嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木

麻婆

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幕間 ロストエピソード.Ⅲ

嘘つき世界の創世神話 (3) /鬼沢晃

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 俺たちは狭い路地に入り、営業していない小さな飲み屋跡に押し入った。色の薄くなった看板には、“スナック よしえ”と書かれていた。

「それで、なにか当てはあるんですか、林崎さん?」
「そうだな。我々は四季ノ国屋の店舗を監視していたんだ。そして、ここに来たばかりの君は、見慣れないプログラムが走っているのに気付いたね?」

 ―― 収集プログラムとは、べつのプログラムが走ってたような――

「あ!」

 それだ。
 缶コーヒーのプルタブを開けたとき、閃きかけたもの。思い出しかけたもの。

「そう。それこそが、人を木にするプログラムだと僕は思っている。おそらく君の八九二に仕込まれていたんだろうね」
「知らないうちに、俺はウイルスのキャリアになっていたってことですか……」
「たぶんね。まったく、惨いことをする」

 八九二は備品管理課がきちんと管理しているはずだ。たとえあらかじめ仕込まれていたとしても、俺に同じ八九二が渡るとは限らない。備品管理課に手を回せるような人物でもない限り無理だろう。
 そこで、金髪のおかっぱ頭が脳裏をよぎる。

 ―― 返しといてあげるから、さっさと帰ってお風呂に入りなよ――

 俺の八九二をなかば強引に受け取り、代わりに返しておくと言った二森さん。

「くそ……」
「やっぱり、わたしたちは……」

 常盤坂さんの考えていることは理解できる。だが、いまは考えたくない。左足の痛みと相まって、気が滅入ってしまう。おかっぱ頭を追及するなら、この場を凌いでからだ。

「いまは目の前の危機に対処しましょう。八九二を確認してみます」

 俺は八九二を操作し、操作履歴を確認していく。物語収集プログラムなどに交じって、見慣れない名前のファイルが起動されていた。

「これ……かも知れないですね。く、く……なんだ?」

 手近な壁に、八九二の画面を投影する。
 操作履歴の一覧に、“kukunochi_program”というものが表示されている。

「ククノチ・プログラム?」

 俺と常盤坂さんは頭をひねる。

「その時計、すげえな」

 外ヶ浜さんは八九二の性能に驚いていた。

「木の神様じゃないかな? たしか、久久能智神くくのちのかみという名前だった気がする」
「あぁ! そうです! それですね、おそらく」

 林崎の言葉に、常盤坂さんが同意している。二人とも、ククノチという言葉を知っていたらしい。まったく聞き覚えがなかった俺は、すこし悔しくなって、たまらず外ヶ浜さんを見る。

「おう。俺も知らん」

 安心しろとばかりに、外ヶ浜さんは笑って見せた。年齢はそんなに変わらないはずだが、兄貴と呼びたい気持ちがわき上がる。

「鬼沢くん、このファイルの中身は見られますか?」
「ええと……」

 常盤坂さんの言う通り、俺もぜひそうしたいのだが、まだ八九二のイレギュラーな操作に慣れていない。

「すこし、いいか?」

 林崎が俺の八九二を操作し、黒の背景に白い文字のみのウィンドウを起動してくれた。見慣れたユーザーインターフェースだった。

「あとはUnixみたいな気持ちで、だいたい操作できる」
「ありがとうございます」

 Unixってなんですか。わからん。という常盤坂さんと外ヶ浜さんのやりとりが聞こえた。
 俺は八九二を腕から外し、投影キーボードを起動した。壁に映る画面を見ながら、テーブルに投影されたキーボードを操る。

「中身は、わりと単純ですね。最初の物語収集プログラムの起動をトリガーにして、ククノチプログラムが起動。起動した旨をどこかにメッセージとして送信――たぶん四季ノ国屋のサーバに送信したんですね。林崎さんには見せたくないので、そこの詳細は表示しません」
「悪いがもう見た。というか、普通にIPアドレス使ってるんだな」
「最悪だ」
「悪事に利用しないことを鬼沢くんに誓おう」
「信用できないぞ、このタヌキは」

 外ヶ浜さんの言う通りだが、もう構いやしない。

「この男のことは、戻ったら対処しましょう。とにかく現状の打破を最優先に。鬼沢くん、続きを」
「はい」

 常盤坂さんに促され、俺は画面をスクロールして見せる。

「メッセージ送信の60秒後、四季ノ国屋の同じサーバを参照して、"kukunochi”を“255.255.255.255”宛てに送信……。それで終わりです」
「“255.255.255.255”っていうと……」

