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第二章 ポストクリスマス

アウトサイダー (1)

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 深夜。
 四季ノ国屋書店。

 緑色のスモークと催涙ガスから逃げ出した二森は、悪戸を探して書店を見張っていた。深夜営業はしていないので、当然、店にはシャッターが下りている。店の裏側、店員が出入りする裏口付近を、二森はすこし離れて眺めていた。

「カリブー。そっちで、なにか動きはある?」

 不魚住に連絡を入れ、林宮の様子も確認する。もし巽が埋葬林の中心部へと向かっていたら、もし悪戸がなりふり構わなくなったら、と二森は危惧したのだ。

『いえ、こっちはなにも……。いったい、なんの騒ぎだったんですか?』
「巽くんが、埋葬林に侵入したかも知れない」
『そんな……』
「優衣子ちゃんに確認してみて。執拗に。あと、本屋さんの薄らヒゲ、知ってるよね? もし、あいつが現れたら、すぐに連絡して」
『え、え? 本屋さんが?』
「いや、やっぱり連絡はあとでいいや。まず、いつも通りの仕事を確実に実行して。御神木には絶対に近付かせないで」
『はい……』
「ごめんね。急いでるから、またね」

 通話を終え、二森はマガジンポケットから小箱を取り出した。中身は、ガジェット八十九号二型――八九二だった。起動したディスプレイがぼんやりと光る。

「くそっ。うまく隠れるもんだ……」

 吐き捨てる二森。
 彼女が操作している八九二には、周辺のストーリーが集まってきている。
 不魚住は、優衣子にトランシーバーで連絡を取っていた。一方、優衣子は巽をそりに載せ、不魚住に白を切っている。そういった、ストーリーの断片を確認するも、悪戸は見当たらなかった。

「逆に信憑性が増したってことでもあるか」

 二森は書店に視線を戻した。
 ディスプレイの発光がなくなると、二森の姿は闇に消える。街灯と街灯の間。光のせいで濃くなった暗闇に身を沈め、彼女は懐かしそうに書店を見ていた。

「一足遅かったのか、ここにはもう戻らないのか。どっちだ、悪戸」

 二森は呟いた。
 いずれにしろ、これ以上ここで見張っているのは時間の無駄だと彼女は判断した。
 ふたたび八九二を操作する。保存されていた一時データを支店のサーバに送信。その際、彼女は特定の書店員しか知らないコマンドで、データに手を加えた。

[interrupt request]
[hideout669]

「四季ノ国屋 書店員 悪戸吉彦あくどよしひこ
 カウンター・フォー・シーズンのスパイである可能性が高い。注意されたし。
 近々、一度帰還する」

 サークル構成員No.669からの報告

[/hideout669]
[/interrupt request]



 ◆



 国際埋葬林管理研究連盟。日本支部。研究開発室。

 電子音と共にドアが開き、白を基調とした部屋のなかに、二森沙兎が入ってきた。

「お。沙兎ちゃん。どうしたの、こんな夜更けに。なんか物騒な格好してるな。薄汚れてるし。大丈夫か?」
「ちょっとね。それより、進捗はどう? 林崎はやしざき先生」

 四十代なかば、白髪交じりの男。白衣姿の林崎は、コーヒー片手に肩をすくめてみせる。

「唐突だね。なんの進捗?」
「変異墓守遺伝子の移植」
「簡単に言うねえ」
「時間、もうあんまりないんだよね」
「は? 研究、打ち切られるのか?」

 林崎は椅子の上で慌てる。コーヒーをこぼしそうになっていた。

「いや、それはないから安心して。わたしの都合」
「転勤? 沙兎ちゃん好きだから、いなくなって欲しくないんだけど」
「まあまあ。それより、どうなの?」
「そうだねえ。銀次郎の遺体は保管してあるし、やろうと思えば移植自体はできると思うよ。でも、うまく発現するとはかぎらない。墓守遺伝子そのものが、まだ完全に解明できてないわけだからね。そのうえ、変異した墓守遺伝子を移植しようなんて、馬鹿げた話だよ。それこそ、更に変異して、がん細胞製造マシンになってしまいかねない。というか、なにが起こるか検討もつかない。賭けにすらならないよ」

