かしさが込み上げる。緊張が解きほぐされていくように、俺は落ち着きを取り戻していった。

「なあ、不魚住。ひとりは、こわい。お前と優衣子がいなきゃ、俺は挫けてしまう。俺は臆病だから」
「急にどうしたの?」
「俺と一緒に、この世界に反抗してくれないか?」

 ぼーん、と廊下の柱時計が音を立てた。一瞬の沈黙。

「え? 反抗って……。なに、それ?」
「え。あ、いや。んー……なにって、そうだなー。あー……っと、そうそう、漫画の話!」

 俺は、笑いながら立ち上がった。
 いったい、俺はなにを言い出すのか。

「漫画の話かー。急だよ、巽は。なんのことだろうと思ったよ」
「わるい、わるい」

 本当に、なにを言い出すんだ、俺は。
 頭を振って、妙な想像や気持ちを追い払う。あんな意味のわからない手紙を信じるというのか。
 もともと、埋葬林は謎の多い場所だ。生きた人間がまともに闊歩することのできない場所だ。そう、宇宙空間のようなものだ。すこしずつ謎は解明されて、やがて常識になっていく。超常現象に思えるようなことだって、いつか自然現象に変わる。よくよく考えてみれば、この世のすべては、そうじゃないか。

 まったく、馬鹿げたことを考えてしまった。口走ってしまった。

「すまん、変なこと言ったりして。もう帰って横にでもなるよ」
「うん。いいんだ。気にしないでよ」

 突拍子もない想像を握りつぶすように、俺は大きな溜息を吐いて、男に渡された便箋を握りつぶした。折りたたんでポケットに入れていたそれは、いともたやすく潰れてしまった。常識では測りきれない埋葬林に、どうして当たり前の定規をあてられようか。

「巽……、その手紙は?」
「え? いや、なんでもないよ」

 俺は、くしゃくしゃになった手紙をまたポケットに突っ込み、帰路に着く。

「またな、不魚住」
「あ。うん、また明日」

 不魚住に別れを告げ、社務所の玄関を出る。五月の夕暮れを仰ぎ見て、橙色に落ちてきた太陽に目を細める。オレンジ色に染まる景色に対抗するように、埋葬林の上空は鉛色に渦巻き、季節はずれの雪を吐き出していた。

「埋葬林に季節はずれっていうのは、なんだか的はずれって感じだな……」

 言いながら、俺は思わず立ち止まる。足元の違和感に恐怖する。

「うそだろ……」

 学校指定の革靴が、本来ありえないものを踏んだ。それは、薄っすらと積もった雪だった。すでに半透明にとけていたが、間違いなく雪だ。俺の現実が傾いでいく。

 俺は、雪降る埋葬林を仰ぐ。

「もう、やめてくれよ……」

 俺の現実を揺さぶるのはやめてくれ。ぐらぐらと揺れる現実に、俺の理解や感情が追いつかない。頭がぐちゃぐちゃで、本当に気分が悪くなってきた。
 苛立ちまかせに水っぽい雪を踏み飛ばしながら、俺は足早に林宮を後にした。
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