 林崎が思い出そうと頭をひねったので、俺は先んじて答えを提示する。

ローカルLエリアAネットワークNに向けたブロードキャストアドレス」
「あぁ、それだ! 正確なアドレスがわからないから、手当たり次第に送信したということか」
「はい、おそらくは。プロトコルが合致した場合は、通信が成功する可能性がありますね」

 イメージとしては、チラシ配りだ。チラシの内容に興味を持つ人の正確な住所がわからないので、そのあたり一帯の家々すべてに宛ててチラシを配る。そして、チラシの内容に興味を持った人とだけコンタクトが成功する。まさに、手当たり次第。一対多のブロードキャストというわけだ。

「鬼沢くんと林崎が、またわたしにはわからないことを話し始めました……」
「大丈夫だ。俺もずっとわからない」

 常盤坂さんと外ヶ浜さんには申し訳ないが、いまは説明の時間が惜しい。

「鬼沢くん。その八九二は、いまどんなIPアドレスを取得している?」
「確認します」

 林崎の狙いを悟り、俺は特定のコマンドを実行する。
 どんな場合でも、町内LANにチラシを配るには、その町に行かなければならない。その町の人にならなければならない。つまり、八九二にはその町内のアドレスが与えられ、町の人になっているはずなのだ。そうでなければ、“kukunochi”というチラシは配れない。だから、八九二自身のアドレスを確認できれば、この物語世界町内のアドレスについてわかるはずなのだ。

「コマンド、受け付けられました」

 画面には、

 “IP address:192.168.0.56
 Subnetmask:255.255.255.0
 default gateway:192.168.0.1”

 と、表示された。
 これは、この物語世界に入ったとき、八九二がおそらく自動的に取得した自身のアドレスだ。

「デフォルトゲートウェイに侵入しろ。それがなにかは知らないが、たぶんルータの類だろう。侵入できれば、いったいどこに“kukunochi”が届いたのかわかるかも知れない」
「はい。もうやってます」

 どこに通信を行う場合でも、どういう経路で辿りつけるのかをルータなどに確認しに行かなければならない。ルータにはあらかじめ、様々な経路ルートを設定しておく必要がある。ルータは案内板のようなものだ。そして、デフォルトゲートウェイとは、一番初めに確認しに行く案内板のことである。つまり、“kukunochi”がどこへ届いたにしても、デフォルトゲートウェイを通過している可能性が非常に高い。
 俺はコマンドを実行し、192.168.0.1というアドレスにアクセスした。これが、この八九二のデフォルトゲートウェイだ。

「入れました……」
「パスワードとかもなし?」
「ないです……」
「杜撰だな。だれかのアクセスなんて想定してないんだろうな」
「物語世界のLANなんて、アクセスするほうも想定できませんよ」
「まったくだ。八九二が仮想的にLANを構築しているのかも知れないな。そうじゃないと、誰かが物語世界ごとにLANを構築して回っていることになる」
「だとしたら、とんでもないハッキング機器じゃないですか。八九二を作成した人を問い詰めたいですね」
「そのときは僕も呼んでくれ。なにをおいても駆けつける」

 アクセスしたデフォルトゲートウェイで、俺は知り得るコマンドをいくつか実行した。そして、そのうちのひとつが受け付けられる。
 設定されているルーティングテーブル経路表を表示するコマンドだ。
 林崎が言ったように、八九二自身が仮想的にLANを構築しているのだとしたら、自分で自分に道を尋ねるような行為だ。しかし、コンピュータやネットワークの界隈では、意外とそういうことが行われていたりする。コンピュータのなかで仮想コンピュータを起動して別物として動作させたり、本来繋がらないはずのローカルエリア同士を暗号化の技術を用いて仮想トンネルで繋げたり。気を抜くと訳がわからなくなることもしばしばだ。

「ルーティングか。どうだ?」
「なにもないですね」
「ないな」

 ルーティングテーブルは表示されたものの、そこにはなにも設定されていない。

「ルータ配下のLAN内なら、ルーティングは必要ないからな。ルータのIPアドレスはどうなっている?」
「確認してみます」

 林崎に言われるまま、俺はIPアドレスを参照するコマンドを実行した。

「SupposeNetとかいう謎の規格が使われています。有線じゃないでしょうけど……、なんなんでしょう?」
「うーん。“Suppose”って、“仮定する”って感じの意味だったはずだ。そうなると、考えるだけ無駄な気がしてくるね」
「なるほど……。アドレスは二つですね。192.168.0.1/24と、192.168.1.1/24ですね」