 そっかそっか、と二森は手近な椅子に腰かけた。

「それじゃあ、墓守遺伝子が変異した原因とか、再現は?」
「銀次郎は、通常以上の放射線を浴びたとか、そういうことはないんだよね?」
「ゴジラみたいなこと?」
「ゴジラみたいなこと」
「ないと思う」
「そうだよね。僕もそう思う。だとすると、難しいね。生きているだけで、人間のDNAには大なり小なりの傷がつく。そこから変異したんだとしたら、原因は無いのと等しい。再現も難しいだろうね。でも、逆に言えば生きているだけで、だれでも変異する可能性はある。まったく同じ変異とはいかないだろうし、買いもしない宝くじの当選を待つようなものだけどね」
「そっかそっか。でも、スレイベルとか、バギーとか、そういうの作れるよね? 完全に解明できてもいないのに、開発なんてできるもの? なにか隠してない?」
「いやいや、上司に隠し事なんてしてないよ。あれらはね、たんなるがわなんだよ。どういう原理で動作するのか。それはわからないけれど、動作の結果だけを応用してるんだ。例えば、エンジンを作れなくても、動作するエンジンがあればいい。エンジンが動作した結果――生まれた回転運動に、ギアを繋げればいい。それで車輪は回る。我々が作っているのは、ギアとその先だけ。肝心要のエンジンは、まだまだ謎だらけだ。悔しいけどね」
「なるほど……。わかったけどさ、林崎先生って話し長いよね」
「わからない人に、わかるように説明しようとすると自然と長くなるもんだ。あと、単純に好きなんだもん。好きなものは語りたくなるだろう?」
「ありがとう。わかりやすかった。でも、中年男が、もんとか言うな。なんか残念な気持ちになる」

 二森の悪態に、林崎はケタケタと笑っていた。
 溜息をつき、二森は勝手知ったる我が家のように、棚からカップを出してコーヒーを注ぐ。

「よくわからないものの上に、現状のシステムが成り立ってるわけか」
「まあね。黎明期の世代の人たちは、良くやったと思うよ。おかげで、僕らはコーヒー片手に研究する時間を得たわけだからね」
「黎明期、ね……」

 部屋のガラス張りの壁。その向こうでは、何人もの研究員が、研究や開発に明け暮れていた。

「ときおり、思うことがあるんだ」

 林崎は、なにかしらのデータをモニタで閲覧しながら、独り言のように話し始める。

「時間も食事も忘れて実験に没頭したあと、お風呂で気を抜いたときとかね。思うんだ。埋葬林や墓守、粒子やトナカイの角。ホント良くできてるなあと、そう思うんだ。僕ら研究者なんて、必要ないんじゃないかってね。まったく、都合が良すぎるくらいだ」
「都合って、誰の?」
「誰の、ときたか。そう返されるとは思わなかったな。そうだなあ。あるとしたら、誰の、どんな都合なんだろうねえ」
「そこらへんは曖昧なままがいいな、わたしは」
「そうかもね。少なくとも、僕の分野ではなさそうだ。まあ、そんなことより――」

 もともと、さして気にしてはいなかったのか、本当に独り言だったのか、林崎は話題を変える。

「――研究員のぶんのトナカイの角、そろそろなくなりそうだから、在庫確認しておいてもらえる?」
「わかった。手持ちは?」
「僕のは、もうない」
「もっと早く報告して。とりあえず、わたしのあげる。わたし、実は不要だから」
「え。沙兎ちゃん、不転化個体だったの?」
「そうだよ」

 まじかよ、と林崎は真空パックされた注射器を取り出す。興奮した面持ちである。

「血液と細胞をくれ。そのカップも洗わずに置いていけ」
「いや、まあ……。悪意はないんだろうけど、めちゃくちゃ気持ち悪いな、先生」
「あ、ごめんごめん。でも、生きた不転化個体は珍しいから。たいてい墓守に殺された遺体ばかりだし」
「そ、そうね。でも、そんなに食いつくとは思わなかった……。ごめんなさい。嘘です」
「え? 嘘なの?」
「嘘です」
「墓守遺伝子、発現してない?」
「してない」
「なんだよ。若い女に弄ばれた……」
「人聞き悪いよ、先生」

 林崎はガッカリと肩を落とした。その様子を見て、二森は苦笑いをこぼす。

「申し訳ない。でも、トナカイの角、使っていいのは本当。わたしは、また林宮から直接もらうから」

 二森は内ポケットからケースを取り出し、林崎に渡した。

「ありがとう。僕はフランス産がいちばん好きなんだけどね。香りが好みなんだ。日本産も、まあまあ」
「……なに? どこって?」
「フランス」
「あー……、そう」

 二森の顔が歪んだ。苦しそうに、金髪をかき乱す。

「フ、フラ、フ……うん。そう、仏ね。仏でしょ? そうなんだ」
「ホトケって、刑事用語みたいに……」
「あんまり、その国は好きじゃないんだ。わたしの前では、よほどじゃないかぎり話題にしないで欲しい。とても不機嫌になる」
「そ、そうか。了解した」
「申し訳ないです、先生」