 このルータは、192.168.0.1側のネットワークと、192.168.1.1側のネットワークを繋ぐ役割を果たしている。
 もし、“kukunochi”が192.168.1.1側のネットワークにあるアドレスに、このルータを介して届いていたとしたら、ルータの通信ログを確認することで届いた先が分かるかも知れない。

「通信ログを参照してみましょう。なにかログが残っているかも知れません」
「それだ。まず最初に見るべきだったな。頼む」

 俺はうなずき、手当たり次第にログ参照のコマンドを打ち込む。

「出た……」
「192.168.0.56からの通信が、198.168.1.254宛てに届いているな」
「はい。他は軒並みタイムアウトになっていますが、192.168.1.254だけは、通信が成功しています」
「八九二から、“192.168.1.254”に“kukunochi”が送信されたというわけか」
「いったい、そのアドレスには、なにがあるというんでしょうか」
「わからない。アクセスしてみてくれ……」

 自然と、全員が無言になる。固唾をのんで見守っている。
 世界の根幹に関わる“なにか”にアクセスを試みるのだ。誰だって緊張するだろう。もしも、これが成功してしまったら、世界のあらゆる出来事に影響をおよぼす可能性がある。自分が存在している世界を好き勝手に弄り回せてしまうかも知れないのだ。

「くそ……。アクセスできてしまった」
「最悪だよ、鬼沢くん」

 黒と白の画面には、コマンド入力待ちの表記が点滅している。世界の根幹かも知れないものに、俺はなにかのコマンドを実行できる状態にある。手の震えで妙なことをしてしまわないように、俺は投影キーボードから手を離した。

「どうします?」
「なにかデータファイルがないか確認してみよう。間違っても、閲覧以外のコマンドを実行するなよ。どうなるのか見当もつかない」
「わかってます」

 ひとまず、俺はデータファイルを一覧表示するコマンドを実行する。

「うわっ……!」
「文字化けしてるな。こりゃあ、読めない」

 読解不可能な文字の羅列が表示された。しかし、日付と時間だけは読み取れる。

「これ、もしかしてファイルの作成日時じゃないですか?」
「そうかも知れない。一番新しいファイルは、ついさっきだな。新しく作成されたのか、更新されたのか」
「あれ?」
「どうした?」
「いま、急にファイルが更新されました」

 俺は八九二の時刻を確認する。

「更新日時は、現在時間と一致してる」
「なにが起こったんだ……」

 きしっ。
 と、木が軋む音が聞こえた。

「鬼沢くん!!」

 常盤坂さんの悲鳴が聞こえ、俺と林崎は振り返った。

「遺体から、木が……」
「ついに僕らにまで影響が及んだか……。時間がないぞ」

 その遺体は、林崎が殺した彼の仲間のものだった。

「どうした? 落ち着けよ。人は木になるもんだろ?」

 外ヶ浜さんは、きょとんとした顔で俺たちを見回した。彼以外、俺も含めて全員が言葉を失った。
 この物語世界に、設定が後付けされたとしか思えない。しかも、人の認識を捻じ曲げるほどに強力だ。もう一刻の猶予もない。

「はやくどうにかしないと、遺体を運ぶのが大変になるぞ」
「あ、あぁ。もちろんだ」

 外ヶ浜さんに対し、林崎は曖昧な言葉を返した。応えているようで、応えていない。さすがの林崎もうろたえているのだろう。

「後付けにしても、強引でおおざっぱだ。すぐに破綻するぞ」

 林崎は目頭を押さえて、うめくように言った。
 強引な後付け設定で、物語がどうなるのかは想像に難くない。木になった遺体はどう埋葬するつもりだ。墓地はあるのか。あるとして、その墓地はどう管理されているんだ。だれが管理しているんだ。
 そういった綻びに手が回らなくなり、物語は崩壊していくことになる。

「林崎さん! 外の様子がおかしい。みんな木に順応し始めてる」

 スナックのドアが開き、救急キットを携えた悪戸が入ってきた。

「あぁ。もう引き際だ。むしろ手遅れでもおかしくはない。悪戸、まだ人が木になることには違和感を持っているね?」
「ええ、もちろんです! ……くそ。四季ノ国屋め」
「鬼沢くん、常盤坂さん。悪いが、我々はここで撤退する。巻き込まれたくはないのでね」
「そんな! わたしたちには帰る術がないんですよ!?」