 二森のあまりに辛そうな表情を見たからか、ただ事ではないと察した林崎は、おとなしく引き下がった。

「話を戻すけど、変異墓守遺伝子の移植や再現が、いまのところ無理なのはわかった。じゃあ、持ち出すことは可能?」
「可能だよ。地獄のように面倒な手続きを完了できればね」
「それをせずに、という意味」
「首が飛ぶ」
「責任は、全部わたしが負うから」
「さすがに無茶だよ、沙兎ちゃん。なにに使うのかは知らないけど……」
「上司の命令でも?」
「上司の上司に報告しなくちゃいけないだろ?」
「たしかに。じゃあ、わたしが脅して奪い去ったってことでいい。それなら、どうですかね?」
「うーん。おじさん、困ったぞぅ……」

 林崎は、眼鏡を外して考え込む。
 いつの間にか、二森の手には小さな拳銃が握られていた。椅子に腰かけ、膝に乗せられた腕は、銃口が林崎に向くよう固定されていた。

「ここにあるものを無断で持ち出すことは出来ない。が、べつの場所で手に入れることは可能だろう」
「と、いうと?」
「まず、銀次郎の遺体を調べていて思ったんだが――」
「うん」
「――と、その前に。拳銃なんて、しまいなさい。物騒な格好をしてると思ったら、物騒なものまで……」
「へっへっへ」
「笑いごとじゃない」
「……はい。すみません」

 叱られた子供のように、しゅんとなった二森。小さな拳銃を腰のホルスターに戻す。

「それで?」
「はあ……、まったく。うちの上司はどえらいな。ええと、彼は頭を吹き飛ばしたわけだろう? そして、沙兎ちゃんの報告によれば、新しい墓守は、彼の肉片も取り込んで身体再構築を行った。つまり、我々には再現できない現象でもって、変異した新型エンジンがすでに組み上がっている可能性はある」
「それは、わたしも考えた。でも、彼女は普通の墓守だったよ?」
「もらった嶽優衣子の細胞を分析した。結果、新生墓守の墓守遺伝子は、銀次郎のものと同様、変異していたよ」
「ホントに!?」
「あぁ、本当だとも! 銀次郎の変異墓守遺伝子が影響したんだろうね。もうね、わけがわからない! でも、そうだとしか思えないよねえ!」
「もっと早く言って欲しいぜ、林崎先生!」
「いま結果が出たんだよ、沙兎ちゃん!」

 林崎は興奮のあまりか、さきほど眺めていたモニタを抱きしめている。

「埋葬林と墓守を生み出した何某かよ! ありがとう! そして、くそったれ!」
「先生、ちょっと落ち着いて」
「すまない。……とまあ、そういうわけで、嶽優衣子には銀次郎と同様の現象が起こっているはずだ」
「でも、そうは見えなかったよ」
「そうだねえ……。これは、ただの憶測だけど、なにかトリガーがあるのかも知れない。僕は銀次郎が墓守になった直後を知らない。もしかしたら、彼も最初は普通の墓守だったのかも」
「あり得なくはないか……。銀次郎が普通ではないと国葬連が知ったのは、ごく最近だからね。墓守になった直後の彼については、わたしも知らないし」
「不転化個体――墓守遺伝子が発現した状態の人間は、強いショックを受けると神経伝達物質が大量放出されて、状態に変化が起こるだろう?」
「うん。迷わなくなる」
「そうだ。ほかにも、墓守を視認できたり、スレイベルが効かなくなっていく。墓守自身にも、なにかしらのトリガーがあるかも知れない。試してみてもいいと思う」
「ショックを与えろ、ということ?」
「そうだね。薬物投与という手もあるけど、ただの憶測でとるにはリスキーな手段だ」
「そっかそっか……。いや、もしかしたら、もうその必要はないかも」
「ほう、つまり?」
「妙だなと思う行動を取ったんだ、優衣子ちゃん。わたしが大暴れしたせいかも。……ふーん、そっかそっか。ありがとう、林崎先生。わたしは行くよ」

 残りのコーヒーを飲み干し、二森は椅子から立ち上がる。それを、林崎は難しい顔で見つめていた。

「なにを企んでいるのかは、聞かない。僕は沙兎ちゃん好きだしね。でも、なにかあっても庇うことはできないよ。沙兎ちゃんと同じくらい、僕はこの職場が好きなんだ」
「いいよ。なにかあったら、わたしを悪者にして保身に走ってくれて構わない」
「了解。最高だ、ボス。あ、カップはそのままでいいよ」
「いや、ごしごし洗って返すから」
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