 そうだ。
 俺たちには帰る術がない。四季ノ国屋のゲートは開かない。“応答なし”は、三つのどれでもなかった。きっと、“応答しない”だった。俺たちの緊急信号は、あえて無視されたのだ。ゲートは、あえて閉ざされたのだ。物語世界の崩壊を予測して、それでもククノチ・プログラムを強行するために、俺たちは捨て駒にされた。
 たぶん、そういうことだ。

「八九二でができるとわかった以上、君たちは僕の監視下に置くのが一番安心できる。だから、一緒に連れて行っても構わない」
「林崎さん、なにを言い出すんです。こいつら四季ノ国屋ですよ!?」

 憤る悪戸を制し、林崎は続ける。

「だけど、僕らと来るということは、自由を奪われるかCFSになるということだ。どうする? 僕はどちらでも構わない。ただし時間がない。すぐに決めろ」
「CFSに……」

 常盤坂さんは唇を噛み、うつむいた。
 CFSの実態を知らない俺だけれど、こんな出来事を体験したいま、ついて行っても良い気がしている。足は撃たれて痛いし、傷のせいなのか意識もときおりぼんやりするし、林崎は部下を冷徹に処断する怖い人だしで、行きたい要素は見当たらない。見当たらないが、俺と常盤坂さんを捨て駒にして、ひとつの世界を滅茶苦茶にするようなところには戻りたくない。

「常盤坂さん。林崎さんについて行ってください」
「なに言ってるの……? 行くなら君も一緒ですよ」
「いえ、俺は残ります」
「馬鹿なこと言うなよ」

 外ヶ浜さんだった。絶句した常盤坂さんの代わりに、外ヶ浜さんが俺を諫めた。

「ホント、あんたらはなにを言ってるのかわからんし、なにが起きてるのかもわからん。でも、終ろうとしている世界から逃れる方法があるんだろ? うらやましいったらない。たぶん俺は駄目なんだろ? わかってる。だから、なおさら棒にふるのはどうかと思う」

 本当に、この人は良い人だ。違う形で出会っていたらと思わずにはいられない。だけど、いや、だからこそだ。

「すみません、外ヶ浜さん。やっぱり、俺は残ります。世界を救う」
「やるのか?」

 林崎は俺を見つめている。

「一か八かだぞ、それは」
「わかってます」

 更新された、ファイル名の読めないデータファイル。外ヶ浜さんの反応の変化。このデータファイルの書き換えは、おそらくこの世界を書き換える。

「足の傷のせいで捨て鉢になってないか?」
「それは……、完全には否定できませんね。もう、感覚が……」

 左脚、膝から下の感覚がもうない。生き残っても、脚を失うことになるだろう。

「撃ったのは僕の部下だ。一緒に来るなら背負ってでも連れて行く」

 俺は、林崎を見つめて首を横に振る。

「やはり、やるのか……。真っ暗闇か、新しい世界か。君が成そうとしていることが、我々CFSにとって是か非か判断に迷うところだが……」
「四季ノ国屋――いや、“楽園”が壊そうと、CFSが投げ出そうと、外ヶ浜さんがいるこの世界を俺は救う。是非もない。おおざっぱな設定で崩壊するというなら、俺が書き直してやる。繋ぎとめてやる。だから、目をかっぽじって見ておけよ、CFS」

 また、声が震えてしまった。
 怖いからだ。そりゃあ、怖い。世界ごと真っ暗闇に落ちようというときに、だれが怖くないというのだろう。足も痛いし、意識も朦朧とするし、涙も出てくる有様だ。みっともない。

「悪戸。焼き付けておけ。もしかしたら、これが本当のCFSのあるべき姿かも知れない」
「お前……、なんてことをしようと……」

 救急キットを床に落として、呆けた表情で俺を見る悪戸。

「我々CFSは、鬼沢晃の名を忘れない。そのためにも、生き残ろう」
「はあー……」

 常盤坂さんは真っ赤な目をごしごしと擦りながら、大きくため息をついた。

「常盤坂さん、逃げてください」
「怒りますよ、鬼沢くん。馬鹿にしないでください。難しいことはできないけれど、わたしは君を手伝います。これでも、わたしは先輩ですよ」

 引きつった笑顔で、常盤坂さんは胸を張って見せた。

「そうか……。では、我々は撤退する。君たちの作る世界を、僕は大いに楽しみにしている」
「どうせ放って置いたら黒歴史だ。興味深い世界にしてやりますよ」
「そうですね! ひとまず、傷の消毒からですね!」

 そうして、俺たちの手による物語世界崩壊ハザードを止めるための更新作業が始まった。
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